第90話 『 ソレは白と金の2色で造られ始めた 』
3月21日
アキヒト率いる兵団は、神聖法国城塞都市ラッテンにまで進軍していた。
聖都パラパレスの東に位置し、約1日の距離である。
神聖法国領内はその多くが高山地帯であり、なだらかな傾斜の地形が延々と続いている。
その一部の平坦な地に人々が集まって街が形成され、ラッテンもその一つであった。
しかし同じ城塞都市であるが、その城壁の高さはボーエン王国の半分程度。
それは法国領内では外敵の危険が少なかったのを意味している。
この日、カルーフ商会から宿の手配をされていた。
ラッテンの城外から案内され、城門を通り抜けてアキヒトとシロは街の中を歩いていた。
「この街もですが、付近一帯は去年に比べて格段に良くなりましたよ」
商会の職員達が先導しながら、街の様子を上機嫌で説明していた。
これまで物資は不足がちだったが、今では店先が溢れんばかりである。
特に小麦が手軽に入手できるようになったのが大きい。
白くて柔らかいパンが誰でも食べられるなんて夢のようだと。
「商会の方はお忙しいんじゃないですか?
僕達の案内に、ここまで人数を割いて頂かなくても…」
「いいえ、会長からも厳重にお守りするよう仰せつかってますから」
アキヒトの回りを8人の商会の者達が固めていた。
中には帯剣して武装した職員も混じっており、周囲を警戒していた。
「…おい」
商会の一人が、手を挙げて全員を制した。
街中の通りを歩く一行の前に、黒づくめの外套に身を包んだ男が立ちはだかる。
フードを深く被り、口元のみを覗かせて顔の大半も隠していた。
護衛達が剣の柄に手を掛け、見知らぬ男に身を構えたが…シロだけは見抜いていた。
「イスターじゃないか、久しぶりだな」
「…よぉ」
フードを脱ぐと、確かにアキヒトにも見覚えのある顔だった。
「どうしたんですか、こんな所で…」
「お前に話が有ってな…
聖都パラパレスに攻め込むのなら、この街で寝泊まりすると踏んで待っていた」
「…もしかして止める気ですか?」
「いや、止めやしない。
というより、お前にはパラパレスの…使徒達の弱点を教えに来たんだ。
それでだ、何処か落ち着いて話ができる場所が無いか?」
周囲の商会の者達に目配せしていた。
「…預けておく」
イスターは腰から剣を外すと、護衛の一人に手渡した。
「良いですよ、イスターさんならそんな必要無いです」
「信用してくれるのは嬉しいが、これは一種の挨拶みたいなモノだ」
商会の護衛達も少し考える素振りを見せたが、男に危害は無いと判断したらしい。
「良し、ついて来い」
丸腰になったイスターを含め、一行は手配された宿の方へと向かった。
カルーフ商会はアキヒトが逗留するにあたり、常に最も良い宿を手配してきた。
この宿もラッテンの街では規模が大きく内装が凝っており、王侯貴族や富裕層向けである。
その1階の広いラウンジの一画でアキヒト達に食事が出されていた。
「有り難ぇ、最近はロクなモノ食ってなかったんだ!」
「なぜ、そんな怪しい恰好を…。
神聖法国騎士の服や剣は何処に置いてきたんですか?」
「俺はもう法国とは関係無い、出奔したんだ」
「出奔って…?」
「脱走みたいなモノだな」
ナイフとフォークを使って焼き立ての牛肉を頬張りながら、平然と応えた。
「じゃ、じゃあ、それって…!」
「今の俺は何の身分も無い男だ」
「ひょっとして…今回の神聖法国の開戦に反発してですか?」
「…そんなところだ」
食事中のイスターの周囲には、商会の護衛達が目を光らせていた。
剣を預け、敵意は無いと宣言したものの、完全に警戒を解かれた訳では無い。
法国騎士ならばアキヒトの生命を奪うに十分な理由が有る。
「じゃあ、これからどうするんですか?」
「今は俺の身の振り方の話なんか後回しで良いだろ。
それよりも最優先で、お前に話さなきゃならないことがある」
「…パラパレスの攻略ですか?」
口の中で咀嚼しながら無言でイスターが頷いた。
聖都パラパレス中央にはパラス教聖地、サバラス神殿が存在する。
その神殿を本拠としたパラス大法議院が神聖法国の最高意思決定機関である。
そして神殿の前庭には巨大な8体の女神像が立ち並んでいる。
「前に神聖法国最強は8人の使徒って話はしたよな?」
「はい、覚えてます」
「あの8人の使徒はとてつもない力を持っているんだが、その女神像が弱点なんだ。
それさえ壊せば連中を倒すことができる…」
サバラス神殿は800年以上も前に建立された。
そもそも、この聖都パラパレスは地脈の力が最も集まる土地ゆえに選ばれたという。
アコン山脈内の地脈の中心であり、最も神々の力が強まる場所でもあると。
その力を供給するシステムが、700年前に造られた女神像である。
あの8体の女神像から各々8人の使徒達へ膨大な力が送り込まれる…と。
「700年前、当時の魔法技術の粋を尽くして最強の兵器を作ろうとしてたんだ。
パラス教を守護する最後の切り札だな」
