第29話 『 ダニー 』
"黒い月"出現から3日目。
生憎、僕の生活には殆ど変化が無かった。
「今のアキヒトにできることなんて何も無いだろ?
だから余計なこと考えるより、普段と同じ特訓と鍛錬と勉学に専念すべきだ」
シロの言葉は至極正論だった。
何の力も無い自分は、この世界で何の役にも立たない。
だから今も自宅の敷地内で、シロからの戦術特訓が続いていた。
「…よし、ようやく同時認識兵種が500を越えたか。
戦いの流れ、『旗』の取り方も多少は分かってきたみたいだな」
シロは連日、仮想空間上で多くの戦場を体験させてくれた。
様々な地形、天候、兵種、初期配置の布陣。
これらの状況から敵の動きを予測し、その予測に応じた陣形変更。
更に陣形変更から予測される敵の動きから、更なる次の予測。
文字通り2手、3手先を読んだ『旗』の取り合いを学んでいた。
また、この特訓と同時に木剣の素振りも続けていた。
イスターさんとガーベラさんは、"黒い月"が現実となって大忙しらしい。
神聖法国と魔導王朝が同盟を結ぶとも噂されている。
あの2人の多忙さを見ると、それも不思議では無いだろう。
『今の所、黒い月には何の動きも無い。
せめてアキヒトくんが元の世界に帰る日まで、何も無ければ良いのだが…』
レスリーさんは僕が勇者にならなかったのは、本当に幸運だと話してくれた。
他の勇者達は先日の式典もあって後に引き返せなくなっていた。
貴重な武具を下賜され、世界を救うべく一身に期待を受けてしまった。
その点、僕には『借り』が何も無いから問題は無い。
4年半後の儀式の際は、誰にはばかることなく帰還して大丈夫だろう…と。
しかしだからと言って、すんなり帰って良いのだろうか?
これだけ世話になった人達を残して、何の感情も無く帰れるわけがない。
今の自分には何もできないのも分かっている。
分かってはいるけれども…そんな堂々巡りの考えを繰り返していた。
そしてもう一つ。
誰にも話してないけど、とても気になることが有った。
"黒い月"が出現した夜。
街の騒ぎに気付き、僕達も外に出て空を見上げた。
城塞都市全体から多くの人達の悲鳴が上がり、大騒ぎになっていた。
その最中…"黒い月"を目にしたシロは確かに呟いた。
『…マズイな』
気のせいじゃなく、僕の耳にもハッキリと聞こえていた。
『シロ…今、何か言った?』
『いや、何も…』
それ以降、"黒い月"が話題に上がるとシロは決まって言葉が少なくなった。
僕の目から見ても、シロが明らかに話を避けているのが分かった。
…今さらだが、僕はシロのことをよく知らない。
最初に召喚された時、神官の人達は草や花の精霊だろうと教えてくれた。
だが、精霊にしてはシロの知能が高すぎる。
本を読んだだけで高度な学問、複雑な魔法まで直ぐに修得してしまった。
逆行催眠から無事に帰還し、今までは嬉しくて気にも留めなかった。
生きて還ってきてくれたのだから、それ以上望むことは無い。
だが、冷静になって考えてみると変だ。
シロが逆行催眠を初めてから終わるまで約4ヶ月。
その期間、全て逆行催眠中だったとしたら、どれだけの時間を遡っていたのか?
一般的には1時間で1000年逆行するらしい。
逆行前、シロならその100倍の早さが可能だと話してくれた。
つまり1時間で約10万年
それを24時間連続で、それを4ヶ月間続けていたとしたら――
「…なぁ、アキヒト。
見せたい物が有るんだが、少し散歩に行かないか?」
戦術特訓の途中、突然周囲の仮想空間が消失して現実に戻された。
「え、あれ…特訓はもう良いの?」
「だから、今からお前に見せたい物が有る…今日はここまでだ」
「なに…何なの?」
「それは見てのお楽しみだ。
アキヒトもきっと気に入ってくれると思うぜ!」
「あ…うん、分かったよ」
シロに急かされて、僕は家を出た。
「早く!早く歩けよ!」
「はは…待ってよ」
「早くしろ!こっちだよ、こっち!」
空中を浮かんで飛ぶシロが先行して、僕がその後を追う。
よく分からないが、とても楽しそうだ。
シロの後を追って歩くと、城塞都市の高い壁が眼の前に迫ってきた。
自然に人通りも多くなり…僕達は城門を抜けて外に出た。
この城塞都市はボーエン王国の中心部として知られる。
商業、産業、政治の重要施設が密集しているため、人の出入りも多い。
日中の時間帯ならば、城門で荷馬車や人々の流れが途切れることは無かった。
そんな光景を僕達は城塞都市の外…少し離れた場所の草原から眺めていた。
「それで、何があるの?」
「それは見てのお楽しみだ」
「はは…」
前も見たけど、見渡す限りの青い草原。
どこまでもどこまでも続き…元の世界の関東では見られそうにない。
とてものどかで平和な景色だ。
この眺めを見ることができただけでも、この世界に来た意味が有ったかも…
その時、突然けたたましく鐘が鳴り響いた
「これより城門を閉める!
