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孤独な粒子の敗残兵団  作者: のすけ
第1部 演習編 「 少年は世界の広さを知る 」
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第19話 『 最大の幸運 』



「アハハハハ!」


図書閲覧室で、アヤ姉が微塵の遠慮もなくお腹を抱えて笑っていた。


「アヤ!ここは騒いで良い場所じゃないのよ!?」

「だって、だって…!」


ドナ先生が厳しい口調で責めるが、その笑いは簡単に止まることは無かった。


テーブルの上に積み上げられたお菓子の作り方の本の山。

普段の専門の研究書や参考書とは全く異なる光景。


ドナ先生が熱心に読んでるのを見ただけでアヤ姉は噴き出した。


理由を聞いて大笑いに変わった。


「一番悪いのはアキヒトよ!」

「え、なぜ!?」

「アンタが余計なことを言うからよ!

 もう少し気の利いたフォローができなかったの!?」


そもそもさ。

普段から女の子らしくしてれば、そんなフォロー入れる必要も無かったのだけど…。


「え、なに?

 普段から私が女の子らしくしてれば問題無いとか考えてない!?」

「か、考えてないよ!」

「それにね、なぜもっと時間を稼げなかったのよ!?

 今日と明日、たった2日しか時間が無いなんて…!」

「だ、だって…集中して勉強の面倒なんて2日くらいしか…」

「こんなくらいなら1年でも2年でも面倒見てあげるわよ!

 そうすればお父様だって、そのうち約束なんて忘れるでしょうに…!

 本当に気が利かないんだから…!」


本気でレスリーさんが気の毒になってきた。

ドナ先生を女の子らしくなんて、僕には荷が重すぎる。


それで僕もお菓子作りの本を一冊、手に取ってみた。


「…僕の世界と変わらないですね」


イラスト付きで書かれていた作り方の指南。

それは元の世界の本屋で見かけるのと殆ど変わらない気がする。


クッキーの材料は…


小麦粉、薄力粉、バター、砂糖、塩、ココア、チョコレート…


ここで疑問が生じた。


「アヤ姉、砂糖や塩はどこが産地なの?」


「どちらも南方産よ。

 砂糖はデーシュ産、塩はソンクラー産が有名ね」


砂糖は南方のキビとヤシから、塩は天日を利用した塩田から作られるという。

そしてアヤ姉が即答できたのが意外だった。


「へぇ…詳しいんだね」

「将来は外交の仕事を希望してるんだから、これくらい知ってて当然よ」

「大したことじゃないわよ。

 砂糖と塩の産地なんて普通に中等部で勉強することだもの」


それまで自慢げだったアヤ姉が口をつぐんだ。

明らかに、さっき笑われた仕返しなのが僕にも分かった。


「南方って…かなり遠くないです?

 どうやって運ぶんですか?」

「荷馬車に決まってるじゃない」

「それって、とても時間がかかるんじゃないですか?」

「昔に比べたら随分早くなったわよ。

 近年は街道も整備されて、荷馬車自体も全然別物だから」


現在、平原同盟を基点とした流通網は魔導王朝と南方へ広がっている。

その為、この人間社会では各地から多くの物品が流入している。


「ともかく、流通形態や各地の産業の勉強は後日おこなうとして…。

 今はお菓子をどうにかしないと…」

「レスリーさんには焼き菓子と言っちゃいましたし、クッキーはどうです?

 お手軽に作れそうですけど」

「クッキーね…食べるのは得意だけど作るのは…」


僕もレスリーさんと同じく幻想を抱いてたのかもしれない。

普通、女の子なら料理の一つくらいできるものだと思ってた。


女の子…女の子なら……ん?


