第119話 『 " M.C."の騎士(2/4)前編 』
レスリー・アグワイヤは慌ただしい日々を過ごしていた。
今回の魔導王朝行きは単なる学術的交流のみならず、政治的意味合いが非常に強い。
"黒い月"活性化に伴う神聖法国及び魔導王朝の和平交渉。
連日開かれる両国外交使節との合同会議。
両勢力との貴重な橋渡し役として非常に重要な責を担っている。
加えて不在間の他講師に対する引継ぎ業務。
本来の責務である大学講師としての学生への指導。
この嵐のような激務から一息つけたのは、ようやく魔導王朝へ出立した日。
馬車の座席に腰を下ろした時からであった。
窓からの眺めは見渡す限りの地平線。
23台の馬車の内の一つに乗りながら、暫くは景色を楽しむだけの時間。
こんなのんびりとした時を過ごすのはいつ以来だろうか。
インダラ到着まで業務から解放されたのだが…その時になってレスリーは気付いた。
「あはは…」
「うふふ…」
目の前には交換留学生のマイスと一人娘のディオーナ。
二人は仲良く並んで腰かけていた。
仲が良いのは良いことだと思う。
しかし…こんなに仲が良かったかな、と思わずにいられない。
こういう時、常に娘は自分の隣から離れなかった。
『お前もいい年なんだから…』
『イヤよ、お父様の隣は私だけの席なんだから』
子供ぽいと感じつつも、父親として内心では嬉しく思っていた。
しかし今は自分の元を離れ、当然のように神聖法国留学生の隣に座っている。
「兄さん、インダラでのシンポジウムでは何を発表するの?」
「以前から温めていた議題があってね、ドナ程じゃないけど自信はあるよ」
にこやかに談笑する二人。
いつの間にかお互いの呼び方が変わっていた…いつの間に。
自分の娘が『兄さん』と呼んでいた。
交換留学生の彼は『ドナ』と呼んでいた。
マイス君が私の娘を愛称の『ドナ』と呼ぶのはまだ分かる。
仲の良い友達が実際に呼んでいるから、まだ分かる。
だが、なぜ娘がマイス君を『兄さん』と呼んでいるのか?
「あの…その…二人とも……」
マイスとドナの視線がレスリーに向けられた。
「…仲が……良くなっていたんだね」
「はい、まぁ…」
「そうなの、お父様。最近はマイス兄さんが付き合ってくれるから。
大学の用事だったり、お買い物だったり、お料理だったり」
ナチュラルに…。
ごく自然にマイスの名の後ろに『兄さん』と付け加えている。
知らぬ間に娘に何が起こったのか?
「…なぜマイス君を兄さんと呼ぶんだい?」
「子供の頃からマイスさんみたいな兄がいたらな…って、思ってたの」
「マイス君…良いのかね?」
「はは、僕は全然構いませんよ」
「…すまないが、ドナの我儘に付き合って欲しい」
最初は困惑したが、冷静になれば仕方ないのも分かる。
母を幼少期に亡くし父と二人だけの家庭ならば、寂しく感じる時もあったのだろう。
レスリー自身、一人娘を何より優先して愛情を注いできたつもりだった。
しかし家を空ける時が多かったのは否定できない。
ならば家族を…兄弟を密かに渇望していたとしても無理は無い。
そう、頭では考えているのだが
「あはは…」
「うふふ…」
再びにこやかに談笑する二人。
マイスの腕にしがみついて離れないドナの姿。
「…近すぎじゃないかね」
「え…お父様、なに?」
「いや、何でもない…」
最近、多忙なのを言い訳にして一人娘に留意しなかったのを後悔した。
「ところで兄さん…それは何なの?」
マイスの隣に立てかけられた2本の長剣が気になっていた。
神聖法国の刻印入りであり、イスターの騎士団員達の剣とは違っていた。
「これは僕のお爺さんからの餞別なんだ。
今回の旅では賊が出るかもしれないから護身用に持たされたんだよ」
「え…兄さんは戦えないんじゃ…剣の方は得意じゃないって…」
「たとえ不得意でも、大切な人を守るためには剣を握らないとね」
「…ダメよ、兄さん」
マイスにしがみつくドナの両腕に力が込められた。
「万が一、賊が出たとしても騎士団の人達が守ってくれるから…。
兄さんが戦う必要は無いから…」
「魔導王朝の騎士団も弱くはないけど、何が起こるか分からないからね。
それに僕はとっても強いから安心していいよ?」
