第62話 『 決戦兵種 』
大陸歴996年10月22日。
朝都インダラの宮廷タンクーラ…その大広間にて朝議が開かれていた。
宗主ヴリタラとイナト筆頭大公を始めとする6人の大公、そして王朝の高官達。
扉が開かれて入場したのはガーベラ・イーバーであった。
そもそもガーベラに極刑を命じたのは宗主ヴリタラ自身である。
それゆえに他の者では撤回を命ずることは不可能。
形式ではあるが、儀礼として宗主ヴリタラ自身から撤回を命ずる必要が有った。
列席しているラーキ大公は安堵していた。
まだ戦いの傷が完全に癒えた訳ではないが、ガーベラの助命は成ったのだ。
少年の嘆願が宗主ヴリタラに認められたと聞いてラーキ自身も訝しくは思っていた。
他の大公と同様に、甘い人物ではないと。
だが今はガーベラの生命が救われたのを素直に喜んでいた。
「ガーベラ殿、御前に」
進行役の文官に促され、ガーベラは玉座に座するヴリタラの前で膝を付いた。
「イーバー家当主、ガーベラよ…汝の極刑を取り消す」
その言葉を聞くと大公を始め、大広間に集った多くの高官達が胸を撫で下ろした。
この瞬間、正式にガーベラの極刑は撤回されたのである。
「ラーキよ…朝議だぞ。
気持ちは分かるが引き締めよ…」
「あ…あぁ、すまぬ」
ヤミザ大公が責めるのも無理は無かろう。
主のラーキ大公は厳粛な場でありながら人目を気にせず、笑みを零していた。
これから改めてガーベラに指導し、2度と同じ失態を重ねぬよう戒めなければならない。
だが今くらいは肩の力を抜いても良いだろう…とラーキ大公は思っていた。
「…?」
和やかな空気に包まれたと思いきや、何かがおかしい。
「ガーベラ殿、退座を…」
宗主ヴリタラの前で膝を付いたまま、ガーベラが立ち上がろうとしない。
「…かような場での発言を、お許しください。
宗主様へ進言致したい事が有りますが宜しいでしょうか?」
「馬鹿者!」
主のラーキ大公よりも早くイナト筆頭大公が声を張り上げた。
「此処は宗主様に御赦しを頂く場であるぞ!
誰でも良い!早々に退がらせよ!」
武官の中から将軍達がガーベラの下へ駆け寄った。
称賛されるべきはイナト筆頭大公の対応の速さであろう。
宗主ヴリタラの勘気に触れるよりも前に、この大広間から退室させようとしていた。
「…良い」
素早くガーベラの両脇に付いた将軍達をヴリタラが手を挙げて制した。
宗主の言と有れば逆らう訳にもいかず、将軍達も自らの場所へ戻るしかなかった。
「畏れながら宗主様、今は発言の機会を与える場では…」
「余が許すと申しておるのだ。
それでガーベラよ…何を進言するというのだ?」
イナト筆頭大公の苦心も虚しく、ガーベラの発言を止めるに至らなかった。
「王朝の未来の為…あの少年との和を謹んで進言致します…」
「控えよ!」
今度は文官の一人が非難の声を張り上げた。
ラーキ大公の配下序列2位…父の代から馴染みのスジャーン・アノイである。
「宗主様から目を掛けられたからと増長しおって!
つい先刻まで貴様は極刑の身であったのだぞ!?
ならば言動を慎むべきであろう!
