第14話 『 才女と凡女 』
ティアはアキヒトの自宅から徒歩15分程度の場所から通っていた。
周囲は一般的な平民層の住宅が立ち並ぶ。
同じ案内人役だが、アヤやドナとは明らかに境遇が異なっていた。
直線距離にして約1㎞。
アキヒトの自宅からは数分程度の道のりであろう。
その僅かな道中の最初、ガーベラとティアは無言で馬車に乗り合わせていた。
そしてアキヒトの自宅が見えなくなった頃…先に口を開いたのはガーベラだった。
「――貴様、何者だ?」
暗闇の中、数秒の沈黙の後にティアの口が開いた。
「先ほども申しましたが、ティア・フロールです。
このたびはアキヒトさんの案内人として傍に仕えております…」
「フフ…とぼけるのもいい加減にしろ」
馬車の車輪の音だけが響く。
「とはいえ、今回の勇者争奪…貴様も知っての通り、相互不干渉の決まりがある。
貴様が誰の手先でアキヒトに近づいているのか?
その件に関しての追及が協定に反しているのは承知している。
だが、それはあくまで競争相手に対しての協定だ」
「仰っている意味が、よく分かりませんが…」
「正直に答えよ。貴様…魔導王朝の手の者か?」
ティアは口をつぐんでいた。
「貴様が神族か人間達の手の者ならば、これ以上は何も聞かぬ。
このまま、送り届けて終わりだ。
協定に触れる以上、私も反する訳にはいかぬからな。
だが、魔導王朝の者ならば話は別だ」
追及するガーベラの口調に威圧が込められていく。
「今回、勇者候補達の誘引の任を受けたのは教導騎士団のみの筈。
他に存在するのなら…」
「なぜ私が魔導王朝の者だと?」
「フフ…とぼけるな」
笑みを湛えつつも、鋭い視線がティアに向けられる。
「今日、夕食前にアキヒトのチーフを折ったのは貴様だな?」
「以前何かで拝見しまして、適当に折ってみたのですが…」
「…とぼけるなと申しておるのだ」
ガーベラの眼光が一際鋭く光を帯びた。
「ならば説明してやろう。
我が魔導王朝では8大公直属の配下に対し、序列が決められておる。
そして、その身内はチーフの形で序列を示すしきたりがある…。
…古いしきたりだ、形骸化して守る者も少ない。
私自身、暫く忘れていたよ。
しかも本国から遠く離れた地だ…気にも留めなかった…」
「なるほど…そういうことでしたか。
私の折ったチーフの形が偶然、そのしきたりに沿っていたのですね」
「私の序列に合致していたのも偶然と言い張るのか…?
あの6突起の複雑な形状を偶然作ったと?」
ガーベラの眼光の威圧が殺気へとすり替わっていく。
「私は偉大なるラーキ大公の配下、序列7位『 ガーベラ・イーバー 』
正直に答えよ…貴様は何者だ?
それ以上の虚言は我に対する侮辱とみなす…!」
帯刀はしてないが、馬車内で身構えていた。
ティアの返答次第で凶器に等しい四肢で襲いかかろうとしていた。
しかし当のティアは、僅かに困った表情を浮かべただけだった。
「…今の私はティア・フロールと名乗っております。
そのフロールとは母方の姓なのです」
「…それで?」
「幼い頃から母から行儀作法、しきたりを厳しく覚えさせられました。
それこそ魔導王朝のみならず神聖法国の慣習まで…」
「チーフの形も、その母君から教えて貰ったと?」
ティアは静かに頷いた。
「…ならばなぜ?
