第59話 『 悪魔が嗤う 』
10月12日
魔導王朝騎士ガーベラ・イーバーの処刑執行の日。
シャール平原にて勃発した敗残兵団と魔導王朝軍の戦いに介入する勢力は存在しない。
だが、大陸中のあらゆる勢力から放たれた密偵が目を見張らせていた。
大陸平原同盟、南方諸侯連合各国、パラス神聖法国といった国家組織から民間組織まで。
ラーセン商会は当然であり、三大商会の他にも商いを生業とする者達。
彼等は王朝領内侵攻直後から敗残兵団の動向を探っていた。
しかし今、兵団の全滅は時間の問題かと思われる。
間も無く戦闘は終結する。
その後、雇い主へ経過と結果を報告すれば彼等の仕事も終わるであろう。
その密偵群の中で密偵の仕事だけに留まらない者達が混ざっていた。
「アキヒト…いくら何でも気合入れすぎじゃねぇか…」
神聖法国、新騎士団長候補のイスターが大木の枝の上で舌打ちしていた。
忠告したにもかかわらず、教え子の少年が魔王と戦いを始めてしまった。
イスター自身も兵団の力に淡い期待を抱いていたが、それも戦いが始まれば一瞬で消える。
500年前の伝承は誇張では無かった。
普段から怖いもの無しと吹聴していたイスターでさえ背中に冷たい物が流れた。
自身も剣の腕に覚えはあるが、あの魔王には全く歯が立たないだろう。
まさしく魔王の名に恥じない強さである。
同じ枝の上にいた法国騎士が不安な面持ちで呟いた。
「どうするんだよ…」
「あの戦いが終わったら長距離用煙幕を投げ込んでくれ。
それが済んだらお前達は直ぐに此処を離れろ」
「お前は?」
「俺はアキヒトを助けに行く…」
「あの中を正気か!?
王朝軍が完全に包囲していて、直ぐ近くには魔王と大公が揃ってるんだぞ!」
「だから煙幕を使うんだ。
それも気休めにしか過ぎないだろうがな…」
「…まぁ、良いさ。
撹乱は俺達に任せろ、お前は全力で助け出せ」
「馬鹿野郎!お前達まで死ぬぞ!?」
「考えてみればよ、魔王の鼻をあかす絶好の機会だぜ?
国に還ったらそれこそ死ぬまで酒の肴にできる。
だがな、問題はそんなことじゃねぇよ。
助け出した後のことを考えてんのか?」
「一応…な」
「この戦いでドサクサに紛れて、法国が介入したことが知られてみろ。
こんな奥深くまで攻め進んで魔王や大公とまで戦ってしまったんだぞ。
仮に救い出すのに成功しても先が暗すぎる。
魔導王朝は少年の身柄引き渡しを要求するかもな。
それを法国が拒否した時、どうなる?
戦争の一つや二つじゃ済まねぇぞ…」
「嫌なら今からでも抜けろ」
「抜けられるかよ、こんな時に。
しかもお前、あの少年の後にも用事が有るんだろ?」
おそらくは兵団との戦いが終わり次第、ガーベラの処刑が開始されるであろう。
時間的には1分1秒たりとも無駄にできなかった。
「この後、厳重なインダラに忍び込んで女騎士まで連れ出すか…」
「そういうことだ」
「お前、やっぱり頭が悪ぃよ。
こんな作戦に許可を出した司教達もどうかしてるがな。
もっとも、そんなお前に付き合う俺達もそれ以上にどうかしてるが…」
いつの間にか回りに集まっていた法国騎士達が苦笑いしていた。
「悪いな、お前ら。
無事に帰れたら何でも驕ってやる。
なに、軍資金は任せろ。
なぜか手元には1億1000万ソラも小遣いがあるからな」
「おい、待て。
イスター…その金って…」
「そろそろ戦いが終わる!
総員、配置に付け!」
言葉を遮り、イスターが法国騎士達に号令をかけた。
もはや作戦と呼べる代物でないのをイスター自身も十分に理解していた。
あれだけの包囲網からの救出。
しかも現在の交戦相手は最も恐るべき魔王ヴリタラ。
「へへっ…」
それでも不敵な笑みは崩れない。
これまで多くの任務を受けたが、今回は群を抜いて馬鹿げていた。
どんなに甘く見積もってさえ十に一も生きて帰れる気がしない。
普段からパラス教を悪しざまに罵っている男が、初めて神に祈っていた。
アキヒトの身体と同様にアパルト級も活動限界を迎えようとしていた。
「くっ…!」
3本の腕が千切れた激痛に耐えつつ、残された1本の腕での抵抗は続く。
依然としてヴリタラは片腕を使うのみである。
だが、仮に4本の腕が健在だったとしても状況は変わらなかったであろう。
3人の大公との戦いの後で消耗していたが、それでも関係無かった。
実力差が違い過ぎて今のアキヒトでは相手にならなかった。
「第1腕部…耐久限界…」
右肩のシロが言葉少なく事務的に戦況を報告していた。
―――――――――『 解除完了まで25秒 』――――――――――
バキィッ…!!
