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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

腐敗のテーゼ

作者: 京本葉一

「ああ、くそっ、うっとおしい」


 達彦が、蚊柱に顔からつっこんで、うめいていた。


「この不愉快さ、腐女子どもといい勝負だな」


 俺と達彦は、いい絵になるらしい。

 一部であった視線は、日を追うごとに数を増している。

 その侵蝕率の高さには、少なからぬ脅威をおぼえていた。


「ところでよ、雪ちゃん、どうよ。将来の、おれの嫁」


 庭の菜園を侵食するアブラムシの群れに、霧吹きで牛乳を噴射する、俺の妹。そのサディスティックな笑みに興奮していた友人には、季節はずれのインフルエンザと伝えていた。

 俺が二日前まで学校を休んでいたのは、妹の看病のためであると。


「お前の嫁な……最近、腐りはじめてる」


 達彦は、俺には理解できないくらい、腐女子を嫌っている。


「……マジかよ……おれ、人生、終わったわ」


「……ああ、俺もそろそろ、限界だとおもってる」


 落ちこむ友人を励ましたいところだが、俺に、そんな余裕はなかった。



 俺は達彦と別れ、自宅に帰りついた。

 両親は海外赴任中のため、俺と妹は二人で暮らしていた。


 二階に上がり、妹の、雪の部屋のまえで立ち止まる。


「……そろそろ、限界だ」


 吐き気をもよおす。

 この腐臭には、耐えられそうにない。





「まただ……」


 わたしの大切な菜園に、アブラムシが蔓延しつつあった。


 牛乳を吹きかけると、呼吸ができなくなって死んでしまうらしい。

 だから、しっかりと、吹きかける。

 ちゃんと、みんな、死んでしまうように。


「害虫なんて、みんな、死滅すればいいの」


 わたしの想いに応えるように、夢のなかに、緑色の、小さな鬼があらわれた。深夜、鏡のまえで呪文を唱え、贄を捧げれば、どんな願いでも叶えるという。


 夢にしては、記憶に残りすぎていた。

 教えられた呪文の一句一句を、はっきりと思いだせた。


 翌日の深夜、鏡のまえで呪文をとなえた。

 夢の中にいた緑色の小鬼が、鏡の中でわたしをみていた。


「わたしの周りに、害虫があらわれないようにして」


 捧げたのは、兄さんに対する愛情。


 大切なものではあるけれど、だいじょうぶ。

 わたしはもう、子どもじゃない。


 もう二度と、わたしをブラコンだなんて呼ばせない。





 おれの雪ちゃんが腐りはじめた。


「……あの女と、同じになったなんて」


 幼なじみの、あの女と。


 ガキの頃は、散々からかってきたくせに。


「達彦と夏くんは観賞用だから」


 妄想全開で、おれを裏切りやがって。


 だから、周りによってきた女に、付き合ったことがあると匂わせた。

 効果はあった。

 あいつは間違いなく、孤立していたはずだ。


 それなのに、なんでだ。


 いつの間にか、あいつが女どもの中心にいて、腐敗が広がっている。

 雪ちゃんまで、腐りはじめている。


「くそっ……雪ちゃんさえいればよかったのに……」


 腐女子なんて、全員、くたばっちまえ。





「……お兄さん、帰ってきたよ」

「そうみたいね」


 ずいぶんと素っ気ない対応だ。

 いつもの雪ちゃんなら、友人をほったらかして出迎えにいくのに。

 不機嫌さすら、感じられない。


「雪ちゃん、ほんとにブラコンを卒業したんだねー」


 えらいえらいと頭をなでてあげる。

 ぶすっとした顔も可愛らしい子だった。


 でも、やっぱり、おかしい。

 雪ちゃんのような重度のブラコン患者が、かんたんに変われるだろうか。

 それに……。


「……なにか、あった?」


 最近、雪ちゃんから明るさが消えた。


 なんにもないと雪ちゃんはいった。

 ほんとうになにもなかったみたいに、信じられない話をはじめた。

