第12話 『 イスターとの朝食 』
「おはようございます、イスター様」
「あ、あぁ…」
法国騎士団の朝は早い。
アキヒトの普段の起床時刻より1時間以上も早く、イスターは目覚めていた。
そのまま宿舎へ向かい、身なりを整え顔だけ洗って詰め所へ向かうつもりだった。
「お食事の用意ができています、召し上がっていって下さい」
「…悪いな」
テーブルの上には、ライ麦のパンと温かなスープ、季節の野菜サラダが並んでいた。
「どうぞ、目が覚めますよ」
そして湯気立つカップには、淹れたてのコーヒー。
イスターは何も言わず、眼の前のパンを千切ってスープへ浸し…口の中へ運んだ。
「…気に入らねえな」
「え……何か、お気に召しませんでした?」
「気に入らねえことが一つも無えのが、気に入らねえんだよ」
口の中で咀嚼しながら、ティアを軽く睨みつけていた。
「昨日のスープ、なんだアレは?」
「申し訳ありません、お口に合いませんでしたか…」
「完璧すぎて気に入らねえんだよ。
アキヒトとお嬢ちゃんは知らないだろうがな、
あのスープに入っていたのは、全て二日酔いに効能アリの食材だ。
一つ二つじゃない、入っていた全てのモノがな」
実際、覚悟していた酒の影響は全く残ってなかった。
睨みつけるイスターとは対称的に、ティアは微笑を湛えたままだ。
「しかも仕込みから煮込み具合まで4~5時間かかっていた筈だ。
あの食材は調理に手間がかかるからな、それくらいの時間は必要だろうよ」
「はい…それが何か?」
「なぜ俺達が帰宅したら丁度食べ頃だったんだ?」
睨みつけるイスターに対して、ティアの微笑は崩れない。
「分かりやすく言ってやるよ。
なぜ、俺達が飲み歩いてるのを知っていた?
なぜ、俺達が帰宅する時刻が分かったんだ?」
「ふふ…偶然ですよ」
「その偶然が更に幾つも重なれば、偶然とは言えねえんだよ」
瑞々しい野菜を口の中一杯に頬張りながら、イスターの指摘は続く。
「なぜ、俺の寝る場所が昨夜になって都合よく用意されていた?」
「偶然ですよ、昨日は手が空いてましたから…。
いずれ、どなたか来客があった時のために用意しておいただけです」
「なぜ、俺が起きる時刻に合わせて朝飯が作ってあった?」
「偶然ですよ、騎士団の方なら勤務が早いかと思いまして…。
ですから早めに食事を用意しておいただけです」
「なら、昨夜のスープも今の朝食も…食材が一人分多いのも偶然か?」
イスターは食事の手を止め、一段と険しい視線をティアへと向けた。
少女からは死角となるテーブル下の腰の剣へ手を伸ばし…。
途端に高まる威圧と殺気
飲み屋をハシゴし、陰で遊び人と嘲笑されている男はもう居ない。
神聖法国精鋭騎士団に相応しい、鋭い眼光へと変貌していた。
「ふふ…」
しかし騎士団員の刺すような視線にも動じることは無く
少女は口元を指で隠して、微かに笑って――
「――はい、偶然ですよ」
テーブルの下…イスターの指先が剣の柄へ触れようとした。
法国騎士団として何度も死線を潜ってきた本能が、全力で警告している。
" この女は危険だ "
武器は何も持たず丸腰
身体の動きから武術の心得も何も無し
特に秀でた身体能力も無し、年相応の非力な少女
しかし剣の間合い内にもかかわらず、避ける気配は微塵も感じられなかった
「イスター様…昨夜の件は感謝致します」
「…何の話だ?」
「最近のアキヒトさん、御自分で御自分を追い詰めていましたから…。
昨夜のお気遣いで、随分救われたかと存じます」
「別に…俺が好きでやったことだ、礼を言われる筋合いは無ぇよ」
「貴方様のような方が居て…本当に良かったです」
するとティアは、イスターに向かって静かに頭を垂れた。
「これからも…アキヒトさんを宜しくお願い致します…」
イスターは剣から意識を僅かに離した。
そのまま一言も発さず、黙々と朝食を口の中へと運び続ける。
そして食卓からパンが無くなった頃、階段を降りてくる足音が聞こえた。
「おはようございます、アキヒトさん…今朝はお早いんですね」
「ティアさん…イスターさん……おはよう…ございます…。
はい…二人の話し声が聞こえて…」
「それは…睡眠のお邪魔をして申し訳ありません…」
「あ、いえ…全然構わないですから」
「では、今からお食事の用意を致しますので、お顔を洗いになって下さい」
ティアに促され、アキヒトは眠い目を擦りながら洗面所の方へ向かった。
「…とりあえず保留だ」
「何がでしょうか?」
「すっとぼけた女中の排除だ。
少なくとも今、アキヒトに危害を加える様子は無いからな」
「私、そんなつもりは決して…」
「なら、なぜアキヒトを選んだ?」
食事を終え、コーヒーのカップを置くとティアの方へ向き直った。
「エルミートのお転婆娘とアグワイアの才女様なら何となく想像できる。
家の事情と2人の性格から、アキヒトを選んだのも納得できるさ。
だが、お前はなぜなんだ?
