第31話 『 アヤ姉の婿試験 』
一難去ってまた一難と言うんだろうか。
僕の家にレスリーさんとドナ先生が訪れて、居間には重苦しい空気が満ちていた。
「トリス公爵の意向が強くてね。
一度、会って頂けることにはなったんだが…。」
特にレスリーさんの表情は重く、腕を組んで思案を凝らしていた。
トリス・エルミート公爵
アヤ姉の実父であり、エルミート家の当主。
このボーエン王国では貴族の最大派閥の長でもあり、他4国にも絶大な影響力を持つ。
レスリーさんも子爵で貴族だが、公爵家とは天地の差があると言う。
王家に次ぐ名家であり、莫大な資産と広大な領地を所有していた。
そのトリス公爵が娘のアヤ姉を案内人から外させた。
先日、この家に外泊した件で咎められたらしい。
尤もそれは話の切欠で、案内人から外す理由には事欠かなかった。
勇者候補から落伍し、レスリーさんの銀鉱山を奪われ、魔獣騒ぎで迷惑をかけて…
アヤ姉が外されるのも無理は無いと…。
改めて自分は情けない人間だと再認識させられた。
「実はね、前からアヤちゃんから相談は受けていたんだよ。
父君のトリス公爵から他の勇者に変更するよう、何度も言われていたらしくてね。
私からも公爵に説得をと頼まれていたんだが…」
話が難航したのは僕にも容易に想像できた。
「それでも、もう一度話し合ってみるつもりだよ。
アヤちゃんから相談を受けた以上、何とかしてあげないとね」
「すみません…僕も同行して良いでしょうか?」
「当然だよ、アキヒトくんだってアヤちゃんが必要だからね」
「いえ、僕なんかが一緒だとレスリーさんがご迷惑かと…」
「突然何を言い出すんだね…」
「それは…僕と一緒だと……相手の印象が悪くなるというか…」
「はは、そんなの気にしすぎだよ」
「いいえ…この前、聞いたんです…。
レスリーさんが屋敷を手放したって…僕が原因で…僕なんかと知り合ったせいで…」
本心ではレスリーさんやドナ先生と、こうして顔を合わせているのもつらかった。
「僕みたいな疫病神と一緒に居ても、一つも良いことなんか…」
「――また悪い癖が出たようね」
凛とした声でドナ先生が厳しい視線を向けてきた。
「鉱山を失った時もそうだったけど、アキヒトは落ち込んでばかりね…」
「だって…2人とも、大切な家まで失って…」
「前にも言っただろう、私は娘さえ幸せなら…。
そして君とティアさんが幸せなら、他には何も要らないんだ。
私もドナも、あまり贅沢する方じゃないからね。
今の家や生活でも全然苦じゃないさ」
レスリーさんが僕を責める様子は全く無かった。
だが、それが逆につらくも有った。
「け、けど…!この前だって魔獣騒ぎで、色んな所に謝って回っていたって…!」
「その程度、大したことじゃないよ。
それより誰も傷つけないように…
アキヒトくんもシロくんも気を付けてたんじゃないかね?」
「はい…一応、そうでしたけど…」
「誰かを傷つけたり泥棒したりしないなら大丈夫さ。
後はどれだけ迷惑をかけても私が謝りに行く。
それが後見人だと…いや、父親の務めだと思っているよ」
僕は、これから一生…この人に頭が上がらないかもしれない。
「私は良い娘に恵まれたけどね、本心を言うと息子も欲しかった。
とても元気でいつも走り回って、腕白でいたずら好きで…。
けれども決して他人を傷つけない優しい性格で…。
その願いがこうして叶ったんだ…今の私はとても幸せだよ」
僕はテーブルの下で拳を強く握りしめていた。
気を抜いたら涙が出そうで…必死になって堪えていた。
すると僕の右肩のシロが口を開いた。
「なぁ、レスリー…少し聞いていいか?」
「なんだね?」
「ちょっとした質問さ、もしも…もしもの話だ。
今から俺が大陸平原同盟を滅ぼすと言ったらどうする?」
「それはまた唐突な質問だね…。
どうする、とは?」
「簡単な仮定の話さ、俺が大陸平原同盟を滅ぼす力を持っているとしてだ。
ムカついたら滅ぼしちまって良いか?
勿論、お前やドナ、ティアや仲の良い奴らは助けてやるよ」
「あくまで仮定の話としてだね…。
もし私の意見を尊重してくれるのなら、滅ぼすのは止めて欲しい」
「なんでだ?
お前だって貴族連中から馬鹿にされてるんじゃないか?
