第49話 『 詐欺師イスター 』
時は遡って10月5日午前。
ボーエン王国城塞都市内のパラス大教会。
敷地内司祭館の例の一室で、地区司教と司祭達が慌ただしく緊急会議を始めていた
「たった今、少年の兵団が魔導王朝領内へ攻め入ったと知らせが入った…」
司教や司祭達の面々は表情が重い。
敵対勢力である魔導王朝へ攻め込んだからと喜ぶ者は誰も居ない。
いずれはパラス神聖法国へと迎え入れる予定であった。
その後に準備を終え、隊列を組んで堂々と魔導王朝への侵攻を計画していた。
なのに少年は暴走して攻め込んでしまった。
いくら兵団が強力とはいえ、単独では魔導王朝の大軍に呑まれてしまうだろう。
「ですが我々、神聖法国にとって決して悪いことでは有りません。
あの少年の兵団と交戦すれば魔導王朝も相当の深手を負うでしょう。
できれば我々に与して欲しかったですが…」
誰もが少年の敗北を確信していた。
そして地区司教から非難に満ちた視線が騎士団長候補へと向けられた。
「イスター君、あの少年は止められなかったのかね?」
「ハッ!
決して不可能では有りませんでしたが、敢えて引き止めませんでした!」
「なに…?それはどういうことか」
「これまで少年は神聖法国とも魔導王朝とも距離を取り、中立を保ってきました!
ですが今、魔導王朝とは交戦して明確な敵対関係へと変わっています!
ならば少なくとも少年が魔導王朝へ迎え入れられることはありません!」
地区司教と司祭達が顔を見合わせ、小声で何かの言葉を交わした。
「…君の考えを聞きたい。続けたまえ」
「我々の目的は少年を神聖法国へ迎え入れることです!
現在、王朝領内で交戦状態に有りますが、いずれは何処かへ身を寄せねばなりません!
しかし魔導王朝と明確な敵対関係になった少年を迎え入れられる勢力は限られます!
つまり彼が生き残るには神聖法国へ与する以外に有りません!」
「ふむ…君の考えも分からないでもない。
我等神聖法国へ迎え入れるのが前提ならば、魔導王朝との敵対関係は寧ろ好ましい。
だが、少年の進撃をどうやって止めるというのだ?
知らせによれば暴走して、魔導王朝の奥へと突き進んでいるという。
あの兵団が我々の声に耳を貸し、おとなしく引き返すとは思えないのだが」
「それに関しましては心配ご無用です!
付きましては、これからお話する作戦の認可を!
それが成功すれば少年は直ぐにでも引き返し、神聖法国へ与するでしょう!」
「うむ、聞こうか」
「ハッ!小官の作戦ですが…!」
イスターが地区司教達へ得意気に説明する。
それを聞いていた背後の騎士2人は驚きを通り越し…呆れ果てて目を丸くした。
「…如何でしょうか?」
聞き入っていた地区司教の面々は静まり返って誰も声が出せない。
「我々、神聖法国にとっては有益ばかりと存じますが!」
「…出来るのかね?」
「ハッ!
既に新騎士団員の選抜は終わっております!
実質的な我等の初任務として出動する所存でした!」
「だが、それならなぜ早めに手を打たなかったのだ?
今から動いても少年の兵団は魔導王朝領の奥深くへと攻め込んでいるだろう。
そこから引き返すのは至難の業だと思うが?
一旦背中を見せれば魔導王朝とて追撃態勢に入るだろう」
「ハッ!魔導王朝の手を晒すため必要でした!」
「どういうことだね?」
「魔導王朝も決して愚かでは有りません!
これまで我々神聖法国の侵攻を想定した防衛網を構築しているでしょう!
そして今回の少年の兵団侵攻で、その防衛網を使わざるを得ません!
この情報が如何に重要かは説明するまでも無いでしょう!
即ち魔導王朝の手の内を知る絶好の機会です!
我々神聖法国が本格的に攻め込む際には必要不可欠な情報になるかと存じます!」
そして地区司教達へ微かに笑みを浮かべた。
「少年には神聖法国の為に最大限役立って貰います…!」
「…分かった。
君の作戦案可決の是非については協議しよう」
「いえ!最早時間が有りません!
事態は一刻を争うため、直ぐにでも状況を開始しなければ間に合いません!
でなければ作戦の成功をお約束できかねます!」
「そうは言うがね…」
「少年の兵団は既に魔導王朝軍と交戦しているでしょう!
ならば迷っている猶予など無いのです!