早々に立ち去って命が下るまで謹慎致すが良い!」
イナト筆頭大公と同様、これもガーベラの身命を思いやっての言葉である。
再び宗主ヴリタラの口から罰が下る前に退がらせようとしていた。
「…構わぬ」
だが、ヴリタラは発言を許していた。
「ならば聞こう…なぜ、あの少年と和を結ばねばならぬのだ?」
「宗主様を始め、この場に集われた方々の御怒りは御尤もで御座います。
極刑を赦されたばかりの身の無礼、重々承知しております。
ですが、お聞き下さいませ。
その後で首を刎ねられる覚悟はできております…」
10月12日のアキヒトとヴリタラとの決戦を最後に、兵団と王朝の戦いは終結した。
アキヒトの嘆願はヴリタラに聞き入られ、ガーベラの極刑は取り消された。
それから数日後にアキヒトは朝都から立ち去るが、その前にガーベラは面会していた。
王朝迎賓館の門前。
ボーエン王国から来訪したエルミート家の紋章が入った馬車を待たせていた。
出立直前だがガーベラとアキヒトの面会が成ったのである。
『お前には命を助けられたな…大きな借りができてしまった』
『いえ、僕の方こそ言いつけを破ってすみません』
『いや、お前が謝ることでは無い。
本当に感謝している…一生かかってもこの借りを返せるかどうか不安だ』
『ガーベラさんには今までお世話になっています。
それを思えば、このくらい当然です』
『何を申す、あの程度如き世話でも何でもない』
『いえ、そんなことは…』
『…よし、決めたぞ。
お前を一人前の男にしてやる!
ボーエン王国に戻り次第、今までの分も含めて鍛え直してやろう!』
『その…お手柔らかにお願いします…』
『馬鹿者!厳しくなければ強くならぬであろうが!
返事もしっかりせよ!』
『は、はい!』
ガーベラ自身、アキヒトに報いたい気持ちで溢れていた。
たった一人で魔導王朝に戦いを挑み、1人も犠牲者を出さず、宗主とまで戦ってくれた。
そして大公でさえも不可能だった減刑にまで持ち込んでくれた。
そのガーベラの背後にはお付きの騎士が2名。
名目上はガーベラの監視であるが、父の代から仕える忠実な家臣達である。
彼等も主の命を救ってくれたアキヒトには感謝していたが、先程から気になっていた。
"不用心すぎぬか?"
今のアキヒトは短剣一つ持たない丸腰である。
首に巻いた白いマフラー以外、何も装備らしい装備は無い。
右肩に白く光る精霊らしきモノ以外に味方も居ない。
対するガーベラも無防備だったが、お付きの騎士2人は完全武装していた。
帯刀し、今からでも戦いの場に赴くこともできる。
"もしも我々が刺客だったら…?"
率いる兵団は間違いなく強力だが、少年自身は平凡な人間に過ぎない。
しかも今まで、この魔導王朝に攻め込んでいた本人である。
何者かが害意を持って接近する可能性も十分に有り得るのではなかろうか?
当然、騎士達がアキヒトに危害を加える意志は無い。
むしろ主を救ってくれた少年には非常に感謝していた。
だから忠告しておこうと思った。
此処は決して安全な場所とは限らないと…。
アキヒトの前に白刃を突き付け、自身の不用心を自覚させようと…。
騎士2人が剣の柄に指を伸ばした――
『…どうしました?』
ガーベラが何か驚いた表情に変わっていた。
背後の騎士2人も目を見開き、身体は1ミリたりとも動けない。
突如、ガーベラ達3人に殺気の刃が突き立てられていた。
歴戦の3人の騎士だから分かる。
一歩でも…いや、指先一つでも下手に動かしたら即座に殺されることが。
おそるおそるガーベラが背後の配下達へと振り向く。
2人が剣の柄に指を伸ばしているのが分かった。
"指を離せ…ゆっくりとだぞ…?"
息を呑んだ2人はガーベラの目で放たれた命に従い、柄から指を離していった。
突き付けられた殺気が薄まり、先程と変わらぬ迎賓館門前となっていた。
『お前達はガーベラの部下だから警告で済ませておいた。
2度目は無いからな』
『…何の話?』
『何でも無ぇよ』
アキヒトとシロを乗せ、エルミートの馬車は朝都インダラを後にした。
シロの言葉通り、それは最初で最後の警告であった。
あのまま剣の柄に触れれば白刃を晒すまでもなく、騎士達は惨殺されていた。
ガーベラには何も見えない。
騎士達にも。
だが、アキヒトの近くには何かが潜んでいた。
得体の知れない…恐るべき何かが
「今なら少年とは有利に…!
いえ、少なくとも対等に盟約を結べますでしょう!
