第6話 『 アヤ姉 』
この世界も暦は1年を365日としていた。
1年は12月に分かれ、1月が30日前後、1日は24時間。
この星の自転周期や公転周期は、元の世界の地球とほぼ同じらしい。
しかも大陸では5勤2休制が広まっており、生活周期は非常に似通っていた。
だからこそ、僕達の世界が選ばれたかもしれない。
召喚されてから初めての休日、僕は街の中を散策してみた。
「私も付いて行くわ、お小遣いも支給されてるのよ」
不慣れな僕のため、アヤさんが道案内を買って出てくれた。
都市国家の街並みは、元の世界の中世時代に酷似していた。
家屋、建造物の大半は石造り。
輸送や移動手段は荷馬車。
しかし、よく見てみると技術の進んでいる分野も多く見られる。
大半の建物には窓ガラスがはめ込まれている。
大通りの至る場所には街灯。
歴史に詳しくない僕にも、中世と近世の混合が分かった。
「これがお金よ。
普通に食事したり服を買ったりする分には困らないわ」
アヤさんが渡してくれたのは金貨1枚と銀貨5枚。
この大陸の統一通貨の『ソラ』と説明してくれた。
そして街を歩きながら、簡単な通貨の歴史も教えてくれた。
200年前まで貨幣単位はラブリだった。
1ラブリ=10ソラドス金貨=100リウス銀貨
現在は貨幣単位を簡略化してソラへ統一。
神聖法国や魔導王朝にも受け入れられ易いよう考慮されたらしい。
更に銅貨も加え、細分化された。
大金貨1枚=10000ソラ
金貨1枚= 1000ソラ
銀貨1枚= 100ソラ
銅貨1枚= 10ソラ
小銅貨1枚= 1ソラ
また商人等の取引用に白金貨と呼ばれる特別な貨幣も存在するらしい。
白金貨一枚で大金貨100枚、すなわち100万ソラに相当する。
庶民では滅多にお目にかかれないお金らしい。
ちなみに物価の目安だが、パンとスープの食事1回が約20ソラだという。
「王国の主穀物は小麦だからパンが安いのよ。
まぁ、同じパンでも法国ではとんでもなく高くなるけどね」
「へぇ…なぜです?」
「法国は気候の違いもあって、小麦の生産には向いてないのよ。
間に山脈があるから輸送も困難なのよね…」
経済に関しては、神族よりも魔族の方が長けていると話してくれた。
魔導王朝側は物資の流通のため、王国間との往来に殆んど制限を設けてない。
対して法国側は唯一の山脈回廊に5つの関所を設けている。
「今まで何度か、法国に行ったことがあるのよ。
その時、雑貨屋で小麦の値段を見て驚いた覚えが有るわ。
逆に乳製品は驚くほど安かったわね。
チーズなんか種類が豊富で目移りしたし」
「そういえば法国も魔導王朝も自国の通貨は無かったんですか?」
「昔は有ったらしいんだけどね…。
確か…貨幣の製造技術が余り良くなくて…価値が落ちたらしいわ」
既存の粗悪な貨幣が信用を失うまで時間はかからなかった。
法国も魔導王朝も需要と供給の流れには逆らえない。
結果として、人類が発明した貨幣に頼らざるを得なかった。
「経済観念に関しては神族や魔族より、人間が勝っているかもね」
街の通りを歩きながらアヤさんは笑っていた。
この世界に来て、まだ文字は読めないが数字に関しては覚えていた。
だから街の店先に並ぶ品物の値札を見るくらいはできた。
「そういえば…服くらい買ったらどう?」
「え、変でした?」
「変って言うか、いつも同じで良かったの?
ここの普段着を揃えるくらいのお金は有るわよ」
召喚された時と同じ学生服をずっと着ていた。
特に愛着がある訳でも無いが、着替えたいとも思わなかった。
練兵場では専用衣服が支給されているし。
「このお金、自由に使って良いんですか?」
「えぇ、変に無駄遣いしない程度は…」
「じゃあ、アヤさんに何かプレゼントしますよ!」
「ふふ…良いわよ、そんなの」
「いつもお世話になってますから、それくらいは…」
「ありがとう、でも間に合ってるから大丈夫よ」
けれども嬉しかったのか、アヤさんは機嫌が良さそうだった。
「そうだ、本当に感謝してるのなら、お願いを聞いてくれる?」
「はい、何ですか?」
「その『アヤさん』って他人行儀な呼び方、変えてくれない?」
「え…そんなに変ですか?」
「もっと、砕けた言い方で良いわよ。
私の方が年上だけど、呼び捨てでも構わないわ」
そう言われても、急には呼び方を変えられない。
もっと砕けた言い方…親しみのある呼び方と言えば…。
「じゃ、じゃあ…『 アヤ姉 』って呼んで良いですか?」
「アヤ姉…?」
「やっぱり変でした?」
「ふふ…うぅん、別に変じゃないわよ。
ただ、面白い呼び方かもしれないって…良いかもね」
思いの外、この呼び方が気に入ってくれたようだ。
「以前は姉さんに…元の世界の姉さんを同じように呼んでいたんです。
名前が『カスミ』だから『スミ姉』って…今は『姉さん』ですけど」
「なぜ今は違うの?