他に有望な勇者候補がいながら、なぜ非力なアキヒトを?」
「私だって理由は同じですよ。
アヤさんとドナさんと…おそらくイスター様とも」
「ほう…聞かせて貰おうか?その理由を…」
「簡単です、放っておけなかったからです」
ティアは自身の豊かな胸に手を当てて、力強く応えた。
「強大な神獣と契約する機会を捨ててでも、ひ弱な瀕死の精霊を助けました。
そんなお人好しさん、私は放っておけないです」
「…あぁ、その通りだ」
イスター自身も、アキヒトの神獣召喚の噂を後で聞いていた。
一度目に引き当てたのは瀕死の精霊。
見かねた神官達が再召喚を持ちかけたが、少年は断ってしまった。
周りの勇者候補達は、名立たる神獣の召喚に成功したというのに。
強大な力の誘惑に負けることなく、彼は瀕死の精霊を選んだ。
そんな少年の強さと優しさに惹かれた者達は、数は少ないが存在した。
イスターの口元から僅かに笑みが零れた。
「悪かったな、えぇっとティア…だったか?」
「いえ、謝って頂くような事は…」
「いや、本当に俺が悪かった。
勘違いで朝から斬り捨てるところだった、許してくれ」
「ふふ…面白いご冗談ですね」
「冗談なんかじゃねぇよ、どこかの密偵か回し者かと思ってな…」
「それでしたら今も外で隠れてますよ?」
イスターは咄嗟に理解できなかったが、数瞬後、窓から外を伺った。
「私が朝、ここに着いた時から見張られてますね。
人数は2名…昨晩は3名でした」
酒を飲んで酔ってはいても、警戒は怠らなかった。
イスター自身、気配を探る能力もそれなりに秀でている。
だが感覚を鋭くしても、今も全く気配が感じられない。
「ふ……ふふ…」
表情を険しくし、窓から必死に辺りの気配を伺うイスターの背後で…。
少女は先程と変わらず微笑んでいた。
「…冗談ですよ、さっきのお返しです」
一礼するとティアは台所へ戻り、程なくしてアキヒトが帰ってきた。
「イスターさんは朝、早いんですね。意外でした…」
「あ、あぁ…」
「あれ…どうかしましたか?」
テーブルの席に腰を下ろし、イスターの様子がおかしいのに気付いた。
「少し…ティアと話をしててな…」
「何の話をしてたんです?」
「色々だ…」
口ごもって明言しない、神妙な面持ちでイスター。
アキヒトも黙っていたが暫くして何かを察し、一転して呆れた表情になった。
「なるほど…朝から口説いてたんですね」
「は…はぁ?」
「しかもフラれたんですね。
仕方ないですよ、ティアさんがイスターさんみたいな人を相手にするわけが…。
そんなことのために早起きまでして…ご苦労さまです」
「馬鹿野郎!
お前は俺を何だと思ってやがる!!」