「アヤ姉は料理できるの?」


「……え”」


答えを聞くまでも無く、その表情が全てを物語っていた。


「良い機会だからアヤ姉も一緒に作ったら?」

「な、なんで私まで…!?」

「何事も経験だと思うよ。

 一度くらいお菓子作りなんて良いんじゃない?」

「それは…そうかもしれないけど…」


そういえばアヤ姉も女の子らしい所が見つからない。

普段の言動も男以上に男らしいし、このまま成長したら危険な気がする。


手遅れかもしれないが、何もしないのも申し訳ない気がした。




「――という訳で、お願いします」


「はい、私でよろしければ」


1時間後、自宅でティアさんに2人の指導をお願いした。


「すみません、いつもお世話になってばかりなのに仕事を増やして…」

「いえ、全然構いませんよ」


嫌な表情一つ見せず、笑顔で引き受けてくれるティアさんが天使に見えた。


「まぁ、良いわ。お父様のため、一生に一度の料理くらいは…」

「なんで私まで…今日は来るんじゃなかった…」


…なのにこの2人は。


ドナ先生はレスリーさんのこともあって少しだけ前向きだった。

だが、アヤ姉のやる気の無さは絶望的すぎた。

お菓子作りというか料理にこれだけ拒否反応を示す女の子も珍しいような。


絶対無理だと思うけど、ティアさんを見習ってほしい。

あの女の子らしさの半分…三分の一…一割…いや、1%でも有れば…。



「2人とも、もう少し発想を変えてはいかがです?

 お菓子作りって、とても楽しいですよ。

 自分だけのお菓子を作って、誰かに食べてもらう時を考えたら…」


頑張って、少しでも2人のやる気を促そうとするティアさんには感謝しかない。


「僕、代わりに何かお手伝いしますよ」

「いえ、何も手伝って頂くようなことは…」

「遠慮しないでください、僕だって少しくらい役に立ちたいんです」

「…そうですか?

 では、代わりにお買い物をお願いしますね」

「はい!」


ティアさんの労力を考えれば、この程度は全然容易いだろう。

だが何かお手伝いせずにはいられなかった。


「2人とも、ティアさんにあまり面倒かけちゃダメだよ」


「うるさいわね!」

「さっさと行きなさい!」


殺気立っていたので、僕は速攻で家の外へ逃げた。




こうしてティアさんからの臨時料理講座が2日間続いた。


そして3日目、ドナ先生は僕の自宅でレスリーさんに御馳走したいと言い出した。

2日間でも使い慣れた厨房の方が料理し易いらしい。

レスリーさん自身も、良い機会だから僕の自宅を見ておきたいらしかった。


その時、初対面のティアさんと挨拶を交わした。


「はじめまして。

 アキヒトさんの世話を仰せつかってるティア・フロールと申します」


「はじめまして、私はアキヒト君の後見人のレスリー・アグワイヤ。

 いつも彼が世話になっているようだね」


「いいえ、大したことではありませんので…」


ティアさんがスカートを端を摘んでお辞儀した。

その所作がとても自然で、素人目の僕から見ても様になっていた。


「フロール家というのは…」

「母方の姓を名乗ってますが、今はブーロイ家の者として参っております」

「そうかね…」


レスリーさんは何か察したらしく、それ以上は何も詮索しなかった。



「さて…まさかドナが…こんな光景を見られるとはね」


気を取り直し、僕とレスリーさんの2人はリビングの食卓に着いていた。

隣部屋の厨房にはエプロン姿のドナ先生、アヤ姉、ティアさんが見える。


その料理風景にレスリーさんは、とても嬉しそうだ。

最初に会った時は非常に厳格な印象が有ったが、今はその欠片が一つも無い。


その上機嫌なレスリーさんとは対称的に、僕は非常に申し訳無く思えた。

前に招待された邸宅と異なり、ここは本当に庶民の住宅だった。

割と広めの敷地の一軒家だが比較にならない。


「すみません、レスリーさん。

 こんな…えっと、普通の家にお招きしてしまって…」

「何がだい?」

「だって…レスリーさんは子爵なんですよね?

 ですから、それなりに立派な家でないと失礼だと思って…」


その言葉に、レスリーさんの笑みが薄れていった。


「御存じかと思いますが、

 他の勇者候補の人達には立派なお屋敷が割り当てられたそうです。

 僕みたいな手違いで無ければ…」


「…それは違う。

 これは社交辞令でも慰めでも無く、本心から君で良かったと思うよ」


僕にはレスリーさんの意図が分からなかった。


「君は偶然の手違いでこの世界に呼ばれたというが、私にはそう思えない。

 私はね、この偶然こそ天の采配だと信じている」


「…卑屈になるつもりは無いですが、僕は凡人です。

 そんな大した人間では有りませんが」


「少なくともね、私個人にとっては最大の幸運だったよ。


 ドナが君を選んでくれて…。


 そんな君を、この世界に呼んでくれた偶然には感謝しないとね」


「なぜ僕を選んだのが幸運なのです?