銀鉱山を取られて屋敷まで無くして…それで馬鹿にされて悔しく無いのか?」
「では悔しい相手を滅ぼしたとして、それが何になるんだね?」
質問を返されたシロは言葉を詰まらせた。
「滅ぼすだけじゃない…誰かの生命を奪っても決して幸せは得られないよ。
歴史上、多くの国を滅ぼした人達が幾人も存在する。
それこそ怨恨で、たくさんの人を殺してしまった有名人もいるよ。
だがね、そんな人達の最期は幸せになれたと思えない。
これは理屈じゃないね…。
誰かの生命を奪って得られる幸せなんて高が知れている…そんな気がするんだ」
「…そうかもな」
「それに、どんなに周りから煙たがられ、嫌われていたとしてもだ。
この街や国に愛着は有るし、大勢の大切な友人が暮らしている。
更にそんな大切な友人にも、大切な家族や友人がいるだろう…。
更にそんな家族や友人にも…更にその人達にも…。
結局、誰一人として生命を奪えないんじゃないかな?」
しばらくシロは何も言わず、何かを考え込んでいるようだった。
「…分かった。
変なことを聞いて済まなかったな」
「いや、別にそれは構わないが…」
「俺はな、お前のことが嫌いじゃないぜ?
いつもアキヒトの味方で、どんな時でも助けてくれている。
大事な資産や家まで無くしてもな…そんな奴、どうしても嫌いになれねぇよ」
「はは…私にはそれくらいしかできないからね」
「だからよ、お前には…いや、アグワイヤ家にはいつか必ず借りを返すぜ」
「気を遣わなくて良いさ。
何か欲しくて後見を引き受けた訳じゃないからね」
「それじゃ、俺の気が済まねえんだよ。
銀鉱山の代わりなんてケチくさいこと言わねえ…。
金山でも何でも用意してやるぜ?」
「必要ないよ、私は幸せ者でね…欲しい物は全て持っているんだ」
レスリーさんが周囲を見回し…ドナ先生や僕、台所のティアさんを見ていた。
「強いて言えば、アヤちゃんもここに居て欲しいね。
あの子が居てくれるだけで場が明るくなって、みんなが笑えるから…」
「分かった、とりあえずはアヤだな!
だが、アグワイヤ家に対する借りは別に返すからな、絶対にな!」
シロの光が強まり、口調と共に気合が入っているのが分かった。
「行くぜ、アキヒト!」
「う、うん…」
「なんだ、元気が無ぇじゃねぇか。
そんなんで本当にアヤを取り戻せるのと思っているのか?」
本心を言うと自信は無かった。
今の僕にアヤ姉の父親を説得できるような力なんて何も無いのだから。
「よし…この際、ハッキリしておこうか。
アキヒトはアヤをどうしたいんだ?」
「そ、それは…これからも案内人を続けて欲しいと…」
「違うだろ!
ダチ公の俺を騙せると思ってんのか!」
僕の煮え切らない様子をシロは叱りつけていた。
「俺は人間じゃないがな、一緒に暮らしていて多くを学んだ!
だから人間の気持ちってヤツが、少しは分かってきたさ!
お前がアヤをどうしたいか、本当はどうして欲しいのか!?
横で見てりゃ俺だって分かるぞ!」
そうだ…アヤ姉はいつも苦しい時、つらい時に慰めてくれた。
優しく抱きしめてくれて…僕を元気付けてくれた。
単なる案内人以上の存在だった。
「アキヒトが本心で何を望んでいるのか、俺には分かるぜ。
何せ、ダチ公なんだからな!
だから覚悟を決めろよ…!
肝心のお前が弱腰じゃ、戻る者も戻って来ねぇよ!」
僕は立ち上がった。
大きく息を吸って吐いて…気合を入れると右肩へ向き直った。
「…ありがとう、シロ。
絶対に僕、アヤ姉を取り戻すよ!」
「あぁ、その意気だ!
