拾余弐:姉と妹
「塩瀬さん」
「ひょえっ!? 」
自分のカバンからコンビニのカップサラダを取り出して、フタを開けようとしていた塩瀬さんに声をかけると、それこそ飛び上がらんばかりに驚いて、
「あっ」
「っ、とととっ」
サラダのカップを取り落としかけて、すんでのところでボクがキャッチする。
「い、泉見ちゃんっ、こないだの話ならナシってことにしてっ」
「こないだの? 」
はて、なんの事やら。…………いや、ボクに記憶が無いということは、また棗がぼくに化けてなにかしでかしたってことですね、はい。
「あー、多分それ棗の仕業です…………たまにやるんですよ、そういうイタズラ…………ぼくの評価を巻き添えに下げてくんでやめてくれって言ってるんですが…………」
…………そのうち、【いつかなっちゃんに復讐するリスト】でも作ってみますかね………… とりあえず今回は晩御飯のうどんに七味たっぷりかけて……いや、なっちゃんは辛いもの好きだし、さてどうしてやろうか。
「ーーちゃ、泉見ちゃん? 」
「ーーあ、ああ、はい、少し考え事してました」
「えと、それでーーこの前のって、ほんとに棗ちゃんのイタズラ、なの? 」
「ええ、何をされたのかはーーいや、その様子だと聞かない方がいいですかね」
心做しか上気した頬と、閉じた足を少し擦り合わせる様子を見てそれとなく察する。棗への復讐を1ランクアップさせることを決意した。
「ど、道理で積極的だと思った…………泉見ちゃん、ほんとにキスするかもってぐらいまで顔近づけてくるんだもん…………それに、ほんっと恥ずかしくなるようなセリフを耳元で」
「それは本当に申し訳ない」
なんで姉の行いを妹のボクが始末せにゃいかんのですか…………
「塩瀬さんにはご不快な思いをさせましたね。後で棗にはきちんと言い聞かせておきますので」
「ううん、別にいいの。嫌って程じゃ無かったし、それに」
「それに? 」
「…………ううん、なんでもない。ただちょっと、懐かしいなって感じただけ」
「懐かしい、ですか」
「うん。ほんとはあんまり思い出したくなかったことだけどね」
そう言うと、彼女は短く切り揃えられた髪を一筋なぞって、
「棗ちゃんはね、正直少し苦手。ボクがこの髪を好いている理由も、どうしてすぐに切り揃えちゃうのかも最初っから見透かして、それでいて『短い髪もいいけれど、長くしたらもっと塩瀬さんらしくていいんじゃないの? 』って踏み込んできて、ボクが戸惑うのを面白がってるみたい」
「それは……」
「でもね、不思議とそれが心地いいんだ。絡んでくるけどもボクの中に根っこを張ろうとしないし、気がついたらあっさり別の子に手を伸ばしてるから深く悩む必要も無いし。棗ちゃんのことは嫌いじゃないよ」
「それは…………」
なっちゃんは…………棗は…………一体このクラスで何がしたいんだろう。ボクの身体と存在を借りて、私よりもうまく立ち回ってこのクラスに根を張って、私の知らないボクをぼくに着せて、それで棗は……『司』を使って何がしたいんだろう。何も相談されてないし、何も知らない。演者の勝手に台本は毎回は付き合ってくれないっていうのに、なぜだ。
分からない、ぼくには司が分からない。棗のことも知った気になっていたのに、今度は『司』の事が分からない。
…………棗にとって、司はそんなに軽いんですか。奥歯をギリと噛み合わせると、仄かに鉄の味を感じた。
「…………泉見ちゃん? 」
ほんのりと温まる頬に視線を上げれば、彼女の手のひらから頬に温もりが伝わって、
「っ!? 」
「あっ、ごめん、つい……」
「い、いえ…………」
このボクが人に頬を触れさせるなんて……不覚を取りましたか……
「そ、そう言えばお昼は食べないのですか? 」
「え、あ、忘れてたっ」
慌ててカップサラダのシュリンプを剥く塩瀬さん。……あら、それだけなのですか?
