君と珈琲を
どうも、三笠広生です。お久しぶりでございます。
今回の作品としましては、私としましても初の試みであるアイリス大賞様にご応募させて頂きます。
短いですが、読者様方の心を動かせれば幸いです。
どうぞ、よしなに。
「……一体どうなっているんだ」
閉店時間を過ぎ、人が居なくなった喫茶店でそう呟く。彼女、御倉紗世は項垂れていた。
自慢の珈琲を彼氏に振る舞おうと思い、誘ったら何かの嫌がらせのように都合が合わない。しかも一度や二度ではない、何度もだ。
折角、知り合いが気を利かせて『コピ・アルク』という高級豆を少しだけ分けて貰ったのに、彼女に申し訳ない。
「しかし、どんなツテを持ってるんだあの人は。コピ・アルクやパナマ・ゲイシャとかの豆をなんで仕入れられるのかがわからん」
私の知り合いのバリスタ、白澤圭子。バリスタと言っても彼女の喫茶店はほとんど開いていない事が多い。それは彼女が自ら豆の買い付けも行っているからだ。
私の場合は業者に頼んで注文しているが、圭子に至っては自分で海外まで行ってしまうのだ。行動力が違い過ぎるなと常々思う。
だからなのか、やはり豆の種類は比べ物にならないくらい豊富だ。
「……いや、今はあいつのことはいいんだ。今大事なのは広樹のことだ」
私の彼氏、上北広樹。私の5つ下で22歳。
なんの面白味もないが、所謂一目惚れというやつなんだそうな。私に一目惚れしたからここに通い、何度もアプローチを掛けてきた。私はそれを流していたが気が付いたら告白にOKして付き合っていた。
何だかんだで、私も彼が好きだったということだ。
ため息を吐き、カウンターに突っ伏す。彼氏のことを考えていたからか思い出すのは彼と出会った時のことだった。
***
「お姉さんは今、付き合っている彼氏とかはいますか」
ひょんな事から店で話すようになり、よく人懐っこい笑みを浮かべて話していたと思う。でも何気ない会話をしていたら唐突にそんな事を聞かれたので固まってしまった。
「……えっと、私ですか?」
当然私のことだろう。だって店には今、私とこの男性の二人しかいないのだから。
止まってしまった作業に戻って、一瞬考える。この人は何を思ってこんな荒唐無稽なこと言ってきたのだろうかと。
「お付き合いしている方は居ませんが、今のところする気もありません」
これは私の本心だ。恋愛というものに興味がないというよりも意味を見出せないのだ。我ながら枯れているとは自分でも思うが、理屈は分かるけど理解ができないといった感じだと思う。
ただ、こんなことではダメだとは少なからず自覚はしている。
私のその返答を聞いた男性はほっとしたようにも見えたが、ガッカリしたようにも見えた。
私が彼に抱いた最初の感情は変わった人だなという印象だった。
***
また今日も一日が始まる。ただ、彼とは会えない日々が続いていたが。
私の店は、朝十一時からの開店で夜の十九時には店を閉める。一番忙しい時間は一五時から一七時の間だ。自分でいうのも何だが中々に人気の喫茶店なのだ。まぁ、圭子の店には負けるが。何なんだ、アイツは。喫茶店でプチ行列が出来るとか都市伝説かなんかか?
