第60話 『 強者アキヒト 』
「ぅ……。」
目が覚めるとアキヒトは天蓋付のベッドに横たえられていた。
「え…?」
起き上がって回りを見ると、これまでの生活レベルとの格差に言葉を失った。
室内の壁面は金や銀の細かなレリーフが全てに施されていた。
アクセントとして置かれた重厚な彫刻や調度品の数々。
天上には燦然と輝く燭台が立ち並んだシャンデリア。
これまで何度か高貴な人達と面会し、応接した豪奢な室内に内心では驚かされていた。
しかし、これまでのどの部屋よりも格調が高かった。
「おう、起きたか」
「シロ…ここは?」
「王朝が用意してくれたんだよ。
お前の部屋にしてはまずまずだな、後で連中を褒めてやるか」
「お願いだから、そんな態度だけは止めてね…」
「そうだ、お前が起きたら呼んでくれってよ。
それを振れば良いらしい」
ベッドの枕元のすぐ近くにスィングタイプの呼び鈴が置かれていた。
アキヒトが手に持って鳴らすと直ぐさま扉が開き、執事が一人姿を現した。
「失礼致します」
「あ、あの…これは…?」
「私、大公殿下から御客様の世話を命じられております。
御用の際は何なりとお呼びくださいませ…」
「ぼ、僕が客ですか!?」
「はい、丁重にもてなすよう仰せつかっております」
「しかし…僕はこの魔導王朝に攻め込んでいたのですが…」
「多少の混乱は有りましたが死者は無く被害も殆ど有りませんでした。
大公の方々もそれを承知し、感謝されております。
それよりガーベラ様の助命嘆願を成し遂げて下さいました。
大公の方々でさえ、宗主様の御決断を変えさせるなど不可能でしたのに。
私個人からもアキヒト様には深く感謝しております…」
妙齢の執事は深々とアキヒトに頭を下げた。
「いえ、僕はそんなに偉くは…」
「御謙遜なさりますな。
それで申し訳有りませんが、暫く此方へ滞在して下さりませ。
現在、大公の方々はご多忙であり、その後で御面会を望まれております…。
それまで何か御用の際は、私めに御遠慮無く…」
「そ…そうですか…。
すみませんが、暫く御世話になります」
「あと、早速ですが他に御面会を希望なさっておられる方がおられます。
アキヒト様の目が覚められたらお呼びするよう仰せつかっておりますが…。
如何なされます?」
「え…えぇっと、どなたでしょうか?」
「ラーキ大公の序列2位配下…スジャーン・アノイ様で御座います」
頭痛が痛くなった。
「わ…分かりました。
会いますので通して頂けますか?」
「では早速お呼び致します」
一礼すると執事は退室した。
「どうしたんだよ、浮かない顔しやがって」
「スジャーンさんとの約束、思い切り破っちゃったからね…。
どんな顔をして会えば良いのか…」
ボーエン王国の全権大使を退任し、朝都インダラへ帰国する前にアキヒトと面会した。
その時に決して荒事を起こしてはならないと釘を刺された。
要するに兵団の力を使うなと…魔導王朝と戦ってはならんという意味だったのだが…。
「なんだよ、ガーベラを救ってやったんだから文句無いだろ」
「そういう問題じゃないよ…」
言い訳を考えて30分も経つと執事から来訪を告げられた。
「失礼する…」
現れたのは高級官僚服に身を包んだ初老の人物。
ボーエン王国でも面会したガーベラの馴染みのスジャーンであった。
「こ…こんにちは…」
動揺の余り、我ながら間の抜けた挨拶だとアキヒトは感じた。
テーブル越しに2人は席に腰かけて向かい合う。
執事が紅茶を淹れてティーカップを置くと、室内から早々に立ち去った。
「うむ…」
スジャーンは容易に言葉を発しようとしなかった。
最初に会った時は陽気な人物という印象が強かったが今は違う。
序列2位という肩書に相応しく、重々しい空気を纏っていた。
たまらずアキヒトは立ち上がって頭を下げた。
「す、すみませんでした!
スジャーンさんからの言い付けを破って、こんなことをしてしまって!
けど、どうしても僕は黙っていられなくて…!」
結果さえ良ければ何もかも許される訳でもない。
アキヒト自身、今回の戦いは多くの幸運が重なって偶然良い結末を迎えたと思っている。
一歩間違えば当然自分は命を落としていた。
それを危惧して、目の前の人物はアキヒトに苦言を呈してくれた。
「…肩の荷が降りたよ」
「え?」
大きく息を吐いたスジャーンは何か安堵の表情へと変わっていた。
「ワシももう歳だ。
あの子の父親代わりとしては少々先が短い。
身体が元気なうちに、できるだけのことはしておきたいと思っておった…」
「は…はい…」
「だから以前も話したが、あの子には隣に信頼のおける味方をと願っていた。
これからのガーベラには絶対に必要だと…」
「僕は…そんな大層な味方にはなれませんよ…」
「その通りだ、アキヒト殿にはそんなことを期待しておらん。
勘違いせんで貰いたい」
「はは…そう…ですね」
少々手厳しいことを言われたとアキヒトは感じた。
そうか…やっぱり自分はガーベラの味方としては力不足なのかと。
その時だけは。
その一瞬だけは。
「ようやく…ようやく婿が見つかった。
これでワシも思い残すことは殆ど無くなったよ…」
「……え?」
「王朝騎士としてガーベラは本当に優秀だ。
それは誰もが認めておるし、ワシ自身もそうだと思う。
だが、優秀過ぎて吊り合う相手が見つからなかったのもまた事実。
この老骨が元気なうちに、相手を探すのが最期の仕事かと思っておったが…。
冥土の土産としては十分過ぎる。
これで亡き親友にも堂々と胸を張って会いに逝ける…」
「ちょ…!ちょっと待ってくださいよ!