それでこそ俺のダチ公だ!」
見込みは明るくなかったが、諦めるわけにはいかなかった。
あれだけ自分に優しくしてくれたアヤ姉を、絶対に見捨てられない。
「…世話が焼けるわね」
ドナ先生が満足げに微笑んでいた。
レスリーさんも頷き、エルミート家の屋敷へ訪問することにした。
「さすがシロだね、僕の考えを…本心を分かってくれるなんてさ。」
「当たり前だろ。
あれだけ熱心に着替えを覗いてたら誰だって分かるぜ」
突然、場の空気が凍った。
「あ…アキヒト……今のホント?」
「え…あ……何ていうか…事情があって…」
「…余計な発言は認めないわ。
『はい』か『いいえ』…
さぁ…選択は2つだけよ…どっちなの…?」
今まで見たことないくらい、ドナ先生の顔が笑っていた…怖いくらいに。
最初にダニーが目の前に姿を現した以上の威圧感。
この世界に来て以来、絶体絶命の危機が続いている気がした。
「…っと、そろそろ公爵の家に出かけないと」
「はい、行きましょう!」
レスリーさんが最高のタイミングで最高の助け舟を出してくれた。
すかさず僕も乗り込む。
「お父様!今はアキヒトを…!」
「済まないが、公爵を待たせるわけにはいかないんだ。
話の続きは帰ってからにしなさい」
清々しいほど作為的に慌ただしい振りをしながら支度を始めた。
「忘れないわよ、アキヒト!
この話はこれで終わりじゃないから!」
自宅を出る直前までドナ先生の追撃が止むことは無かった。
「レスリーさん、ありがとうございます…助かりました」
「それは良いが上手い言い訳を考えておくように。
あの子は絶対忘れないからね」
「はは…そうですね、考えておきます」
「それにしても意外だったね、君はそんな男だとは思わなかったから」
「え…えぇ!?」
「いや、君くらいの年齢になれば普通か。
しかし婦女子の着替えを覗くのは、後見をする身として感心しないね…」
「ご、誤解なんですよ!
後で詳しく事情を説明しますから!」
こうして僕とレスリーさん…ついでにシロもエルミート家の邸宅に訪れた。
「す…凄いですね…。
アヤ姉、本当にお嬢様だったんだ…」
城塞都市全体を見渡す高台に立ち並ぶ王族や貴族の大邸宅。
その中でも特に大きなお屋敷がアヤ姉の実家だった。
以前のレスリーさんの屋敷や先輩達の紹介された時の屋敷も大きかった。
だが、国内最大派閥の貴族の家は格が違った。
守衛の人に来訪を伝えると、応接室に通された。
「ようこそ、レスリー子爵…お待ちしておりましたよ」
僕とレスリーさんは深々とお辞儀をした。
第一印象は視線の鋭い人物。
切り揃えられた口髭が、貴族最大派閥長としての威厳を高めていた。
執事を傍に控えさせ、堂々とした佇まいで僕達を出迎えた。
「お初にお目にかかり光栄です。
アキヒト・シロハラと申します…アヤさんには大変お世話になっております」
そんな僕には一瞥するだけで、何も返事をしようともしなかった。
「今日の会見はレスリー卿から申し入れがあったためだ。
大陸の才能として名立たる人物で無ければ、会う気にもなれん。
これで良いだろうか?
最大限の義理は果たしたつもりだが…」
「お待ちください、公爵!
今日の私は彼の後見としてだけではなく、同じ一人娘の父親として来ています!」
「と、言うと…?」
「子爵の身でありながら、公爵に意見する無礼をお許し下さい。
私の娘とは幼い頃からお付き合いさせて頂いており、非常にお世話になっております。
僭越ながら、アヤさんを自分の娘のように思うこともありました。
私は常に自分の娘の幸せを願っております。
それは公爵の令嬢に対しても同様です…!」
「それは私も同じだ、父親であり娘の幸せは誰よりも願っている」
「恐れながら、私にはそう思えません。
本当に彼女の幸せを願うなら、本人の意思を尊重されるべきでは有りませんか?」
「レスリー卿、余り子供じみたことを申されては困る。
娘はまだ子供だ、右も左も分からぬな。
だからこそ、大人の我々が指し示してやらねばならぬ。
例え今は分からぬでもな、10年後、20年後には理解してくれるだろう。
娘の幸せを思えば、一時は嫌われ役を担うのも親の務めだ…」
「…一つ、質問して宜しいでしょうか?」
公爵は僕の方を一瞬だけ見て手短に言葉を綴った。
「申すが良い…」
「娘の幸せとは…アヤさんの幸せとは何でしょうか?」
「決まっておろう、我が家の繁栄だ。
然るべき婿を迎え入れ、エルミート家を盛り立てて貰わねば困る。
この際、はっきり言っておこう…!
他の勇者ならいざ知らず、君では役不足なのだ!」
豪奢なテーブルを叩きつけ、湯気の立っていたカップが揺れた。
「此方こそ今まで譲歩していたのが分からぬか!?
私だって可愛い娘の意志は尊重してやりたい!
だが勇者でも何でもない、手違いで召喚された少年の案内人になって…!
アヤはお前のことを常日頃から庇っていたぞ!
