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「あなた方は・・・・・・」
呼ばれた場所に空真と寒月が待ち構えていたのに驚いて固まる小春に、本来なら苦笑いでもして誤魔化したいところだが、ほんの少しも笑えない状況であるのが苦しかった。
場所は竜統計調査局ミラルディ支部その場所だ。
「こんにちは、竜統計調査局の空真・カーターと申します」
空真の身元を聞いて、小春はより一層驚いた様子だった。
「調査局の人だったんですね・・・・・・」
「こんな形で自己紹介することになって、申し訳なく思っています」
「では、あなたも?」
視線を向けられた寒月は首を横に振る。
「私は厳密に言えば調査局とコンサルタント契約をしてる者です。寒月・エッジワースと申します。カーターの同僚です」
あまり話が長くなるといけないので、さあ、と空真は小春を促す。
「こちらへどうぞ」
彼女に案内したのは調査局支部の奥の小部屋だった。薄暗い部屋にはロウソクが何本かの灯りしかなく、真ん中の棺に遺体が安置されている。
「今回街を襲ったのはノーマルと呼ばれる普通種。しかし身体は10メートル台の巨大な個体で、尾に打たれるだけでも殺傷能力が高かったとみられます」
「・・・・・・顔を見ても?」
「はい。しかし身体の損傷は激しいので、顔までにされた方がいいと思います」
空真と寒月はそっと棺のフタを外し、顔の部分だけ見えるように見せた。
小春は父親の顔をしばらく黙って見つめて、こぼれ落ちたような独り言が聞こえた。
「───やっと死んでくれたんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
空真は今回ばかりは彼女に何と言っていいのか分からなかった。父親の訃報を受けて慌てて来たので化粧が間に合わなかったのだろう、額に青い痣が見えていた。
小春は涙を流したりはしなかった。ただ棺の中の顔を静かに眺めて、見送りの言葉のように語り始める。
「酔っ払って逃げられなかったから竜に襲われたのね。最後の最後までこうして他人に迷惑をかけて・・・・・・。床では死ねないだろうと思ってたけど、まさかこんな形で亡くなるなんてね。あっちでお母さんも驚いているでしょうね」
恨みというよりも、呆れた声に近い。そしてしばらくしてから小春は空真を見やった。
「空真さん、私のこと薄情って思いますか?」
そう言った小春は疲れと安堵の入り交じった顔で、微笑んでいた。だから空真は、
「いいえ」
そう言うほか無かった。
「これはきっと、神様が私に安心してお嫁に行けるようにしてくれたんですね。神様って本当に居るんですね」
何も言えない空真と寒月。この時ばかりは無宗教者の空真も、彼女から神を奪えなかった。
***
竜が街を襲ってから10日後、旅立つ為に幌を張った馬車には小春の家財道具や嫁入り道具が乗せられ、出発を控えていた。
彼女の門出を祝うような澄み渡った空。秋とは思えない暖かさがあった。そしてどこからか聞こえてくる陽気な音楽。竜による建物の損害は少なく、街はすでに復興間近だった。
「ご結婚おめでとうございます」
寒月は彼女に花束を手渡した。大きく咲く花と小さな花が良いバランスで織り交ぜられていた。選んだのは寒月で、女性好みのピンクやイエローといった彩りにしたそうだ。受け取った小春は嬉しそうに微笑み、花束を抱きしめる。
「ありがとうございます。お二人には色々とお世話になりました」
小春は寒月の隣に立っていた空真に小さく頭を下げる。
「私、ちゃんとあなたに謝っていませんでした。あの時わざわざ声をかけて、父を運ぶのを手伝ってくれたのに、ついカッとなって強く言ってしまってごめんなさい」
「いえ俺の方こそ、何も知らないのに勝手なことを言いました。・・・・・・旅の安全を祈っています」
「ええ、ありがとう」
小春は本来なら4日前に旅立っていたはずだが、葬儀があった関係で少々予定がずれてしまった。婚約者の男性は実家に行くのはもう少し後でも良いと言ったそうだが、これ以上引き延ばせないと小春が強行したという。
彼女にとってこの街はあまり良い思い出ではないのだろう。母が死に、父にぶたれ、父が死んだ街。向こうもそれを分かっていたので今日が旅立ちの日となった。
別れを惜しみながらも馬車に乗り込もうとした小春に、空真は少しだけ引き留めた。
「小春さん、最後にもうひとつだけ。別れ際に嫌なことを言うかもしれませんが・・・・・・もしかしたらこの世には神様は居ないのかもしれません。居たらきっと、最初からあなたは苦労なんてしなかった。だから自分自身を信じて生きて下さい」
小春は怒らなかった。ただ目を見張り、苦笑して頷いた。
「ええ、分かりました」
「どうかお元気で、お幸せに。俺は心の底からあなたの幸せを願っています」
***
小春は揺れる幌馬車の荷台に乗って、婚約者は御者として操縦している。荷台で貰った花束を見つめながら寒月のことを思い出した。彼女は小春よりも歳下だったが、どこかお互いに親しみやすさを感じていて、価値観も似ている気がした。この花束も彼女が選んでくれたのだろう。
ふと花束に見入っていると、突然脳裏に幼い頃の記憶が蘇ってきた。あれは春の陽気に包まれた穏やかな日で、家族でピクニックに出掛けていた。母がまだ健在で、父が珍しく酒を抜いていて、数少ない平和な記憶。青々とした草原に寝転びながら小春は父に尋ねる。
『ねえ、なんで私の名前って小春って言うの』
あの時自分は春に生まれてもないのにどうして小春と名付けたのか不思議に思っていた。
『小春っていうのはな、本当は春じゃなくて冬の暖かい日を指すんだ。お前は冬生まれなのに、特別暖かい日に生まれてな、まるで神様がお前を祝福していたようだった。だから小春って名前を付けたんだよ』
突如として小春の目から涙が溢れ出した。何故だろうあれほど嫌な思い出ばかりだったのに、記憶の奥底に眠っていた記憶はこんなにも暖かい。どうしてこんな記憶が蘇るのか。
(違う、お父さんはこんな人じゃない。いつも私をぶって酷い人だった!)
小春は頭を横に振る。
『神様は居ないのかもしれません』
あの時本当は空真の言葉が胸に突き刺さった。
「・・・・・・そうよ、神様なんて居ないわよ。本当に居たなら、お父さんは私に小春って名前をくれたお父さんのままだったんだから・・・・・・」
死んで構わないと思ってた。今だって居なくなってホッとしてる。これから平穏な毎日が待っている。それが嬉しくてたまらない。
でも何故だか涙は止まらない。小春は花束を抱き締めるようにして泣いた。いつから父はあんなふうになったっけ。殴られた傷が今もまだ痛い。
今日は秋の半ばなのに、陽射しが春のように暖かい嫌な日だった。
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