第42話 『 2人の違い 』
ボーエン王国城塞都市内のパラス大教会。
その司祭館の一室で、再び地区司教達を前にしたイスターの会談が始まっていた。
「先日は満足の行く結果を上げることができず、誠に申し訳ありませんでした!」
「いや、そんな事は無い。寧ろ良くやったと言わせて貰おう…」
陳謝するイスターに対し、地区司教達の面々の表情は決して悪くなかった。
「我々が用意した1億1000万ソラに対し、魔導王朝は1億2000万ソラ。
そこで君の機転が有ればこそ、何とか互角の状況にまで持ち込めたのだ。
まさか、法王猊下から賜った剣をその場面で使用するとはな…。
金額の多寡で、我々が魔導王朝側に一歩譲る可能性は高かった。
僅か1000万ソラだがな。
しかし結果として少年達に受け取らせたことで、今の状況は互角に持ち込めたと言えよう」
「いえ、正確には互角に近い状況かと!
僅か1000万ソラですが、魔導王朝側に一歩先を越された感は否めません!
我々は油断することなく気を引き締めるべきです!
現状は決して楽観視できません!」
「うむ、その通りだ!
しかし、まだ十分に挽回可能な状況である!
その意気で引き続き任務に当たって貰いたい!」
「ハッ!了解であります!」
「私個人としても本当に嬉しいよ。
あの"900年代最後の神童"が国難を前に目を覚ましてくれたのだからね。
今のイスター君の法国騎士としての振る舞いは紛れもなく本物だ。
まさにパラス神聖法国全ての騎士の模範に相応しい…!」
イスターの背後に居た仲間の騎士2人が何か言いたげに顔を見合わせた。
「叔父上のトーク枢機卿もいたくお喜びであろう。
これならば法議院のみならず法王猊下からの御期待にも必ず添えられよう…。
私個人からも君の働きを詳細に連絡し、新騎士団長就任へ強く推薦しておく。
君は本当に天童かもしれぬな…!
神聖法国の危機を救うべくパラスの神々が遣わした天の使いかもしれぬ!」
後ろの騎士2人は呆れて開いた口が塞がらなかった。
「私のような者に、そこまでの御期待…誠に有難う御座います!
必ずやパラス神聖法国に栄光を!」
「うむ、期待している!
イスター・アンデルの前途にパラスの神々の祝福があらんことを!」
地区司教、司教補佐等の一同から祝福を受け、イスター達は退室した。
「俺さ、あの司教達に同情するよ」
「俺もだ、なんか可哀相になってきた」
2人の騎士は心情的には極めてイスター寄りなのだが、それでも僅かながら罪悪感は有った。
「良いんだよ、どうせ騎士団長なんて候補以上になるつもり無ぇしな」
「お前、本当に酷いな」
「騎士というよりペテン師じゃないか…」
表向きは少年の懐柔に全力を尽くしていた。
正確には少年の懐柔に全力を尽くしているよう全力で見せかけていた。
「あと4年、アキヒトを全力で引き込む芝居をしないとな。
なぁに、騙すのが上の連中なら罪悪感も少なくて済むだろ」
「罪悪感が全く無い訳でも無いんだな」
「いや、俺には全く無いようにしか見えん」
2人の騎士の予想通り、新騎士団長候補は非常にしたたかであった。
アキヒトの視点では、イスター・アンデルとガーベラ・イーバーの両者は共通点が多く映る。
同年齢で将来を嘱望されており、騎士団長をも務める人物。
最大の共通点はアキヒトに目をかけ面倒を見てくれた事であろう。
だが2人には決定的な差異が存在する。
イスターのパラス神聖法国上層部に対する忠誠は皆無に等しい。
法国自体に愛着は有るものの、現在の地位に対する執着は全く無い。
今回、表向きは法国騎士として忠実に動くのは、アキヒトの身辺を警護する為である。
つまりアキヒトの生命を守る為に平気で上層部を欺いていた。
対してガーベラのヴリタラ魔導王朝に対する忠誠は絶対である。
何よりも魔導王朝の国益を最優先とし、騎士の一員として自身を律してきた。
序列7位では有ったが、年齢が上であれば序列下位の者達であれども敬意を払ってきた。
どのような理由であれ周囲を欺ける性格では無かった。
更に一つ。
長年怠惰に過ごしてきたイスターに対し、ガーベラは余りにも功績が大きすぎたのである。
魔導王朝騎士団詰め所。
その建物内、最も奥まった騎士団長室が今はガーベラの所属となっていた。
十数名のスタッフの中、最も階級の高い騎士団室長が告げた。
「ガーベラ様、ラーキ大公殿下より連絡が入っております」
「うむ…」
「少年との会見の時間と場所を早急に決めよとの仰せですが…」
「今はまだ時期では無い、私から大公殿下へ詳細を説明しておこう」
「ですが直々の要請であり…」
「良いのだ、私から説明しておく」
度々続くラーキ大公からの面会要請に、ガーベラは全て断りの返信をしていた。
現在、魔導王朝側は少年アキヒトに対して大きな動きを執るべきではない。
先日の1億2000万ソラを受け取らせ、表面的な遺恨は解消した。
だが、現在の少年を取り巻くのは非常に危うい勢力バランスで成り立っている。
パラス神聖法国、大陸平原同盟、そして自分達ヴリタラ魔導王朝。
三者三様で少年を懐柔すべく互いを牽制し合って膠着状態にある。
ガーベラは現状での静観を具申していた。
現在取り得るべき再優先事項は後見人レスリー・アグワイヤの籠絡である。
少年はレスリー卿を父のように慕っており、彼に意見できる数少ない人物である。
また少年の神獣もレスリー卿に対してだけは敬服している節が有る。
この人物との友好関係を維持できれば、魔導王朝と少年が敵対する事態は避けられるであろう。
そして少年の懐柔を目的とするなら、最初にレスリー卿を籠絡すべきである。
あれだけ敬服している父代わりの人物の言葉なら、少年も決して無視はできない。
しかし魔導王朝側も把握しての通りレスリー卿は中立の立場を貫いている。
容易に心が傾くことは無いであろう。
だがレスリー卿が僅かでも魔導王朝側へ心を傾けてからこそ事を運ぶべきである。
ガーベラは長期的に見据えた調略案をしたためていた。
「ふぅ…」
慣れぬ騎士団長の席に腰掛けながら、ガーベラは思いを巡らせる。
仮にラーキ大公との会見が成立した時、事態はどのように変貌するのか?
