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かび臭い布団、埃まみれの机の上の参考書、使い古した空気、日の光を一切許さないカーテン、虚空に流れる少年の呼吸音。陰気がどっぷりと溜まったこの闇の部屋は、少年にとっては光のない天国。
あいつの笑い声も、奴らのひそひそ声も、板一枚くぐれば完全に無音になる。
俺だけの刑務所、俺だけの鳥かご、俺だけの棺、俺だけの世界。
この部屋で他人の干渉はありえない。許されないし、俺が許さない。
今日も暗い部屋で一人、ぶっ壊れた体内時計を頼りに起きる。今日が何日で、今日が何曜日で、今が何時なのかわからない。それが俺にとって平常運転。ダルそうにベッドから体を起こして、日課の筋トレを始めた。そして、板一枚越しにおいてある母が作ってくれた肉じゃがを、扉を少し開けて腕を伸ばしてとった。まるで、秘密の取引。よどんだ空気と一緒に肉じゃがを体に取り入れ、また筋トレをした。そして、疲れて眠たくなったら本能に従って寝た。
そんな生活サイクルを約三か月続けた。
スマホを見ると今7月1日だ。春はすっかり終わり、ついに夏に突入する。しかし、俺には季節も時間も曜日も天気も関係ない。この部屋にいる限り、熱もにおいも空気も音も感じないのだから。俺は黒であり無である。何色にも染まらない。だから、この先も何もない生活を、何も変わらず過ごしていくのだろう。
そう思っていた。
しかし、変化は突然として起きた。
光のない天国に突如現れた悪魔。悪魔は一枚板をこじ開けた。空気が入れ替わり、新鮮なにおいが交わり、いろんな音が入ってきた。瞬く間に光のある地獄になった。
眩しい、熱い、音が聞こえる。苦しい。母は今までこんなことをしなかったし、俺が引きこもりであることに肯定もしなかったが否定もしなかった。じゃあ、今いるこの悪魔は誰だ。
俺は悪魔を見据えた。
漆黒の長い髪、透き通った瞳、美しい顔立ち、己の存在を誇張する仁王立ち、同い年くらいの女子。
悪魔というにはほど遠く、俺とは真逆の輝いた存在。どちらかというと天使に近い。しかし、俺の部屋に勝手に入ってきた侵入者。悪魔であることに変わりはない。
悪魔は大きく口を開けた。
「あなたが黒瀬健ね、初めまして、個性尊重委員会委員長近衛真というわ!」
近衛真という女は学校の制服を着ていた。しかも、俺が入学した虎西高校の制服。
「真ちゃん!黒瀬君のお母さんに許可もらってるからって強引なんじゃない!」
続けて後ろから別の女子が現れた。虎西高校の制服を着ている。かわいいが、近衛真という女子ほどの輝きというかオーラはない。
学校関係の者で、母から入室許可をもらっていると言っていた。俺は察した。
俺は悪魔を睨みつけ、口を手で覆って言った。
「母さんに頼まれたのか?引きこもりの息子を学校に連れて行ってほしいって」
「いえ、違うわ」
悪魔はすぐに否定した。
「じゃあ教師に言われたのか?」
「それも違うわ」
「は?じゃあなんでここに来たんだよ?」
「黒瀬君、あなたさっきから手で口を覆うから少し聞こえづらいわ。手をどけて頂戴」
「い、いやだ!」
かたくなに否定した。この手を取ったら俺は石になったように動けなくなる。そして、女子二人も俺に渋面を晒し、俺を悪というだろう。
「なるほどね、あなたのおかあさまが言ってたとうりね」
瞬間、俺の鼓動は早くなった。
母さん、あのこといったのか!なんで余計なこと言うんだよ!いやだ!おい悪魔、口に出していうんじゃねーぞ!
鼓動はさらに加速する。
「あなたが引きこもりになった理由、それはあなたが持つコンプレックス、いや、個性が原因ね」
お願いだ、もうないも言わないで出て行ってくれ・・・精神が持たねえ
視線を床に向ける。
悪魔は、ためらうことなく言った。
「あなたの個性は口臭、だからあなたは手で口を覆うのね」
口臭、その言葉を聞いた瞬間、俺の中の何かが壊れたような音がした。
気づいたら俺は叫んでいた。のどが裂けてもいい、肺に穴が開いてみもいい、口臭という言葉が聞こえなくなるぐらい叫ぶんだ。
耳を塞ぎ目も塞ぎ、地面に屈服し、無我夢中に叫んだ。そして、等々体力は尽きこえっは出なくなった。
部屋には嵐の後のような静けさが漂う。
「黒瀬君・・・・大丈夫?」
悪魔じゃないほうの女子が心配そうに見つめる。
「上っ面のやさしさなんかいらねーんだよ!お前らに俺の気持ちがわからねーくせに!」
そうだ、他人に他人の気持ちはわからない。なぜなら、他人だから。単純なことなのに忘れていた。
「ごめんなさい・・・」
「うるせえよ・・・」
「・・・」
しばらく沈黙が流れる。悪魔が静寂を切り裂いた。
「黒瀬君、さっきも言ったけど、私たちはね個性尊重委員会という委員会を行っているわ。まあどちらかと部活に近いのだけど」
個性尊重委員会・・・聞いたこともないな
「見た目にコンプレックスがある者、見えない部分にコンプレックスがある者、コンプレックスを個性として受け入れ、悩みを解決してあげるの」
「無駄だよ」
「あら?まだ何もしてないじゃない」
「俺だって行動したさ。中学校の時、俺みたいにコンプレックスを持ってる人が相談できる相談所があって、母さんと一緒に行ったんだ」