 率直に言いますと…レスリーさんにとって僕なんか貧乏くじでは…」


「――つい先日のことなんだがね。

 大陸平原同盟から勇者候補達に爵位授与が決まったんだ。

 同時に領土も封じられるということだ」


当たり前だけど僕は初耳だった。

何しろ手違い勇者候補だし…知らされないのも無理は無い。


「せ、先輩達…いえ、他の勇者候補の人達は貴族になるんですか!?

 す…凄いですね、領地まで貰えるなんて…」


「私はそう思えない」


「何か有ったんですか?」


「勇者候補達はね、平原同盟首脳に更なる領地の増封を要求してるんだよ」


競合相手の神族と魔族に差をつけるべく、いち早く爵位と領土を提示した。

勇者候補達の平原同盟所属を既成事実化を試みてである。

だが彼等は即断せず、神族と魔族からの勧誘を引き合いに出した。

その本心は更に高い爵位と広大な領土の要求である。


「しかも案内人達の…少女達の親族が、その要求を後押ししている。

 つまり外戚になっておこぼれを預かろうという魂胆だよ。

 だから今、平原同盟と勇者候補、外戚貴族達は腹の探り合いさ。

 平原同盟にしたって、どの国がどれだけ割譲するか分担割合で揉めている。

 勇者候補と外戚貴族だって、本心では互いを信用していないだろうね…」


そしてレスリーさんは深い溜息をついた。


「これは、この世界の一員としての意見だ。

 アキヒト君は不快になるだろうが聞いて欲しい…。

 君達の生活を無視して、この世界に呼び出した責任は私達にある。

 その点に関しては弁明の余地も無いし、本当に申し訳無いと思っている。

 だが、その弱味に付け込んで貪欲に利を得ようとする姿勢はどうだろうか? 


 神獣の加護を受け 強大な力を手にした勇者候補だからといって…。

 高い爵位を持ち、広大な領土を獲得し、数多くの少女を侍らせて…。

 何をしても許されるのだろうか?


 彼等はお互いの了承の上だと主張するかもしれない。

 決して強奪した訳では無く、正当な手続きを踏んだ上での結果だと。


 だが、この世界の人々の目には如何に映っているのかな?

 余所者が突然貴族となり領土を有し女に囲まれるのを見て、どう思うか?


 そんなことも想像できないのかと…」


トーンを落として話していた。

向こうのドナ先生達に聞かれたくないのは僕にも分かった。


「そんな考えの私は貴族失格だと承知しているよ。

 親戚連中からも五月蝿く言われていてね、もっと欲深くなれと。

 もっと領地と資産を増やせと会うたびにお説教だ。

 しかし私はね、どうでも良いんだ。


 領地も資産も家名も…娘さえ幸せなら他には何も要らない」


「レスリーさん…」


「ドナを人身御供に差し出してまで金儲けなんて論外だよ」


台所から女の子3人の声が聞こえる。

お菓子作りを楽しんでの笑い声が、まるで遠くの出来事のように思える。


「だから、アキヒト君を選んだドナを褒めてあげたいよ。

 そして君をこの世界に連れてきた偶然に私は心から感謝したい。

 お陰で余計な争いに巻き込まれずに済んだよ。

 仮に手違いで呼ばれなければ、ドナは仕方なく他の勇者候補達を選んだろうね。

 そんなことになったら…想像するだけで寒気がするよ。


 アキヒト君が召喚されドナが選んだのは、私にとって最大の幸運だった…」


レスリーさんは台所の方へ向いていた。

始めての料理で苦戦するドナ先生を見て、とても嬉しそうにしていた。

自分の娘が醜い利権争いの中へ行かずに済んだのを心から安堵していた。


そしてこんな僕だけど召喚を喜んでくれる人がいたのは、少し気が楽になった。


「僕には女の子らしさなんて分かりません。

 ですがドナ先生がとても優しい人なのは知っています」


「ふむ…どんなところがだね?」


「以前、シロが逆行催眠を失敗したと思って不安な時期が有りました。

 僕はその不安を紛らわそうと勉強や鍛錬を必死に頑張ってました。

 無理矢理に、何もかも忘れようと向こう見ずに…。

 その時、後見人の話をしてくれたんです。


 おそらくドナ先生なりに慰めてくれたんだと思います。

 僕を元気付けようと…心に余裕を持たせようと…。

 今になってソレが分かりました」


「あの子は素直じゃないからね」


「はい、そういうところ有るかもしれません」


その時、台所の方から3人の歓声が上がった。

どうやら焼き上がって完成したらしい。


「レスリーさん、そろそろ出来上がりますよ?

