第45話 『 彼女が遺した最期の言葉 』
大陸歴996年10月2日
この日、僕は魔導王朝全権大使であるスジャーンさんの訪問を受けた。
同席するためにレスリーさんも大学の勤務を休んで駆けつけてくれていた。
顔を合わせた瞬間、2人の重々しい表情から並々ならぬ深刻な事情を察した。
ティアさんが紅茶を3人分淹れてくれた後、スジャーンさんが話を聞かせてくれた。
「今…なんと仰ったんですか?」
僕はもう一度聞き返さずにはいられなかった。
「だからガーベラに…極刑が下されたよ…。
宗主自らの決定らしい…」
「極刑って…それって…」
「そう、死刑だ。
執行は10日後、朝都インダラでおこなわれる…」
「な――なぜなんですか!
なぜガーベラさんが死刑に…!?」
全く訳が分からなかった。
思わず立ち上がり、スジャーンさんに迫って問い詰めてしまった。
「宗主様に逆らってしまったからだよ。
魔導王朝の臣下であるにもかかわらず御命令を拒んでしまった…。」
「命令って…何を命令されたんです?」
「それは王朝の誰もが知っていることだ…。
だからここで黙っていても、いずれ君の耳に入るだろうから話しておこう。
ガーベラはね…アキヒト殿を魔導王朝へ引き込むよう命令されたのだよ。
宗主様から直々にね…」
「え…僕を…ですか?」
スジャーンさんは重々しい表情のまま、首を縦に振った。
「以前からもね、大公殿下からアキヒト殿と会談させるよう求められていた。
しかし、あの子は理由を付けてそれを拒んでいた。
なぜなら会談が実現した場合、神族と抜き差しならぬ事態になるからだ。
君を魔導王朝に取られまいと神族が亡きものにする可能性は高い。
それを恐れていたのだよ…」
「ぼ、僕なら大丈夫です!
シロや兵団も居ますから身の安全に自信はあります!
それより、僕が魔導王朝に行けばガーベラさんは助かるんですよね?
スジャーンさん、お願いします!
今直ぐ本国へ連絡して、僕が魔導王朝の一員になると伝えてください!
そうすればガーベラさんの死刑も撤回されるんじゃ!?」
「ダメだ!それだけは絶対に避けねばならん!」
「な、なぜですか!?
このままではガーベラさんが…!」
「宗主様が仰っている…。
アキヒト殿を魔導王朝へ迎え次第、兵を興してアコン山脈の要塞へ攻め入ると…!
君の兵団の力なら神族の要塞をも突破できるであろう。
その後に神聖法国領内へ攻め込み、今度こそ大陸統一を成し遂げる気であられる」
「僕の兵団を使って…」
「そう、そうなんだよ。
この世界の現状に通じていれば分かるが、今は神族と争っている場合では無い。
いや、魔導王朝から開戦した場合、大陸平原同盟までもが敵対する可能性が非常に高い。
そうなれば500年前の大乱の再開だ。
しかも"黒い月"の脅威も迫っているという、この情勢でだ。
だから今は決して戦いなど起こしてはならんのだ…」
「じゃあ…ガーベラさんはどうなるんです?」
スジャーンさんは何も答えてくれない。
いや、答えられないのが分かっていたけど、聞かずにはいられなかった。
「ガーベラさんはどうなるんです!?
このままじゃ…!
このままじゃ、ガーベラさんが…!」
「アキヒト殿も分かって欲しい…!
これも仕方ないのだ…!
世界を…今の世界の平和を守るために…!」
肩を震わせてスジャーンさんも言葉を噛み締めていた。
「だからアキヒト殿も耐えて欲しい…!
たとえガーベラが処刑されようとも、今は動かずに耐えて欲しいのだ!
兵団を動かしてはならない!
何とかこのままの情勢を維持し続けて欲しい…!」
「け、けれど…!」
「なに…まだガーベラの処刑が決まった訳ではない。
ワシも宗主様に御決定を変えて頂くよう、直接申し立てるつもりだ。
明日にでも出立して、到着次第お目通りを願うつもりだから…」
そんなスジャーンさんの重い表情を見て、何かを察したらしくシロが口を開いた。
「アンタ…死ぬつもりだな?」
「…分かるかね」
「まぁな、そんな気がした」
シロの指摘に少し驚いたようだが、意を決して話してくれた。
「この老骨の生命一つと引き換えに、あの子が助かるなら安いものだ。
もしかしたら宗主様もお聞き届けくださるかもしれん…」
「そ、そんな!スジャーンさんまで…!」
「いや、どちらにしろあの子に刑が下されたら、私に生きる資格など無い。
死の間際の父親から頼まれたのに不甲斐ないことだよ。
どんな顔をして陽の下を歩けると思う?
