第40話 『 儚き夢 』
ケーダ・ラーセンさんが帰った後のことだった。
それから僕はアヤ姉とドナ先生から2000万ソラの借金を黙ってたことで怒られた。
レスリーさんも思いつめた顔をされていたし、怒られるのは全然納得している。
しかし問題はその後だった。
「すみません…そろそろお食事の用意をしますので、片付けて頂けないでしょうか?」
ティアさんが困った顔をしていた。
見ると、テーブルの上には金貨の山が積み上げられたままだった。
「さっきも言ったろ、神聖法国からの詫び料だ。
アキヒトに受け取って欲しいそうだぜ」
「魔導王朝が一度出した物を臆面もなく戻せると思うか?
先日の無礼の詫びとして受け取るが良い」
イスターさんもガーベラさんも全く片付けて持ち帰る気配が無い。
テーブルの上には合わせて2億3000万ソラの金貨の山。
これをそのままレスリーさんに渡せることができれば、どれだけ良いのか…。
「あの時の魔獣騒ぎでしたら僕は何も気にしてませんよ。
ですから…。」
「――分かりました、有り難く頂いておきます」
僕の肩に手を置き、言葉を遮るとレスリーさんが金貨受取りに了承してしまった。
「よし、確かに渡したぜ」
「大公殿下に上申しておく」
2人とも満足な様子を見せると、お供の騎士達を連れて早々と帰ってしまった。
「シロくん、これを厳重に保管しておいてくれるかな?」
「あ、あぁ…それは構わないが」
レスリーさんが大金を受け取ったことにシロも驚きを隠せないでいた。
「急にどうしたんですか?
レスリーさんがお金を受け取るなんて……ん?」
見ると、ドナ先生とレスリーさんの2人が深刻な面持ちで見つめ合っていた。
「お父様、今の…」
「うむ…」
僕には2人のやり取りの意味が全く分からなかった。
しかしアヤ姉には事情が飲み込めていたらしい。
「イスターさんとガーベラさん、お供の騎士の見えない位置からサイン出してたのよ」
2人とも手話を使っていたらしい。
背後の騎士達の死角を突き、レスリーさんにメッセージを送っていた。
「なぜそんなことを?」
「それは…うん……そうだね…」
事情を把握しているレスリーさんは口籠って説明を躊躇っていた。
そんな父親の様子を目の当たりにし、ドナ先生にはある程度の予想ができていた。
「多分……受け取らなければ、アキヒトの身に危険が及んだのだと思う。
お父様、そうじゃなくて?」
「……そんなところだね」
疲れたのか、レスリーさんは沈痛な面持ちで椅子に腰掛けた。
「お供の騎士達は監視役も兼ねていたのだろう。
お金を受け取るか受け取らないか、それを確かめに来たんだろうね」
「な…!なんで僕が受け取らないと危険なんですか!?」
「イスター君もガーベラ君も言ってた通りだよ。
君達は先日の魔獣騒ぎで法国騎士や王朝騎士と口論したよね?
このお金を受け取ることで、謝罪を受け入れて欲しいと…。
つまり神聖法国と魔導王朝に対するアキヒト君の遺恨を解消したかったんだ」
「べ、別に僕は気にしてなんか…」
「少なくとも彼等はそう思ってないようだね。
アキヒト君をとても恐れている…敵に回したら、とても危険な存在だと。
だから、このお金を受け取らせることで関係を改善したかったんだ。
いや…安心したかったんだろうね」
テーブルの上の積み上げられた金貨の山。
今はそれが空恐ろしく思えた。
「じゃあ…もしもさっき、このお金を受け取らなかったら…。
あくまでも要らないと僕が断っていたら…」
レスリーさんは何も答えなかった。
知らぬ間に、非常に危険な状態だったことを思い知らされた
「…あのケーダさんの話、覚えてる?」
アヤ姉にもある程度の推測はできていた。
「途中でね、2000万ソラを半分づつに分けて借りたらって提案したでしょ?
神聖法国と魔導王朝に1000万ソラづつって」
「うん、それは覚えてるよ」
「あれが最善の選択肢だと提案してくれたのよ。
どちらも敵に回さずに済むって…。
今のアキヒトは絶対にどちらかへ傾いちゃいけないの。
もしも傾いたら…予想はつくでしょ?」
「僕、そんなに怖い存在なの…?
