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この仕事の発端は1週間前に遡る。
竜統計調査局はメルカラナ皇国の重要な公的機関の一つで、空真は自分の机で黙々と事務作業に勤しんでいた。その日はいつもより頭が冴え、事務処理が捗った。もしかしたら今からでもあの辞令が取り消されてくれないかと、かりえない期待を知らず知らずのうちに抱いていたことで、いつもより集中していたのかもしれない。
けれどもそこに傷口に塩を塗り込む同僚が現れる。
「おーい空真、辞令見たか?」
「見たよ」
「よかったな、公費で世界一周の旅が出来るぞ。ぷぷっ」
空真はイラッとして手を止めた。同僚の名前は悠斗・スウィフト、21歳。彼が何かと空真に絡んでくるのには理由がある。
「そんなに羨ましいなら代わってやるよ!」
「いやいや、俺には彼女も居るし、継がなきゃならない家督もあるからな!独り身で最年少のお前に持ってこいの仕事だろ、『竜統計調査地方回り』」
空真はケッと毒づいた。
「何が世界一周だよ。そりゃ地方回りでも国はひとつなんだから世界一周には違いないが、行き先どこだと思ってんだ!竜が住むのは人の居ない僻地だぞ、へ、き、ち!!もーこんなの実質左遷じゃないかー!!」
「1年は本局に帰ってこられない、ながーい出張だもんな」
「くそっ、俺は皇都でずっと居たかったんだぞ!」
嘆く空真に悠斗は肩を組んだ。
「まあこんなキツイ仕事、若さだけが取り柄のお前ぐらいしか受諾出来ないだろ」
「若さだけですみませんね!」
「気にすんなって。せっかく俺に次いで最年少記録更新したのに、補欠合格だなんて、いい話の持ちネタじゃないか」
笑いを含みながら慰められてもそれはただの嫌味だ。というか嫌味を言いに来ている。
悠斗が3つ下の空真に絡んでくる理由は、空真の竜統計調査局の最年少合格にある。2年前に19歳で最年少合格した悠斗の記録を、今年空真が18歳に塗り替えたのだ。だからその繋がりでよく話しかけて来るし、一番気兼ねなく話せる同僚に違いはない。
しかし最年少合格という隣に補欠合格という余計な情報まで漏れてしまい、常々それを揶揄されるのだ。
「どこから補欠合格か漏れたか知らないけど、言った奴全員にプライバシーと気遣いという言葉を叩き込んでやりたいよ。挙句の果てにこの辞令だ。新人イジメか!?」
「ま、洗礼かとは思う。俺には無かったけどな」
くっ、と空真は机に突っ伏した。自分が左遷される心当たりは多々ある。それは自分の残業時間の多さだ。残業が多いということは仕事が出来ない未熟者ということだ。
「あんなに憧れてたお役所仕事なのに、そんな仕打ちを受けるなんて。毎月定額の給料を出すのはいいけど、逆にそれしか取り柄が無い」
「若さしか取り柄が無いお前と似たもの同士だな」
「いちいち余計なこと言わなくていいんだよ!」
「とにかく課長が呼んでたぞ」
「あぁもぉ、1年は本局に帰って来れないなんて!」
「それどころか竜に食われて帰って来れないかもな」
「縁起でもないこと言うなよ!」
「冗談だって。竜は人を食わないんだからさ」
空真は課長の元へ向かった。そして机の上でペンを動かす課長の前に立つ。
「課長、空真・カーターです」
空真を見て課長は書類を横に軽く片付ける。
「来たか、カーター。辞令は受け取ったな」
「はい。謹んでお受け致します」
(不本意だけど)
空真は一応上司の前では不服な感情は見せないでいた。
「よろしい。任務にはこの竜統計管理局とコンサルタント契約を結んでいる方を同行させる」
「コンサルタント契約?」
(つまり調査局の人間じゃない奴と組めってことか?)
しかし課長の次の言葉でもっと驚くべきことが判明する。
「なんでも彼女は統括部長の姪御さんらしい」
空真は目を見開く。
「なっ!?俺とその姪御さんで調査しろってことですか!?勘弁して下さいよ、何かあったらどうするんですか!」
「おまっ、間違ってもマチガイは起こすなよ!?」
「そっちじゃなくて!竜の統計調査は危険で過酷じゃないですか。男ならまだしも女だなんて」
竜は人の住む場所には現れない。つまり危険な地形や環境に住む。地方調査は空真だけではなく、その一端を担うことになる統括部長の姪も空真と同じ危険な橋を渡るのだ。
「心配するな。彼女はお前の案内役兼護衛でもある」
「案内と護衛?」
「お前の言う通りこの任務は何があるか分からないからな。そもそも竜には計り知れない価値がある。だから竜を狙う奴も少なくない。そういう密猟者や、竜関係の犯罪者も排除しなければならない。勿論それは警備隊と連携することだがな。そういった時、彼女のような護衛が必要になる」
つまり捜査中に不法者に襲われることあるということか。
「なら俺の他に誰か付けて下さいよ」
「だから付けた人物が彼女だ」
「同僚でです!てか女で本当に大丈夫なんですか」
正直空真に武の心得は全く無い。体を動かすのも得意ではない。だからこの事務方の仕事に就いたというのに、こんな体力仕事が回ってくるなんて思いもしなかった。
「まあ俺も詳しくは知らんが、ただ完全なるコネということは間違いない」
「不安要素だけ付け足してくれますね!?」
本当に大丈夫なんだろうか。空真は不平不満が心に募っていく。
「まあ統括部長の身内で機密も保持出来るし、何より彼女の父親は竜の研究者だ。もしかしたらここの人間よりも役に立つかもな」
「それで案内ですか」
「そうだ」
課長は引き出しから関係書類を取り出し、空真に渡した。そこにはその同行者の資料も添付されていた。
「寒月・エッジワースさん、16歳だ」
「16!?」
何故そんな歳で調査局とコンサルタント契約が出来たのかは分からない。ただ確実に言えるのは、やっぱり不安要素しかないということだ。
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