な、何の話ですか!?」
「如何なされたかな、婿殿」
「む、婿殿って誰がですか!?
僕は只の凡人、普通の人間なんですよ!?」
「人間だの魔族だの些末な問題であろう。
あの宗主様と剣を交えただけでも末代まで誇られる程の栄誉。
しかも御認めになられるなど、人間どころか魔族でさえ今までに無かった。
後にも先にもおそらくは婿殿だけであろう…」
「その"婿殿"はやめてくださいよ!」
これまで魔族の歴史を紐解けば、数々の強者を輩出してきた。
魔導王朝建国以前からも強者が度々産まれては伝説を形作ってきた。
だから魔族達も自らの強さに誇りを持っていた。
実際に強力であり、渡り合える種族など数える程しか大陸には存在しない。
だが、その中でも魔王ヴリタラの存在は異質であった。
配下の大公8名も常識外れの強さを有していたが、魔王は遥かに凌いでいた。
魔族の誰もが強さには自信を持っている。
けれども、一度でも魔王を目の当たりにすれば容易く自信は打ち砕かれる。
この世には絶対に逆らってはならない強者が存在する。
決して勝てない強者の存在を思い知らされるのだ。
血気盛んな若い魔族の多くは最初は自身こそ最強であると大言を吐く。
しかし魔王ヴリタラの姿を実際に見た後で同じ大言を吐けた者は1人として居ない。
戦いを挑むなど自殺行為に等しい。
誰にも逆らえぬ存在であった。
「大した小僧だぜ…」
魔導王朝軍の将兵達の間では、その話で持ち切りだった。
朝都インダラの全ての酒場で実際に戦いを見ていた者達が話を広めていた。
「宗主様に戦いを挑むなんてよ…」
主君であるヴリタラと剣を交える者など、この500年の間に存在しなかった。
一時は大陸に覇を唱えようとしていた神族達も、アコン山脈に引き籠もる程である。
中には強さを疑う者も存在した。
余りにも常識外れの伝承に、宗主ヴリタラの強さは本当なのかと。
剣を一振りしただけで数百もの神族兵士が斃されたなどと、大袈裟では無いかと。
だが、その伝承は誇張以上だったと思い知らされる。
少年に率いられた兵団との戦いで、宗主の強さが改めて大陸全土へと知らされた。
それまで大公すら倒した巨大な魔獣が手も足も出なかった。
巨大な魔獣の強さは多くの王朝軍兵士が知っていた。
各地の守備軍が何も出来なかった相手である。
そんな魔獣ですら宗主の前には幼子同然であったという。
「勝てないのは当然だ。
しかし一番凄いのは宗主様のお考えを変えたことだろうな…」
非常に厳しい人物だと知られている。
一度決めたことは決して覆さない御人であると。
大公達が何とかガーベラの極刑を取り消そうと宗主ヴリタラに働きかけていた。
あれ程の方々が苦心されても不可能だったというのに。
だが、あの少年はそれを成し遂げた。
余りにも現実離れした話を疑う者達も多かった。
けれども証人には事欠かない。
宗主ヴリタラと兵団長アキヒトとの戦いを多くの者達が観ていた。
大公3人、魔導王朝軍12万将兵、宗主直属の高級武官達、そして各国の密偵達。
その場に居た全ての者達は、宗主ヴリタラが嘆願を聞き入れる様を目撃した。
「俺達は13歳の時に何をしていた?」
更に少年の年齢を耳にすれば誰もが黙り込んでしまう。
しかも魔族でも無ければ神族でも無い、普通の人間の少年だという。
確かに兵団の力に頼っていたのは否めない。
あの魔獣達の存在が無ければ、少年1人で朝都インダラ近くまで進撃するなど不可能である。
だが、巨大な魔獣の力を以てしても宗主ヴリタラとの力量差は明らかであった。
仮に巨大な魔獣を自在に使えたとしよう。
それでも宗主ヴリタラに戦いを挑めようか?