「今日はサラダだけですか? 」
「いや、今日『も』だね」
「よくお腹空かないですね…………お弁当とかは? 」
「………………ボクに生活スキルを求められてもねぇ」
なんか…………ごめんなさい…………
「で、そう言えばボクになんの用だったの? 」
「っと、本題を忘れてましたね。実は先程も話題になった棗の件です。…………ちょうど1組・2組で身内が居る同士、何か話せることがあるのではないかと思いまして」
「あー……日色のことね」
「それもありますね。…………正直あの人は私にもよく分かりません。いい人なのは分かるんですが、その根っこに何かが埋まってる気がして、でもそれが分からない…………私も台本書きとして勉強してきたつもりなんですけどね」
「うーん」
宙を仰ぐ塩瀬さん。
「日色はね、誰かに嫌われることと忘れられることが嫌なの。だからみんなの中に自分の爪痕を遺して…………って感じかな」
「なるほど、それは新しいですね……」
そんな見方が…………次の台本に取り入れてみましょう。
「ねぇ、泉見ちゃん」
「はい? 」
「どうせまた棗ちゃんがこっち来て、司ちゃんが向こうに行くことあるんでしょ? だったらさ、日色にそれとなく伝えて欲しいことがあるんだ。 …………日色もたまには、いやこれからは自分の為に生きなよって」
「自分の為に、ですか」
「うん、あの子ほっとくと仕舞いには自分の命ごと削って誰かに尽くそうとするからさ。…………そういうのは妹にやらせたくないんだ、『姉』としてはね」
「『姉』、ですか」
「うん。従姉妹っちゃ従姉妹だけど、ちょっと先に産まれたからね。ボクが姉ってことで日色を納得させた覚えがあるよ」
えっへんと胸を張る塩瀬さん。なかなか強かなとこもあるんですね。
「そう言えば司ちゃんの方が妹なんだっけ。ならこの機会に教えたげる…………お姉ちゃんってのはね、妹に辛いことは押し付けたくないの」
「そう、なんですか」
ひょっとしたら棗もそう思って……
「あーでも待って、確か小さい時一緒にご飯食べた時にピーマンとか人参を日色に押し付けた記憶が」
……前言撤回、たまには姉を軽蔑した方がいいみたいです。
「ま、まぁそれはそれとして、ね? 基本的に姉ってのは妹を守ろうとするものだから、多分棗ちゃんも司ちゃんのことを守ろうと…………守ろ、……守ってんのかな? 」
「多分それは無いですね」
断言する。なっちゃんは絶対ボクのことあんまし考えてない。
「あー、そう考えると棗ちゃんってほんとになんなんだろうねぇ…………好きに生きてるっていうか…………司ちゃんの方がよっぽど落ち着いててお姉さんっぽいような……」
「…………実は双子の場合、後から産まれた方が兄姉とする風習もあるようですよ。先に出て露払いするのが弟妹の役目、と」
「…………うーん……わからん……」
机に突っ伏した塩瀬さん。結局答えは出なかったけれど、胸のつかえはひとつなくなった気がする。
「…………とりあえず、もう一度棗と話してみますね。今日はありがとうございました」
「いやいや、こっちこそありがと」
そして自分の席に戻りかけてふと思いつく。
「あとは…………そうですね、そのうちぼくの写真も1枚撮ってもらえますか? 」
「うん、いいよ。1枚じゃなくて10枚でも」
「流石にそんなに撮っても…………」
まぁご好意には甘えますかね…………
ぼく自身、写真は宣材ばかりであまり好きでは無いし、それに棗と同じ造りなんだし個別に撮るという意味が分からないのですが…………なんとなくボクが『司』であるということを証明したくなって、頼んでみた。
……これで、天塩さんにも覚えてもらえますかね。
そして今度こそ席に戻ろうとして、
「む? 」
「あれ? 」
教室にはぼくら2人しか残っていなくて、
「…………あっ、次の時間体育じゃんっ!? 」
塩瀬さんの叫びでにわかに思い出す。
「い、急いで着替えて行きましょうっ」
「いや、いっそ2人でサボらない? 」
「サボる…………? 」
それはまた新しい発想ですね。ですが…………
「サボると言ってもどこにです……? 」
「…………保健室、かな」
保健室、ですか…………さてどうしましょうか………………
「…………そう言えば朝から胃が痛かったんですよね」
「…………奇遇だなぁ泉見ちゃん、ボクはなんだか頭痛がするよ」
…………その後どうしたかって? ここで一旦暗転ですよ、その向こう側のことはお客様は何も見えない、いいですね?




