弐拾弐:気ヅキ
—――さて、これからどうしましょうか。後始末はボクに向いているとは思えませんが。
棗の部屋を後にして、ひとまず自分の部屋に荷物を取りに戻る。こんな日であっても今日は平日、平等に残酷に朝日は昇って授業が我らを待ち構えてるわけで。
「なんでまたこんなことに……」
今朝から何度目なのかわからないため息のカウントをまたひとつ重ねて、制服に身を包んで最後にマフラーをひと巻きする。今日は一段と冷えるし、なにか温かいものでも欲しいところですね。などとひとりでつぶやいて部屋の鍵を閉め、廊下を階段へと歩きかけて立ち止まる。――隣の部屋の様子も見ておきますか。
「入りますよ、お二方」
念のため声をかけてから部屋に踏み込むと、既にもぬけの殻。だいぶ慌てて逃げ出したらしく布団もバスルームの扉も使いっぱなしで、
(なんで私が……)
なんてぶつくさ言いながらもきちんと布団を整え、バスルームの扉もきちんと閉める。最近はボクも随分と世話焼きになったもので………一体、誰の所為なんでしょうかと大袈裟に嘯いてみても、その答えは既に一つに決まっていて。かつ、棗の顔でないのは想定内。
―――随分と私も「染」まってるのかしら、などと考えても、答えを知るのはボクだけだから解なしの不等式が浮かぶだけ。
そんな思いに囚われていたからか、ふと見上げた壁の時計は朝食の先の時間を指し示していて、今度はボクの方が慌てて床を蹴って走り出す。――名前を知らない誰かさん、落ち着いたら後で恨ませてもらいますからね?
ようやくたどり着いた教室の廊下で、乱れた呼吸と服装を整える。それからいつものように横を向いて「ねぇ」と口を開く。
「今日はどっちの教室に――」
その視線の先には何もなくて、あれ、と首を動かしてから初めて気づく。棗は、私の横にいない。
「――どうしようかな」
行先はだいたい、私から聞いて棗が決めてきた。時には希望を出すこともあったけど、棗がそれを聞いて最終的にどっちに行くかを話し合って。すでに決めてたことも棗に話してて変わることもあるし、結局は――どんなことでも棗と決めてきた。
教室の間で少し悩んだ末、二組の方へと足を進める。もし既に棗が居たら面倒だし。
そして教室の扉に手をかけたとき、
「あっ…」
「うん?」
向こうから歩いてくる影が、ボクを見て立ち止まる。ふと視線を上げれば、
「あっ…」
「司、ちゃん……」
自分より幾周りも小さなその姿を見て、大きいはずの私の方が怖さで身震いする。
「……おはよう、ございます。天塩さん」
「う、うん、おはよう…」
挨拶をお互いに一つ。それだけのことなのに、昨夜触れられた場所の奥の方が震える。
「あ、あの、昨日のこと…」
「何のことですか」
間髪入れずに遮ったのは、嫌悪感でも思い出したくないからでも無くて。……触れたことを、触れられたことを、認めたくなかったから。どんなに洗っても、洗っても落とせなかった小さなてのひらの温もりを、もう一度感じるのが怖かったから。
「……昨日は何かありましたか?」
ニコリともせず聞き返せば、怯えたような視線を向けられて。――違う、私がしたかったのはそれじゃなくて。
「う、うん、私の勘違いだったかも…じゃあね」
「あっ、待って」
思わず呼び止めて、それでも止まらず袖口を掴んでしまう。驚いたような視線で二人とも見つめあえば、先に向こうが口を開く。
「……お昼、時間ある?」
「……ええ。……どこがいいですかね」
「ん、この…教室の前」
「分かりました」
手を離すと、天塩さんは風船のように行ってしまって。もう少しだけしっかり掴んでいたらどうなってたんだろう、なんて考えながら改めて教室の扉を開ける。
「あ、おはよ泉見ちゃん」
「おや塩瀬さん、もう来てたのですか」
「いやもうホームルームまで秒読みだよ?」
「そうでしたか」
鞄を下ろして席につくと、安心したのかおなかが鳴って。
「あれ、朝ごはん食べてないの? ダメだよちゃんと食べないと」
「お昼ご飯がサラダだけなあなたには言われなくないですね」
「ぎくっ」
なんてやりとりを返しつつも、私の視線は壁の向こうへと向いていて。
(お昼、なににしましょうかね)