「…関係無いわ。
強くても弱くても…兄さんには戦って欲しくない…」
それから宿営地の街に着くまで、ドナは決してマイスの腕を離そうとはしなかった。
マイスもまた、ドナの腕を振り払うことはできなかった。
大陸平原同盟内は治安も保たれ、仮に賊が出没しても極僅かである。
しかし魔導王朝領内への道程は決して安全な地域ばかりでは無い。
騎士団に護衛された使節団も、6日後には大陸平原同盟勢力圏を脱しようとしていた。
「ここから襲撃の可能性が高まります。
万一の時は、我々に構わず魔導王朝へ馬を走らせてください」
その朝の出立前、護衛騎士団長ヨネの言葉に誰もが顔を強張らせた。
これまでの数日間、ヨネ団長は使節団を監視する何者かの存在に気付いていた。
襲撃の機会を伺っている可能性は非常に高く、その時が近付いていることも。
「兄さん…」
「大丈夫さ、僕がついてる」
(そうさ、僕が二人を守る。
ついでに使節団も魔導王朝の騎士団の連中も守ってやるさ…)
(だから…オマエ達の出番は無い…!)
「どうしたの、兄さん?
空に何か…?」
「いや、何でもないさ。今日も良い天気だなって」
「こんな時に呑気なんだから…」
「ははは…」
考えてみれば至極当然であろう。
レスリーとドナは、兵団長アキヒトにとって家族同然の人物である。
この世界では何よりも優先すべき存在であった。
その二人をシロが無防備にするハズがなかった。
(………)
(………)
二人の頭上に沈黙して待機するのは不可視のガースト級大型機動兵器2基。
24時間体制でレスリーとドナの護衛を命じられていた。
敵対行為をとった者は何者であろうと即座に排除。
賊どころか100万の軍が押し寄せても傷一つつけられないであろう。
20台以上の使節団馬車隊が平野の交易路を進む。
その周囲で護衛するのは、ヨネ団長率いる50名の騎士団員達。
全員が騎乗し、警戒態勢を敷いていた。
大陸平原同盟と魔導王朝の主要交易路であるが、勢力圏を抜ければ空白の荒野。
法が存在しない真空地帯にて…騎士団員の一人がヨネ団長に知らせた。
「右、3時の方向!何者かが接近!かなりの数です!」
「…多いな」
馬上にて視認したヨネ団長は舌打ちした。
これまでの宿営地で斥候の姿は確認しており、敵の存在は確信していた。
しかし、予想していた数よりも多い。
騎士団員50名も揃えれば襲撃を諦めるだろう、という見通しの甘さを知る。
遠方より100以上の騎馬が並行して走っていた。
全員が顔を布で覆い、帯剣しているのが見える。
交戦の意思は明らかだった。
「全員、戦闘態勢!」
ヨネ団長自身も剣を抜き、配下の団員達へ戦闘指示を始めた。
各馬車にも敵襲が通達され、御者達に全速で離脱するよう命令が下る。
「マズいね…」
馬車窓から眺めていたマイスの口から思わず零れた言葉。
ヨネ団長率いる50名に対し、刺客100名以上。
質は兎も角、倍以上の人数にどう対抗するか。
マイスはヨネ団長とは違い、襲撃規模を予測していた。
魔導王朝騎士団を相手にするならば、この程度の人員は当然であろう。
そしてヨネ団長自身、死を覚悟しているのも分かる。
あの誠実な人物は自らの犠牲と引き換えに使節団を無事逃がすつもりであろう。
「情けないことだよ
彼は大切な友人なのに…私には祈る以外に何も…」
如何に名高いレスリーであろうと、戦闘に関しては素人だった。
今は騎士団達の奮闘に期待し、無力な使節団は一刻も早く離脱するしか無い。
魔導王朝騎士達と顔を隠した刺客集団との剣戟が始まった。
「持ち堪えよ!」
ヨネ団長達は刺客達の攻撃に耐えていた。
しかし数的な劣勢は如何ともし難く、少しづつ圧されている。
彼は見誤っていた。
大陸平原同盟内での行動を考慮し、50名しか従軍しなかったことを。
まさか、これほどの規模で刺客を繰り出してくるとは…。
騎士団員達の防壁が削られ、刺客の騎馬が徐々に使節団の馬車隊に迫ってくる。
「ダメよ!」
マイスが手を伸ばした2本の剣を、ドナがいち早く取り上げていた。
その小さな身体で長剣を両手で抱え、決して放そうとしない。
「ドナ…」
「ダメ!兄さんが戦うなんて…!」
「しかし、このままじゃ…」
「イヤよ!イヤ!!