間違い無く神聖法国も新たに動き出すであろう。
想定されるのは重要人物との会見によるアキヒトの誘引。
魔導王朝側の8大公に匹敵する神聖法国側の重要人物といえば枢機卿となろう。
双方ともに国の威信を背負った人物である。
それだけの人物達と会見を経た後、アキヒトはどう選択すべきか。
中立が許されるとは思えない。
やはり双方から大きな圧力がかかるであろう。
そして、どちらに転んでも事態の悪化は免れない。
間違い無く神聖法国と魔導王朝の外交関係は悪化する。
これまで平穏だったのは、両国の力関係が均衡を保っていたからに他ならない。
ここで少年がどちらかへ与した場合、均衡は確実に崩れる。
最悪の場合、少年の兵団を投入しての開戦すらあり得る
こうした状況はガーベラのみならず、多くの者が想定しているだろう。
最善は自陣営に少年を与すること。
そうなると次善は只1つ、少年の抹殺である。
仮に神聖法国へ少年が懐柔された場合、ガーベラには抹殺命令が下る可能性が非常に高い。
「くだらんな…」
ガーベラは誰ともなく一人呟いていた。
多くの者達が少年の自陣営への懐柔を目論んでいるが、肝心な事を忘れていないか?
そう、"黒い月"である。
予言は現実となり、何らかの形で災厄が降りかかる可能性は高い。
なのに、この状況で少年の命を奪ってどうなるのか。
数少ない対抗手段を失ってまで、国益を優先せねばならないのか。
今こそ大陸全ての国家はこれまでの遺恨を捨て、力を合わせねばならぬ時なのに。
その日、ガーベラは全権大使スジャーンから食事に誘われた。
場所は以前アキヒトとも訪れた高級官僚御用達の店である。
「ガーベラ全権代理殿と呼んだ方が良いかな?」
「冗談でも止めてください、おじさん」
馴染みのスジャーンの冷やかしだが、ガーベラの表情は固かった。
「たまにはこうして一緒に食事も良かろう」
「えぇ…勤務中は息がつまりそうでしてね。
今の魔導王朝内で気軽に声をかけてくれるのは、おじさんくらいですよ」
周囲は全て部下となってしまった。
大公代理となったガーベラには魔導王朝民の誰もが畏まっていた。
「…気を付けろよ」
「え?」
「先日、朝都インダラの知己から連絡が入った。
何やら良くないことが起こっているらしい」
「らしい、とは?」
「分からん…分からんが、特にお前は注意すべきだ。」
「何を注意すると言うのですか?私は何も…」
「ガーベラ…以前と今のお前とでは全く違うのが分かっておらんようだな」
「分かってますよ、おじさん。私だってそのくらいは…」
「いや、分かっておらんよ。
今一度、冷静になって考えてみよ。
お前は4人の大公の方々から全権を委ねられているのだぞ?