採択に時間を要した分だけ、神聖法国の利益を損ねているとお考えください!」
決めかねる司教に対し、司祭の一人が発言を求めた。
「司教様、今は彼の申す通り一刻の猶予を争う事態です。
少年が動き出している以上、我等も即刻対応すべきでは?」
更に別の司祭が手を挙げた。
「私もイスター君に一任すべきだと存じます。
ここは彼の手腕に神聖法国の命運を託すべきでは無いでしょうか?」
この城塞都市在住の中では司教に次ぐ地位の者達の意見である。
ならば首を縦に振らざるを得なかった。
「…分かった。
今は非常事態でもあり、君に全てを委ねよう」
「ハッ!御採択有難う御座います!」
"うわぁ…"
背後の騎士2人が地区司教に向けて憐れみの視線を向けていた。
会議終了後、通路に出て回りに人影が無くなると騎士達がイスターに疑問を投げかけた。
「なぁ、今度は何やったんだ?」
「何がだよ」
「あんな酷い作戦、あっさり採択されるのがおかしいんだよ!」
「非常事態だから即決したんだろ」
イスターは素知らぬ顔で受け答えしていた。
「特にあの司祭達、後押しするタイミングが絶妙すぎだぞ」
「お前、まさかあの2人を買収したんじゃ…」
「おいおい、人聞きの悪いことを言うなよ。
昨日、ほんの少しだけ声をかけただけだ」
騎士達の顔が引きつった。
「誰だって知られたくない事の一つや二つあるだろ?
それが聖職者たる司祭サマでもな」
心の底から司教達に同情してしまった。
対するイスターは思い通りに作戦案が採択され、その足取りは異様に軽かった。
会議直後、イスターは騎士団詰め所に新騎士団員を集合させた。
赴任したばかりの団員42名。
誰もが神聖法国の象徴たる白装束に身を包んでいたが、他の騎士とは気配が異なっていた。
「おう、何をさせるつもりだ?」
「こんな遠くまで呼び出しやがってよぉ」
全員がイスターの顔馴染みの騎士達であった。
髪は切り揃えておらず、顎には無精髭を生やしたままの者達も多い。
装束の胸元のボタンは留めておらず、身嗜みに煩い司祭達が見れば説教は確実であろう。
騎士団というよりはならず者の集まりという景観である。
前回の会議直後、司教からの許可を得てボーエン王国城塞都市にまで呼び寄せていた。
普段から素行が悪く上からは煙たがられていたが、腕だけは確かであった。
「なに、気楽な仕事だから肩の力を抜いてくれ。
これから魔導王朝へ遠足に行くだけだ」
「例の少年の兵団か?
お前が剣を教えてやっていたという…」
「そういうこった」
「だがよ、いくら俺達でも連れ戻せると思えねぇな。
噂では山みたいな魔獣を引き連れてるらしいじゃないか?」
「そうだな、俺も見たことは無いが凄まじいデカさらしい。
ここにいる俺達だけじゃ、そんな山みたいなのを止めることもできねぇよ」
「…何考えてんだ?どんな悪巧みしてるか知らんが」
「人聞きが悪いな、名案と言ってくれ」
全員に作戦内容を伝え、装備を支給した。
最初は2班に分けられ内訳は10名と32名。
10名はボーエン王国城塞都市へ残留、32名はイスターと共に魔導王朝へ侵入する。
「…昔から思っていたがお前、本当に頭悪いな」
「そんなに褒めんなよ」
続いて騎士団員達との打ち合わせ後に訪れたのはアキヒトの自宅だった。
「すみませんね、お呼び出しして」
「いや、それは構わないが…」
テーブルに着いているのはレスリーとドナ、傍らにはティアが立っていた。
昨日、アキヒトから別れを切り出され、イスターは1億1000万ソラを受け取った。
そして会話も程々にして直ぐに立ち去ってしまった。
イスターにも法国騎士としての立場があるだろうと皆は察した。
これ以上関わっては自身も不利益になると。
だから自分達と縁を切ったと考えていたので、この呼び出しは意外であった。
「君の立場上、私達とこうして顔を合わせるのは宜しくないと思ったのだが…」
「昨日は準備をするため急いで帰っただけですよ」
「準備?何のことだね」
「先生達を神聖法国へ受け入れる段取りを済ませていたんです」
アキヒト達と別れた後、イスターは遠い本国の故郷へ連絡をしていた。
兵団が王朝へ侵攻した今、レスリー達に報復で危害が加えられる可能性は低くない。
そこで神聖法国内へ亡命させるべく、その準備を整えさせていた。
「アコン山脈さえ越えれば魔導王朝も簡単には手出しできないですからね。
先生達は早目に荷物を纏めて出発する準備をしてください。
神聖法国までは俺の部下達が護衛しますから」
「…なぜそれを昨日言わなかったの?」
