第26話 『 旗 』
ボーエン王国城塞都市の並木通り。
まだ青い葉が生い茂る木々の下を、白い士官服に身を包んだ青年が歩いていた。
白を基調としたパラス神聖法国騎士団支給の制服。
青年を知る者なら、いつもと違う様子に困惑するであろう。
常に陽気で何もかもいい加減な男が、今は珍しく神妙な顔つきになっていた。
その足取りも決して軽く無い。
晴れ渡った天気とは裏腹に青年の表情は重く沈んでいる。
すると背後から黒い馬車が近づき、真横で止まると扉が開いた。
「アキヒトに会いに行くのか?」
「…まぁな」
「乗れ」
馬車の中の魔導王朝女性騎士に促され、神聖法国騎士が乗り込んだ。
「乗っけてくれるとは意外だな」
「乗り込んできた方が意外だ」
それだけの会話を交わすと、イスターとガーベラは無言で馬車に揺られていた。
馬車の窓から外の景色が緩やかに流れていく。
「…なぁ、竜人族のババアの話は聞いているか?」
「言葉に気を付けろ。
我々と種族は異なるが偉大な御方であるぞ」
「偉大も何も、あの話が本当なら意味なんて無ぇだろ」
イスターが覗く窓から街並みが見える。
天気も良く晴れ渡っており、道を行く人々の表情は明るい。
「俺には信じられねぇよ…。
本当にこの世界が終わっちまうのか…?」
先日、ボーエン王国在中の騎士団本部より緊急招集命令が下された。
何事かと団員が駆け付ければ、騎士団長が悲痛な面持ちで伝えた。
『全員、心して聞いて欲しい。
本日未明、本国にて法皇猊下が大動員令を発せられた…』
同時に神聖法国全土にて厳戒態勢が敷かれたという。
対象は法国全将兵であり、最終的には百万以上に達する見通しである。
『本国で一体何が!?』
『猊下は何をお考えなのです!?』
騎士団のみならず、法国出身者の者達から本国へ問い合わせがなされた。
今回の動員令発信元は大パラス法議院。
法議院内の枢機卿達との協議を経て、法王の名の下に決議された。
『今になって魔族との再戦を!?』
『500年前の惨劇をまた繰り返すお積もりか!?』
開戦など有り得ないとする意見は、神聖法国内でも同じだった。
この平穏な情勢下での派兵は、大陸全ての勢力を敵に回すに等しい。
仮に、アコン山脈の要害から百万の軍勢を送り出したとしてどうなるか?
神聖法国も経済発展を遂げたが、魔導王朝には及ばない。
アコン山脈は敵対勢力から自国を守護したが、同時に経済発展も遅らせていた。
対して魔導王朝は大陸平原同盟と密に接し、今も発展を遂げている。
今は分が悪いと誰もが心得ているが、直ぐに杞憂であると知らされる。
" ヴリタラ魔導王朝に対する軍事行動には非ず "
多くの者達が一時は胸を撫で下ろした。
だが、後になって魔導王朝との開戦の方がまだ救われたと思う者が出始めた。
動員令が下されて翌日。
竜神族の大巫女シーダンから神聖法王宛に親書が届けられた。
これまで数々の予言を的中させ、大陸内でも屈指の霊能力者として知られる。
大パラス法議院もその親書の内容を無視できなかった。
”世の滅絶に安寧の慈悲を懇願するのみ”
「つまり、分かり易く言い直すとだ…。
世界の終わりの日には苦しまずに死なせてくれってことか?」
「ほぅ、貴様も知っていたとはな…。
上で止まって下に話は回ってないと耳にしたが」
「叔父貴が教えてくれたよ、知りたくも無かったがな」
発信源が一つならば、少なくとも他勢力からは重要視されなかったであろう。
だが、パラス教神像群の血涙、大巫女シーダンの親書、宗主ヴリタラの緊急参集命令。
これらが同時に発生すれば、誰も笑い飛ばすことなどできなかった。
「喜べ、騒動が終わるまでお前の首は預けておく」
「貴様こそ…情勢の変化に感謝するんだな」
既にイスターとガーベラの間に険悪な空気は存在しなかった。
この2人のみならず、水面下では神族と魔族の意見交換が頻繁に行われている。
過去の因縁を捨て今は一時的にでも手を結ぶべきでは無いかと。
両種族共に決して一枚岩ではなく、未だに開戦を望む声も一部には存在した。
だが、この事態に有って開戦を主張する程愚かでも無かった。
今は災厄の予感が、神族と魔族が友好関係を構築する契機になろうとしている。
「そういえばオマエ、なんでアキヒトの家に向かってるんだ?」
「それは此方の台詞だ。何の用が有ってアキヒトに会おうとしている?」
目を反らし一瞬何かを考えたようだが、イスターは言葉を続けた。
「…ここは俺達の世界だ。
だからもし世界が滅ぶのなら、住人の俺達が一緒に滅ぶのも納得できるさ。
だが、アイツは部外者だ。
俺達に付き合わせて死なせる理由は無い」
「では、どうすると言うのだ?」
「それくらいオマエだって考えてるんだろ?
