第46話 『 絶望への挑戦 』
大陸歴996年10月4日
ボーエン王国城塞都市内のヴリタラ魔導王朝大使館。
先日まで就任していた全権大使スジャーンは母国へ帰還し、今は後任へと引き継がれていた。
特に何の変哲も無い一日の始まりの朝。
突然、大使館全ての窓に影が落ち、陽の光が塞がれた。
「キャアアア!」
女性職員の悲鳴が建物内に響き渡る。
キシキシ…!
キシキシ…!
窓の外には見たことも無い魔獣がひしめいていた。
大使館の回りを複数の魔獣達が取り囲み、建物の中を伺っているように見えた。
"危害は加えません!責任者の方は出てきてください!"
魔獣から発せられたのは少年の声だった。
"お願いします!責任者の方は速やかに出てきてください!"
窓の外の魔獣達に危害を加える気配は無かった。
施設内では最も地位の高い魔導王朝全権大使が他の館員達や守衛達と共に正面扉から出た。
「これは…」
大使館正面門に立っていたのは一人の少年。
黒い学生服で首に白いマフラーを巻き、右肩には白い光が灯っていた。
その左右には少年を中心にして、魔獣達が控えていた。
「貴方が魔導王朝大使館の責任者ですか?」
「そうだが…」
「僕は敗残兵団、兵団長アキヒトです!
今日はヴリタラ魔導王朝へ宣戦布告するためにやってきました!」
すると全権大使の前方の空間が裂けて開き、そこから金貨の入った袋が地面に落ちた。
「これは先日お預かりした1億2000万ソラです!
確かにお返ししました!
兵団は明日、ケート山岳地帯から西進して魔導王朝領内へと侵攻します!
総戦力は大型1基を含む各種機動兵器47基!
最終攻撃目標は朝都インダラ!
本国への通達を宜しくお願いします!」
言葉が終わると少年は背を向け、大使館を後にして立ち去ろうとした。
「ま、待ちたまえ!」
呼び止めたのは就任したばかりの全権大使だった。
「スジャーン様から事情は聞いている!
君はガーベラ様を…!
ガーベラ様を助けに行くつもりなのだな!?」
その言葉にアキヒトは背を向けたまま立ち止まった。
「馬鹿な真似は止すんだ!
そもそも君が一人動いて何になる!?
いくら兵団が強力でも、魔導王朝全体を相手に勝てると思っているのか!」
無言の背中に向けて全権大使の説得が続く。
「ガーベラ様のことは諦めるんだ!
これは…これは本当に仕方の無いことなんだよ!
誰の責任でも無い、勿論君の責任でも無い!
これは魔導王朝の体質の…この世界全体の構造が原因なんだ!」
アキヒトは空を見上げた。
透き通るような紺碧の空と白い雲が広がっている。
「今、ここで君が無駄死にするのをガーベラ様が望むとでも!?
あの御方は、そんな事を望んでおらん!
全ては魔導王朝を救うため…!
いや、この世界全てを救うためにガーベラ様は犠牲になられたのだよ!
この世界のために…!」
おそらくは年長者として少年を説き伏せようとしているのだろう。
魔族としてでも魔導王朝の全権大使としてでもない。
一人の大人として死地へと赴く少年の身を案じていた。
するとアキヒトは僅かに振り向き、心有る年長者へ言葉を返した。
「すみません…僕にとっては世界と同じくらい大切な恩人なんです」
頭を下げ、短く礼を述べる。
「お気遣い、有難う御座います…」
翻してアキヒトは再び歩き始めた。
大人達はそれ以上、少年に何も言葉をかけられなかった。
異形の魔獣達を引き連れ、その背中が遠ざかっていく。
少年が振り返ることは2度と無かった。
アキヒトは親しい人々を自宅へと呼び寄せていた。
案内人のアヤ・エルミート、ディオーナ・アグワイヤ、ティア・エルミート。
後見人のレスリー・アグワイヤ。
剣の指導担当のイスター・アンデル。
5人を前にして告げた。
「たった今、僕はヴリタラ魔導王朝に宣戦布告をしてきました。
明日にはケート山岳から西に進んで攻め込みます」
おそらく、ある程度は予測していたのであろう。
アキヒトの言葉に驚いた表情をする者は居なかった。
「ですから、今日限りで皆さんとはお別れです。
今まで本当にお世話になりました…」
イスターの目の前の空間が裂け、金貨の入った袋がテーブルの上に落ちる。
「これは神聖法国にお返しします。
魔導王朝と敵対する僕が持っていてはご迷惑ですから」
積み上げられた袋を、イスターは何の感慨も無く見つめていた。
するとアヤが一人動き、アキヒトの前に立ち塞がった。
バシッ!