付近の者は速やかに中へ入れ!
時間が無い!
早く中へ入れ!」
この城門だけではない。
城塞都市全体から鐘の音が鳴り響き、内外の人々に避難を促していた。
しかし多くの人々の最初の反応は乏しかった。
「何だ…」
「どうした?」
空は青く澄み渡っていた。
雲一つ無い陽気な午後には余りにも不似合いな警鐘だった。
多くの人々は何かの誤報かと疑っていた。
「魔獣!魔獣接近!
早く中へ逃げこめ!すぐにやってくるぞ!」
知らせが広まると、群衆が恐慌状態に陥るのは一瞬だった。
次々と外に出ていた人々が城門に殺到し、城塞都市は混乱状態に。
出立したばかりの荷馬車隊までもが、城門前に慌てて引き返していた。
「ぼ、僕達も中に避難を…!」
「必要無ぇよ」
「え…シロ?」
「あと少しで来る、大人しく待ってろって」
背後の群衆の騒乱とは裏腹に、シロは平然としていた。
「来た、見えてきたぞ!
早く城門閉めろ、急がせろ!」
城壁の見張り塔から、兵士が平原に向かって指をさしていた。
見ると、その方向に土煙が見える。
土煙の中に何かが……凄い勢いで城塞都市に迫ってくるのが見えた。
「お前も早く中へ入れ!」
守備兵らしき人に肩を掴まれると、城門の方へ押された。
「いや、僕は…!」
「早くしろ!ここは俺達に任せるんだ!」
人々の流れとは逆に、10人以上の衛兵が城門外へ出てきた。
ボーエン王国城塞都市の守備兵らしい。
神族や魔族の騎士に力は及ばないが、彼等も正真正銘の兵士だった。
人々が中へ逃げ込むまでの時間を稼ぐべく、勇敢にも全員が立ちはだかる。
凄まじい早さで近づいてきた…が、衛兵達を前に魔獣は突然動きを止めた。
立ち止まって、その異形の姿が人々の目に晒された。
「な、なに…あれ…」
高さは2メートルから3メートルはあろう巨大な身体。
本体前部には巨大な複眼が一つ、その下には顎らしき器官。
下部からは左右1本、計2本の巨大な節足が生えて身体を支えていた。
上部には鋭く前方に伸びた触覚が左右各1本で、やはり計2本。
身体全体は暗い黄色に染まっていた。
「だ、誰か知っているか?」
「いや、あんな魔獣聞いたことも…」
この世界の人達でさえ知らないらしい。
別の世界出身の自分も知らないし、何なのか見当さえつかない。
衛兵は応援が加わり20人以上に達していた。
全員が抜刀すると、魔獣を警戒しながら遠巻きに囲んでいった。
「…来るぞ!」
立ち止まっていた魔獣が、二本足でゆっくりと歩き始めた。
進行方向は都市城門…その前には衛兵達の壁。
「今だ!」
合図と共に、20人以上の衛兵が一斉に剣を振り上げて斬りつけた。
ガシッ…!
「くっ…!」
瞬きするよりも早く、衛兵達の剣は地面へ転がり落ちていた。
魔獣が鋭い触覚2本を高速で振り回し、剣を叩き落としたらしい。
衛兵達に負傷こそないが、剣を叩きつけられた衝撃で痺れた手を押さえていた。
「我々に任せよ!」
続いて城門から颯爽と登場したのは黒い装束の騎士団だった。
魔導王朝…ガーベラさんと同じ教導騎士団の人達だろう。
人間の衛兵とは比較にならない早さで抜刀し、魔獣に立ち向かった。
ガンッ…!
魔獣の触覚と魔導王朝の剣が衝突し、鈍い音を立てる。
続いて4人の騎士達も加わっての戦いが始まった。
「凄い…」
僕と同じく、城門付近で立ち止まっていた人達も目を奪われていた。
王朝騎士達の縦横無尽の動きに何ら遅れを取ることは無かった。
魔獣自身も太い節足で駆け回り、寧ろ単純な早さでは上回っていた。
5人の魔族騎士達との剣戟も何ら苦では無いように見える。
「加勢する!」
更に神聖法国の騎士達までもが剣を抜いて魔獣に立ち向かった。
合わせて10人以上もの騎士を相手にするが、それでも怯む様子は無い。
いや、余りにも常識外の動きで騎士達を翻弄してさえいた。
―――――――――『慣性ベクトル変更』――――――――――
魔獣は高速で疾走するだけでなく、直角方向転換を繰り返していた。
3メートル近い巨体で有りながらジグザグに動き、目で追うのさえ困難だった。
跳躍しても空中で突如方向転換し、騎士達の視界から姿を眩ませる。
「な…!何なのだコイツは!」
慣性を度外視した機動性には、神族と魔族の精鋭騎士達も舌を巻くしか無かった。
「――そこまでだ!騒がせて済まなかったな!」
魔獣と間合いが遠く離れると、突然シロが大きな声を出して騎士達に呼びかけた。
「ソイツは仲間なんだ!