今はまだ幼く力は無いが、きっと大きくなると!
だから長い目で見てやってくれと、健気にも私に願っていた!
だが、先日の騒ぎは一体なんだ!?
可愛い一人娘の頼みだから我慢していたが、もう限界だ!」
アヤ姉の父親の怒りは当然だった。
また僕の中で挫けそうになるが踏ん張って耐え、泣きそうになるのを堪えて返した。
「せ…先日の騒動に関しましては、申し開きも有りません…。
案内人であるアヤさんにまでご迷惑をおかけし、本当に申し訳ありません…。
ですが、その上で…もう少しだけ時間を頂けないでしょうか?
必ずや公爵様の目に適う人物になると約束します!」
「その見込みが無いと言っておるのだ!
他の勇者と自分自身を一度見比べて出直して来るが良い!」
「ぼ、僕が他の勇者達に遠く及ばないことは承知しています!
ですが時間を…!今すぐには無理ですが、きっと…!」
一度は折れてしまった心だけど、ここで下がるのだけは絶対ダメなのが分かった。
アヤ姉だけは絶対に譲れない。
全ての戦いに負けて何もかも失っても、アヤ姉だけは絶対に譲れなかった。
「アヤさんはとても素晴らしい人です!
僕の案内人になんて高望みなのは分かっています!
僕になんて釣り合わない…勿体ないくらいの女性だと…!
この世界に来て一番の幸運は、彼女と知り合ったことだと思っています!
そんなアヤさんには案内人としての義務以上に、僕を助けてくれました!
僕だって男です!
受けた恩は絶対に死んでも返します!
いえ、返させてください!
ですから、あと3年…いえ、2年…1年でも良いです!
アヤさんを…僕の案内人として許して頂けないでしょうか!?
今まで、僕のために頑張ってくれたアヤさんの目に狂いは無かったと…!
僕に証明する時間をください!」
僕は椅子から立ち上がり、深々と公爵に頭を下げた。
「お願いします、公爵様…!」
トリス公爵は何も言わず、自身の口髭を触って思慮に浸っていた。
「…私も父親だ。
娘のことをそれだけ高く評価されては悪い気もしない。
君のその言葉に揺れ動く気持ちも無い訳では無い。
だが、どんなに力強い言葉を並べても力の無い者に娘はやれんのだ。
親として、娘の将来のためにも力のある者に嫁がせねばならん…」
これ以上、僕には言葉が続かなかった。
ここで止まってはダメなのが分かっていても…どうしても…。
「よくやったな、アキヒト」
不意にシロが言葉を発した。
「今のお前、悪くなかったぜ?
あれだけ落ち込んでいたのに、アヤが関わると少しは違うみたいだな。
それだけの気合いと根性、これからも見せてくれよ。
…兎に角よくやった、後は俺に任せろよ」
そしてシロはトリス公爵の方へ向いた。
「なぁ、おっさん」
「お、おっさ…!?」
いきなり駄目な気がした。
「おっさんだろ、アヤの親父さん。
アンタの言い分も分かるよ、大事な娘のためだもんな。
いくらレスリーやアキヒトが頼んでも、父親としては簡単に首を縦に振れねぇよな。
だがな、俺達もこうして出向いて、アンタも時間を取って話し合いしてるんだ。
お互いが納得行く方法で結論を出さないか?」
「…どうすれば、私が納得すると言うのだ」
「簡単さ、試験すれば良いんだよ。
アキヒトが本当にアヤに相応しいか相応しくないか…その試験をな」
「ほぅ…」
「試験の結果、合格してアンタがアキヒトを認めたらアヤを連れて行く。
不合格でアンタが認めないなら仕方ない、俺達もアヤを諦めるよ」
「ふむ…」
シロの提案に、トリス公爵は腕を組んで考え始めた。
「私からもお願いします、公爵。
彼に一度で良いですから試験を…せめて機会を与えて頂けないでしょうか?」
「お願いします、公爵様!」
レスリーさんも頭を下げ、僕も続いて頭を下げてお願いした。
「そうだな…せっかく高名なレスリー子爵にお越し頂いたのだ。
何の機会も与えず追い返すのも礼に失するか…」
「感謝致します、公爵…!」
「だが、試験内容をどうするか…咄嗟には思い浮かばぬな…」
「それならもう考えてあるぜ!