ラーキ大公の直属とはいえ序列7位、しかも若干19歳でしかないお前がだ。
一時的とはいえ、このボーエン王国に在住する魔導王朝民全ての頂点にあるのだぞ?」
「改めて言われなくても…」
「では、周囲の者達の感情は分かるというのか?」
ガーベラのナイフとフォークが止まった。
「お前はまだ若い…若すぎる。
だから、こんなことをお前に要求するのは酷かもしれんが聞いて欲しい。
人の心というのはな、お前が考えているよりずっと醜悪なのだよ」
「わ、私だって大人です。そのくらいのことは承知していますよ」
しかしスジャーンの面持は固い。
「これは何度も言ったことだが、今一度お前に問おう…。
なぜ南方戦線から外されたのか理解できているのか?」
「御承知の通り、戦功を挙げ過ぎたからです。
他の将校達の手柄まで全て取ってしまいましたからね」
「まさに今も同じ状態だとは思わんか?」
返答に詰まるガーベラへ、更にスジャーンは言葉を続けた。
「お前は父譲りの才能の持ち主だ。
いずれはラーキ大公の配下序列1位となるのも夢ではあるまい。
だが、その才能がお前にとっても弱点と成り得るのだ。
お前は自覚しておらぬかもしれぬが、才能の無い者からすれば非常に妬ましい存在だ。
回りの者達が成し得ないことを、お前は容易に成し遂げていく。
お前はそれくらい当然だと考えておろう。
だが、その周囲の感情にまで気が付いておらん。
魔導王朝の為に長年尽くして者達のことを考えてみよ。
今のお前は大公に次ぐ権限を与えられておる。
そんなお前のような小娘に先を越され、古参連中は何とも思わないとでも?」
「そんな…私は…」
「そうだ、お前を責めている訳では無い。
今は非常時であり、事情を考慮すれば大公の方々の決定も御尤もである。
しかし用心だけはせよ。
お前の良い所の一つは、魔導王朝に絶対の忠誠と信頼を寄せている点だ。
だが、魔導王朝民全てがお前の味方だと思うな。
残念なことだが、お前の思っている以上に敵は身近にいるのだ」
グラスを取るとアルコールを口に含み、スジャーンの言葉は続く。
「お前は昔から本当に真面目な良い子だった。
そして誰よりも純粋だった。
しかし、いずれはお前も知ることになり、私も教えねばならんと思っていた。
栄光ある魔導王朝も一度蓋を開ければ中は臭気に満ちている。
その為には都合の良い別の自分を作り、本当の自分すら欺かねばならん。
実力も才能も無い者は生き残る為、自分を欺くのに躊躇は無い。
だが、お前のような純粋で実直な者は…」
溜息をつき、そこでスジャーンは話を止めた。
ガーベラ本人は自覚が無かったが、彼女の昇進は魔導王朝本国で大きな波紋を産んでいた。
南方戦線では活躍し、今また勇者候補選別で王朝に無くてはならぬ存在になりつつある。
ここで更にガーベラが少年の懐柔に成功したら?
魔導王朝は軍事的に大きく有利となる。
更に少年の力を得て神聖法国を撃ち滅ぼした暁には、彼女の功績は比類無き物となろう。
魔導王朝史を開いても彼女に比肩する功臣は一人も見当たらない。
しかも少年とは知己であり、魔導王朝内で大公に次ぐ確固たる地位を築き上げるだろう。
そうしたガーベラの台頭を懸念する者達は魔導王朝中枢に存在した。
ガーベラはアキヒトを魔導王朝へ懐柔成功した後の大陸情勢を憂いていた。
更にアキヒトが敵対勢力から危害が及ぶ可能性も。
だが、身の危険が及ぶのは彼女も同様だったのである。
大陸歴996年9月23日
教導騎士団長ガーベラ・イーバーに朝都インダラへの帰還命令が下る。
理由としてラーキ大公への現状の詳細報告が告げられた。
「困ったことよ、騎士団長にもなれば席の温まる時間も無い」
本国への出立を前に、ガーベラはアキヒトの家で夕食を御馳走になっていた。
「という訳でだ、しばらく留守にする。
アキヒトに剣の稽古を付けるのは、まだ先になりそうだな…許せ」
「いえ、それなら仕方ないですけど、少し寂しくなりますね」
「少しか?」
「ははは…」
「約束しよう。
今度帰ってきたら、その時こそお前には魔導王朝の剣技を伝授してやる」
「本当ですか!」
「あぁ、王朝騎士として約束する」
2人の会話を目の当たりにしながら、イスターは新鮮な野菜を頬張っていた。
「アキヒトのことは俺に任せて、安心して里帰りしてろよ」
「貴様なぞに任せるのは癪だが仕方ない。
私が帰ってくるまでの間だけ、アキヒトの面倒を許可してやろう」
「…いや、やっぱり帰ってこなくて良いぞ。
ていうか二度と帰ってくるな。
お前がいるとアキヒトの家の食費がかさむんだよ」
「人一倍食ってるお前が言うな!
神聖法国では騎士団長に飯代も支給できんのか!?」
「まだ第一候補だ!まだ本決まりじゃねぇと言っただろうが!」
そしてイスターは台所の方へと声をかけた。
「ティア、明日から味付けは濃い目にしてくれよ!
香辛料をじゃんじゃん使ってくれ!
目障りな奴が居なくなるんだから遠慮すんな!」
「ティア、耳を貸すなよ!
私が帰ってくるまで味付けは現状を維持するのだ!
これは騎士団長命令だ!」
次の日、ガーベラは城塞都市から出立した。
ボーエン王国から朝都インダラまでは5日間の日程である。
街道の整備と交通手段の発達により、以前に比べて大幅な時間短縮が実現していた。
出立前にスジャーンは彼女を純粋すぎると警告した。
魔導王朝も一皮剥けば醜悪であると。
そう
余りにもガーベラは魔導王朝の本質を好意的に捉えすぎていたのである
次回 第43話 『 全ては魔導王朝の為に 』