第117話 『 交易都市の夜(後編) 』
この黒装束の者達の素性はティアも知らない。
彼等は南方出立の5日前から頻繁に姿を現し、人目につかない場所で襲い掛かってきた。
素早さ、身のこなし、剣技から神族や魔族の騎士以上の強さが伺える。
その悉くを撃退してきたが、今回は状況が違う。
これまでは1人、多くても2人だったが、今は黒装束が17人。
その誰もが殺気を刃に漲らせ、ティアを取り囲んで迫ろうとしていた。
「…私の生命が目的で?」
「違うわ…大人しくついて来れば手荒な真似はしない」
「あら、お若い方だったのですね」
先頭の小柄な黒装束から少女の声が発せられると、嘲り混じりの笑みが零れた。
「仕事に歳など関係無いわ…余計な口は慎むことね」
「ふふふ、口を慎まなければ何だと言うのです?」
ティアの嘲りが止むことは無い。
「貴方がたは何も学習されていないようですね。
そろそろ目障りになってきましたし…その御命を頂いてしまいますよ…?」
「できるの?これだけの人数を相手に」
「ふふ、まだご理解されていないようですね。
今までは殺さなかっただけですのに…殺せなかったとでも御思いですか?
貴方がたなど、殺す価値さえ無いのですが」
「そうかしら…?」
黒装束の少女が僅かに手を上げて合図した。
十数名から一斉に煌めく刃がティアに向けて目に見えぬ速さで投擲され――
―――――――――『 慣性遮断・重力遮断 』――――――――――
白刃はティア周囲の空間で停止した。
それ以上は進みも落下することもなく…中空に浮かんでいた。
「…見え透いた手ですね」
ティアが僅かに手を伸ばしたのは暗闇の空間。
白刃の合間を縫って、何かを掴んで手元に引き寄せた。
「こんな子供騙しが通じるとでも?」
手に握られていたのは黒く塗り潰された小柄のナイフだった。
―――――――――『 化学物質成分子構造解析 』――――――――――
「何か付着していますね。
血液中に混入した場合…中枢神経から末梢神経まで経路異常発生…。
成程、私を麻痺させて拘束する御積もりですか」
「殺しはしないわ。
痛い目には遭うかもだけど」
黒装束が一斉に姿を消し――ティアに向けて襲い掛かった。
一斉に動いた数、12名。
最短距離で13メートル、最長距離で17メートル。
3名は一直線に接近、3メートル手前で散開。
残り9名は旋回疾走しつつ包囲。
暗闇と黒装束が相まって、騎士といえど視覚的に追うのは困難。
ティアの目は黒衣の者達を追ってない。
――いや、追う必要は無かった。
―――――――――『 全光波長動体差分解析 』――――――――――
同期したティアの脳裏に頭上の決戦兵器から12の位置情報が送信される。
どれだけ攪乱しようと、どれだけ疾走しようと意味を成さない。
――!
黒衣達からナイフが投擲されるが、どれもティアの手前で停止。
「……仕方ないわね」
小柄な黒装束が手を上げて号令すると、5名が一斉にティアへ距離を詰めた。
その手には薬物の塗布された黒い刀身のナイフ。
擦り傷一つでも負えば身体の自由を奪えた、が。
バチンッ!!