神聖法国や魔導王朝から、そこまで恐れられてるなんて思えないというか…」
「その証拠がこの金貨の山よ。
アキヒトが望んだら、望んだだけのお金を持ってくるでしょうね」
この時になって、ようやく僕にも自分の置かれた状況が理解できた。
山賊討伐の影響は、見えない場所で思いもよらぬくらい大きく広がっていた。
「昨日は邪魔なモノ置いていって済まなかったな」
「此方にも事情が有るのだ、許せ」
翌日朝、申し合わせたようにイスターさんとガーベラさんが再び家にやってきた。
「皆さん、どうぞ召し上がってください」
ティアさんがテーブルの上にコーヒーや紅茶を淹れて持ってきてくれた。
「悪いな」
「ありがとう、ティア」
さも我が家のように振る舞って寛ぐ2人。
「…昨日、レスリーさんになんて合図したんですか?」
ある程度の予想はできていた。
だが、2人から聞いて確認を取りたかった。
「その前にだ…最近、お前とは顔を合わせてなかったろ?
俺も"黒い月"の出現騒動で忙しくて構ってやれなかったのは悪かったさ。
だがな、なんで魔獣騒ぎで法国騎士と揉めた時、俺に何も言わなかったんだ?」
「え、えっと…」
「エルミート家当主との話も聞いておる。
アヤを案内人継続させるため、その条件として山賊討伐を命じられたとな。
常識で考えれば無茶と分かっておろう?なぜ私に一言相談しなかったのだ?」
イスターさんとガーベラさん、両方から同時に叱られるのは初めてかもしれない。
「すみません…迷惑かと思って話しませんでした…。
これ以上、頼ったら益々2人の立場が悪くなると思いましたから。
それに山賊討伐は、僕とシロ以外の力を借りないという条件でしたし」
「馬鹿野郎!余計な気を回すんじゃねぇよ!」
「お前に気を遣われる程、落ちぶれてはおらん!」
すると今度はシロの方へ話が向けられた。
「お前はアキヒトと一緒に行動してたんだろ。
魔獣騒ぎの時に騎士連中に色々言われて、コイツは参ってたんじゃないのか?」
「まぁな…」
「じゃあ、なんで俺に話を持ってこなかったんだ。
お前も俺が信用ならなかったのか?」
イスターさんに続き、ガーベラさんからも叱責が続く。
「貴様も今の情勢は心得ておろう?
"黒い月"が出現して、誰もが皆神経質になっておる。
無用な騒ぎを起こせば、アキヒトの立場が危うくなると分からなかったのか?」
「そうだな…」
「騎士達の罵倒には八つ当たりも入っているが、お前に非が無い訳でもない。
アキヒトを大切に想うのなら、もう少し行動を控えるべきだったであろう?」
普段は傍若無人なシロも、今回ばかりは流石に大人しかった。
「全く、お前達は世話が焼けるな」
「一瞬たりとも目が離せぬ…困ったものだ」
2人とも、かなり疲れた顔をしているように見える。
その元凶は間違いなく僕達だが。
「アキヒトには一度話したよな。
神聖法国騎士団の勇者勧誘任務が、新設される騎士団長の選任の評価材料になるって。
それで俺の立場が悪くなってるともな」
「はい、一度聞きました」
「俺、第一候補になったよ」
「え…!」
「あと少しで騎士団も解任、騎士団長候補から除外される所だったのによ…。
ここでの残り期間は大学生活を満喫しようと思ってたのにな。
それで、だ。
新騎士団長第一候補として、必ずお前をパラス神聖法国へお連れしよと命令されている。
上の連中、何が何でもお前を取り込むつもりだ。
地位、名誉、金銀財宝、領地…望めば何でもくれてやるってよ」
「――良いのか?私の前でそんなことを話して」
ガーベラさんが呆れた顔でイスターさんを見ていた。
「これくらい誰だって想像できるだろ。
そういうお前も、俺と変わらないんじゃないか?」
肯定するでも否定するでもなく、ガーベラさんは一息すると話を始めた。
「アキヒトにはどこまで話したかな。
今回の勇者勧誘の任務、私は…言い方が悪いが、それほど期待されてなかったと。
どちらかと言えば大学の方へ専念し、騎士団任務は…そう、ついでだ。
それは大公殿下から直接命じられたため問題無い。
それでお前を担当していたため、騎士団長から私に対する評価が下がっていたらしい」
「はい、すみません…」
「今は大公殿下から全権委任されている」
「え…?それってどういう…」
…カチャッ!