健は背中を丸め、顔を手で覆った。
「最初は期待してたんだ、きっと俺のことを認めてくれる人がいるって、わかったくれる人がいるって・・・でも」
声が少しずつ震えていく。
「そこの奴らも俺に会った瞬間、嫌な顔したんだ!小さな声で臭いとも言っていた!」
「それはひどいわね…」
「そんな奴らにすら否定された俺を、お前らは受け入れられるのか?俺が顔を上げて、手を外して真正面に顔を向けても、お前は渋面を晒さないか?」
「ええ、できるわ」
悪魔の目には自信が見える。しかし、まだ信用できなかった。というか、信じ切って裏切られた時の精神のダメージが怖かった。
「駄目だ、信用できない」
「信用してくれないのだったら強引に行くわ」
瞬間、悪魔は俺の腕を強引につかみ、唇と唇をくっつけた。
俺の頭の中は真っ白になった。もう一人女子も顔を赤くし驚愕している。
すぐに頭の中はクリアになってきたが、体に力が入らず、ただ目の前にいる悪魔の顔を見るしかなかった。相手もしっかりと目を見開き、見つめ返してくる。宣告通り、嫌な顔一つしていない。今までの奴らのように顔をそらさない。ちゃんと俺のこと見てくれている。
今まで黒や無だった俺の中は、次第に赤に変わっていくのを感じた。やっと俺は受け入れてもらえたんだ。こんな俺でも受け入れてもらえるんだ。そう思った瞬間、大粒の涙がこぼれ始めた。いままでの不安や怒りが押し出されるようにいっぱい流れた。
悪魔は、いや、近衛真は俺の背中に腕を回し、強く体と唇を密着させた。
しばらくの間、健は解放感に包まれながら、近衛真と息を交えた。
虎西高校には、変わった委員会が存在している。その名も 個性尊重委員会。
才色兼備と猪突猛進の二つの四字熟語が似合う女子高生 近衛真は、体毛の濃い女
九鬼香織と、口のくさい男 黒瀬健を委員会に加え、個性豊かな生徒たちと出会っていく。
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いいお話しかけるかわかりませんが、よろしくお願いします!
「あの・・・その、先ほどはありがとうございました」
近衛真の顔を直視できない。恥ずかしくて。あの時の俺は正気ではなかった。顔を離した瞬間、一気に我に返り、顔がみるみる赤くなっていくのを感じた。それは相手も同様のようで。
「御覧なさい!宣告通り私は嫌な顔一つしなかったわ!何なら、あの・・・自分から腕を回して島ったのだけれど」
恥ずかしいなら言わなくていいのに。
「わーー!二人ともすごかったね~!」
もう一人の女子も顔を赤くしている。
あの間、ずっと黙ってみていたのだろうか。第三者に見られながらやっていたと思うと、何とも言えない恥ずかしさが込み上げてきた。布団に丸まって叫びたい。
「瞳ちゃん、今回のことは絶対、ぜーたい誰にも言ったらだめよ!」
「言いたくても言えないよ~!」
なんか少しうれしそう。近衛真は瞳ちゃんの態度が気に入らなかったのか、ちょっと怒ってい
る。でも、なんだか楽しそうだ。
しばらく時間が経って、俺は二人の会話に割って入った。
「個性尊重委員会って、今からでも入れたりするのか?」
「委員会って言っても部活に近いから、おそらく大丈夫よ」
「あれ~黒瀬君もしかしてー?」
瞳ちゃんはうれしそうな顔をしている。そんな顔されたらよーこっちまでうれしくなるじゃないか!
「ふっ、そのまさかだよ」
「「おーーー!」」
さっきも言ったけどよーそんなにうれしそうな顔されたらよーこっちまでうれしくなるじゃあないかよー!
なんとなく質問してみた
「他に部員?委員?はいるの?」
「私たちだけよ」
「すっくな!」
聞けば個性尊重委員会は最近出来たものらしい。
「私たち個性尊重委員会は文字通り個人のコンプレックスを個性として受け入れ、尊重し、何より自分自身を好きになってもらう、それが私たちの仕事であり活動内容よ」
自分自身を好きになる。これは誰にとっても難しいことだ。才能がないことで劣等感を感じたり、見た目に自信を持てなかったり、何をしても人よりうまくいかなかったり、障害を持っていたり、俺のように身体のどこかが臭かったり、それだけで人は自己嫌悪に陥る。
「自分を好きなる、簡単じゃないからこそ、他人が手を差し伸べてあげなければいけないのかもしれないな、今日の俺の俺みたいに」
別にまだ自分を好きになったわけではない、だが、自己嫌悪は払拭されたのは確かだ。今からでいい、少しずつでいいから自分を好きになっていく努力をする。
「そうよ黒瀬君。確かにあなたは口が臭いかもしれない。でも、それはあなたの個性であり魅力でもあるのよ」
「魅力?」
「そうね、例えば自分と同じ境遇の人の気持ちを理解できるとか、助けてあげられるとか」
「そうか・・・それが俺の魅力」
その言葉を聞いて、ほんの少しだけ自分を好きになれた気がした。今まで味わったことない感覚だった。
「黒瀬君あなた気づいているかしら」
「何が?」
「手を使ってないじゃない」
今まで人と会うとき無意識に口を手で覆っていた。思えばこうやって相手の目を見ながら話をするのも久しぶりだ。うれしくて、また涙が出てきた。
「よかったね!」
瞳ちゃんが言った
「ようこそ、個性尊重委員会へ!私たちはあなたとあなたの個性を歓迎します!」