オッサンも納得の試験内容がな!」
「だ、誰がオッサンか!…くっ…よ、良かろう…申してみろ!」
無礼なシロの言い草に、アヤ姉の父親はこめかみを痙攣させていた。
「パラス神聖法国かヴリタラ魔導王朝、どちらか一つでどうだ?」
「…なに?」
「あぁ、それじゃ簡単すぎるか…。
悪かったな、俺の考えが甘かったよ。
せめて両方でないと試験にならねぇもんな…」
「さっきから何を言っておるのだ…?」
「だからよぉ、パラス神聖法国とヴリタラ魔導王朝、
両方ともぶっ潰したら試験合格にしてくれと言ってんだよ」
「ぶ…ぶっ潰す!?」
「そう、両方とも滅ぼすってことだ」
レスリーさんと僕は同時に手で顔を覆った。
「馬鹿馬鹿しい…。
少しは頭が回るかと思ったが、所詮は精霊の浅知恵か……」
「…何か不満か?
お前ら人間は神族と魔族が目障りなんだろ?
この前、ムカつくことが有ったんでな…丁度いい、両方とも滅ぼしてやるよ」
「レスリー卿!
こんな精霊を同席させるとは、貴方の見識を疑いますな!」
「ま、誠に申し訳有りません…」
「さっきからシロが無礼を働いてすみません……本当にすみません…」
レスリーさんと僕は平謝りだった。
「…だが、試験という考え自体は悪くない。
レスリー卿に免じて一度だけ試験の機会を与えよう」
「あ…ありがとうございます!」
「礼を言うのはまだ早い。
試験内容は……そうだな、折角だから難易度を大幅に下げてやろう…。
トスカ―共和国、ケート山脈の山賊砦を討伐してみよ!
それができればアヤの相手として認めてやる!」
「なんですって!?」
レスリーさんから驚きの声が上がった。
大陸平原同盟の中では西部に位置するトスカー共和国。
魔導王朝と国境が接し、商業が非常に盛んな国として知られる。
魔導王朝と共和国の間で交易路が成り立ち、常に多くの人、金、物資が流通していた。
だが5年程前からトスカ―共和国側の国境付近、ケート山岳地帯に賊が住み着いた。
彼等は入り組んだ山岳部に砦を築き上げ立て籠もった。
300名以上の大人数であった。
神族や魔族の強力な戦士、強力な魔法を使用する魔道士まで入っていると。
軍隊にも匹敵する武力を背景に、交易路の商隊を襲い始めた。
その為、トスカ―共和国は討伐軍を3度差し向けたが全て失敗に終わった。
山賊達は戦い慣れており、平地で不利と悟るや即座に砦へと逃げ込む。
守りやすく攻めづらい地形に作られており、討伐軍は為す術も無かった。
魔導王朝と平原同盟の経済関係を妨害するため神聖法国が仕掛けた通商破壊とも噂された。
なぜなら砦の構築、その守備方法はアコン山脈の要塞とも酷似していたのだから。
結局、討伐軍が撤退すると再び山賊達が平野に舞い戻る…それを3度繰り返していた。
「2年前の討伐軍では、2000人以上を動員したと聞いております!
それでも落とせなかった砦を試験問題と仰るのですか!?」
「簡単であろう?
パラス神聖法国やヴリタラ魔導王朝討伐に比べたら遥かにな」
そんな砦は初めて聞くけど、レスリーさんの反応から大変らしいのは想像つく。
「あの砦には3大商会も頭を悩ましておってのう…。
商隊の護衛を雇う費用も馬鹿にならないと聞く。
そんな山賊どもを見事討伐できた人物がアヤの相手なら、父親の私も鼻が高い」
「それは気が進まねぇな…他の試験に変えてくれよ」
「なんだ、今更怖気づいたのか?
山賊ごとき大した問題でもあるまい!」
「簡単すぎだから問題なんだよ」
「……な…なに?」
「あのなぁ、オッサンは一人娘のアヤを大切にしてんじゃないのか?
それなら自分の娘を安売りすんなよ。
そんな簡単な試験なんて…拍子抜けっていうかな。
オッサンも頼むからよぉ…。
俺達のやる気に水を指すような冗談だけは止めてくんねぇか?」
「じょ…冗談だと?」
「あれ…今のはオッサンの冗談じゃないのか?
それとも、そんなにアヤは安い娘だったのか?
もう少し高いと思ったんだが…。
オッサンの娘は閉店間際の売れ残りパンみたいに安いんだな」
バァンッ!!!
公爵は割れんばかりの勢いで、テーブルに手を叩きつけた。
「良いだろう…。
エルミート家当主として約束してやる!
ケートの山賊どもを討伐してみろ…!
