第117話 『 交易都市の夜(前編) 』
※事情により本話は前後編に分けます
リンツ商会主導の交易商隊が出立して5日が経過。
五千を越える荷馬車の列はボーエン王国から交易路に沿って南下し、国境線を越えていた。
この日、商隊が到着したのは独立交易都市ザニア。
人口10万を超える大規模な都市であり、南方諸国とを結ぶ重要な中継地点である。
夕刻、護衛のアキヒト達一行は商会から宿の一室を宛がわれていた。
「身体の方は大丈夫か?」
「は…はい…」
「シャワーで汗くらい流しておけよ。その方が疲れも取れるからな」
同室になったジョンが、ベッドで大の字のアキヒトを呆れながら見下ろしていた。
5階建ての宿泊施設の一室は、ベッドと机のみという簡素な間取りだった。
窓こそあるものの最安の宿らしく、絨毯や装飾の類は一切見られない。
それでも古びてはいるが、真白なシーツには清潔感があり心地悪くは無かった。
「鍛えるのは結構だが、頑張り過ぎるというのもな…」
商隊も長い旅路であり、日に何度も宿営地にて小休憩を取っていた。
その度にイスターとガーベラが、アキヒトに猛烈な剣の特訓をさせていた。
これまで2人とも騎士団長の任を帯びており、なかなか時間を取れずにいたのもある。
その分を返すべく、アキヒトを徹底的に鍛えようとしていた。
「イスターさんは…?」
「遊びに行ったよ。
この街に繁華街があると聞いた途端、一直線でな」
「はは…あの人らしいや…」
アキヒトとジョンとイスターの三人が広めの部屋を共有していた。
隣の部屋にはアヤ、ティア、ガーベラの女性三人組が割り当てられている。
「ジョンさんは…遊びに行かないんですか…?」
「俺は寝る。
明日から本格的に護衛の仕事が始まるからな」
この街に到着後、各自に宿泊施設が割り当てられると護衛隊長から話があった。
これより南下していくと、南方諸国の勢力圏内まで街らしい街は存在しない。
商隊も夜半は交易路途上で野営する予定である。
「要するにどの国家勢力にも属さない無法地帯だ。
賊連中が襲撃してくるとしたら、ソコしか無いだろうな。
だからこそ、最後に楽しもうと夜の街へ繰り出してる連中も多いみたいだ。
お前の師匠のイスターみたいにな。
それから一応言っておくが、お前は鍛錬の時期を間違えているぞ?」
「時期…?何のことでしょうか」
「護衛の仕事は城塞都市を出立した時から始まっているんだ。
可能性こそ低いものの、今までに襲撃される事態も有り得たのが分からないか?
つまり実戦は既に始まっていたんだ。
なのに、その実戦中に剣の鍛錬というのはおかしいと思わないか?」
ジョンは自身のベッドに腰を降ろし、更に説明を続けた。
「戦時ならば戦うのが兵士の仕事なのは当然だ。
同時に平時ならば訓練するのが兵士の仕事なんだよ。
そして戦地では無駄な体力消耗を極力減らすのが重要だぞ。
戦いの為に力を蓄えておくのは兵士にとって基本中の基本だからな。
なのにお前は、その基本全てに反している。
既に仕事は始まっているのに、体力を温存せず鍛錬なんかをしている。
しかし護衛隊長はお前に何も言わない…なぜか分かるか?」
「それは…最初から僕なんて戦力としては期待していないから…ですか?」
「それもあるが、代わりの戦力が見つかったから良しと判断したんだろ。
お前の剣の師匠の2人、凄い腕前じゃないか」
これまでの商隊が小休止するたびに、その間はイスターとガーベラから鍛錬を課された。
傍目から見ていても2人の実力が周囲より秀でているのは明らかである。
「お前1人の護衛費用で、凄腕2人が加わってくれるなら願ったり叶ったりだ。
商会の連中も良い買い物できたと喜んでるだろうな。
俺も見ていたが、どちらも強いな…1人で10人分の働きは余裕だろ」
「はい…その通りですね。
イスターさんやガーベラさんに比べたら、僕なんて足手まとい以下というか…」
「……しかし、俺は期待してるよ」
そう言うと、ジョンも自身のベッドへ仰向けになって横たわり、天井を見上げた。
「俺だって、お前と似たようなモノさ。
今回の商隊護衛、その戦力としては同じく期待されていないと思う」
「そんな…僕と違って、ジョンさんは試験に堂々と合格したじゃないですか」
「堂々とだが、最低の合格ライン…お前と同じ"可"だったじゃないか。
だからアキヒト…連中を見返してやらないか?