「兵器って…使徒は人じゃないんですか?」
「元々は8人全員神族だったが今は兵器さ。人の形をしてはいるがな…」
当時のパラス神聖法国領内は争いが絶えなかったと伝えられる。
そこで当時の大法議院主導により、魔法技術を駆使した使徒と呼ばれる守護者が産み出された。
パラス神聖法国の象徴たる意も込められ、武に秀でた8人の少女が選抜された。
彼女達の身体にはパラス教古来の術式が施され、老いることなく強大な力を手にするに至った。
だが力の供給源たるサバラス神殿…聖都パラパレス周辺から離れることは許されない。
精神的にも肉体的にも制約が掛けられており、8人の行動は極めて制限されている。
「だからアキヒト、女神像をブッ壊してくれ。
サバラス神殿前には8体の像がある、見れば分かる筈だ」
「ですが、そんなことをしたら使徒の人達は…」
「消えちまう…いや、死んじまうだろうな」
「そ、そんな!」
「それで良いんだよ、700年も神聖法国を守ってきてくれたんだ。
そろそろ自由にしてやってもな…」
食い終わるとテーブルのナプキンで乱暴に口元を拭いた。
「俺はな、神聖法国を出奔したのに何の後悔も未練も無ぇよ。
戦いが終われば、叔父貴が中心になって法国を立て直して少しは良くなるだろうからな。
唯一未練が有るとしたら、それがあの女達だ。
このままじゃ神聖法国が続く限り、永遠に自由になれやしねぇ。
魂はいつまでも縛られたままだ…」
「だから女神像を…?」
「悪いな、アキヒト…嫌な役を頼んじまって。
俺にそれだけの力が有れば良かったんだが…」
今までの傲岸不遜な男の面影は何処にも無かった。
ただ、今の自分が余りにも不甲斐なく…己の無力を思い知らされていた。
「俺は神聖法国の在り方を論ずる気は全然無いんだがな…。
あんな女達の自由を奪ってまで存続させる価値は無いと思うんだ。
パラス教の教義では人々の幸せを願っているのに…。
あの女達の自由と幸せを奪ってまでパラス教を続ける意味なんて有るとは思えねぇよ…」
十年前…イスター・アンデルが神童と呼ばれ始めた頃。
叔父のトーク枢機卿に連れられて、特別にサバラス神殿の式典への出席が許された。
『この子がトーク坊やの甥っ子か…』
始めて拝謁した時の衝撃は忘れられない。
『トーク坊やも昔はこのくらい可愛かったのにね…』
『良いね!この子も一人前の騎士になりそうだよ!』
子供ながら神々しく、とても強く、美しい彼女達に憧れていた。
それから一心不乱に鍛錬を続け、自分の剣と才を磨いて法国一の騎士を目指していた。
けれども月日が経つにつれ、イスターにも理想と現実の違いが見えてきた。
「そうだ…アキヒトにはまだ話してなかったな。
お前が討伐したケート山賊を裏から操ってたのは神聖法国だ」
「…え!」
「つまりは、そういうことだ。
パラス神の代行者だのと謳ってはいるが、裏でやってる事なんてそんなモンさ」
騎士に昇格して、同僚や先輩の騎士達から実態を聞かされた。
最初は信じられなかったが、実際に自分も裏工作に手を染めたこともあった。
それでも法国の為ならと信じていたが、法議院の枢機卿の多くは私腹を肥やすばかりであった。
"法国の盾"は魔導王朝を恐れて作られた意味も確かにある。
だが改修には利権が発生し、それで法国民の危機感を煽って税を課していた面も有った。
所詮は"法国の盾"も上層が私腹を肥やす一手段に過ぎなかった。
「そういや、前の戦いで法国軍に犠牲者が一人も出なかったらしいじゃねぇか。
アキヒトには感謝しねぇとな」
「それは良いんですが…」
「あぁ、お前には借りができてばかりだが、もう一つ頼む…!
あの女達を縛り付けている女神像を破壊してくれ!」
「しかし、それでは使徒の人達が…」
「でないとアイツ等は永遠に神聖法国の奴隷だ!
頼む!俺から最初で最後の頼みだ!」
イスターが深々と頭を下げ…アキヒトに懇願していた。
「このイスター・アンデル、一生分の願いだ…あの女達を自由にしてやってくれ…!」
テーブルの上に置かれた両拳が震えていた。
「イスターさん…」
「本心を言うとな…。
俺が騎士を志したのは、あの人達と肩を並べたかったんだよ…」
子供の頃はパラス神聖法国が正義の象徴だと信じて疑わなかった。
いつか自分も大きくなって強くなり、使徒達と一緒に法国を守るために戦いたかった。
あの使徒達と一緒に戦うのが何よりの夢だったと。
自分も剣に関しては秀でているが使徒達には遠く及ばず、儚い願いだとは分かっていた。
『イスター坊やも強くなったな!』
『頑張れよ、イスター坊や!お前ならもっともっと強くなる!』
幼いイスター坊やには彼女達が輝いて見えた。
そして、何時かは一緒に法国の為に戦える日が来ると…そう信じていた。
「では、使徒の人達を倒した後…この神聖法国との戦いが終わった後です。
イスターさんはどうするんですか?」
「そうだな…それを見届けたら旅にでも出るか…」
「法国騎士には復帰しないんですか?