ガーベラさんがティーカップを苛立ちを込めてテーブルに置いたので、中身が少し零れた。
「分からぬか!
このボーエン王国に在住する、全ての魔導王朝民を私が自由に動かせるということだ!
下は一官僚や一事務員、果ては全権大使のスジャーンおじさんまでな!
私はラーキ大公の配下序列7位なんだぞ!?
なのになぜ、遥か上の序列の方々まで命令できるのだ!?」
「あ、あまり嬉しくなかったですか…?」
「当たり前だ!
しかも、また堅苦しい騎士団長に任命されたのだぞ!?
大公殿下から全権委任された挙げ句、なぜ騎士団長までせねばならぬのだ!
先日まで同僚だった騎士団員が顔を合わせるたびに敬礼してくる!
所用で大使館に赴けば、入り口で館員全てが整列して出迎えてくる!
この前なぞ、廊下の角でぶつかっただけで事務員から命乞いされた!
息苦しいことこの上ないわ!
最低でもあと3年は大学生活を満喫できたものを!
この前まで気楽に騎士団員できていたのになぜだ!?なぜなんだ!どうしてこうなった!」
僕は見てはいけない光景を見てしまったのかもしれない。
イスターさんでさえ腰が引けていた。
「…と、醜態を晒して済まなかったな……という訳でだ。
貴様のような後ろに『第一候補』なぞぶら下げている半端な騎士団長と一緒にするな!」
「な…!なんだとテメェ!
俺は出世できないんじゃない、興味ないだけだ!」
2人の口喧嘩を見ていてふと思う
こんな朝早くから僕達は何の話をしてたんだっけ。
「す……すみません、話を元に戻しましょう!
そ、それで…そうだ!
お2人がレスリーさんに何の合図をしたかを聞いていたんですよ!」
「あぁ、そうだったな。悪い」
「済まぬな、少し気が昂ぶっていた」
落ち着いたところで再びイスターさんから話が始まった。
「神聖法国がお前を迎えるに当たってだ、とりあえず前回の失態を何とかしたい。
お前の法国に対する印象を良くしておきたい。
だから受け取って欲しかったのさ。
そうすればお前を法国の陣営に組み込める可能性が有るように見える」
「もし受け取らなかったら…」
「それは神聖法国に対する宣戦布告と解釈できるだろうな。
ならば後の憂いを除くためにアキヒトを闇に葬ってしまえと…。
それをレスリー先生に伝えた」
「貴様もその程度の頭があるようで安心したぞ」
ガーベラさんも頷いて同意していた。
「て、テメェ…!」
「大公の方々もアキヒトの力を…兵団を非常に警戒しておられる。
今回、全権を委任されたのはお前を魔導王朝へ迎え入れるよう仰せつかったからだ。
そのために我等も金子を用意した。
先の魔獣騒ぎで王朝騎士もお前を侮辱したからな。
その詫びの金子受け取らねば…後は法国と同じだ」
「チッ……だからよ、アキヒト。
これからお前は神聖法国か魔導王朝か、意思を問われる時が多くなるだろう。
そうなったらレスリー先生の名前を出すんだ」
「レスリーさんを?」
「あの先生は神聖法国や魔導王朝の上にも顔が利いている。
だからお前は、そのレスリー先生の下にいることを強調して答えるんだよ。
あの先生は誰もが知るように、神族にも魔族にも極めて公平な御人だ。
だからお前も中立の立場を確保できると思うぜ」
単なる後見人である以上にレスリーさんには迷惑をかけてきた。
だが、まだまだ迷惑をかけることになるのか…。
そしてガーベラさんが付け加えた。
「一つ、明確にしておいた方が良いかもな。
レスリー先生の命令なら何でも従う、という態度を示した方が良いかもしれん」
「今もそのつもりなのですよ」
「余りそうは見えんな。
無断で山賊を討伐したり、2000万ソラも借りたり…」
冷静に考えれば、僕は好き勝手やってるように見えるかもしれない。
いや…言い訳すればシロがやってるんだけど、周囲の目には僕がやってるように見えるか…。
「お前がレスリー先生に従順だと思わせれば話も違ってくる。
ここは素直に先生の名声に頼り身の安全を確保すべきだ」
神聖法国も魔導王朝も上の人達はレスリーさんを高く評価し、信頼している。
僕のような危険な存在でも、そんな人物が手綱を取れば納得するということだろう。
これからの僕の生活は、綱渡りのようなバランス感覚が必要とされる。
「なぁ、アキヒト。
あのまま行けば俺は騎士団から解雇されていた。
当然、新設される騎士団長の候補からも外されていた。
聞いた話じゃ、会議で決定して本国へ連絡も行ってたらしいんだ。
それが今回、お前が山賊を討伐したから慌てて全部取消にしやがった。
だがな、もしもこのまま騎士団から解雇されていたとしたらだ…。
お前がただのアキヒトだったら、いつか神聖法国へ誘おうと思っていたんだ」
「え…兵団も使えない、何の力も無い僕をですか?」
「そうさ、兵団なんか関係無い今までのアキヒトだ。
俺は大学へ4年通った後、本国へ帰って領地経営をするつもりだった。
こう見えても俺は未来の領主様なんだぜ?