腕を振り上げると、張り手で少年の頬を引っ叩いた。
「今更、簡単にお別れできると思ってるの!?
あれだけ苦労して大勢に迷惑かけて、私を案内人にしておいて…!」
「アヤ姉…」
「良いわ、行ってらっしゃい!
また大勢の人達に迷惑をかけてきなさい!
その後で一緒に謝ってあげるから…!
政治家だろうが…商人だろうが…軍人だろうが…
世界中の人達が許してくれなくても…
許してくれるまで一緒に頭を下げてあげるから…
だから…
だから……また…」
途中から言葉にならなかった。
アヤはアキヒトに寄りかかると胸に顔を埋め…声を出して泣き始めた。
2人を見ていたドナは少しだけ息をつき…僅かに笑みを漏らした。
「お父様、ごめんなさい…。
アグワイヤの家は私の代で終わりになりそうよ」
「好きにしなさい。
私もお前と同じ考えだからね」
親子に取り乱した様子は全く無かった。
アキヒトの告白を2人は平然と受け止めていた。
「ま、待ってください!
僕なんかとは縁を切っておかなければ、魔導王朝から…!」
「そこのアヤと同じよ。
私も一度案内人になると決めた以上、簡単に曲げる訳にはいかないの」
「そんなことを言ってる場合じゃ…」
バンッ!
ドナはテーブルを強く叩き、アキヒトの言葉を遮った。
「…分かったわ!
そんなに縁を切って欲しいのなら返す物を返してからにしなさい!
銀鉱山とお屋敷!
今すぐ返してくれるなら縁を切ってあげるわよ!
さぁ、返しなさいよ!」
「え…それは…その…」
「それすら返せないくせに生意気言うのは止めなさい!
この私はね、アキヒトに心配される程落ちぶれちゃいないのよ!?」
「クク…!」
ドナの啖呵に、思わずシロも笑ってしまっていた。
同じく娘の啖呵に笑っていたレスリーが、アキヒトへ問い掛けた。
「ガーベラさんを助けに行くんだね?」
「…はい」
「では、行ってくると良い」
「すみません、またご迷惑をかけることに…」
「そんなことは気にしなくて良いさ。
ただ、自分の命を何より大切にすると…
何が有ろうと生きて帰ってくると約束して欲しい」
「ごめんなさい、レスリーさん。
その約束は…今回は相手が相手ですから…」
「約束を守れるかどうかは、君の意志の強さ次第だ。
今、ここにいる皆に約束しなさい。
生きて必ず帰ってくると…。
でなければ、私は君を行かせる訳にはいかない…!」
普段は温厚な紳士のレスリーが、真剣な眼差しでアキヒトを見ていた。
その眼光に一瞬尻込みしたが、すぐに心を決めた。
「…分かりました、必ず帰ってきます!」
「そう、必ず帰ってくるように…!」
レスリーが激励の言葉をかけると、次にティアの方へと向いた。
「君は遠くへ逃げると良い。
できれば神聖法国へ…そこなら魔導王朝の手も届かないだろう。
旅費や当座の資金も少しばかりは出せるから、それを持って…」
「ふふ…レスリー様も何を仰ってるのですか?
今更、私になど他に行く場所なんて何処にも有りませんよ。
しかも母は病床の身…遠方へなど身体を動かせません…」
普段通りの笑みをティアは見せていた。
「アキヒトさん、私が逃げなくても良い方法が一つだけあります。
いえ、私だけじゃなくアヤさんもレスリー様もドナさんも…。
それは何だか分かります?」
「え、えぇっと…」
「ヴリタラ魔導王朝に勝てば良いんです…」
そう自信を持って言うと、ティアはアキヒトの前に歩み寄った。
「勝てばガーベラさんも救えますし、ここにいる全員も助かります。
私の申し上げていることは間違ってます?」
「い、いえ…その通りですけど…」
「それでは、このティアのお願いを聞いて頂けないですか?
必ず勝利して此処に帰ってくると…」
「や、約束なら、さっきレスリーさんとしましたよ…」
「いえ、レスリー様ではなく私との…このティアとの約束です」
徐々に近づくティアの顔に、アキヒトが思わず後退っていた。
「いずれは妾になるティアのお願いは聞いて頂けませんか?」
「え…妾って何です?」
「アキヒトさんのハーレムの一員という意味です」
「じょ…冗談は止めてください、こんな時に!」
「冗談では有りません…それともティアの事はお嫌いでした?」
「き、嫌いなわけないですよ…」
「では、こうしましょうか?
アキヒトさんが魔導王朝に勝利して凱旋した暁には、妾になると約束致します。
その時はどうか、このティアを可愛がってくださいませ…」
ガンッ!