トーク枢機卿のパラス神聖法国の再建を手伝ってあげれば…」
「…駄目だ。今の俺には法国騎士の資格なんて無い。
パラス神聖法国最大の守護神である使徒達を倒す手助けまでしたんだからな」
「そ、そうですけど!」
「それにな…いい加減、俺も疲れたよ。
不真面目な騎士に見えたかもしれないがな、アレはアレで色々と悩んでたんだぜ?
叔父貴への義理で騎士団に入ったとお前にも言い訳していたが、本当は未練が有ったんだよ。
俺は、俺の目指していた法国騎士になりたかった。
子供の夢かもしれないがな、正義の象徴たるパラス神聖法国の騎士になりたかった。
しかし、そんな正義なんて何処にも無かった。
無いとは分かっていたが…簡単には騎士の夢を捨てきれなかった。
一つだけ神聖法国に正義が在るとすれば、それが使徒達の存在だろうな。
その使徒達が消えた後、俺が法国騎士を続ける理由なんて一つも残ってねぇよ…」
アキヒトからはそれ以上、何も言葉が出なかった。
子供の頃から追っていた理想と大人になって突きつけられた現実の格差。
本気で法国騎士を辞める積もりなのだろう…イスター自身の決意の固さが伺える。
「お前には剣以外にもたくさん教えたいことが有ったんだが…すまねぇな。
これからは、ガーベラが指導してくれる筈だ。
もう…お前と会うのはこれが最後だろうよ…」
「そんな…イスターさんにそんな言葉は似合わないですよ…」
「悪ぃ…」
常に自信に満ちていた男の声が今は悲しいほどに弱々しかった。
その時、アキヒトの右肩のシロが口を開いた。
「…おい、これが最後なら教えろ。
お前はパラス神聖法国が好きだったのか?」
「なんだ…お前はいつも唐突に変な質問をするんだな…」
「いいから教えろよ!好きだったのか嫌いだったのか!」
シロの質問に最初は戸惑ったが、大きく息をつくと答え始めた。
「あぁ、好きだったさ。
何時かは一人前の騎士になって、俺の手でパラス神聖法国を守りたかったな…」
「騎士ってなんだよ」
「おいおい、騎士って言うのは…」
「今は違うのか?
俺には今のお前も以前と全然変わらないように見えるぞ」
「今は装備一式返上しちまったからな。
あの法国騎士の象徴…白と金の2色の装束が何よりも俺の誇りだったんだが…」
「あのいつも着ていた服か」
「そうさ、今の俺には着る資格なんて無いがな…」
「白と金の2色か…あの色彩だな」
「…ん?」
イスターも、シロが何を考えているのか想像すらできない。
「さっきも話してたが、使徒って連中と肩を並べるのが一番の願いなのか?」
「あ、あぁ…あの装束を纏って使徒達と一緒に戦えればと思っていた。
ハハ、我ながらガキっぽい願い事だ…」
「…そうか、分かった」
「何が分かったんだ?
お前の考えていることは全く分からねぇんだが…」
「此方の話だ。
それからよ、戦いが終わったら最後に一杯どうだ?」
次に突然シロはイスターを酒に誘い始めた。
「お前…飲めたのか?」
「あぁ、器官を生成したからお前達と同じように飲み食いできるぜ。
別れの盃ってヤツだ、最後なら付き合えよ」
アキヒトとシロを交互に見て…観念したか、イスターは息を吐いて答えた。
「…いいぜ、それくらいは付き合ってやるよ」
「じゃあ、戦いが終わったらまた会おうぜ!
絶対に約束を破るんじゃねぇぞ!?」
「それよりお前達こそ、負けるんじゃねぇぞ!
あの8人は強い、覚悟しておくんだな!」
話を終えると最後に激励し、イスターは立ち上がると宿のラウンジから出ていった。
「シロ、何を企んでいるの?」
「何も企んでねぇよ…何もな……楽しみだぜ…」
猛烈に嫌な予感がかすめたが、アキヒトは溜息を一つ零しただけで止めようとはしなかった。
それよりも問題は聖都パラパレスの攻略の方が急務であった。
これまで組織的抵抗は無かったが、神聖法国本拠の守備軍の情報は既に入っている。
聖都は大軍を擁しており、法国軍最後の抵抗が始まるであろう。
そして一番の難関は8人の使徒達。
おそらく全員が大公と同等もしくはそれ以上の実力者。
彼女達を如何に突破するか、それがパラス神聖法国攻略最大の課題であった。
次回 第91話 『 聖都パラパレス攻略戦 』