0.プロローグ
少女は闇の中にいた。
目が開いているのかさえ自分でもすぐに解らないほどの暗闇の中。
オレンジ色の何かが揺らめいている。
かすむ景色が上下に広がった。
「ミーク様……ミーク様…! 起きてくださいませ、ミーク様っ」
目が慣れてくるにつれ、自分がベットの上に寝て、体を揺すられているのだと解ってきた
いつも優しいねぇやがランプを掲げ、心配そうに眉根を寄せていた。
押し殺した声で、切羽詰まった様子で私の体を揺すっている。
「……ねぇや? どうしたの?」 目をこすりながら体を起こす。
歳は7、8。金茶の髪を光にたたえ、肌は一点の曇りもなく白く透き通っている。
口元は幼さげにかすかに開き、あくびをした。瞳の色は透き通った翡翠色。
「ミーク様…!」 ねぇやと呼ばれたその女は、年のころ18、9。ミークが目覚めたことに気づくや否や抱き上げた。突然体が持ち上げられる感覚に、ミークは慌てた。
「ねぇや!?」
「……無事でよかった……」
ぎゅっと強く抱きしめてから、手早く少女の寝間着を着替えさせ始めた。
着替えさせられているのは、普段着とは違い、装飾がほとんどない、厚手の丈夫そうな布で作られた服で、旅装みたい、とミークはぼんやり思った。思っている間に、グローブとブーツ、小ぶりのカバンを肩から掛けさせられ、それを隠すように、フード付きの外套まで着させられた。
「よろしいですか、これからねぇやのいうことをよくお聞きくださいまし。」
ミークの肩に手を置いてきっぱり言った。
「これから、これをもって西国へお向かい下さい。誰にも見つかってはなりません」
ねぇやは、そういいながら部屋の壁に掛けられていたのタペストリーを捲ると、人ひとりがやっと通れるほどの小さな扉が隠されていた。そこを開くと、狭い穴倉に、下に続く階段が見えた。
ねぇやは、布で巻かれた細長い棒状のものを取り出し、布を半分ほどほどいて見せた。
短剣の束が見えた。束は銀色で、美しい草花紋様をモチーフとした彫刻が施され、宝石が埋め込まている。
「この剣を持っていることは、西国に着くまで誰にも触れさせてはなりません。よろしいですか?」
自分もこういう場合の行動はわきまえており、黙ってうなづく。
ねぇやは再び短剣を布で巻き隠すと、外套の下のカバンにそれを押し込んだ。
「ここを下ると、南の塔の端に出ます。さ、お早く……!」
「ねぇやは?」 通路に足を踏み出しかけ、振り向き、一緒に行ってくれないのかと目で責めた。
「……後で。」 ねぇやは、さみしそうに顔をゆがめた。その後すぐに、無理やりつくった笑顔を浮かべ
「後で必ず追いかけます。さ、お早く!」 その声にかぶさって、部屋の外から、乱暴な足音が近づいてくる音がした。
「う、うん……」扉が閉められると同時に、部屋に大勢の何者かが入ってきた音がした。部屋がめちゃくちゃに荒らされ、怒鳴りつける声がする。
「ミークはどこだ!?」
「探せ!」 自分を探しているのだと気づき、恐ろしさに、身をひるがえして真っ暗な穴倉を駆け降りた。
暗闇に続く穴倉は、迷路状になっており、小さいころから教え込まれた暗号順に沿って、わき道を何度も曲がる。
部屋が遠ざかり、乱暴な物音も次第に小さくなっていった。
「ギャァァ――――――!」 ねぇやの苦し気な叫び声が暗闇に響き渡った。
叫び声と同時に、ミークの頭の中に、ある画像が浮かんだ。
扉の前でぐったりと座り込むねぇやに、何本もの剣が突き刺さっていた。
ねぇやの命が消えていくのを、暗闇の中ではっきりと認識した。手足の先がが恐ろしさに震えだし、気づけば涙を流していた。
部屋に侵入してきた族たちは、部屋にいた侍女の体ごと壁に剣を突き刺していたため、剣を引き抜くのに多少手間取った。剣を抜く際、その壁の裏側が空洞であることに気づいた。
力を失い、重くなった侍女の体をなんとかどかすと、すぐに隠し通路の存在に気が付いた。
「この中に逃げたようだ!」
「さがせ!!」
通路内に複数人の気配を感じた。しかし、迷路状になっているので、そうすぐには追いつかれまい。
震える体を叱咤し、再び走り出した。
――逃げなければ! 逃げなければ!――
通路の行き止まりに再び扉が現われた。それを開けると、南塔の二畳ほどの露台に出た。
下は真っ黒い海が広がっている。下は断崖絶壁になっており恐ろしい高さだ。
下は岩礁となっていて飛び降りても、無事ではいられないだろう。
海面のやや離れたところに、ポツンと小さな灯りが見えた。
どうやら小舟が浮かんでいるらしい。
振り仰ぐと、南の塔の上でも戦いが繰り広げられているようだ。的を撃ち損じた火矢が、時折海に向かって流れて行った。
塔の上で戦闘を繰り広げていたある兵隊が、ミークの扉を開ける音を聞きつけた。
下を見れば、露台に人が飛び出してくるのが見えた。委細はわからないが、逃げる者は敵だ。
兵は、矢をつがえて狙いを定めた。
ヒュゥ、っと何か飛んでくる音にミークは振り返った。矢が脇をかすめ、驚愕して振り仰ぐ。
わずかな間ののち、露台に次々と矢が撃ち込まれてきた。
小さな露台に隠れる場所はない。矢は確実に自分を狙っていた!
「キャー―――――!!」