道連れが私じゃ嫌がるかもしれんが、一人で逝かせる訳にはいくまい…」
「そんな…」
「どちらにしろ、私はもう生きていられないだろう。
アキヒト殿と話をするのも今日が最後だ…」
スジャーンさんの静かな眼光から死を覚悟しているのが分かった。
魔導王朝の臣としてではなく、亡き親友の娘を助ける為に最後の仕事をしようとしていた。
そしてスジャーンさんはレスリーさんの方を向いた。
「レスリー卿、後は宜しく頼みますぞ。
アキヒト殿が今は耐えるべき時期であるのを、貴方ならご理解されている筈だ。
小事の為に大事を見失わぬよう、くれぐれもご指導願います」
「承知致しました…」
この人が魔導王朝へ…母国へ帰ったら間違い無く死ぬであろう。
けれども僕には何の止める手立ても無かった。
「アキヒト殿を見た時からね、ずっと思ってたことがあったよ。
ようやくガーベラにも頼れる仲間が現れたのかとね…」
「い、いえ…あの時の僕なんて…」
「今と何が違うんだい?」
「今の僕には兵団の力があります。
けれども、あの時の僕なんて何の力も無い…」
「だからガーベラは言わなかったかね?
何の見込みも無い者に指導するほど暇でも無いとか…。
あの時と今のアキヒト殿は何も変わっておらんよ。
多少、頼もしくなったかもしれないがね」
スジャーンさんはとても楽しそうに笑っていた。
「いつかね、ガーベラの傍には頼れる味方をと思っていた。
この老いぼれが朽ち果てる前に、そんな御仁が現れるのを願っていたよ。
はは…年甲斐も無く夢を見てしまったね。
ラーキ大公殿下の配下序列1位となったガーベラの傍にはアキヒト殿がいて…。
魔導王朝の為に働く2人の姿を…。
それを土産話にしてあの世に逝きたかった…」
とても楽しそうに話してくれるのが、逆にとても悲しく思えた。
「…そうだ、ガーベラから言葉を預かってきたよ。
アキヒト殿に伝えて欲しいそうだ」
「なんて…ですか?」
「"世界を救って欲しい"…と」
「世界を…僕なんかがですか…?」
「そう、アキヒト殿がだ。
それには私も非常に期待している。
もう私は見ることも無いが…3年後の"黒い月"との健闘を祈っているよ」
魔導王朝全権大使スジャーンさんは母国への帰途に就いた。
最期の最期まで自分の命と引き換えにしてもガーベラさんを救うためだった。
この日以降、レスリーさん経由で魔導王朝の内情が伝わってきた。
ガーベラさんの極刑が通達されてから今も混乱は続いている。
亡き父縁故の者達は勿論、中央から地方領主まで続々と朝都へ嘆願に訪れているという。
その多くは今の大陸の現状を理由に訴えた。
"黒い月"が出現した今、有能な人材を失うのは王朝にとって多大な損失である、と。
当然、大公達も代わる代わる宗主ヴリタラへと奏上しているが聞き入れられない。
しかし、これは多くの者達が予想していたことであった。
魔導王朝の歴史を紐解けば、8大公が奏上した記録は幾つも残っている。
だが、こうした極刑の取り消しや減刑が認められた例は一つも無い。
魔導王朝の規律を守るため、宗主自身も厳しくせざるを得ないのだろう。
また、ガーベラという多大な犠牲を払ったが、神聖法国との開戦は避けられた。
少年の兵団という手段を得られない以上、アコン山脈を越える手立ては無い。
世界の現状を知る者達は仕方ない犠牲として受け入れようとしている。
魔導王朝は一人の有望な人材を失う代わりに、無用な戦いを回避できたのだと…。
一人、僕は練兵場に来ていた。
正確には右肩にシロも連れているけど。
今の僕は兵団の力を手に入れ、多くの人達が集まるようになっていた。
この世界に入ってきた時を思えば嘘のようだ。
あの日も僕は一人、この練兵場で木剣を振るっていた。
離れた所では勇者候補の先輩達に、多くの人達が期待を寄せて指導していた。
自分は召喚に巻き込まれただけのオマケだった。
だから自分なんかに声をかける人は居ないと思っていた。
"お前も訓練しているのだな"
だからガーベラさんに声をかけられた時は意外だった。
そして剣の指導をしてくれると言った時はとても驚いた。
最初は何かの気紛れかもと思った。
2,3日もすれば忘れるかと。
けれどもガーベラさんは根気強く指導を続けてくれた。
剣の才能なんて何も無い僕に…。
「ここに居たんだ…」
練兵場の端にあった切り株に腰かけていると、アヤ姉が声をかけてきた。
「気持ちは分かるけど…分かるんだけど…」
多分、元気の無い僕を心配してくれているのだろう。
何を話して良いのか分からないけど、何か言わなければならないと。
「…ガーベラさんはね、とても優しい人なんだよ」
自然に口が開いてた。
「何の取り得も無かった僕を、ガーベラさんはいつも気にかけてくれた。
挫けそうになった時は、いつも僕を励ましてくれた。
何度も何度も…僕を励ましてくれたんだ…」
「アキヒト…」
「スジャーンさんだって、とても良い人なんだ…。