決して敵に回してはなりません!」
「世迷言もいい加減にせよ!」
他の高官達からも非難の声が上がった。
「そのような味方がいながら、なぜシャール平原では負けたのだ!」
「その通りだ!あの少年が生き永らえたのは宗主様の御慈悲であるぞ!」
「兵団なぞ、魔導王朝軍の敵では無いわ!」
文武百官にガーベラの進言も掻き消されようとしていた。
宗主ヴリタラも暫く聞き入っていたが、手を僅かに上げると高官達の声は一瞬で止んだ。
「ならばガーベラよ。
我が問い掛けに心して答えるが良い…」
「ハッ…」
「この余と目に見えぬ何者か…どちらが強い?」
「…っ!」
「さぁ、答えよ…どちらが強いと感じたのだ…」
宗主ヴリタラの再度の問い掛けにもガーベラは返答に窮していた。
「宗主様、御戯れを…ガーベラには我々の方から厳しく叱りつけておきますので…」
「…お前達は黙っておれ」
「いえ、しかし…」
「余に…口答えするつもりか?」
大公達からの進言も宗主ヴリタラからの威圧に封じ込まれた。
"今度こそ答えを謝るなよ…?"
ラーキ大公は必死な想いで願うしかなかった。
ここで宗主の機嫌を損なえば、今度こそ間違いなく命を落とす。
極刑を下されるまでも無い。
この場で首を刎ねられるかもしれない。
「答えよ…」
「ハッ…それは…」
意を決すると、ガーベラは顔を上げて答えた。
「宗主様よりも、あの少年の…目に見えぬ何者かの方が遥かに強く感じました…」
ラーキ大公が崩れて膝を付きそうになり、隣にいたヤミザ大公に身体を支えられた。
九死に一生を得たというのに…。
一度は失われたと思った命を拾えたと思えたのに…。
愕然とするラーキ大公を余所に、宗主ヴリタラから新たに言葉が発せられた。
「イーバー家当主ガーベラよ…これより其方を余の直属とする」
大公も高官達も、全ての者達は言葉を失った。
「名目は何でも構わぬ。
あの少年との交渉の全てを其方に一任する」
「つ…謹んで拝命致します!」
魔導王朝は宗主ヴリタラを頂点とする国家である。
頂点たるヴリタラに意見を許されるのは、建国以来付き従う8人の大公のみ。
その大公の下は序列1位以下、多くの配下達で構成されていた。
しかし今、この瞬間にガーベラは宗主ヴリタラの直属を拝命した。
それはガーベラが大公達と同等の地位と権限を得たのを意味する。
「宗主様!これは一体…!?」
文武百官、誰一人として理解できない。
「なぜにガーベラの世迷言に耳をお貸しなさるので!?」
「あの少年は、宗主様の御慈悲で生かされているに過ぎません!」
「本来なら、あのシャール平原の戦いで屍を晒しておりましたものを!」
大広間全体が騒然となり、宗主ヴリタラへ訴えかける声で満たされた。
「宗主様…これは…?」
イナト筆頭大公達も心中を測りかねていた。
なぜにガーベラにそこまでの地位と権限を与えたのか、全く理解できない。
「そうか…お前達でさえ気付かなかったか…」
ヴリタラは大公達を見ていた。
「な、何をで御座いましょう…?」
「慈悲で生かされているのは我々の方なのだ……ククッ…」
大公達に背筋に冷たい物が奔った。
今…確かに宗主ヴリタラが…僅かにだが笑った。
「ご、ご冗談を…」
「…冗談などでは無い。
あの少年の嘆願を聞き入らねば、十も数えぬうちに我々は皆殺しにされていた。
シャール平原の次は、この朝都インダラに攻め入り焼き尽くされていたであろう。
あの日、一歩間違えば王朝は滅んでいたのだ…」
そして大広間の配下達に告げた。
「あの少年には…目に見えぬ3匹の獣が控えていた…」
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各拠点中枢部直属
本陣防衛用大型機動兵器 "ガースト"
全高約90メートル
光波及び電磁波の透過率99.9%以上のステルス機能を有する。
特殊鏡面透過装甲『 ミラージュ・システム 』を搭載。
現在、兵団長アキヒト護衛の任に就いている3基のうちの2基が当兵種である。
総合戦闘力評価値は一般的なアパルト級大型機動兵器の約15倍。
単基で魔導王朝宗主ヴリタラすら圧倒する。
現時点の兵団では非常に強力な兵種だが、後述の兵種には遥かに及ばない。
現時点での配備数:2基(但し兵団長アキヒトは未認識)
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「…特に、その1匹が凄まじい強さであったぞ。
余も長く生きてきたが、あれ程の存在は始めてだ…ククッ…」
大公達も気付いていたが、高官達も気づき始めていた。
普段は寡黙であり言葉の少ない人物である。
「しかし…これは何と申したかのう…。
この感じ…まだ余が弱く若き頃に何度か体験した…。
全身が総毛立ち、身体が思うように動かせず…舌も上手く動かぬ…。
すぐには言葉が出てこぬな…。
久しく忘れておったぞ…この感覚、何と申したか……」
これだけ饒舌な宗主は大公達でも数える程しか見たことがない。
「――そう、" 恐怖 "だ!