兄さんは…ずっと私の傍に…!」
マイスの腕力ならばドナの腕の中から強引に取り上げるのは容易い。
しかし今はそれができない。
「兄さん…」
長大な2本の剣を抱えながら、非力な少女は嗚咽していた。
馬車に乗っていても周囲の騒然とした気配は明らかであった。
騎士団と刺客達の怒号と剣戟が、嫌でも耳に入ってくる。
このような襲撃が初めての少女ならば怯えるのも無理は無いであろう。
頬を伝う涙がマイスの心を大きく揺さぶった。
「兄さんに……何かあったら……私………」
その言葉を聞いたマイスは驚いた表情を浮かべ…そして穏やかな笑みを見せた。
「ドナ…こんな時なんだけど聞いてくれるかい?
実は今回の学術シンポジウム…最初は参加するつもりなかったんだよ。
僕は魔導王朝へ行かず、適当に抜け出して出奔しようかと思ってた」
「え…?」
「元々、神聖法国なんて大嫌いだったんだ。
良い機会だし、一人気ままに剣士として生きていこうって…そう思ってた」
「じょ…冗談でしょ、兄さん…」
「冗談なんかじゃないさ。
白状するとね、僕はアンデル家のはみ出し者なんだ。
母は元神官見習いで、大貴族の子息だった父との間に産まれたのが僕さ。
名門アンデル家の後継者と平民出身の神官見習い。
身分の違いから母は僕を連れて、父には何も言わず去ったんだ。
僕も最初は平民として、街の小さな部屋で育ってきたんだよ。
母と二人でね、その時に料理や洗濯の家事も覚えたんだ。
その頃は貧しくて質素な生活だったけど、何の不満も無かったよ。
母は不器用だけど、とても優しかったからね。
しかし母の死後はアンデル家に引き取られた。
それまでとは比べられないくらい贅沢な暮らしだったよ。
豪華な家に豪華な服に豪華な食事。
平民の頃では考えられない程の生活さ。
しかし、その僕が貴族達からどんな扱いを受けたか…大体想像できるよね?」
ドナに向けられているのは、あくまで穏やかな笑み。
しかし、その笑みの裏にどれほどの負の感情が隠されているのか…。
「パラス神聖法国騎士……はは、くだらないよね。
国のため、人々のため、正義のため、なんて綺麗な言葉で飾ってるけどさ、
その仕事は大貴族達の金庫番さ。
神様の名前を借りて連中の権益を守ってるだけだよ。
だから僕は絶対に騎士になんてならないと決めた。
魔導王朝騎士だって同じようなものさ。
金庫番には変わらない」
そしてマイスは苦々しくドナの前で言い切った。
「騎士なんて――くだらない」
これまでドナが接してきたのはパラス神聖法国の栄えある交換留学生。
しかし今、目の前にいるのは騎士という存在を心の底から軽蔑する一人の少年である。
ドナとレスリーは、ようやくマイスの本心に触れることができた。
「……なんだけどね、ようやく僕にもター兄の考えが少しだけ分かったよ。
騎士とは大切な国のために戦う者。
そう、そうなんだ…騎士とは、大切な存在のために戦うから騎士なんだよ」
揺れ動く馬車内にて、マイスは席を立つ。
そしてドナに向かって床に膝をつき…恭しく優雅に首を垂れた。
「え…?」
「この不肖、マイス・アンデル。
謹んでディオーナ・アグワイヤ嬢に申し上げます。
どうか…この私を、貴女様の騎士にしてくれませんか…?」
突然のマイスの口上に言葉を失うドナ。
産まれて初めて騎士の自覚を有した少年は更に続けた。
「そして私めに剣をお授け下さい…
あの不埒な者共を成敗するよう…お命じ下さいませ…!」