前の呼び方の方が堅苦しくなくて好きだけど」
「それは…姉さんは僕と違って、頭が良かったから…」
子供の頃から『スミ姉』と呼んで慕っていた。
けれども、この3年間は大学受験で話をする機会さえ殆んど無かった。
自然にお互いに距離が産まれ、次第に遠ざかっていた。
進学校で成績上位の姉と異なり、平凡な自分ではそれ以上近寄れなかった。
出来の良い姉と出来の悪い僕とは違っていた。
実際に父と母からの、姉と僕への扱いの差が物語っていた。
いつからだろう。
気付いたら『スミ姉』ではなく『姉さん』と呼んでいた。
同じ家に住んでいても会話は無くなっていた。
受験勉強で険しい表情の姉には、気軽に声もかけられない。
たまに挨拶をしても無言で一瞥されるだけだった。
どんな時でも、弱虫な自分の味方だった姉はもう居ない。
血の繋がった姉は遠い存在になっていた。
「だから、また同じように呼べたらって…わっ!」
話の途中、突然肩を掴まれると抱き寄せられた。
自然に僕の顔は、豊かな胸の膨らみへ押し付けられる。
「ア、アヤさん…!?」
「呼び方、違うわよ」
「え…ア…アヤ姉……」
「それから敬語を使う必要も無いわよ、もっと気軽に呼びなさい」
優しく抱きしめられ…抱き返して、胸に顔を埋めながら言葉を綴った。
「うん…暖かいよ、アヤ姉…」
遠い昔を思い出す。
懐かしい…あの時の姉さんと同じ温もりだ。
「アキヒト…あなたは1人じゃないのよ?
少なくとも、今は私がいるんだから…!」
胸元から離すと、僕の顔をじっと見つめながら話してくれた。
「あ…ありがとう……アヤ姉…」
「そう、それで良いのよ」
その時の、アヤ姉の眩しい笑顔がとても嬉しかった。
本当の姉には見放された僕だけど、今は新しい姉が傍に居てくれた。
「けどさぁ、アヤ姉…あまり抱きついたりするのは止めてよ」
「あれ、苦しかった?」
「いや、そうじゃなくて…僕も子供じゃないんだからさ…」
「ふふ…もしかして照れてるの?」
「あ、あのねぇ!こんな人通りの多い所で恥ずかしいよ!」
気付けば、街の大通りに居たのを思い出す。
少なくない通行人の視線が此方に向いていた。
「そ、そうね!」
「そうだよ、少しは人目を…!」
慌てて、手を引いて再び歩き出す。
何歩か進めば、視線も外れて…通行人の中に溶け込んでいた。
「…それで、どうだった?」
「え、何が」
「私に抱きしめられて苦しかったの…?」
悪戯っぽく笑って、アヤ姉が僕の顔を覗き込んできた。
「だ、だから…苦しくは無かったけど…」
「どうだったの、アキヒト…?」
「え…えぇ~っと……と、とても暖かくて…いい匂いが…」
「えぇ…!今、なんて言ったの!?
もう一度、ハッキリと言いなさいよ~!」
「う…うるさいよ、アヤ姉!
大体ね、年上だけど2つしか違わないんだよ!?
僕だって、あと2,3年もすればね…!」
そんな僕からの猛烈な抗議を、アヤ姉は軽々と受け流していた。
「…元気、出たようね」
「う、うん…」
声を荒げてしまってから、恥ずかしくなってしまった。
「ねぇ、アキヒト…これだけは言っておくけどね」
「ん…?」
「辛いことが有ったら、我慢しなくて良いわよ。
少なくとも、この世界では私がいつも一緒にいるから…」
「う…うん…」
さっきから、とても心が暖かかった。
この暖かな感じは、元の世界でも無かった。
「だからね…寂しい時は、いつでも私の胸に飛び込んできなさい?
ここはアキヒトの特等席にしておくから♪」
「やめてよ!アヤ姉!」
時々、年下の僕をからかって遊ぶのは勘弁して欲しかった。
この日以降、僕はアヤ姉と呼ぶようになった。
この世界に来て一番の収穫は、アヤ姉に出会えたことかもしれない。
僕は神獣とも契約できず、力も何も手に入らなかった。
けれど誰よりも恵まれていると強く思えた。