 お兄さんへの愛情を、悪魔に捧げる話。

 愛情を完全に失ったっていう、そういう話。


「じゃあさー、あたしがお兄さんもらっちゃうけど、いい?」


「べつにー、どうでもいいよ、そんなの」


 ほんとうに、興味が感じられない。

 なんでなのか、わからないけど……。


 お兄さんと喧嘩して、元気がないのかとおもっていたのに。


 だったらいいのに、と。

 そう思って、ここまで来ていたから。


 だから、あたしは雪ちゃんに伝えた。


 お兄さんのところへいってくる。

 雪ちゃんのかわりに。





 変な夢をみた、と達彦がいった。


「緑色のゴブリンみたいなのが出てきてよ。真夜中に、鏡のまえで呪文を唱えて、捧げものをしたら、どんな願いでも叶えてくれるって」


 くだらない、夢の話。

 そうやって否定しながら、熱っぽく語る、達彦がいた。

 俺も、何気ない風をよそおいながら、真剣に耳を傾けていた。





 最近、雪の様子がおかしい。


 無気力というか、溌剌とした明るさが消えた。

 熱心に世話をしていた菜園にも、手をつけていない。


「ほっといていいのか」


「……もう、虫とかつかないから」


 怒らせるようなことをしたのか、俺に対する態度もおかしい。

 無視されることが多くなった。

 たまに向けられる眼差しは、まるで、なんでもない虫を見るようなものだった。



 雪の友だちの、彩香という子が遊びに来ていた。


 あの子なら、雪のことを、なにか知っているかもしれない。そんなことを考えていたら、向こうから挨拶にきてくれた。


「お邪魔しまーす」


 せっかくなので部屋に入ってもらった。

 こちらの話を聞いてもらうと、シスコンですねと笑われた。


「心配しなくていいですよ。雪ちゃんは、ブラコンを卒業しただけですから」


「安心してください」


「あたしのことは、彩香、ってよんでほしいかなー」


「雪ちゃんが元気になるまで、しばらく通わせてくださいね」


 元気なころの雪みたいに、溌剌とした子だった。

 話をきいてもらって、ほっとした、というのが正直なところだ。


 きっと時間が解決してくれる。


 つまり、いまはまだ、なにひとつ解決していない。

 それは、雪の目をみればわかる。





 どうやらわたしは、生きる気力を失っているらしい。


 なにをしたいとも思わない。

 どうにでもなれ、とも思っている。


 兄さんに対する愛情が、それほど大きかったのだろう。

 自分でもあきれてしまう。


 こうなったのは、誰のせいだろう。

 もちろん、わたしの責任だ。

 でも、兄さんに責任はないのだろうか。


 罪には、罰が必要だ。


 最近、死ぬことばかり考えている。

 どうせ死ぬのなら、兄さんを、道連れにして。


 暗い企みが頭をめぐる。


「兄さんへの愛情を取り戻そう。そして、兄さんの手で殺されよう」


 それがわたしの罰になる。

 兄さんへの、復讐になる。


 深夜、わたしは鏡のまえに立った。


 贄はわたしの魂。

 魂を悪魔にささげて、兄さんを、わたしのものにする。





 雪ちゃんが学校に来なくなった。

 体調不良であると、お兄さんから連絡があったらしい。

 でも、あたしから雪ちゃんに、連絡がとれない。


 家に行ってみた。

 顔色のよくないお兄さんが出てきた。

 雪ちゃんはインフルエンザらしい。

 お見舞いも、お兄さんの手伝いも、断られた。


「興味がなくなっても、看病されるんだよね」


 だって、妹だから。


 あたしは雪ちゃんのことが大好きだけど。

 だけど、雪ちゃんと代われるのなら、雪ちゃんへの友情、捨てられる、かな。



 一週間以上たつのに、雪ちゃんは学校にこない。

 連絡もとれない。


 何かあったのだろうか。

 もしかして、あの話は、ほんとにあったことなんだろうか。


 悪魔に、願いを叶えてもらう話は。

 

 