順番だ、今度はそっちが話せよ」
「…次の異世界帰還までの5年間、守ってやらないといかんな。
予言通りに黒い月が出現するとしたら999年。
次の儀式可能な時期が1001年。
その差、2年間を守り切らねばならん…」
「別にオマエが責任放棄しようが、俺は全然構わんが」
「貴様こそ私に任せて、遊興に明け暮れるが良かろう」
馬車がアキヒトの家の前で止まった。
扉が開かれて2人が降りると、家の扉の方へと向かった。
「駄目だ!全然なってねえ!」
その時、2人から死角となった家屋の向こう側から声が聞こえた。
「まだ始まったばかりだ!ほら、さっさと続き行くぞ!」
「う、うん!」
この家は一般的な庶民用だが、敷地は意外に広い。
2人が表に回ると、立ち尽くすアキヒトと空中に浮かぶシロの姿が見えた。
「何やってんだ?」
「何をしておる?」
近づいて見れば、アキヒトは目を閉じて立っていた。
両の拳を握りしめて、額からは汗が流れだして歯を噛みしめていた。
「おう、お前達か。
悪いがアキヒトは今特訓中でな、声は聞こえてないんだ。」
「特訓…?何の特訓だ?」
「戦術さ。
アキヒトは今、仮想空間で120の味方兵種を操っているんだよ。
一つも余すことなく、全てを同時に把握してな。
対する敵対兵種も120。
同数だが、かなり苦戦してんな…。
まぁ、始めたばかりだし最初はこんなモノか」
――この時、アキヒトの知覚神経がシロと接続されていた
アキヒトの眼前に広がっていたのは丘陵地帯。
山岳部と僅かな平地が入り組んだ地形。
味方の駒が120
敵方の駒が120
リアルタイムで移動して布陣を変える敵の駒に対し、
アキヒトも味方の駒を動かして対応していた。
「良いか、アキヒト!
戦いなんてのは無限に存在するんだ!
兵数、兵種、地形、多くの要素が混じり合って戦いが成り立つんだ!
だがな、無限に変化しても本質は変わらない!
その戦いの本質を掴めない奴は絶対に勝てないんだ!」
「う…うん!」
「その一つが『旗』だ!」
「は、旗!?」
「そうさ、旗だ!
戦場では旗を取れるかどうかで、勝敗が決まる!」
「ど、何処に!?
旗なんて何処にも立ってないよ!?」
「物の例えだよ、『旗』ってのは!
『旗』を手にすれば戦いを有利に動かすことができる!
逆に『旗』を取られたら後手に回って不利になる!
例えばだ、敵の布陣と動き方をよく観察してみろ!?
そこに何かしらの意図が必ずあるはずだ!
その意図を正確に読み取り、その一歩先を行くんだよ!」
「よ、読み取り…一歩先に…?」
「だが、それは敵も同じだ!
常にお前の動きを見ながら敵だって布陣を変えている!
つまり敵を動かしているのはお前でもある!
だから、味方に有利になる布陣に敵を動かすんだよ!
それが『旗』の取り方の一つだ!」
「他にもあるの…?」
「そりゃ、幾つもあるさ!
戦争の本質を理解している奴ほど、あらゆる手段を使って『旗』を取る!
一番『旗』を取りやすいのが兵力差だ!
敵より兵力が多ければそれだけ『旗』を取って戦いを動かし易い!
次に挙げるとすれば機動力だ!
敵より早く動けるなら、それだけ『旗』を取り易い!
頭の良い奴はな、昔からどうすれば早く動けるか常に考えてたんだ!」
「ちょ、ちょっと!