同席していたドナから厳しい目が向けられた。
「貴方から見捨てられたと思って、アキヒトは少し落ち込んでたわよ?」
「俺がアイツを見捨てる訳無いだろ。
これから俺がやることはな、誰も知らない方が上手く行く可能性が高いんだ」
「一体、何をするつもりなのよ…」
「さてな。
簡単に言ってしまえばアキヒトの支援さ。
まぁ、成功するよう祈っていてくれ」
すると傍に立っていたティアが訪ねてきた。
「もしや私もですか?」
「当たり前だ、お前を置いて行ったらアキヒトに怒られる」
「しかし私には母が…」
「それなら安心してくれ、必ず神聖法国へ無事に連れ出すと約束する。
今はお前だけでも法国へ避難するんだよ」
この地に在住する地区司教達にもレスリー達の亡命の話は通してあった。
名立たるアグワイヤ親子なら、神聖法国としても受け入れるのは喜ばしいことであった。
いずれアキヒトを引き入れるなら猶更である。
「しかしアキヒト君はどうするんだね?」
「アイツは自分が連れ戻しますよ」
「簡単に連れ戻せるとは思えないが…」
「いや、意外に簡単ですよ。
アレさえ成功すれば、今すぐにでもアキヒトは魔導王朝から引き上げるでしょうね」
「アレ…?」
「悪いですが、これから先は法国機密なんですよ。
とにかくレスリー先生達は出立の準備を済ませておいてください。
後は自分の部下達が上手くやってくれますんで」
連れてきた10人の神聖法国騎士達と顔合わせをさせた。
ドナが身嗜みに気を付けるよう口煩かったが、一応の信頼は得られたようだ。
そして同日夕刻
最後にイスターが足を運んだのはラーセン商会支店だった。
レスリー達と会った時の和やかな表情とは違い、明らかに不快な面持へと変わっていた。
店内に入るとすぐに受付嬢の方へと向かう。
「突然で悪いな、ケーダ・ラーセンに会いたい」
「申し訳有りませんが、どちら様でしょうか?」
「パラス神聖法国騎士団長を務めるイスター・アンデルが来たと伝えてくれ」
受付嬢が奥に消えて十秒も経たないうちに、応接室へと通された。
その数分後、扉が開くとラーセン商会の番頭が姿を現す。
「これはこれは…次期騎士団長のイスター様にお越し頂き、大変光栄で御座います」
「俺は来たくなかったんだがな」
「先程、騎士団長と知らされましたが、いつ第一候補から正式な団長に?」
「小せぇこと気にすんな。
後から名乗るか今から名乗るか、大して違いは無ぇだろ」
にこやかに出迎えたケーダとは対称的に、イスターの表情は終始険しい。
「それで本題だ。
ラーセン商会は顧客の機密を決して漏らさないらしいな」
「それは勿論で御座います」
「魔導王朝へ盾突くことになってもか?」
「はい、顧客優先で御座いますから」
「魔導王朝も顧客じゃないのかよ」
表情は益々厳しくなり、身を乗り出してケーダを睨み付けていた。
「本当は他の商会に依頼したかったが、魔導王朝はお前らの支店が多いらしいな。
そこ絡みの仕事なら、この商会が一番なんだろ?」
「仰る通りです」
「だが当然、魔導王朝との繋がりも大きいって訳だ。
大切な取引先なんだろ?
これから話す依頼なんだが、魔導王朝にとってかなり不利益な内容になる。
だから今のうちに駄目なら駄目と言え。
魔導王朝に義理立てして依頼を受けられないなら仕方無ぇよ。
依頼内容によっては受けられない可能性が有るなら今直ぐ断ってくれ。
今から他の商会を回ってくるからよ。
ついでに俺がここに来たことも忘れろ」
「依頼内容を聞いてからではお断りできないと?」
「そうだ。聞いたら絶対に受けて貰う、拒否は許さねえ」
「報酬金額も分からないでは検討すらできませんが」
「言い値で任せる。
何億ソラだろうが支払う用意はできている」
只ならぬ気配を察したケーダも真剣な眼差しへと変わった。
「ラーセン商会番頭としてお約束しましょう。
但し、事によっては相当な金額を提示することになりますが宜しいでしょうね?」
「あぁ、約束する」
「分かりました…それで当商会に何をお求めで?」
イスターは更に身を乗り出し、周囲を警戒すると声のトーンを落とした。
「…侵入経路と脱出経路を用意してくれ」
「と、申されますと?」
「目的は朝都インダラの何処かに幽閉されている飛び切り頭の悪い女騎士だ。
ソイツの居場所までの手引きをしてくれ。
お前達の商会なら、それくらいできるんだろ?」
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