遂に最後の鉤爪の腕が千切れ飛んだ。
地面に落ちて転がり、衝撃で辺りが揺れて響いた。
攻撃手段を全て失い、棒立ちになったアパルト級大型機動兵器。
「出力…20%まで低下…」
これまで大公3人とヴリタラとの交戦で、重装甲の大半が粉々に砕かれていた。
その巨躯に備えられた武装の大半は使用不能。
体内の粒子反応炉がようやく動いている状態であった。
「ぜぇ…!ぜぇ…!」
それでもアキヒトの闘志は全く衰えていない。
アパルト級も同じく、ヴリタラの姿を睨み付けていた。
「お…お願いします…!
が、ガーベラ…さんを…!
減刑を…!」
肩で息をしながら訴えかけるが、ヴリタラは眉一つ動かさない。
―――――――――『 解除完了まで20秒 』――――――――――
代わりに光り輝く巨大な剣を振り上げた。
観ていた大公達と王朝軍、イスターを含む各国の密偵達が息を呑む。
全てが戦いの終わりを確信した。
"ギィ…"
その時、魔王ヴリタラの腕が止まった。
"ギギギ…"
何者かの嗤いが耳に届いた。
魔王ヴリタラは600年前に大陸の表舞台へ姿を表した。
大陸西方一帯で乱立していた魔族の群雄達を武力で以て制圧した。
数えきれぬ程の魔族がヴリタラの前に屍を晒した。
その後、魔導王朝を建国し、神族がアコン山脈に逃げ込むまでの戦歴約100年。
それまで戦いに明け暮れていた。
一説では、それまでにヴリタラ1人で殺害した兵数は10万人を越える。
遂に挑む者が皆無となって500年。
それゆえにこの世界では魔王と呼ばれ、全ての種族と民から恐れられた。
――なんという短な戦歴、なんという小さな戦果であろうか
シロの麾下にあっては主力層から程遠い、精々中堅層留まりの兵種でしかない。
主力兵種との戦力差は天と地以上に大きく開いていた。
だが、それでもあの過酷な前大戦から生還した個体である。
大半の友軍が死滅した、あの地獄のような空間を戦い抜いてきた。
この世界の時間に換算して戦歴は3億年以上。
これまでの撃墜スコア――総数320億基を越える。
そして今、撃破を命じられた眼前の個体を観察していた。
あの地獄で対峙した敵兵種に比べれば余りにも矮小。
戦術も、力も、速さも、装甲も、全てが脆弱過ぎた。
空間転移装備も無い。
次元切断機能も無い。
粒子砲最大照射機能も無い。
粒子反応装甲どころか電磁反応装甲さえ無い。
波長遮断機能も無ければ知覚感知機能すら無い
なんと最低限の粒子砲一つさえも装備している気配が無い。
あの戦場に在っては一瞬たりとも生は許されないだろう。
しかし驚くべきことに、この程度の個体が"魔王"などと畏怖されている。
この程度の個体が――
なんと――なんと矮小な世界か…!
『ギッギッギッ…!』
余りにも矮小な敵と余りにも矮小な世界。
滑稽すぎて嗤ってしまった。
―――――――――『 解除完了まで15秒 』――――――――――
「宗主様…?」
振り上げた腕が止めたまま、宗主ヴリタラの動きが止まっていた。
大公達も王朝軍も事態を呑み込めず首を傾げた。
「減刑を…!
お、お願いします…!」
対峙するアキヒトからは今も嘆願が続いていた。
しかしヴリタラの腕は振り上げられたままだった。
無言で微動だにしない。
この時、イスターは仲間達に合図を出す準備をしていた。
一斉に法国騎士達から煙幕が打ち上げられ、アキヒトの救出が始まる。
その瞬間、魔導王朝と神聖法国は完全に決裂するであろう。
この大陸に500年前の戦いが再び始まるかもしれない。
―――――――――『 解除完了まで10秒 』――――――――――
「お願いします…!
ガーベラさんを…どうか御慈悲を…!」
アキヒトの嘆願と並行して、配下の2基が歓喜に打ち震えていた。
『ギャッギャッ…!』
『グギギッ…!』
僅か数秒後に迫った虐殺の宴。
蹂躙と暴虐を許可され、巨大な口元から牙を覗かせていた。
その時、突然ヴリタラの腕から光の剣が姿を消した。
振り上げていた腕も降ろされた。
―――――――――『 解除完了まで5秒 』――――――――――
「どうか…!
どうか、ガーベラさんを…!」
「――その願い、聞き届けよう」
アキヒトには確かに聞こえた。
観戦するしかなかった大公達や魔導王朝軍の将兵達にも。
「…何がどうなった?」
イスターの号令を発しようとしていた手が振り下ろされることは無かった。
最後のトドメを刺すべく腕を振り上げたと思いきや、動きが止まってしまった。
数秒後に光の剣が霧散し、腕を降ろすと攻撃の気配も消えた。
そしてアキヒトとアパルト級へ背を向けると、自陣の方へと戻っていく。
「宗主様、これは…」
キシーナ大公が近寄り、主君の顔色を伺った。
「あの少年の嘆願を、お聞き入れに…。
ガーベラめの極刑を取り止めになさるお積もりで…?」
「…不服か?」
「いえ、滅相も御座いません!