扉の開く音と鈴の音が来店の知らせを告げる。入ってきたのは一人の女性だった。活動的な服装と長い茶髪のポニーテールを揺らして。
「いらっしゃいませ」と声を掛けてそちらに視線を向け、私は顔を顰めた。対して、私の顔を見た相手はニンマリと笑い、一直線でカウンターまで歩いて来た。
「姉ちゃん、酒は置いてるかい」
「ここは喫茶店です。冷やかしならお帰り下さい、圭子さん」
彼女、白澤圭子はいつも突然店にやってくる。突然来るし、連絡が付かないことが多い。神出鬼没と言ってもいいかもしれない。
彼女は、笑いながらカウンター席に付きメニュー表を眺める。
「いつもの挨拶みたいなものじゃないか、冷たいー。うーん、じゃあおすすめコーヒーとモンブランを一つお願い」
「かしこまりました」と返事をして、作業に取り掛かる。モンブランの材料を準備している最中、やっぱり圭子さんは嵐のような人だなと思った。今のように店に来て注文していくこともあれば、店には来るがコーヒーだけ頼んでニコニコしながら私の様子を見ていたりすることもある。
だが決して嫌な時間ではなく、寧ろ私にとっても得難い時間になっていたりする。圭子さんには絶対言わないが。
注文の品も作り終わり、コーヒーをどうしようかと迷う。ブルーマウンテンの良いやつが入ったので飲んで貰いたいが、ここはエスプレッソでいこうと思う。奮発して高いコーヒーメーカーやエスプレッソマシンを買ったがとても良い。よく出来ているわ、やっぱり。
「どうぞ、圭子さん。モンブランにエスプレッソです」
「おー、ありがとう。待ってたよ」
テーブルに置かれたモンブランを圭子さんは美味しそうに頬張り、これまた美味しそうにコーヒーを飲む。
「紗世ちゃんの作るケーキは美味しいなー。市販の奴と比べても遜色ないよ?いや、寧ろ紗世ちゃんのケーキのほうが美味しいまでである」
「ケーキ屋でも開く?」と冗談めかして聞かれるが、私はこの喫茶店でコーヒーを振る舞い、一時緩やかな時間を提供するのが好きなのだ。だから首を振って嫌だと伝えた。その私の返答に満足そうに肯いて、そのまま残りのケーキを食べ出す。
食器の当たる音と店内で流している音楽だけの時間となった。それから香り高い珈琲の匂いもする。この時間が働いている中で私は一番好きだ。なので目を瞑ってこの緩やかな時間の中に身を置くことにする。
暫くしてから「ご馳走様」と小さく声が聞こえたので食器を下げようと圭子さんに近づいた。
それから彼との仲をいじられたり、圭子さんの近況を聞いたりと楽しい時間が過ぎていった。ただ、まだ彼と一緒にコーヒーを飲めていないことを伝えたらめちゃくちゃに煽られたので次に来店した時はめちゃくちゃ甘いか苦いコーヒーにしてやろうと決意した。
***
「……はっ」
意識が覚醒する。閉店準備を終え、カウンターに座っていたのまでは覚えているがそこから先から記憶がないので、いつの間にか寝てしまっていたようだ。
少しだけボヤけている視界を向けると何故だか広樹と目が合った。数秒彼と見つめ合い、びっくりして身体ごと仰け反って、椅子と一緒に倒れてしまった。
「紗世さん、大丈夫」
「痛たた……。うん、大丈夫。ありがとう」
心配して、差し出してくれた手を取って立ち上がる。どうしてここに居るのかと聞いたら私に会いに来てくれたからだそうだ。純粋に嬉しい。
「紗世さんと一緒に働きたくて、コーヒーのこととか豆のこととか覚えることが多くて……。紗世紗世はすごいなぁ」
何でも、今まで予定が取れなかったのはコーヒーのことを勉強していたからだそうだ。ヤバイ、顔がニヤけそうだ、我慢しなければ。
「そうだ、紗世さん。良ければコーヒーミルとかを貸して貰えますか?」
「勿論良いけど、どうして?コーヒーなら私が淹れるよ」
「……いつも頑張っている紗世さんに僕がコーヒーを振る舞いたくて」
とても恥ずかしそうにポツリと呟く。そんな彼がとても愛おしくなって抱きしめる。顔を真っ赤にして慌てて離れようとするが絶対に離さないように力を込める。だって、私の顔も今は見せられないから。
彼が淹れてくれたコーヒーは優しい匂いがした。
豆を挽き、フィルターを使ってお湯を注いでいく。豆は彼が買ってきたらしいが折角なので一緒のものを飲みたかった為、お店の豆を少しだけ使うことにした。
私が淹れたものは広樹に、彼が淹れたものは私が飲むことにした。淹れ終わって気付いたのだが、圭子さんに貰ったコピ・アルクを忘れていた。
「やっぱり紗世さんのコーヒーは美味しいや」
「私は広樹の淹れてくれてたコーヒーの味も好きだな」
豆の挽き方もムラがあって、お湯での抽出もまだまだで味に雑味が混じっていたが、それでも私にはとても美味しいコーヒーに感じられた。
もう一口飲む。美味しい、そう思って広樹のほうを見ると、彼も私を見ていた。
二人はもう一度「美味しいね」と言って笑みを浮かべた。
喫茶店には暫くの間、光が灯っていた。