誰にも危害を加えないから安心してくれ!」
剣を構えていた騎士が驚き、僕達の方へと振り向いた。
「君達は確か…召喚された勇者の…」
「その通りさ、アンタ等には手間を掛けさせて悪かったな」
「いや、それよりあの魔獣は…」
「証拠なら見せてやるよ」
…ッ!
魔獣が騎士達の一瞬で間を縫って駆け抜け、僕達の前に辿り着いた。
「うわっ…!」
突然眼の前に現れた巨大な魔獣を前に、僕は驚いて後退りしてしまった。
しかし直ぐにその場へ座り込み、僕達に向けて深々と頭を下げた。
「…え」
「はは、怖がんなよ。
コイツは大人しい奴なんだから」
とは言うものの、とてもおっかない。
この昆虫のような…巨大な複眼で見られるのは凄い威圧感がある。
「この魔獣は…本当にシロの仲間なの?」
「魔獣じゃない、『クダニ』だ。
アキヒトの馬代わりにしようと思って呼んだのさ」
「う、馬って…」
「乗ってみろよ、その方が話が早い」
すると、シロが『クダニ』と呼んだ魔獣の複眼の一部が分離した。
上に開いて中を覗くと空洞に…座席が一つ用意されていた。
「僕が…乗るの?」
「さっきからそう言ってるだろ!?さぁ、早く乗ってみせろよ!」
「え、だって…!」
腰が引けていた僕だが、突然見えない力で宙に浮かび上がった。
「往生際が悪いぞ、アキヒト!」
そのまま宙を漂いながら、『クダニ』の方へ…強引に座席へ座らされた。
「特急で仕上げたんだが、乗り心地はどうだ?」
「い、いや…乗り心地って言うか…」
中には計器類も何も無かった。
単に僕一人と座席らしい形状の物質が入っているだけの空間。
座席は何らかの合成繊維で作られているためか弾力が有り、座り心地は悪くない。
狭いけれども閉塞感は無かった。
なぜなら搭乗席付近は全て透けており、周囲の視界が全て開けていたのだから。
『クダニ』の外装越しに、騎士団の人達の顔まで見える。
「試運転行くぜ!」
扉も閉めずシロが掛け声を出すと『クダニ』が立ち上がり、大きく跳んだ。
「う、うわぁぁぁ!」
「飛ばすぞ、しっかり掴まってろ!」
操縦桿も何も無い席で何に掴まれと言うのか。
凄い早さで『クダニ』が動き出したのが分かり、座席にしがみついた。
そんな僕の都合は完全無視で疾走は止まらない。
だが最初はびっくりしていたものの、時間が経つにつれて周りが見えてくる。
「わぁ…」
見渡す限り…果てしなく続く草原を、僕達は駆け抜けていた。
『クダニ』が飛び跳ねるたびに、景色が大きく変わる。
開口部からは風が入り込み、僕の髪の毛が激しくなびいていた。
今まで乗った、どんな乗り物よりも速い。
新幹線の最高時速にも負けていないような気がする。
「す、凄いよ、シロ!」
「気に入ってくれたか?」
「うん!」
「これは俺からのちょっとしたプレゼントだ。
アヤも何か用意してくれるようだが、俺からもな」
「あ、それで…」
「コイツは伝説の武器なんかに負けちゃいねぇよ」
「うん、最高だよ!」
最近、色々と思い悩むことが多かった。
けれども、こうして草原を駆け抜ければ何もかも嫌なことを忘れられた。
平原同盟秘蔵の武器よりも、この『クダニ』の方が嬉しかった。
「せっかくだ、名前を付けてやれよ」
「え…『クダニ』が名前じゃないの?」
「『クダニ』は種族名…みたいなものかな。
お前だって種族名は『人間』だが、個体名は『アキヒト』だろ?
だからコイツにも個体名を付けてやれってことだ」
「なるほど…それじゃ……」
疾走する『クダニ』の個体。
跳躍で揺られながら考え込み――が、僅か3秒で名前が浮かんだ。
「『ダニー』で良いかな?」
「実に…実に安直だな」
「ははは…」
「まぁ、単純で良いかもな。
呼びやすい名前だし、覚えやすいからな」
「よし、決まった!
これからお前の名前は『ダニー』!
僕はアキヒト、よろしくね!」
座席から声を上げると、ダニーは嬉しかったのか一際大きく飛び跳ねた。
それから更に走り回っていた。
どこまでも続く草原を全力で駆け抜けるのは、とても楽しい。
僕もシロもダニーも、時が経つのを忘れて遊んでいた。
…城塞都市に帰ったら大目玉になるとも知らずに
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