 どうして俺は、雪を殺してしまったのだろう。

 どうして雪は、俺に首を絞められながら、笑みを浮かべていたのだろう。





 男が、願った。


「雪ちゃんを、腐るまえの、きれいな女の子にもどしてほしい。

 ほかがどう腐ろうともかまわないからよ」


 べつの男が、願った。


「雪を生き返らせてほしい。

 それが叶うなら、俺は腐り果てようとかまわない」


 女が、願った。


「……あたしを、雪ちゃんの、代わりに……」




 まず、雪という、女の、肉体を、腐る、まえに、もどす。

 手元にある、雪、の魂、を戻して、生き返らせる。


 代償、として。


 達彦を、腐らせる。

 夏を、腐らせる。


 最後の、彩香、という女、願いが、ないのでは……。


 まあ、いい。

 願いを、叶える、には、贄が、足りてい、ない。


 とにかく、みんな、腐らせれば、いいのだ、ろう。


 あの女、と、同じよう、に……。

 




 わたしは、生きている。


 生きている?

 なんでそんなことを不思議に感じるのだろう。


 どこか、おかしい。


 記憶がぼやけている?

 贄?

 代償の、不足分?


 なんのことだろう。

 わたしは、悪い夢でもみていたのだろうか。

 でも、たしかに、なにかが足りないような気がする。


 庭の菜園が、少し荒れている。

 しばらく手入れをしていなかった?

 兄さんに、おいしい野菜を食べてもらいたいのに……。

 でも、よかった。

 悪い虫はついていないみたい。





 夏は、はっきりいってシスコンだ。

 雪ちゃんがインフルエンザで寝こんだくらいで、死んだような、この世の終わりみたいな顔をする。


「夏、なんか機嫌いいな」

「ああ」


「いいことでもあったか」

「ああ、まあな」


「雪ちゃんのことだろ?」

「ああ……すっかり元どおりだよ」


「そうか……それって元気になったってことだよな?」

「ああ、そうだけど?」



「なあ、達彦。おまえの知り合いに、腐界の女王がいるだろ?

 あれって、男いる?」


「いるわけねぇだろ。いや、知らねぇけど」


「……紹介してくれないか」

「……マジか?」

「マジだ」


「あれと、付き合うってか?」


「いや、付き合うというか、ちょっと話したいことがあってな」


「そうか」

「ああ、そうだ」


「ならまあ、いいんだけどよ……。

 それって、雪ちゃんと関係してるのか?」


「雪? なんで?」


「いや、この前、腐りはじめたとか、いってたからよ」


「ああ、そんなこといったか……だいじょうぶ。それ、もう治った」


「マジか!?」

「ああ、マジだ」


 叶った、ってことか。

 これで雪ちゃんは、きれいになった。あいつとは違って……?

 なんでだろうな。

 あいつに対して、怒りもなんにもない。いや、むしろ……。


「……女王な……今日にでも話つけるわ」

「ああ、よろしくな」





 父さんと母さんのことを、はっきりと思い出せない。


 でも、だいじょうぶ。

 わたしには兄さんがいるから。


 兄さんさえいれば……。


 最近、兄さんは、少し変わった気がする。

 兄さんだけじゃない。

 彩香も変わった。

 なんというか……あんなものに興味なんてなかったはずなのに……。


 そんなことより、兄さんと仲良さそうにしているのが、ムカつく。





 みんな死んじゃえばいいのに。


 そんな私の願いに応えるかのように、夢のなかに、角を生やした緑色の小猿があらわれた。ぎゃーぎゃーと笑う不気味な小猿は、とある儀式の方法を伝えてきた。

 所詮は夢のなかの出来事。

 そうは思いつつも、私は深夜、鏡のまえに立って、教えられた呪文を唱えた。


「……ニエ、を、ささげろ」


 声が、鏡のなかから聞こえた気がした。


「贄を、ささげろ」


 角を生やした緑色の小猿が、鏡のなかにいた。


 夢のなかで、不気味な猿はいっていた。

 捧げ物はなんでもいい。

 大切なものであるほど、願いは叶いやすくなる。


 だから私は、宝物を捧げた。


 自分の運命を変えたといってもいい、珠玉の名作を。

 閲覧用。

 保存用。

 腐教用。

 そのすべてを、悪魔に捧げた。


「みんな、私と同じになっちゃえばいい」


 その日から、私の周りは腐りはじめた。

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