「いや、あの少年と同様にガーベラ様も流石と言わねばなるまい。
早々と素養を見込んでいた眼力を忘れてはならぬ。
先代のヤール様と同等…もしかしたらそれ以上の御方かもしれぬぞ…」
改めて魔導王朝に無くてはならない人材であるとも思い知らされる。
密偵達が母国へ報告したが、それ以上に人の噂は大陸中へと流れていった。
朝都インダラから各国へと魔導通信で事態が報告される。
単なる兵団の力に頼り切りの子供では無いと。
魔王ヴリタラが下した決定を覆した程の人物だと伝聞される。
「凄ぇ…!凄ぇ人間だぜ…!」
南方戦線へ直接出陣していた虎人族、ルガー族長も感心せざるを得なかった。
兵団のことはよく分からないが、たった1人で魔導王朝に戦いを挑んだ。
大公達と戦い、ラーキ大公を降したという。
虎人族でさえ大公と戦うのは躊躇するであろう。
それ程の強敵である。
しかも魔王ヴリタラと一騎打ちに及んだと知らされた。
余りの強さに勝負にならなかったが、少年は諦めず果敢に戦いを挑んだ。
そして遂にはガーベラの極刑を取り止めさせたと。
魔王の決定を覆したと知らされた。
「お前達…!
この人間と同じことができるか!?」
南方戦線へ動員された虎人族の中でも特に強者と呼ばれる精鋭達。
その問いかけに猛者達も言葉が出ない。
誰もが自分の強さに絶対の自信を持っていた。
だが、それでも魔王ヴリタラの名を聞けば萎縮せざるを得ない。
戦いを挑むことすら不可能であろう。
「レスリーの後見だから頭が良いだけと思いきや…!
是非顔を拝んでみたいぜ!」
ガーベラの減刑が確認されると、南方諸国は兵を引き揚げ始めた。
同様にグーニ大公に援軍を命じられた各侯国の守備軍も本国へと引き揚げていった。
多くの知らせが大陸中へと届く中、ボーエン王国の番頭1人は半信半疑であった。
「ケーダ様、どうなされました?」
「うん…」
ラーセン商会支店の会議室。
敗残兵団の魔導王朝領攻略会議が行われていた一室も引き払われようとしていた。
スタッフ達は使用された資料や資材の片付けに追われている。
その中、ケーダ・ラーセンだけはテーブルの地図を見下ろしていた。
「このクダニ級も引き揚げるぜ」
「あぁ…良いよ」
「さっきからどうしたんだ?
何か気になることでもあるのかよ」
「まぁね…思ってたのと結末が違って…」
「何だよ、ガーベラも助かって全て丸く収まっただろ?」
クダニ級を経由してのシロの指摘は正しかった。
戦いの結末は即座にラーセン商会の上層部にも知らされた。
アキヒトの嘆願は認められ、ガーベラの極刑は取り止めになった。
これまでのアキヒトの行状も不問になった以上、ラーセン商会も同様に不問となろう。
結果、ラーセン商会はアキヒトとガーベラへ太いパイプを通すことに成功した。
この失脚を越えた今、いずれガーベラは魔導王朝で高い地位に就くであろう。
アキヒトの名声も高まり、大陸に無くてはならぬ存在になりつつある。
投資した金額は少なくなかったが、それだけは価値は十分に有った。
ラーセン商会上層部もケーダに対して評価せざるを得ない。
その先見性と手腕は証明され、今回の功績で確実に番頭の序列が上がる。
商会内での地位も上がり、更にケーダは躍進を遂げたことになる。
だが、当のケーダは1人で何か納得できないでいた。
「何を考えているが知らないが、コイツは引き揚げさせる。
また後でアキヒトと一緒に挨拶に来てやるからな」
「うん…またね」
会議室内を占めていたクダニ級が歩き出し、支店の外へと出ていった。
「…片付け、中止」
シロが姿を消すと、ケーダはスタッフ達を呼び止めた。
「何がでしょうか?」
「片付けは中止だよ、まだやることがある」
「…と、申されますと」
「シャール平原の戦いを見た者と直接話をしたい。
魔導通信の準備を頼むよ」
「え…しかし…」
「他の目撃者も探して連絡を取ってくれ。
同じく直接話をしたい、金に糸目はつけないと伝えてくれ」
魔導王朝軍と敗残兵団の戦いは完全に終結していた。
だが、ケーダの中では続いていた。
キシーナ大公達と同じく、今回の戦いには不審を抱いていたのである。
アキヒトが迎賓館に迎えられてから3日が経過した。
これまでの戦いの休養も有り、シロから療養を強く勧められていた。
王朝領侵攻後、アパルト級との強引な知覚融合から大公や宗主との連戦に次ぐ連戦。
栄養を十分に摂って、暫くは休息するよう言われていた。
その日、昼食後に執事から面会を告げられた。
「アキヒト様にお客様がお見えです」
「どなたでしょう?」
「ボーエン王国からアヤ・エルミート様が来られております」
懐かしい名前だった。
アキヒトにとっては、もう会えないと覚悟していた人物である。
「アキヒト…」
扉が開けば、確かに彼女は姿を現した。
「アヤ姉…」
遠い異国の地で再びアキヒトは彼女の姿を見ることができた。
アキヒトは目的であるガーベラの生命を救えた。
約束した通り、再びレスリー達の元へ生きて帰れそうだった。
魔導王朝の人々の生活を傷つけることなく、被害を最小限に抑えることに成功した。
…と、うまくは終わらなかった
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