アキヒトの脳天にアヤの拳が振り落されていた。
「ったぁ……」
「ティ…ティア先輩も、冗談は程ほどにお願いします!
こ、この馬鹿が本気にするじゃないですか!」
さっきまでの涙を拭いながらも、アヤが抗議していた。
「ふふ、ですから私は冗談では無いのですが…。
アキヒトさん、約束しましたからね?」
「は…はぁ…」
脳天の痛みに耐えながら、アキヒトは返事した。
「……なぁ、アキヒト」
テーブルの金貨袋を前にしながら、イスターが厳しい表情を見せていた。
「お前、本当に魔導王朝に戦いを挑む気か?」
「…はい」
「それがどんな意味か分かってんのか?」
今のイスターに普段の軽薄な気配は全く無かった。
「この大陸の3分の1の大勢力だぞ?
総兵力は100万近く、今も亜人相手に戦いを続けている歴戦の勇者の集まりだ。
特に大公と呼ばれる連中は一国の軍隊にも匹敵する強さらしい。
それが8人も揃ってんだぞ?
しかも…一番恐ろしいのは魔王ヴリタラだ」
「はい、分かっています…」
「分かっちゃいねぇよ!
パラス神聖法国はな、500年前の決戦で負けた!
しかし、それは魔導王朝に負けたんじゃない!
ヴリタラ個人の強さに負けたんだ!
パラス神聖法国全軍でも、ヴリタラ一人には勝てなかったんだよ!
だからアコン山脈の要害に頼るしか無かった!
あれは魔導王朝軍を防ぐために造られたんじゃない…!
魔王ヴリタラを恐れて造られた要塞なんだよ!」
この世界の者なら誰もが知っているアコン山脈の大要塞。
その規模の大きさが、魔導王朝への…ヴリタラへの恐れを具現化していた。
「この500年間、今だって要塞の改修が続けられている…!
その意味をよく考えてみろ!」
イスターの言い分が正しいことをアキヒトは十分に理解していた。
どれだけ困難な相手かということも。
けれども決心が変わることは無かった。
「ごめんなさい、イスターさん。
それでも僕は行きます…行かなくてはならないんです」
「…そうか」
素っ気なく言うと、イスターはテーブルの上の金貨袋を持ち上げた。
「じゃあな、俺は行くよ」
「待ってください!」
扉を開けて出て行こうとする後ろ姿をアキヒトは呼び止めた。
「有難うございます、イスターさん…!
今までお世話になりました!」
「あぁ…頑張れよ」
最後に一言だけ残すと、イスターは出て行った。
「案外、情に薄い男だったわね。
もしかしたらと思ったけど…」
「仕方ないさ、彼だって法国での立場がある」
ドナとレスリーの会話通りだった。
アキヒト自身もイスターは味方になってくれるかもと期待してしまった。
だが、本人の立場を考えると決して無理強いできなかった。
この日の夕方に訪れたのはラーセン商会の支店だった。
ボーエン王国城塞都市の商業地区の中に、一際目立つ巨大な建築物。
3大商会の呼び名は伊達ではなく、その隆盛を物語っていた。
アキヒトは入店し、受付の女性に話しかけた。
「すみません、ケーダ・ラーセンさんにお会いしたいのですが」
「えっと…どちら様でしょうか?」
「アキヒト・シロハラと申します。
お借りした2000万ソラについてお話に来たと伝えて頂けますか?」
「あのね、キミ。ここは遊び場じゃ無いんだから…」
大陸でも名立たる商会である。
見知らぬ13歳の少年が相手にされないのも無理は無かった。
「…シロ、頼むよ」
「了解だ」
…ッ!
突然の地響き。
音の方をすると支店の外に魔獣の姿が見えた。
「僕は敗残兵団、兵団長のアキヒトです。
遊びに来たわけではありません。
ケーダさんにお借りした2000万ソラの話に来たと伝えてください」
驚き声を失った受付嬢は、慌てて支店の奥へと入っていった。
「やぁ、お待たせして済まなかったね」
「いえ、こちらこそ突然押しかけてすみませんでした」
5分後に通されたのは支店内の応接室。
先程の受付嬢がテーブルの上に2人分の紅茶のカップを置いて退室した。
「それで、今日は何の御用で?」
「お借りした2000万ソラですが、おそらくお返しできないかと思います。
先日は大言を吐いて約束したのに申し訳有りません…。
それで一応お詫びだけでもと思い、今日は此処に伺いました」
「返せない理由くらい聞いても良いよね?」
「…明日、僕は魔導王朝に攻め込みます。
ですからお返しできないかと…」
「ガーベラ様を助けにかい?」
「…はい。
すみません、ケーダさん…おそらく僕は生きて還ってこれないと思います。
本当にすみません、折角貸して頂いたのに…」
「ふむ…」
ケーダは頬杖をつきながら、落胆した様子も無くアキヒトと向かい合っていた。
「では、僕は行きます。
ケーダさんもお元気で…」
「…待ちたまえ」
立ち上がり、退室しようとしたアキヒトをケーダは呼び止めた。
「少しだけ時間を貰えるかい?
