拾余陸:揺レル
回想から帰ってきました
「……つー、おい、つー」
「……っと、なっちゃん?」
「『なっちゃん?』じゃねーよ、鍋焦げてんぞ」
「おわっ!?」
いけないっ、天塩さんのことを考えていたらつい………しかし、思い返すと不思議な出会いでしたね。
「もー、つーは相変わらず考え出すと長いんだから」
棗が向こうで呆れている。
「ははっ、なっちゃんに叱られちゃった」
いけませんね、これは。昔の癖を棗に指摘されるなんて。
「ほんと焦げ臭いし窓開けっからね?」
「ですね、ボクはご近所さんたちに謝ってきます」
こういうことは早いうちが良し、と言いますからね。
ドアを開けて匂いを外に飛ばそうとすると、
「あ、あの……」
「おや」
見慣れない人ですね、でもどこかで見たような雰囲気で……
「ま、待ちきれずに来てしまいました、棗さまっ」
無言でドアを閉める。……棗、また新しい子を引っかけたね?
「ああんっ、棗さま、なんで戸を閉めるのですか!?」
向こうからドアノブをカチャカチャ回す音がする。コンコンと控えめだったノックの音も次第にドンドンと荒々しい音に変わっていって、
「なんだなんだ騒々しいな」
窓を開けに行っていた棗ですら、こっちに戻ってくる。
「棗さん、今度は随分と危なそうな人を釣ってきましたね?」
「あんれぇ?今日は誰も誘ってないはずなんだけどなぁ」
「今日『は』って……僕としては今日『も』にして欲しいんですが」
まぁ、これに関しては棗には何言ってもムダだってことは重々承知なんですがね……ってドアが割かし危なげな音を立ててるんですけどっ!?
「おー、こりゃ大変そうだなぁ」
なんてニヤつく棗をキッと睨むと、
「他人事じゃなくてなっちゃんの蒔いた種でしょ、ちゃんと責任もって刈り取ってきて」
「あらやだ、種を蒔くだなんて司さんのえっちぃ」
「そんなこと言ってる場合じゃなくてっ」
あーもうめんどくさいっ‼
棗の腕をひっつかむと、ドアを開けてそのまま外に追い出す。ドアを閉める瞬間の棗の引きつった顔は、ちょっとだけボクの中の嗜虐心をくすぐった。
「司さん、非道いや」
「それを自業自得って言うんですよ、少しは反省してください」
あれから10数分、扉の向こうでの『話し合い』が済んだらしい棗はどこか疲れた様子で戻ってきた。
「そういや今日のメシなーに?」
「話を逸らさないで。……スープを作ろうと思ったのですが、御覧のとおり具材丸ごと干上がってしまったもので」
元が冷蔵庫のクズ野菜だったのでダメになってもそこまで痛手ではなかったのですが……今から作り直すのも面倒ですね。財布には響きますが、コンビニで出来合いのものを用意するしか無いですか。
「なっちゃん、今日は出来合いのもので代用しようと思うのですが」
「やだ」
即答された。……とはいえ、今から何か作ろうにもあまり時間はかけられないし……
「なら、なっちゃんは何が食べたいのさ」
「今日はカレーな気分」
「なっ………」
そういうのは早く言って欲しかったですね……しかも、カレーと来ましたか。
「なっちゃんさぁ………リクエストあるなら先に言って欲しかったんですが……しかも、カレーって」
「いいじゃんカレー。そんな気分なんだからさ」
「ふぅん、そういう気分、ですか」
……これはなっちゃん、少し怒ってるな?さてはさっき部屋から放り出したからか、いやでもそれは棗の不始末が悪いんだし……一体どうしたって言うんだ。
「……分かりました、いつもみたいに煮込んだり寝かせたり出来ない分味は落ちますが……それでもいいなら」
「やだ、いつもみたいに肉を煮溶かしたやつがいい」
「棗」
わがまま言わないでください、と言葉に軽く怒気を含むと、
「いいだろ別に、どうせもう今日は来客なんてないんだしさァ。別につーの方も、これから天塩さん連れ込んで夜通しやったりするわけじゃないんでしょぉ?」
「ぶっ」
い、いきなり何を言い出すんですか棗はっ、
「なっちゃん、なんでボクと天塩さんが夜に同じ部屋にいる必要がっ」
「ふぅん、否定はしないんだァ」
ま、まさか……誘導尋問?
「いいよぉ別にぃ、つーと天塩さんが真夜中に起きだしてどたばたしてもさぁ?」
「ぼ、ボクと天塩さんはそんなんじゃなくてっ」
「へぇ、随分と慌てるんだねぇ、なんでまたそんなご執心なんだか」
「と、とにかく私はカレーの材料取ってくるから」
そういい捨てて、逃げ帰るように隣にあるボクの部屋へと戻った。
「……はい、出来たよ。ご飯は大急ぎだったから多少固いかもだけど」
「やりぃ、言ってみるもんだなっ」
そう言うと、棗はスプーンを手に取ってカレーの海へとご飯を沈めてかき混ぜ始める。
「なっちゃん、その食べ方やめてって何度も言ってるでしょ」
「カレーはどう食べようと勝手だろ」
あぁもう、案の定カレーがテーブルに飛び散ってるし。これだからカレーは嫌なんですよ……
そう、棗がカレーをリクエストするときは大抵、ボクに対して不満があるとき。作るのに手間がかかるし、後片付けも大変だし、何より汚れるのが大嫌いなボクに対してカレーは物凄く苦手な料理なわけで。それを見越して棗は機嫌が悪い時の嫌がらせとして僕にカレーを作らせるのだ。
「で、今回はボクの何が気に入らないんですか」
「んー別に、ただ食いたかったから作らせただけ」
「そんなウソが通ると思ってますか?何年一緒にいると思って」
「その一緒にいた期間よりさ、ずっとずっと短い時間しか一緒に居てないやつに現を抜かす司に言われたくねーよ」
「……は?」
ひゅぅ、と掠れた音が自分の立てた息だと気づくまで、少し時間を要した。
「棗、いきなり何を言い出すの?」
「……別に。司が誰かにご執心なのがちょっとムカついただけ」
「あのですね……」
ご執心って、別にそんなんじゃ……
「なぁ司。お前も棗を……いや、何でもない、忘れて」
「は?」
なんですかさっきから、棗にしては歯切れの悪い。
「棗、いったい何が言いたいの?」
「……いや、いい。忘れて。あとカレー美味しかった。……ちょっと出てくる、洗い物したらカギかけないで戻っていいから」
それだけ言うと、棗はこちらと目も合わさずに部屋を出て行ってしまう。
……一体全体、棗は何がしたかったんだろう。
前回、ここで一旦筆を置くと言ったな?
あれは嘘だ。