 だから気分を盛りあげましょう!

 せっかくの御馳走なんですから、もっと楽しくいきましょうよ!」


「あぁ、そうだね!」


オーブンから出されたばかりの焼き立てのクッキー。

丸型や星型といった様々な形で所狭しと大皿に並んでいた。


早速、僕とレスリーさんで頂いたのだが…。


「あ…あはは…」

「こ、個性的な味わいだね…」


クッキーって、こんなにも難しい料理だったかな…。


「なによ、文句が有るならハッキリ言いなさい!」


「これ、少し硬いような…」

「私は嫌いじゃない…歯応えも有って…」


ドナ先生のクッキーは僕の記憶のソレとは違い、せんべえみたく硬かった。

次にアヤ姉の作ったと思しきクッキーを口へ運んだ。


「甘っ…!砂糖入れすぎだよ!」

「ふ、ふむ…疲れた時には良いかもしれないね…」


「そう?おっかしいわね…分量間違えたかな」


大方の予想はついていたけど、ドナ先生とアヤ姉は料理が苦手だった。

家事経験ゼロの僕が作った方がマシな気さえする。


「…ドナ、これから週に1回、料理の勉強をするんだ。

 これは父親としての命令だよ」


「え…えぇ!?なぜそうなるの!?」


「勉学や研究も良いが、もう少し人並みにだね…。

 せめて及第点を取れるまで頑張りなさい」


「嫌よ!いくらお父様の命令でも聞けないわ!」


「…嘘をついた罰だよ」


レスリーさんの突然の発言に、ドナ先生は言葉を詰まらせた。


「え…嘘って…何のこと?」


「お菓子の本に決まってるじゃないか。

 読んでいたなんて嘘をついて…その罰と思いなさい」


「な…なぜ分かったの?」


「何年お前の父親をしてきたと思っている。

 直ぐに分かって当然だろう」


どうやらレスリーさんは最初からお見通しだったらしい。


「すみませんでした、僕が最初にでっち上げて…」


「いや、アキヒト君が謝ることじゃないよ。

 ドナを庇って、あの時は仕方なく嘘をついたんだね?

 私にだって、それくらい分かるさ」


嘘をついて騙したと思っていたが、踊らされていたのは僕達らしい。


「アヤ姉も一緒に勉強だよ」


「…え?なんで私まで!?」


「こんな不器用じゃ、お嫁の貰い手も無いよ。

 今のうちに家事や料理の一つも勉強しとかないと…」


「よ、余計なお世話よ!」


「アヤちゃん…すまないがドナに付き合ってくれないかね?

 1人よりも2人の方が勉強しやすいと思うんだよ。

 忙しいと思うが、時間を取ってくれると助かるんだが…」


「うん…まぁ、私で良ければ…」


アヤ姉も心底嫌そうな顔をしてたけど、レスリーさんの頼みは断れないらしい。


「ティアさん、2人に料理を教えてあげて貰えないかな?

 君も家事で忙しいかもしれないが、この2人は見ての通りでね…」


「畏まりました、レスリー様。私で宜しければ」


例の如く、ティアさんは1点の曇も無い笑顔で頷いてくれた。


「これから僕、手伝えることが有れば何でもしますよ。

 買い物や洗濯物の取り込みとか…何でも言って下さい」


「ふふ、そんな必要は有りませんよ」


「だってティアさんには、今でもとてもお世話になってるのに…。

 更に手のかかる2人の面倒までお願いして…」


「誰が手のかかるですって!?」

「アキヒト!ちょっとそこに座りなさい!」


この日から週に一度、僕の自宅でドナ先生とアヤ姉の料理勉強会が始まった。

2人の作った料理に似た何かを試食するべくレスリーさんも訪れた。


世間では世界最高の研究者や頭脳だのと評されている。

イスターさんもガーベラさんの話の通り、とても有名なのだろう。



しかし僕には何処でも見かける普通の父親にしか見えなかった。



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