人間達の…王侯貴族の子女が学ぶことではあるまい」
「生き残るためです」
「なに…」
「生き残るために必要だと…母から厳しく言い聞かせられました。
ならば私のような女にも生き残る道は有ると。
頭も悪く力も無い身ですが、高貴な方々に仕えるのは可能だと…。
縋る相手が神族だろうと魔族だろうと…強ければ誰でも構わないと…。
無力な凡女の…精一杯の足掻きなのです」
終始、笑みを絶やさないティアだったが、一瞬だけ哀しげな表情を見せた。
「――分かった。
ならば、父君はどうなさっておるのだ?」
「父方に関して、私から申し上げることはできません。
今の私はブーロイ家の子女であり、それ以前の経歴の口外は禁止されております。
私にも事情があるとご理解ください。
しかしガーベラ様なら、お調べになれば直ぐにお分かりになるかと…」
「いや、それこそ協定に反する。
それに、お前にとっても探られて良い気はしないだろう…。
余計な詮索をして、すまなかったな」
ガーベラ自身、これまでの会話でティアが何らかの御家騒動に関わっているのが推察できた。
父方は高い爵位を持つ貴族…もしかしたら王族かもしれない。
繊細な問題であり、魔導王朝の一員として踏み込むべきでは無いであろう。
「いえ、それは構いませんが…私が魔導王朝の手の者でしたら何か問題が?
ガーベラ様にとっては御味方なのに…」
「恥ずかしい話だが、魔導王朝も一枚岩で無いのだ。
同じ陣営だからといって、全てが味方と安易に断ずることはできぬ。
現実に私にも対立関係の一つや二つ、心当たりがあるのでな」
「それは人間も一緒です…」
「加えて悔しかったのもある」
「悔しかった…ですか?」
「そうだ…私でさえ忘れていたチーフの形をお前は覚えていた。
人間であるお前に魔導王朝の古いしきたりを教えられ、助けられるなど…。
こう見えても私は、騎士団長に任じられる程の実力を自負している。
王朝内でも私と同年代で同程度の実力者など多くはない。
しかし貴様は、その私から1本取ったのだ…何者か知りたくて当然だろう?」
「ふふ…それはガーベラ様の買い被りです」
「1本は1本だ、それは間違いあるまい」
一時は警戒していたガーベラだが、それも今では解けていた。
歴戦の騎士なら、眼前の女中の所作からその力量を推し量ることもできる。
暫く観察して見抜いた力量は…ごく普通の人間の少女と変わらなかった。
「ついでに申し上げますと私、ブーロイ家の当主から叱責されているのです」
「何か失態でもしたのか?」
「失態と言いましょうか…アキヒトさんのお傍に仕えているからです」
他の家の例に漏れず、ブーロイ家もまた有力な勇者候補の外戚を狙っていた。
「ですから私の今の状況を決して快く思わないのです。
アキヒトさんよりも他の勇者候補の方にしろと…。
今からでも乗り換えるようにと…重ねて叱責されているのです」
「そのブーロイ家の当主とやらの考えも分からぬでも無いがな…。
しかし、なぜそのような話を私に?」
「アキヒトさんに仕えているのは私の意志だと…。
そうハッキリさせたかったからです」
そしてティアは向き直り…ほんの僅かにだが強めの口調で断言した。
「神族も魔族も人間も、何の勢力も思惑も関係無い――私個人の意志です」
「そうか…そうなのか…。
わざわざ身の上まで明かさせ、重ねてすまなかったな。
貴様も複雑な事情を抱えておろうに…私を許してくれ」
「いえ、謝って頂くことでは…」
「いや、私は魔導王朝の騎士として、誰よりも強く自負している。
だからこそ、失態は誰よりも深刻に受け止めねばならん…」
決して表面上だけでは無かった。
誇り高き魔導王朝の騎士が、一女中に対して頭を垂れていた。
「ティア…と言ったな?
