第一章 【顕現】 一
2050年。
科学の進歩で人類は新しいエネルギーを手に入れた。
進歩した例を挙げればーーー代替燃料の開発、オゾン層の回復、二酸化炭素削減など。
そして、科学の進歩とともにもう一つ、この世界には新たな事象が起きている。
それはいわゆる、超常現象。
神隠し、都市伝説の実体化、一部の人間に超能力の覚醒。
大抵が30年前までは現実になりえなかったもの。
ーーーそして、動物とは違う、黒い化け物の出現。
およそ30年前から超常現象と共に確認されたこの化け物。
街の中でも平然と佇む黒い化け物は人を襲う。
目的も何も分からない。
捕まえる事が出来る機会が圧倒的に少ない理由故に、研究もなかなか出来ないからだ。
だが、人間とは順応する生き物。
そう、黒い化け物に対応する人間が現れたのだ。
ーーー人はそれを、覚醒者と呼んだ。
○○○
「また事件ですか……それも、また例の黒い化け物の」
宮城圭17才。
誰に対しても敬語と言うことを除けば、普通の高校生。
圭は朝のニュースを見ながら一人呟いた。
ニュースには大きく黒い化け物の出現現場が映し出されている。
「この辺りも物騒になったものです。今日から少し早めに帰るとしましょう」
朝食をあらかた食べ終わったところで、階段を降りてくる音が聞こえてきた。
「優希。やっと起きたんですか。朝食もう出来てますよ?」
「んー……昨日寝るの少し遅かったからかな?」
パジャマ姿の女の子が目を擦りながらリビングに入ってきた。
「まぁ、それはいいとして。早く食べてしまってください。遅刻しますよ?」
「はーい。……起こしに来てくれればいいのにー……」
頬を膨らませながら優希が座る。
圭の妹である優希。
圭の一つ年下である。
「妹とは言え年頃の女の子の部屋に入るというのは如何なものかと思いましてね。早く食べないなら僕は先に行きますが?」
圭の放った言葉に対して慌てる優希。
慌て過ぎてご飯を喉に詰まらせている。
「そこまで慌てなくても置いてったりしませんよ。水です。どうぞ」
優希の前に水を置く。
すぐさま手に取って一気に飲み干した。
喉に詰まらせた状態で水を一気に飲み干したらどうなるかーーー
「ぐはっ」
……当然の如く、むせた。
「……急がなくても良いと言ったんですがね」
呆れ顔で圭は鞄に弁当を入れた。
「お兄ちゃん!」
「もう食べたんですか? ちゃんと噛まないと駄目でしょう?」
「次からそうする! それより急がなきゃ!」
慌ただしくなる優希。
圭の目の前で服を脱ぎ出した。
「優希! 自分の部屋で着替なさい!」
「時間がないの!」
「まったく……僕は玄関にいますよ」
リビングを後にして廊下に出た。
「優希のあの性格はどうにかならないものでしょうか……将来が心配です」
「お待たせ! 行こ!」
「ボタンを閉めなさい!」
見れば優希の胸元のボタンが留められていない。
ピンクの下着が見えてしまっている。
かくして、兄の苦悩は続く。
「そうかぁ、お前も大変だなー……」
「困りものです。何かいい案は無いですか? 片瀬宗司、あなたの意見を参考にしたいのですが」
遅刻することなく、なんとか学校に辿り着いた圭。
近所に住む幼馴染みであり友人の宗司に相談を持ち掛けた。
「そうは言ってもなぁ……圭は俺より頭いいだろ? 俺よりいい案が出てきそうなもんだけど」
「そうは言ってもどうにもならないのです。故に宗司に聞いてるんですよ。自分以外なら何か違った観点から見ることが出来そうですから」
心底困ったように宗司に訴える。
「ま、なるようにしかならないさ。とりあえずは現状維持で」
「結局はそういう結論になる訳ですね……あぁ、そういえば……」
圭が言葉を発する前に、教師が入ってきた。
「……仕方ありませんね。また後で」
「おー」
教師に何か言われる前に席に着く。
いらぬことで教師の怒りを買うのは勘弁だ。
教師の退屈な連絡が終わり、授業が開始されそうな時に、教師は特定の一人に言葉を放った。
「宮城圭は後で校長室に来なさい。一限は出なくていい」
「……は?」
圭の疑問に答える事もなく、教師は去っていった。
一体何かしたのだろうか。
自分が何かしたのか記憶を探ってみるが、心当たりはまったく無い。
「圭、お前なんかしたのか?」
宗司が圭の席に来て声を掛けた。
笑っているような、心配しているような顔。
「僕には何も心当たりがないんですけどね……何か知ってますか?」
「圭に分からないなら俺に分かる訳ないだろ?」
「それもそうですね。では、行ってきますよ」
「後でなんだったか教えてくれよー」
「話の内容によります」
宗司の方は見ないまま言葉を放ち、教室を出た。
すれちがいに教師が入ってきて、続いてチャイムが鳴り響く。