俺達だって、やればできると…良い所を見せてやろう…ぜ」
「は…はい、それは勿論です!」
「但し…機動兵器は使わず…にな…」
その言葉に思わずアキヒトは起き上がって、声の主の方を向いた。
「お前自身の……お前だけの力で………」
途切れ途切れの言葉の後、直ぐにジョンの方から寝息が聞こえてきた。
「僕が…兵団の力抜きで……?」
アキヒトには、ジョンの言葉に従う義理など何も無い。
最初から盗賊から襲撃された時は、兵団の力を使えば良いとばかり考えていた。
確かに、そうすれば容易いであろう。
盗賊達が何千、仮に何万という数で襲ってきても蹴散らすのは可能である。
けれどもアキヒトは現実を思い知らされていた。
兵団の力が無ければ、自分は平凡な1人の少年に過ぎない。
何千、何万どころか盗賊1人さえも撃退するのは難しいことを。
「シロ……この護衛の仕事、僕は甘く見過ぎてたよ」
何気なく話し掛けたのだが、直ぐにシロが不在の理由を思い出した。
「そうだった、1人で夜の散歩に行くって……」
再びベッドの上に寝転がり、窓の外から覗く夜空を眺めていた。
大陸平原同盟最南端にあたる交易都市ザニア。
確かに交易都市として多くの商隊や旅人が訪れるが、全うでない者達も多く利用する。
この丈の短い草原地帯は降水量も少なく、人口密度も低い傾向にある。
その為に生活の糧を得るべく、盗賊の類も頻繁に出入りしている。
よって都市内の治安は決して良くない。
今回、リンツ商会が手配した宿街は比較的安全であり、更に見張りに人員を割いている。
この日に護衛隊長からも知らされており、決して安心できる街ではない。
それでも腕に覚えがあって夜半に外出した者達は、繁華街へと足を向けていた。
他の者達は割り当てられた宿で身体を休め、鋭気を養っている状態である。
しかし、そのどちらでも無い者が宿から遠く出歩いていた。
「……」
繁華街からも宿からも離れた街の一画。
女中姿の少女が1人、同行者も無しで歩いていた。
急激な都市計画が進んだものの、取り壊されることも無く放棄された廃墟。
住み着いているとすれば貧民、賊、犯罪者の類であろう。
中央城塞都市なら兎も角、このような場所で女の一人歩きは無防備すぎた。
居住者が去って久しい暗い建造物が通りの両脇に続く。
――すると少女が立ち止まった。
「…この辺りで宜しいでしょうか?」
「あぁ、良いぜ」
ティアが呼び掛けると、それまで息を潜めていたシロが輝き始めた。
「こんな時間にすまなかったな。
同室のアヤやガーベラの方には上手く話をしておいたのかよ?」
「ふふ…あの御二人なら、お疲れのようでぐっすりお休みです」
「そうか、なら良いんだが…」
「それで、このような場所にまで呼び出して何のお話です…?」
周囲には居住者など皆無の廃墟が立ち並んでいる。
日中ですら人気の無い一帯なのに、夜更けともなれば辺りはひっそりと静まっている。
「頼みがある。
ケーダ・ラーセンの妹…シーベル・ラーセンと試しに戦ってやってくれないか?」
「……仰っている意味がよく分かりませんが」
「だからシーベルと戦ってやってくれと頼んでるんだよ」
「ふふ…シロさんもおかしなことを仰るのですね。
私などの一介の女中に戦え、などと…」
「冗談じゃねぇ…俺は真剣に頼んでいるんだ……!」
一笑に付していたティアだが、シロの口調に何かを感じ取ってか笑うのを止めた。
