伍ツ:誘イ
「放課後、私の部屋に来てください」
次の日、やや遅刻っぽい時間に私の教室に足を運ぶと、待ち構えていたのか棗ちゃんがすぐに近寄ってきてすれ違いざまこう告げた。
「…………それは、司ちゃんとして? それとも、棗ちゃんとしてのお誘い? 」
足音が止む、衣擦れる音、キッとした目付き。
「…………あなたの信じる方を選んでください。ボクは棗さんではなく司でも無いですから」
棗ちゃんでも、司ちゃんでも無い、ね……。泉見ちゃん達は、たまによく分かんないことを話しかけてくるからちょっぴし苦手。視線の端に映る手袋は、司ちゃんが毎日つけている色のもの。でも棗ちゃんも時々はめてくるし、それに何より問題なのは、
(入れ替わってるかどうか、なんだよね)
司ちゃんと棗ちゃんは双子で、身長も髪型も全部おなじ。クラスは別々だけども隣同士で、一歩廊下に出てしまえばどっちがどっちかなんて見分けがつかない。
そして一番タチの悪いところは、この2人、時々入れ替わってるの。なんでそんなことをするのかは、私には分かんない。けど、私の気づいた限りだと、もう何回も棗ちゃんは司ちゃんになってノートを取ってる。なんで私がそれを知っているかというと、
「……まだですか? このままだと本当に失望しますからね」
「分かってるよ。ところで泉見ちゃん、ネクタイ曲がってるよ」
とさりげなく手を伸ばそうとすると、微かにピクリと肩が上がるのが見えて、
「この泉見ちゃんは司ちゃんだね、今日はこのまま授業受けるの? 」
「もうちょっとマシな見破り方をして欲しかったですね」
と司ちゃんが肩をすくめると、
「ひとまずは及第点です。今のところは用が済みましたからね、棗さんを呼んできます」
と、教室を静かに出ていく。しばらくして帰ってきたのは、司ちゃんじゃなくて棗ちゃん。
「司さんの余興、おーわり」
すぽんすぽんと両手から手袋を引っこ抜く棗ちゃん。うん、今度は本物の棗ちゃんだ。
「で? どうやって見抜いたんだい? 」
「んーとね、こうしたの」
と、さっきと同じようにさり気なく棗ちゃんのネクタイに手を伸ばすと、
「あっはっは、それは確かに司さん嫌がるわ」
あまり試したくない方法だけど、司ちゃんと棗ちゃんの見分け方。司ちゃんは汚れたものが大嫌いで、誰かの手がかすめただけでも露骨に嫌な顔して消毒液を取り出すの。
「さて、もうそろそろホームルームになりますね」
と、一転して真面目な顔になる棗ちゃん。そのギャップについてけなくて、
「あ、えと、」
「くくく、…………貴女って、面白いですね? 」
「な、棗ちゃん、だよね? 」
あれ、もしかして教室の外で入れ替わってないの?
「ーーざぁんねん、司さんの真似だよ」
「もうっ……棗ちゃんがそれをやると洒落になんないからやめてよぉ……」
「はは、『棗ちゃん』か。…………天塩ちゃんの『棗』と『司』はそう見えてるんだね、へぇ」
「へ? 」
どういうこと? と聞き返す前に、チャイムが割って入る。
「それじゃあねぇ」
ひらひらと振られた手のひらは、私のそれとは似てもつかない白さだった。
(『棗』と『司』はそう見えてる、か)
授業の間、私は棗ちゃんのさっきの言葉を反芻しては考えていて。その間もチラチラと棗ちゃんの方を伺うけれど、あの整った顔にはなんのヒントも浮かべてくれない。
(『棗ちゃん』と『司ちゃん』が、私にはそう見える…………入れ替わる…………あっ)
ひとつ、思いついたことがあって、でもそれはきっと正解じゃないし、正解かもしれない、そして司ちゃんと棗ちゃんにとっての大不正解だと思う。けど、私は、私の経験は、ひとつの間違えた正解を提示した。
(棗ちゃんも司ちゃんも、『本物』じゃないのかも)
私は、棗ちゃんも、司ちゃんも、外見とその話すことで判断し、判別してきた。だけどもそれは、あくまでも私の見た姿から『創った』棗ちゃんと司ちゃん、なのかもしれない。
今、『棗ちゃん』は机で退屈そうに座ってる。でも、先生も、クラスメイトも、そして私も、もしかしたら棗ちゃんも、司ちゃんですらも、そこに座っているのが誰なのかは、本当は分からないんじゃないかな、って。
(『外見じゃなくて中身を見て』、だね)
ひとつ、2人に近づけたかな、なんてクスリと笑う。よーし、もっともっと2人のことを知ろうっと。
「あのー、天塩さん? 」
「ん? 」
そんなことを考えてたら、後ろの席の子につんつんとつっつかれて、
「先生本気で怒ってるみたいだよ? 」
「へ? 」
恐る恐る顔を上げると、
「あらあら天塩さーん、何度も何度も指名してるんですけども、一体いつになったら教科書の方読んでいただけますかねー? 」
げっ…………
「は、はいっ!?」
弾かれるように立ち上がって教科書を読み上げると、
「そこは一昨日やりましたよー? しょうがないですね、座って。じゃあ代わりに……塩瀬さん」
「わはは、ボクか!」
元気のいい声とともに教科書が読み上げられる。チラリと見れば、まだ棗ちゃんが机に突っ伏して笑ってた。