「誰もいない廊下と言うのはなにか寂しさを感じさせますね」
圭の足音だけが響く廊下。
頭の中では呼び出された理由を考え続けて、独り言を言った。
二年の教室は三階。
校長室は一階の端。
圭以外に廊下を歩く人間はいなかった。
「さて……確かここで良かった筈ですね。まさか呼び出しで校長室に来る日が来るとは思いませんでしたが……」
軽く落ち込んだ気分を押さえ付けて、扉をノックする。
返事はすぐに帰ってきた。
「どうぞ」
「……失礼します」
扉を開けた先にいたのは、校長ともう一人、入校許可証を首から下げた若い女性。
「さて、宮城圭君。呼び出された事を不審に思っているだろうが、君自身になにか問題があった訳ではないよ」
校長は、圭自身に問題は無いと、話を切り出した。
「では何故、僕は呼び出されたのでしょうか?」
「まぁ、掛けたまえ」
顎で近くにあったソファーを指し、座ることを促す。
圭は言われた通りに座った。
続いて見たことのない女性が対面側に座る。
「君を呼び出した理由についてはそちらの方から聞くといい。……神崎さん、私は席を外した方がよろしいか?」
「出来ればそのようにお願いできますか?」
神崎、と呼ばれた女性の凛とした声が響く。
「判りました。では、話が終わったら呼んで頂けますかな?」
「了解しました」
校長は神崎の言葉を聞くと、席から立ち上がり隣の応接間に移動した。
「……さて、話をしてもいいかしら?」
「えぇ、どうぞ」
未だ呼び出された理由が分からない圭は警戒する意味でも、無愛想な態度を取った。
「嫌われたものね。……まぁいいわ。とりあえず私の自己紹介からしましょうか。私は神崎怜奈。防衛省特殊危険物調査処理担当部署所属です」
「……長いですね」
率直な感想。
しかし頭の中では、何故そんな人間が僕のところに? という疑問もあった。
「……何ですか、僕は危険人物にでも指定されたのでしょうか?」
「いいえ、それより、簡単な質問をさせてもらうわ」
いきなり変わった話に対して疑問を隠せない。
この女性の目的は何なのか。
「……どうぞ」
「最近おかしな夢を見ることは?」
「ありません」
「白昼夢をみたり?」
「しません」
「頭痛、動悸、もしくはそれに類する症状は?」
「持病は無いので」
「じゃあ最後に、……《黒い化け物》を見たことは?」
「……あります」
「……そう。ちょっと失礼」
怜奈はソファーから腰を上げて右手を圭の胸に当てた。
そのまましばらく静止。
何か考えてるようでもあり、何か感じているようでもあった。
一体何がしたいのだろう。
「あの、神崎さん?」
しばらくしても手を放そうとしない怜奈に対して声を掛けた。
「あぁ、ごめんね。もういいわ。ところで黒い化け物を見た、と言ったわね? 襲われたりはしなかった?」
「いきなり話を変えるのは如何なものかと思いますが……襲われましたよ。何の前触れもなく、こちらに飛び掛ってきました。僕が覚えているのはそこまでですね」
「それは……何故?」
「恥ずかしい話なのですが、気を失ってしまいまして。夢かと思ったんですが、引き裂かれた鞄を見たら現実と認識しない訳にはいきません。不思議でしたが」
出来る事なら人には言いたくなかった話。
しかし、誤魔化しても面倒になりそうだったので正直に話した。
「……また話は変わるんだけど、覚醒者はご存知?」
「えぇ。現代に生きる人間なら知らぬ者はいない、と言うくらい有名ですからね。たしか、黒い化け物と戦う事の出来る唯一の存在でしたか。しかしそれは少数精鋭で、未だ10人程度しかいないとか」
とりあえず、自分の知っている知識を並べてみる。
たかだか高校生では、ニュースで流れている程度しか情報は掴めない。
「正解。存在は知っていても実態は知らない、でしょう?」
「そうですね。ニュースでも彼等の映像は出てきませんから。気になる程度ですよ」
そこまで気にして見たことがない。
これは嘘。
本当は興味がある。
「そうなの……さて、随分遠回りになってしまったけれど、本題に移りましょうか」
「やっとですか」
短い溜め息をついて、疲れを示す。
実際、もう授業が終わりそうだ。
「ごめんなさいね。……私が今日ここに来て、貴方を呼び出したのは確認と報告の為です」
「確認……というと、さっきの質問や僕の心臓を確かめた事でしょうか?」
「えぇ。それで確信が持てました。では報告の方を済ませましょうか」
「……嫌な予感がしますね」
「それは貴方の性格によるわ。ーーーさて、貴方は、黒い化け物と戦う力を持つ、覚醒者です」
圭は怜奈から発せられた言葉に対して、思案し、溜め息をついてから言葉を返した。
「……困りましたね。嫌な予感が当たってしまいました」