そこでお前には一緒に働いて欲しかったんだよ」
これがイスターさんの本心なのは僕にも分かった。
「こんな城塞都市とは違って田舎だが、悪くはない所だぜ?
飯は美味いし、酒も美味いし、美人も揃ってる!
昼は一生懸命働いてよ、仕事が終わったら街に行くんだよ!
あそこには俺のダチ公もたくさんいてな、悪い奴じゃないんだぜ!?
お前も一緒に加わって、一緒に馬鹿すんだよ!」
「イスターさん…」
「パラス神聖法国は狭い所かもしれねぇ。
だが、お前一人分の居場所くらい有るさ……いや、有ったはずだ」
その言葉がとても哀しくて…イスターさんの落胆が伝わった。
それを見ていたガーベラさんが今度は口を開いた。
「アキヒト、前から何度か聞いてきたな?
なぜ私がお前に剣の鍛錬を…色々なことを学ばせていたのかと。
私もな、いつかお前を魔導王朝へ連れ帰り、秘書を務めて貰おうと思っていた」
「僕をですか…?」
「今は教導騎士団員、本国へ帰ってから騎士団長へ再任される予定だった。
それからは事務の業務が多くなり、その補佐が必要となる。
お前は決して頭は悪くない。
初めは辛いかもしれぬが、努力家のお前ならいつかきっとやれるだろう。
今は序列7位の私も上がれば、大公殿下へお目通りする時もあったであろう。
その時の為にも今から作法を学ばせていたのだ」
礼服を仕立てて貰ったり、宮廷作法、食事の作法まで教えて貰ったりしていた。
「王朝の街は良いぞ。
この城塞都市と比べて街は整ってないが活気は有る。
うるさくて騒がしくて、退屈はせぬはずだ。
王朝の民の言動は粗暴だが、心はとても温かい。
お前もきっと気に入ってくれるだろう……そうだな、気に入ってくれたと思う」
ガーベラさんの落胆もすぐに分かった。
「お二人ともそこまで考えていたなんて……すみません…」
兵団の力を得て最初は分からなかったけど、今は失った物が見えてきた。
あの時の僕は何もない、無価値な人間だと思っていた。
だが、今になってその考えが間違いだったと気付かされた。
「……仕方ねぇな」
沈黙の中、シロが話し始めた。
「騎士達がアキヒトを馬鹿にしたこと、お前達に免じて許してやるよ。
今この瞬間、パラス神聖法国とヴリタラ魔導王朝は兵団の敵対勢力から除外した」
「シロ…」
「イスター・アンデル、ガーベラ・イーバー。
俺はお前らのことが嫌いじゃない。
今までダチ公の面倒を見てくれてるんだからな、感謝してるぜ。
しかも生命の心配までしてくれるとはな。
あぁ、本当に嬉しい…お前らみたいな奴と会えて俺も本当に嬉しいよ。
帰って主人達に伝えると良いぜ。
お前達2人が生きている限り、母国を滅ぼさないと約束してやる。
だから長生きするんだな。
お前らが居なくなったらダチ公も寂しがるからよ」
僕は2人の忠告に従い、この日からの言動に細心の注意を払うようになった。
あくまでも中立という立場を堅持し、事あるごとにレスリーさんの指示を仰いだ。
レスリーさんも了承しており、僕の中立性を対外的に示してくれた。
こればかりは僕一人ではどうにもならなかった。
レスリーさんの人徳、これまでの得た社会人としての信頼が有ればこそだった。
しかし問題は僕の方では無かった。
元の世界では『出る杭は打たれる』という格言がある。
それはこの世界でも変わらず、余りにも出過ぎた杭は激しく打たれる運命にあるのだから。
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