5名、全員がティアの手前で突然弾き飛ばされた。
吹き飛ばされた者達は身体全体が痺れて上手く立ち上がることもできない。
―――――――――『 超高電圧電磁反応障壁展開 』――――――――――
「…それで?」
悠然と微笑む女中が一人。
「火攻め…水攻め…ガス攻めという選択肢もありますね。
次は何をお試しになります…?」
黒衣の者達は内心で戦慄していた。
ティアの指摘通り、完全に手の内を読まれていたのだから。
「では…飽きてきましたし…そろそろ終わりにしますか…」
ォォォン……
裏世界の手練れ達が一斉に息を呑んでいた。
ォォン………ォォォォオン………
何かが…何かが呻いているのか。
修羅場を潜り抜けてきた者達ならば直感的に理解していた。
平原では得体の知れない集団として知られている。
しかし今、自分達を遥かに超える得体の知れない存在が迫っている。
「…退き際を逃しましたね」
身動きが取れない。
いや、直感で退路を絶たれたと悟り、退くに退けないのだ。
何かが迫ってきているのに…既に包囲されている。
銃口を頭部に突きつけられ、白刃を喉元に突きつけられた錯覚。
死を覚悟した――その時だった。
「………ぁ」
周囲に充満していた殺気が止んだ。
黒衣の者達から全く別方向へティアの気が逸れて振り向いた。
その視線の向く先には――
「ティアさ~~ん!」
アキヒトが剣を片手に走ってくるのが見えた。
「…どうかなさったんですか?」
「どうか、じゃないですよ!
こんな夜更けで人通りの無い場所に一人で…!」
既に周囲から黒衣の気配は消えていた。
ティアがアキヒトに意識を奪われての数秒。
離脱するには十分な間だった。
「折角の異国の街ですから散歩でもと…」
「それなら僕を呼んでくださいよ!
ティアさん一人なんて危ないじゃないですか!」
するとアキヒトはティアの手を取り、引いて宿へ帰ろうとした。
「すみません…御心配かけたようですね…」
「…え。いや、その……」
少し口調が厳しかったかと、アキヒトは戸惑う。
「分かりました…皆様も心配されてるかもしれませんし…」
「あ、うん……それなら…僕と一緒に夜の散歩……とか」
「…え?」
「僕と一緒なら…一人よりは安全ですし…。
それに、初めての街を歩き回りたい気持ちも分からなくは…」
「アキヒトさん!」
「わっ!ちょ、ちょっと!ティアさん!?」
嬉しかったのであろう。
突然抱きつかれたアキヒトだが、無碍に引き離すこともできない。
「あ、明日も早いですから、余り夜更かしもできませんが…。
少し散歩しましょうか…」
「えぇ……ふふ…」
必要以上に接近して身体を密着させるティアに、困り顔のアキヒト。
しかし決して嫌悪感があるわけでもなく…。
二人は繁華街から離れた暗い一画から帰途についていた。
「そういえば…どうして私の場所が分かったんです?」
「シロが教えてくれたんですよ」
「え、シロさんが…?」
「ティアさんが一人で歩いて行ったって…。
僕、びっくりしたんですよ?
シロもシロで止めれば良かったのに…!」
「シロさんは来なかったのですか」
「なんか行きたくないとか…自分は邪魔者だからとか…」
「ふふ…」
既に密着していたが、更にティアはアキヒトに身を寄せた。
顔を寄せて…ティアの唇がアキヒトの頬に迫っていた。
「え、えぇ!ティアさん!?」
「シロさんに気を遣わせてしまいましたね。
こうしてアキヒトさんを独り占めできるなんて…」
先程の黒衣と対峙した時の嘲笑とは全く異なる微笑みだった。
年相応の恋する少女らしい…幸福な笑顔である。
「借りができてしまいました…。
シロさんの頼み…聞かなくてはなりませんね…」
「何の話ですか?」
「ふふ…内緒です」
「ティ、ティアさん…!」
周囲に誰もいないのを良いことに、アキヒトに抱きついて離れぬ少女。
「ゆっくり…ゆっくり歩いて頂けませんか…?
せめて帰り道を…一緒に…」
「別に良いですけど、二人で散歩なんて何時でもできますよ。」
「何時でも…ですか?」
「はい、何時でもです!」
ティアが眩しい微笑みを見せた。
急げば宿泊施設まで5分足らずの道のり。
2人が到着したのは30分以上も経ってからだった。
次回 第118話 『 ガーベラ、焦りの旅路 』