一度に言われても覚えきれないよ!」
「仕方ねぇな……よし、少し休むか」
アキヒトの仮想空間内、敵の駒が動きを止めた。
「今も言った通り、どんな戦争でも兵力はとても重要なんだ。
お前にも分かると思うが、少数で多数の敵に打ち勝つのは難しい。
歴史上、少数で多数に勝った事例は殆ど無い。
だが、彼我の兵力差が絶対な勝利条件という訳でも無いんだ。」
「少なくても勝てる場合が有る…?」
「そう、数は少ないが稀に勝利した事例も確かに有る。
その勝因が『旗』なんだ。」
歴史上、戦争の天才と呼ばれる人物は幾人も表舞台に姿を現した。
彼等は戦争の本質を理解し、戦局を有利に動かす術を心得ていた。
ある天才はあえて高地を敵に占領させた。
高地の奪取が戦局を有利にするなど誰もが知っており、常識化されていた。
だが、思惑通り高地を占領させたことで彼は『旗』を手にしていた。
ある天才は大河を後背にして味方を布陣した。
川を背にした布陣は悪手とされ、敵方は迷うことなく攻勢を仕掛けた。
だが、思惑通り背水の味方を攻撃させたことで彼は『旗』を手にしていた。
「戦争なんてのはな、要は『旗』の取り合いだ。
分かっている奴ほど、一度手にした『旗』を絶対に手放したりしない。
あらゆる注意を払って『旗』を死守し、他の戦場の『旗』まで取りに行く。
最終的に全ての戦場で『旗』を取れば、戦いを有利に進めることができるんだ。
逆に『旗』が奪われたら、全力で取り返しに行かなければならない。
その為に兵力の補充、機動性を活かした集中的な運用等が手段に挙げられる。
それで『旗』を取り返せなければ負け、もしくは退くしかない」
「む、難しそうだね…」
「当たり前だ、簡単にできてたまるか。
だがな、この世界の奴等だって上手い奴はいるぞ。
おそらくお前の世界の人間だって上手い奴がいるはずだ」
「それって凄い有名な人達なんじゃ…」
「ソレをお前にもできるように特訓してんだよ。
俺のダチ公なんだから、それくらいできてくれないと困るぜ。
…っと、そうだ。客が来ているぞ。」
仮想空間が消え去り、目を開けるとアキヒトは家の敷地に立っていた。
「よぉ」
「久しぶりだな」
「あ…イスターさん、ガーベラさん、お久しぶりです!
すみません、気付かなくて…。」
「で、お前は何やってんだ?」
「用兵…らしいです」
「なんで兵学なんて勉強し始めたんだよ?」
「それは話すと長くなるんですが…。
色々あって、シロと約束したんです」
「まぁ、それに関しては後日酒でも飲みながら聞く事にしてだ…」
「待て!まだアキヒトに酒は早いぞ!」
その時になって初めて、アキヒトは2人の様子が前と違うのに気付いた。
「あれ、今日は一緒に来たんですか?」
「ん…あぁ」
「そうだが」
「前まで不穏な感じだったのに…今は違うんですね。」
「一時休戦だ」
「今はそれどころでは無いからな」
「法国も王朝も大変らしいのは噂で聞いてます。
ですが、御二人が仲良くなったのなら悪いことじゃないですね」
「仲良くなったんじゃねぇよ」
「そう…休戦だ、休戦」
と言いつつも、イスターとガーベラに以前の不穏な空気は無くなっていた。
それどころか微かに笑い、和解したかにも見える。
「それでお前、剣の鍛錬の方はサボってないだろうな?」
「はい、そちらも毎日続けてますよ」
「よし、そろそろ技も教えてやるよ、実戦形式でな」
「え…それって」
「法国騎士団一の剣さばきを教えてやるって言うんだよ!」
「…待て。アキヒトの剣に余計な癖を付けるのは止めろ」
横からガーベラさんが割って入ってきた。
「余計な癖だと…?」
「基本ばかりだと流石に飽きるだろうからな。
アキヒトには、由緒正しき王朝の剣術を指南してやろうぞ」
「たかだか500年程度の歴史で由緒を語るんじゃねぇよ」
「たかだかだと…?」
「今まで通り、素振りの面倒程度なら大目に見てやると言ってんだ。
俺は慈悲深いんだ、それくらいは許してやるよ」
「貴様こそ自分の立場がよく分かっておらぬようだな…?
補欠は補欠らしく身の程を弁えるが良い」
「誰が補欠だ!」
つい先までの和やかな雰囲気が見事に霧散していた。
「中央平原よりも広い心の持ち主の俺でも、怒る時は怒るぞ…?」
「魔導王朝随一温厚な私でも、情けに限りは有るのだぞ…?」
「…やっぱ、休戦は無しだな」
「帰ったら遺書をしたためておくのだな」
2人を見てアキヒトは溜息を漏らさずには居られなかった。
平和というのは短いからこそ尊いのかもしれない。
そしてシロが剣術など役に立たないと言ったのを思い出す。
真の強さには関係無いと。
剣や魔法など、極めても高が知れていると。
だが、シロが何と言おうと2人からの指導を受けるつもりでいた。
それくらいなら許してくれるだろう。
なぜならアキヒトはダチ公を信じていたのだから。
参考文献
ⅰ) J.F.C.Fuller.(1926)," The Foundations of the Science of War ".
ⅱ) HEADQUARTERS DEPARTMENT OF THE ARMY.(Feb 2008),FM 3-0," OPERATIONS ".
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