……うん…そうだね……うむ……」
呼び止めたまま、ケーダは何か思案に暮れていた。
腕を組んで頭を捻り…頭の中で様々な計算と思考を繰り返していた。
「…よし、決めた!」
「何がです?」
「アキヒト…我がラーセン商会からの投資を受けてくれるかい?」
「え…今の僕に投資ですか」
「そう、ラーセン商会からアキヒトに投資だ」
「2000万ソラすら返してもいないのに…」
「それは君が気にすることじゃないさ」
「それに今の僕達は、そこまでお金も必要で無いですから…」
「金子じゃない、別の物を君達に投資したいんだ。
但し、絶対に守って欲しい条件付きでね」
「…何でしょうか、一体?」
「それはね――…」
大陸歴996年10月5日早朝
ボーエン王国城塞都市の城門を出た場所で、アキヒトは見送りを受けていた。
「くれぐれも気を付けて行ってくるんだよ」
「はい!」
父代わりの後見人レスリーに肩を叩かれていた。
「頭が悪いのは今更だから何も言うこと無いわ。
但し、途中で投げ出すんじゃないわよ?
最後の最後まで頭が悪いまま突っ走りなさい!」
「はは…分かりました」
悪態混じりの激励がドナから向けられた。
「ご自宅のことは私にお任せください。
いつ、アキヒトさんが戻ってきても良いようにしておきますから」
「ありがとうございます!」
「それで帰ってきたらこのティアを妾にして頂く約束、守ってくださいね?」
「え、えぇっと…そんな約束無くても僕は帰ってきますから…」
「約束は約束ですから」
冗談なのか本気なのか分からないティアの笑みに、アキヒトはたじろいでいた。
「アキヒト…」
最後に声をかけたのはアヤだった。
「行ってくるよ、アヤ姉も元気でね」
「その前に…これを持っていきなさい」
アヤが持っていたのは白いマフラーだった。
昨日、強引にアヤに持っていかれていた。
ほつれや汚れが無いか調べていてくれたらしい。
一見すると今までと同じだが、首に巻いてアキヒトは気付いた。
「あれ…模様が入っているよ?」
◯
白いマフラーの生地に、大きな丸印が一つ。
「刺繍しておいたのよ。
この前、山賊討伐に成功したでしょ?
その勝利記念に丸を一つね」
「じゃあ、魔導王朝に勝ったら…」
「そう、次は2つ目の丸を刺繍してあげる。
だから必ず勝って帰ってきなさい…」
「…うん!」
眼の前のマフラーを巻いてくれたアヤに…アキヒトは腕を回して抱きついた。
「あ…アキヒト…!?」
「僕、帰ってくるよ、必ず…!
絶対に生きて帰ってくるから…!アヤ姉も待っていてね…!」
いつしかアヤも抱き返していた。
クダニ級小型機動兵器10基に見守られ、兵団長が最後の別れを惜しんでいた。
「では、行ってきます!」
ダニーに乗り込み、アキヒトは皆に手を振った。
親しい人達もまた手を振り返してくれた。
キャノピーが閉まるとダニーが疾走を始めて、クダニ達がその後に続く。
小型機動兵器達が速度を更に上げ、広大な平原を駆け抜けていった。
「これよりヴリタラ魔導王朝攻略を開始する!
最終攻撃目標は朝都インダラ!」
*************************************
第2戦
『 ヴリタラ魔導王朝攻略 』
敵戦力構成
宗主 ヴリタラ
大公 イナト
キシーナ
イアラ
ラーキ
カーリュ
グーニ
ヤミザ
ショウ
朝都所属 21軍団
32騎士団
地方配備 54守備軍
総兵力 94万余名
難易度
☆☆☆
*************************************
白いマフラーを風になびかせながら、兵団長アキヒトが号令をかけた。
「敗残兵団、発進!」
"斥候より情報伝達!"
"ケート山岳地帯より敗残兵団に動き有り!"
"西進しトスカー共和国との国境線を突破!"
"王朝領内への侵入を確認!"
"国境守備軍は直ちに迎撃体制に入れ!"
"これは演習では無い!"
"繰り返す!これは演習では無い!"
次回 第47話 『 投資の条件 』