見事それを成し遂げれば、アヤは案内人どころか嫁にくれてやるわ!」
「やったぜ!」
シロが歓喜の声を上げた。
レスリーさんと僕は呆気に取られて直ぐに声を出せなかった。
「ト、トリス公爵…同伴の者の無礼は深くお詫びします…。
ですから試験内容の再考を…」
「山賊討伐程度、簡単なのであろう!?
私の娘が安いかどうか、その骨身で確かめてくるが良いわ!」
アヤ姉の父親は激怒していた。
レスリーさんが試験内容の撤回を求めたが、応じる様子は無い。
「待てよ、まだ話は終わってないぜ」
「なんだ?試験内容に変更は無いぞ!?」
「試験は簡単すぎだが、オッサンがそれで良いって言うなら俺に文句は無ぇよ。
だが、3つばかり確認しておきたいことがある」
「…なんだ?申してみよ」
「まず1つ目。
アキヒトには俺が手を貸すが、それで良いだろうな?
他の勇者達だって神獣の力を借りてるんだ。
同じく神獣召喚で契約を結んだ俺が協力しても問題無いだろ?」
「次は?」
「2つ目。
何の契約書も無い口約束だが、守ってくれるんだろうな?
できれば書面か何かを取り交わしたいんだが…」
「必要無いわ!
エルミート家当主として約束は必ず守る!
この私を馬鹿にするな!」
「よし、約束だぜ。
それで3つ目、最後だが……
オッサンは最初で最後の権利を行使する事が分かってんのか?」
「…今度は何の話だ」
「俺はアキヒトのダチ公だ。
そのアキヒトの頼みだから今は一緒に動いている。
そして今、オッサンはアキヒトに対する命令権を持っている。
だが、実質的には俺に対する命令権でもある…」
「それが何だと言うのだ…」
「まだ分かんねえのか…?
今のオッサンはな、その気になれば世界を焼き尽くせるんだよ!
パラス神聖法国も!ヴリタラ魔導王朝も!南方連合諸国も!
同じ大陸平原同盟の敵対派閥まで命令一つで全て滅ぼせるんだぞ!?
なのに、たかが山賊砦一つに貴重な権利を使っても良いのかって聞いてんだ!」
「やかましい!精霊風情が!」
シロの言葉に怒るのも無理は無かった。
堪忍袋の緒が切れて立ち上がると、公爵は応接室から出ていってしまった。
「すみません、レスリーさん…僕がシロを連れてきたばかりに…」
「いや、そんなことも無いさ。
シロくんのお陰でアヤちゃんを連れ戻す糸口が見えたからね」
「その通りだぜ!
俺の機転でアヤの奪回ができそうなんだからな!」
「…できれば、もう少し言動を謹んで欲しかったのだがね」
ひとまず僕達は公爵邸を後にすることにした。
執事の人に先導され、大きな玄関から出ようとした…その時だった。
「アキヒト!」
振り返るとアヤ姉が…いつもと違うお姫様みたいなドレス姿だった。
胸元には何か白い布の塊を抱えていた。
「似合ってるよ、アヤ姉」
「馬鹿!そんなことより何の話をしてたの?
お父さん、凄い怒ってたけど…」
「それなんだがな、アヤはあと少しでアキヒトの所に戻れるぜ。
試験に合格したらオッサンも許してくれるってさ」
「試験…?何の試験なの?」
「ケートの山賊砦を落とせってよ」
シロの返答…当然だけど、アヤ姉も驚いて僕やレスリーさんの方を見た。
「それ、本当なんですか?」
「大丈夫だよ、アヤちゃん…公爵も勢いで仰られただけだからね。
日が経って落ち着いたらまた伺うつもりだよ。
公爵だって冷静になれば、撤回して下さるはずだ」
「そう…なら良いんですが…」
一瞬、不安な様子を見せたけど、アヤ姉も少し安心したようだった。
「…アキヒト、済まないわね。
今は行けなくて…お父さんから外出を禁止されちゃってね…」
「全然謝る必要無いよ!
大丈夫、公爵様だって絶対分かってくれるから!
認めて貰えれば、またアヤ姉と一緒に居られるからね!」
僕なりの精一杯の強がりだった。
本心を言えば、あのアヤ姉の父親に認められるのはかなり難しいと思う。
だが、不安な面持ちのアヤ姉に弱気は見せられなかった。
そうだ…大切な女の子を守るなら、男はいつも強気でないといけない。
この時になって、ようやく僕にもそれが分かってきた。
「…そうだ、アキヒトの装備ができたわよ」
アヤ姉が胸元に抱えていた白い布の塊を、僕に近づけて見せてきた。
「それは何なの?」
「こうするのよ…!」
手に持つと大きく広げて…
それは長い長い…真っ白な手編みのマフラーだった。
アヤ姉は僕の前に立つと、それを首に巻き付けて整えた。
「まだ暖かいから必要ないんだけどね…。
この世界の秋は早いから、今のうちに用意したの」
「わぁ…これ、アヤ姉が全部編んだの?」
「そうよ、私だって頑張ればこのくらいできるんだから!」
胸に手を当てて自慢するアヤ姉。
しかし、その指先には絆創膏が何枚も貼り付けてあった。
「ありがとう、アヤ姉!