やっぱり取り得の無い僕に、なぜか期待してくれていた…」
2人の優しさを思い出すと、自然に涙が出てきた。
一番自分が苦しかった時に励ましてくれた人達。
そんな2人と、これから二度と会えないことが哀しかった。
そして何の恩返しもできない自分が腹立たしかった。
「…」
無言でアヤ姉が背後に屈みこみ、両腕を回して僕を抱きしめてくれた。
「う…ぁ…ありがとう…アヤ姉…」
アヤ姉の腕が暖かかった。
練兵場の隅で僕は嗚咽しながら涙を流し続けた。
灯りもつけず僕は一人で暗い部屋に佇んでいた。
ベッドの上で膝を抱えて何をするでもなく、考えるでもなく沈んでいた。
カチャ…
扉が開いて光が差し込む
「アキヒトさん、お食事を…」
「すみません、食べたくないです」
「そんな、何か食べないと身体に…」
「いえ、本当に良いんです…本当に…今は何も…」
顔を伏せている僕には見えない。
おそらくティアさんは不安な表情を浮かべているのだろう。
カチャ…
扉が閉められ、一階へと降りていく足音が聞こえた。
それから何時間経ったのだろう…。
何の物音も無い真っ暗闇の中
「なぁ、アキヒト…」
右肩のシロが話を始めた。
「今まで俺を見てきたなら分かると思うけどよ…。
俺ってさ、馬鹿にされたら仕返ししないと気が済まねえんだよ」
無言の僕に構わず話を続ける。
「そうさ、ムカつく奴には絶対に仕返ししないと気が済まねえ。
だが借りを作った奴に返さないのも同じく…いや、それ以上に気が済まねえよ」
僕は少しだけ顔を上げた。
「まだ俺が話もできなかった頃…そう、お前に召喚されて間も無い時だ。
あの女と初めて会った時のことを俺は覚えているぞ。
アキヒトは覚えてないか?」
「お…おぼえてるよ」
「最初にお前と契約させられた時、その経路の線が捻じれていた。
そのせいでお前からの力が十分に伝わらず、俺の身体は弱っていたんだ。
あの女、それを一目で見抜きやがった。
上手く経路の線を直してくれたお陰で随分楽になったのを覚えているぜ」
そしてシロの光が増した。
「あの時の借りを返したい…!」
「シロ…」
「しかし兵団の指揮権はお前にあるから、これ以上俺には何も言えない。
どう動くかはお前次第だからな。
ただな、これだけは言わせてくれ。
もう一度言うが、お前が動かないのなら俺はそれに従うだけだ。
だが、俺を動けない理由にするなら筋違いだぜ?
もしもだ、俺を…兵団の安否を気遣って動けないって言うならお前を許せねぇ…!
お前に俺のダチ公の資格は無ぇ!」
そう…シロは怒っていた。
「ダチ公は生きるも死ぬも一緒なんだろ…?
だったらアキヒトには何処までも付き合ってやる!
あぁ、地獄だろうと何だろうとな!」
そして一際強く輝き、僕に言い放った。
「ダチ公に遠慮すんじゃねぇよ!」
その言葉に、僕は何も言わずベッドから降りて立ち上がった。
「シロ…悪いね」
「謝るんじゃねぇ!
ダチ公同士に礼なんざ不要だ!」
「はは、そうだね」
少し笑って気が楽になると、大きく深呼吸して僕は扉を開けた。
部屋の中へ光が差す。
僕は1階へと降りて行った。
「…あれ?ティアさん、まだいたんですか?」
「はい、アキヒトさんのお食事がまだ済んでませんから」
普段ならもう帰っていてもおかしくない時間なのに。
「今から温め直しますから、少し待ってくださいね」
「すみません…。
けど、僕がずっと降りてこなかったらどうしたんです?」
「そんなことは有りません。
アキヒトさんなら直ぐに出てくると信じてましたから…」
台所でティアさんが鍋に火をかけ始めていた。
「…ティアさんは僕を買い被り過ぎですよ」
「いいえ、決してそんなことは有りません。
私、こう見えても人を見る目はしっかり持っているんですよ?」
なぜだろう…とてもティアさんが楽しそうに…とても喜んでいるように見えた。
「直ぐに食べ終わりますので、待っていてください。
遅いですから家まで送っていきますよ」
「いえ、気になさらなくても良いですよ。
そんなに遠くでも有りませんし」
「ダメですよ!ティアさんに何かあったら大変じゃないですか!」
「ふふ…では、お願いできます?
アキヒトさん、少し勇ましくなられましたね」
その時の僕は立ち上がると胸を張り、ティアさんに力強く言い切った。
「当たり前ですよ!
だって僕は男なんですから!」
さっきまで顔を伏せっていた僕とは違う。
なぜなら今の僕は決意したのだから。
どんな困難が待ち受けていようと、決して立ち止まらないと決めたのだから。
「ごめんなさい、ガーベラさん、スジャーンさん…。
言い付けを破ったお説教はあの世で聞きますから…」
僕は最も過酷な道を選ぼうとしていた。
「兵団の稼働状況は?」
「全基いつでも行ける」
「悪いね」
「だから謝んなって」
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