あの時の余が感じたのは、紛れもない" 恐怖 "だ!」
そして、これだけ愉しく話をすることは始めてであろう。
大公を始め、全ての高官達が戦慄した。
常に憮然とした表情の主君が愉しげに…これ以上無く愉しげに笑っていた。
「この余が" 恐怖 "!
600年の間、この大陸で不敗を誇った余が" 恐怖 "だと…!?
挑む者さえ久しく絶えていた、この余が…!!
クックック…アーッハッハッハッハッハ…!!!」
魔導王朝中枢、大広間にてヴリタラの笑いが響き渡る。
宗主としての威厳も忘れたまま、王朝の重臣達を前にして高笑いが続く。
「愉快…!
誠にもって愉快ぞ…!!」
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
兵団長アキヒト直属
第三種決戦用大型機動兵器 "ヴァルマー"
全高約100メートル(最大約120メートルにまで可変)
『 ミラージュ・システム 』搭載型最上位兵種。
アキヒトがシロから学んでいる戦術の基礎概念の一つとして
我々の世界で20世紀から提唱されたランチェスターの法則が挙げられる。
彼我の戦力差が幾何級数的に評価されるのは周知の通りであろう。
だが、この兵種には当理論が通用しない。
その潜在能力は他大型機動兵器種の追随を許さず、
単基で戦局を左右する程の戦闘力を有していた
シロの命令下にある機動兵器群は例外無く培養槽から産み出される
投下時は数十センチしかない生体コアは時と共に成長し、
兵種に応じた各武装を付加され、戦線へと投入される。
このように一般的な工場生産兵種とは異なり、
生体である機動兵器達には各々に先天的な個体差が生じる。
大型機動兵器種はそのサイズより培養槽で非常に長い生育期間が必要となる。
その為、小型、中型の機動兵器に比べて個体数が非常に少なくなるが、
更にその中から遺伝確率30万分の1で極めて稀な個体が発生する。
彼等は奇跡とも呼べる存在であり、生まれながらにして天賦の才能を備えていた。
その戦闘力は極めて高く、他一般兵種とは比較にならない。
これまで数多くの戦線での劣勢を覆し、重要な局面においては必ず投入された。
前大戦末期にシロは惨敗し、麾下戦力の99.98%を喪失した。
だが、司令塔不在でありながらも重要なプラント施設を死守し再建の核を今に残した。
悠久の時を経て、兵団は大戦前と同規模の戦力を揃えるに至る。
彼等の存在が無ければシロは戦力無き司令塔でしか無かったであろう。
現在、アキヒトの傍に付き従うのは特に戦功に秀でていた個体。
前大戦の敵兵種とも互角以上に渡り合えた数少ない兵種の一つである。
この個体は自軍が崩壊しても戦線に留まって敵軍の猛攻を抑え続けた。
あの戦場では砂粒に等しい大型機動兵種だが、迫りくる機動要塞群の追撃さえ退けた。
その1基を航行不能にし、同規模兵種としては破格の戦果を挙げている。
遂には数千万基の包囲網さえも打ち破って生還を果たした本物の勇者である。
そして今はガースト級2基を配下に与えられ、24時間体制で兵団長の護衛任務に就いている。
神の気紛れで産み落とされた戦闘の天才達。
シロを始めとする集合意思体達は絶大な信頼の念を込め、彼等を『 決戦兵種 』と呼んだ。
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次回 第63話 『 このクソ野郎が…俺にも分かったぜ。テメェがアキヒトに協力した本当の狙いは…! 』