どんな剣や鎧よりも嬉しいよ!」
お世辞や社交辞令なんかじゃない。
僕は本心から、アヤ姉の優しさと心遣いが嬉しかったのだから。
「待っていてね、すぐ迎えに来るから。
それまで大人しく料理の勉強でもしていたら?」
「えぇ、待ってるわ…」
白いマフラーを首に巻きながら、僕はアヤ姉に見送られた。
なぜか、このマフラーを巻いていると勇気が出てきた。
絶対にアヤ姉を取り戻すという決意が強く固まっていた。
「なぁ、レスリー。
少し寄り道したいんだが、アキヒトと街へ行って良いか?」
「それは良いが、夕飯までには帰ってくるんだよ」
「分かってるって!
アキヒト、行こうぜ!」
エルミート邸宅からの帰り道、僕とシロはレスリーさんと別れた。
「何か用事でもあるの?」
「あぁ、大切な用がな!」
シロの指示に従い、僕は住宅街から中心部へと歩いていった。
そこは様々な王国の商会や組合、公的機関が立ち並ぶ区域だった。
辺りを歩くのは、身なりの立派な人達ばかりだった。
僕らの住んでいる区域とは全然人種が違う。
「よし、ここだ」
シロの案内に従って辿り着いたのは仕事の斡旋所。
ボーエン王国内から様々な依頼が受付け、それを仲介する施設だった。
中に入るとお役所みたいに多くの人が動き回り、受付には女性の姿が見える。
そして室内の大きな壁のボードに、たくさんの紙が貼り付けてあった。
「――左から2番目、1番上の依頼票を取れ!」
何百枚もある紙の中から一瞬でシロは見つけ出し、僕はそれを引っ張って取った。
" ケート山賊砦討伐依頼 懸賞金2億ソラ "
「受付に持っていこうぜ」
「な…!何を言ってるんだよ!?」
「どうせ山賊討伐するんだ、ついでに金を稼ごうってんだよ」
「そ、そんなの無理だよ!」
「任せろよ!
ダチ公の俺が信じられないのか!?」
これ以上、シロには何を言っても無駄だった。
どうせ僕みたいな子供なんか受け付けてくれないだろうし…。
ダメなのを承知で依頼票の用紙を持って、僕は受付の方へと足を運んだ。
「す…すみません…」
「あら…どうしたの?もしかして道に迷った?」
「いえ、そうじゃなく…この依頼を受けたいんだけど…」
「え…」
依頼票を受け取った女の人が…呆れた顔に変わるのが直ぐに分かった。
「あのね…イタズラなら他でやってくれる?
私達も忙しいのだから、怒られる前に出ていきなさい」
「イタズラなんかじゃねぇよ!
依頼を受けに来たんじゃねぇか!」
受付の女の人の対応に、シロが抗議し始めた。
「これはケート山賊の依頼ですよ?」
「分かってるから持ってきたんだ!
なんだよ、それとも依頼を受けるのに資格でも必要なのか!?」
「資格は必要無いですけど預け金は必要ですよ?」
思わず溜息が出てしまった。
「規定として懸賞金の1割…この依頼ですと2000万ソラが必要です」
「アキヒト、持ってないか?」
「バカ!」
これは僕の個人的な感覚だけど、日本円に換算してその20倍。
つまり2000万ソラは4億円相当…になるのかな。
「すみません、お姉さん…お騒がせしました…」
「良いのよ、君も大変みたいね」
「はは…よくそう言われます」
頭を下げて帰ろうとしたが、シロはなかなか言うことを聞いてくれない。
「ちくしょう…レスリーにも借りを返せる絶好の機会なのに…!