ティアの大切な領域へ不用意に踏み込んだ私の無礼を許して欲しい…」
「そんな…ガーベラ様……。
お願いですから、お顔を上げてください」
「あぁ…これからは気を付けるよ」
再び顔を見せたガーベラに、ティアは優しく微笑みかけた。
「…今日は私にとって、とても幸福な一日でした。
ガーベラ様やイスター様と…神族の騎士の方とお話ができて…。
アキヒトさんの周りは、とても良い人に恵まれています」
「ほう…神族の騎士と私を同列に扱うか」
「はい、イスター様もとても良い御方ですよ」
「フフ…そうか、神族にもそんな奴はいるかもな」
ガーベラに不快感は無かった。
眼の前の少女にとっては神族騎士も自分も同じく良い人だと…。
寧ろ、その言葉が面白くて、楽しくて…自然に笑みが零れた。
馬車は既にティアの自宅前に辿り着いていた。
だが、2人の談笑は暫く続いた。
「そうだ…こうしてガーベラ様との縁に恵まれましたので、
今のうちに申し上げたいのですが…」
「なんだ、改まって?」
「私…余り長くは、アキヒトさんの傍に居られないのです」
「…家の事情か?」
「いえ、それも私個人の意思です」
「お前にも事情があるなら無理には聞かぬが…何時まで居られるのだ?」
「あと、3年程は此処に滞在できると思いますが…。
その後はアキヒトさんのことを宜しくお願いします」
「それは寂しくなるな…だが、アキヒトのことは任せてくれ。
私が立派な男子に鍛えるつもりだ」
「私、アキヒトさんのことだけが気掛かりでした。
けれどもガーベラ様やイスター様のような頼もしい方々がおられます。
他の案内人の子達も力になってくれるでしょうし…。
ならば、アキヒトさんの将来には何の不安も有りません」
「はは、ティアは心配性だな。
将来も何もアキヒトは5年後、元の世界へ帰っていくのだぞ?」
「帰れませんよ、アキヒトさんは」
不意の言葉に、ガーベラの笑みが止まった。
「5年後の異世界帰還の儀式は不可能です。
というより、そんな儀式をするような余裕は何処にも無いでしょう…」
「…何を言っている」
「ガーベラ様は何か御趣味をお持ちですか?
何か心残りか有るのでしたら、今のうちになさっておくべきです。
この平穏な時を後悔無きよう…存分に満喫なさってください」
「…なぜだ?」
「これより3ヶ月後…8月の中旬から世界は壊れていきます」
ティアは微笑みを湛えたまま、話を続けた。
「平穏な時代は終わりを告げ、恐るべき時代が始まります…。
500年前の些末な戦乱とは比べ物になりません。
神族も魔族も人間も…草木も動物も…。
この世界全ての生きとし生ける者は、皆等しく絶望するでしょう…」
「ティア…お前は……」
「ふふ……ふふふ……」
言葉を無くすガーベラに対し、ティアは楽しげに笑って…。
「…冗談ですよ、さっきのお返しです」
「じょ…冗談が過ぎるぞ」
「申し訳ありません…戯れが過ぎました」
「だが、これで帳消しだ。
お前と私の間には何の貸し借りも無くなった…それで良いな?」
「はい、これからもお付き合い…宜しくお願い致します」
2人で話し込み、いつの間にか夜も更けていた。
ティアは馬車から降り、ガーベラへ深々とお辞儀した。
「お送り頂き有難う御座います。
ガーベラ様もお気をつけてお帰り下さい…」
「いや、私こそ付き合わせて悪かったな。
それではゆっくり休んでくれ」
御者に命じて馬車を出させようとしたが…途中でガーベラが呼び止めた。
「待て、さっきの嘘だが…どこからが嘘なのだ?」
「どこからと仰いますと…」
「お前があと3年しか此処に居られないのも嘘か?」
馬車を降り、ティアは暗闇に立ち尽くしていた。
ガーベラの問いに暫くの無言の後…今までの笑みと共に口を開いた。
「――はい、嘘です」
「…今の言葉、しかと覚えておくが良い」
「なぜで御座います?」
「仮にだ…本当に姿を眩ましたら、この私が全力で探してやろう。
その見つけた後で説教だ…覚悟しておけ」
「それは…ふふ…とても怖いですね」
恫喝にも等しい忠告にも、ティアの微笑みは崩れない。
「…さらばだ」
「はい、またお会いできる日を楽しみにしております…」
ガーベラは翻り、背を向けると馬車の扉を閉めた。
ティアに一礼され、見送られながら馬車は闇の中へ走り出す。
姿が見えなくなった頃、ティアはゆっくりと顔を上げた。
依然として、柔らかな笑みは変わらない。
周囲には誰一人として姿は無いのに。