直ちに手配致します!」
宗主ヴリタラは普段と変わらぬ憮然とした表情であった。
高級武官達に恭しく出迎えられると、朝都インダラの方へと先に去っていった。
「…何が起こったのだ?」
大公達3人も顔を合わせるが全く理解できない。
一度敵対すれば、たとえ女子供だろうと容赦しない人物である。
古くから仕えているが、このような言動は初めてであった。
とはいえ、今は他にすべきことが有った。
ミヤザ大公が兵団の方へ向かい、アキヒト搭乗のダニーへ近寄った。
宗主ヴリタラの言葉を聞いた瞬間、緊張の糸が完全に切れたのであろう。
アキヒトは意識を失って寝息を立てていた。
「その少年も疲れておろう。
部屋を用意させる、付いてくるが良い」
「…何のつもりだ。
今まで戦っていた相手を信用できると思ってるのか?」
「安心するが良い、宗主様が嘆願を聞き入れて下さったのだ。
ここで少年に危害を与えては不敬に当たろう。
それにガーベラを救ってくれたのだ。
我々も感謝こそすれ、な…」
「あぁ…分かった。
コイツは俺達が運んでいくから先導は頼むぜ」
ミヤザ大公の後ろを付いてダニーが動き始めた。
「…お前達の主、大したものだな」
朝都インダラの中へ入ろうとした時、背後からシロが話しかけた。
「当然であろう。
お前達の魔獣も強かったかもしれぬが、相手をするには役不足だ。
あの御方に敵う者など、この世にはおらぬよ…」
「いや、そうじゃない…」
「何がだ?」
「お前達の主はな、見えてたんだよ。
理論上は見えないモノがハッキリとだ。
見えないお前達には何を言っても理解できないだろうがな…」
ミヤザ大公には、白く光る精霊に似た何かの言葉がよく分からなかった。
No.02 ----- -- ------
N0.03 ----- -- ------
No.04 ----- -- ------
兵団のユニットリストは平常に戻っていた。
3兵種の項目は依然として未表示。
一名を除けば誰にも気付かれることは無かった。
この日、アキヒトは国賓待遇で朝都インダラへと入城した。
宮殿に隣接する迎賓館に一室を用意された。
本来なら外交関係にある国家の首長等を迎え入れる施設である。
魔導王朝領への侵攻は揺るがない事実であった。
上層部から一端に至るまで混乱させたのも事実である。
だが、結果として王朝民には一名たりとも犠牲は出なかった。
交易路も都市にも損傷は皆無であり、王朝社会の損害は皆無に等しい。
そして何よりガーベラの助命を命懸けで宗主へ直々に嘆願し、それが叶えられた。
宗主ヴリタラが何者かを…しかも人間の少年を認めたのだ。
大陸では名を馳せていた大公8人でさえ、半ば諦めていたのに。
その感謝と敬意を表して、大公達からアキヒトは最大限に遇された。
「宗主様が温情を出されたと思うか?」
キシーナ大公がミヤザ大公とショウ大公へ問い掛けた。
「…分からん。
俺には500年前と変わらんように見えるが…或いは…」
「うむ…」
同じ戦場で同じ光景を見ていた2人にも見当が付かなかった。
王朝軍将兵はアキヒトの必死の嘆願が宗主様の御心に届いたのだと噂する。
周辺には非情の魔王と畏れられた人も、あのような少年を害するのは気が引けたのだと。
または少年と戦うのは誇り高き魔導王朝の主が自尊心を損なわれたとも。
実はガーベラの極刑は最初から取り止めにするつもりであったとも噂されていた。
少年の侵攻にかかわらず、今日にも減刑を命ずるつもりであったと。
「…そんなに甘い御方では無い」
間違いなくガーベラの極刑は執行される筈だった。
間違いなく少年は抹殺される筈だった。
だが、現実はそうならなかった。
結果として亡き功臣ヤールの一人娘の生命は救われた。
それは大公達にとって素直に喜ばしいことである。
魔導王朝の有望な若い才能を損なわずに済んだのだから。
そして少年の兵団は壊滅し、その無惨な姿は今もシャール平原に晒されている。
各国の密偵達はその光景を国許へ伝えに帰るだろう。
これで魔導王朝軍の威厳は守られた。
本腰を入れた魔導王朝の前には取るに足らない相手であったと報告されるであろう。
ケート山賊討伐で一時は名を挙げた敗残兵団も魔導王朝の敵ではなかったのだ。
けれども大公達は釈然としなかった。
全てが良い結末を迎えたにもかかわらず…。
次回 第60話 『 強者アキヒト 』