これだけ懸賞金が入ってこれば屋敷の一つや二つ…!」
「お金が無いなら仕方ないよ。
さぁ、早く帰ろう…」
その時、僕達の真横から手が伸びた。
…ガチャ
受付カウンターに大量の貨幣が入った袋が置かれた。
「2000万ソラだ、確認してくれたまえ」
お金の入った袋を置いたのは…。
以前、図書館で僕に経済の勉強を教えてくれた人だった。
あの日一度会って以来、こうして顔を見るのは二度目だった。
「あ…確か、あの時の…『先生』…」
「また会えて嬉しいよ、アキヒト」
「え…そのお金は…」
「遠慮せず使ってくれたまえ。
討伐依頼が達成されれば戻ってくるんだ、その時に返してくれれば良いさ」
受付の女の人が袋の口を開けて…中から光り輝く金貨を見て驚いていた。
「白金貨…!それもこんなに!?」
かなりの大金らしい…いや、間違いなく大金だ。
「悪いな、借りておくぜ」
「シ、シロ!」
「良いんだよ、そんなはした金。
それとも必要じゃ無かったかい?」
「いや、必要だ!
この借りは後で倍にして返すぜ!」
「ははは、頼もしいね!
それでは君達の手腕に期待してるよ!」
借用書も何も作らず、『先生』は立ち去ってしまった。
「依頼の受付手続きは完了致しました…。
今ならまだ取り消しができますが、如何なさいます?」
「大丈夫だ、さっさと済ませてくれ!」
「か、かしこまりました…」
受付の人も不安な面持ちで書類を完成させてくれた。
なんかもう…。
またレスリーさん達に怒られるのが確定して、僕は頭が痛くなっていた。
レスリー達一行が辞した後、アヤは父親のトリス公爵に抗議していた。
「お父さん、冗談でしょ…?
アキヒトにケートの山賊砦の討伐を命令したなんて…」
「命令ではない…試験だ」
「同じよ!
今まで何度も討伐軍が出たのに、それでも落とせなかったんでしょ!?
そんな砦をアキヒト一人に何ができるのよ!」
トリス公爵自身、娘のアヤの言葉が突き刺さっていた。
落ち着きを取り戻すにつれ、勢いに任せた言動を思い出し悔いていた。
精霊の余りの無礼に腹が立ったとはいえ、あんな少年一人に突き出す試練では無い。
今思えば、余りにも大人気なかったと…アヤの声を聞きながら冷静になれた。
「…分かった。
改めて試験内容を考えて、レスリー卿に伝えよう」
「ほ、本当?」
「あの精霊は腹立たしいが、あの少年はお前のことを真剣に考えていた。
可愛い娘を真剣に想ってくれるなら、父親として悪い気はしない。
一度くらいお前の相手として真剣に検討してみよう…」
「あ…ありがとう、父さん!」
「礼を言うのは早い!
言っておくが試験の採点は厳しくするからな!
それに、これはお前が案内人するに相応しい人物かを判定する試験だぞ!?
婿試験とは別だからな!」
そしてレスリー子爵へ提示すべく、アキヒトの試験内容を考え始めた。
「大変です、ご主人様!
北で…北の地で…!」
このボーエン王国では最も情報伝達の早い人物の一人である。
アキヒトの試験内容が再考されることは無かった。
リトア王国北岸一帯
謎の浮遊物体出現と同時に、神聖法国と魔導王朝の監視体制が敷かれていた。
北海を臨む湾岸一帯に、数千の兵士達。
30km以上もの海上の上空で、視認不可能だが有事に備えて配備されていた。
その日の朝
朝靄の立ち込める中、港の漁師が異変に気付いた。
「あれ…?」
空には海鳥の姿が一つも見えない。
声も何も。
岸辺には小魚一匹さえ姿が見えない。
風も止まって空気が動いてない。
異様に海が静かだ。
ボコ…ボコ…
港から200メートル程離れた海から泡立った。
「え…」
興味を惹かれた漁師が見入る。
ボコ…!ボコボコ…!
泡立ちは急激に大きく――頻繁に泡立ち…
ザァー…!
海の中から、巨大な影を姿を現した。
「……!!!!」
漁師は驚いて声を出せない。
港に少しづつ影が近づくにつれ、海面から徐々に姿を現し始めた。
10メートル、20メートル…更に大きくなっていく。
ザァ…!!!
陸地から全体が上がると、朝靄の中に山のような巨大な影がそびえ立っていた。
ザァ…
ザァ…
巨大な影の背後からも、続々と海の中から新たな影が浮かび上がってきた。
同じく姿を現すと上陸し、巨大な影の後に従った。
また、一つ…また一つと姿を現して陸に上がった。
巨大な影を先頭に、集団は南へ向かって進軍を始めた。
進行方向は、ヴリタラ魔導王朝とトスカ―共和国の国境線付近。
ケート山岳地帯である。
次回 第32話 『 その名は敗残兵団 』