「私はあくまで無力な一介の女中に過ぎませんが……なぜ戦わねばならないのです?」
「シーベルの奴が戦いたがっているからだ。
それで俺が立ち合いを買って出た」
「シロさんがそのような御世話する理由など無いと思いますが…?」
「仕方無ぇだろ、アイツが勝手にお前に戦いを挑んだら間違い無く殺される。
だから俺がお前達の戦いに立ち会ってやるんだよ。
はっきり言うがな、シーベルの奴がどうなろうが、俺にとってはどうでも良い話だ。
だが、死なれたら間違いなくアキヒトが出しゃばってくる。
仮にシーベルの死んだ経緯を聞かれた時、どう説明して良いのか非常に困る。
アイツに嘘なんてつきたくない。
だから上手く負かしてやって欲しいんだよ」
「つまりシーベルさんを無傷で納得させろと?」
「そうだ、お前ならそのくらい余裕でできるだろ?
力の差を見せてやってくれ、馬鹿でも分かるようにな」
「お話は理解できました……が、何度も申しますように私は無力な女中です。
シロさんの御期待に応えるのは難しいかと」
「そうか……呼び出して悪かったな」
終始、ティアからシロの提案に応じる素振りは全く見られなかった。
「……そうだ、シロさん。
仮に、私にそのような力が在ったとするなら…。
シーベルさんを圧倒する程と思われるなら、なぜアキヒトさんに教えないのです?
私のような者は危険だと思われませんか?」
「教えたさ、だが相手にされなかった。
お前のことを普通の女中だと信じ切っているからな。
だから、それ以来は何も言わず黙ってることにした」
「不思議ですね…大切な事ならアキヒトさんに無理矢理にでも教えるべきでは?」
「今まで、お前の正体については俺なりに幾つか仮説を立ててみた。
それぞれの仮説に応じた対処方法を考えるためにな。
だが、途中で考えるのが馬鹿らしくなってきたよ。
だって、お前…分からないことだらけだが、アキヒトに惚れてるのは確かだろ?」
暗闇の中…ティアは微笑みを湛えたまま、言葉を発しない。
「俺としては、アキヒトの敵にさえ回らなければどうでもいいんだ。
それなら下手に刺激を与えないのが一番と思ったんだよ」
「はい……私がアキヒトさんを愛しているのは間違いありません。
敵対するなんて決して有り得ません…」
「……今回の旅が終わったらシーベルにも今の話を伝えておく。
アイツに最弱だが大型機動兵器を貸与して、今も鍛えてる最中なんだよな…。
俺はもう一度、お前との戦いを止めるよう改めて説得してみる。
説得も何も、貸与したヤツを強引に取り上げれば何もできないけどな。
しかしそれでも我慢できず、納得もできず、お前に戦いを挑むようだったら…。
できれば生かして返してやってくれ。
お前が俺の頼みを聞く義理なんて何処にも無いけどな」
「ふふ…そうかもしれませんね」
暗闇に無言の時が続き、シロの用件が済んだのを物語っていた……のだが。
「…シロさんはお先にお帰り下さい」
「1人で良いのかよ」
「はい、私はもう少し夜の散歩に興じたいと思いますので…」
「そうかよ、じゃあな」
輝くシロがその場から離れていけば、再び周囲は静寂と暗闇に支配される。
ティアは廃墟と化した街角の一画に立ち尽くしたまま、動こうとしない。
街灯も無く、月の光だけが微かに周りを照らしていた。
月に流れる雲がかかり、光が遮られる。
時間にして数秒…直ぐに雲の端から月が再び現れた――その時
「……懲りない方々ですね」
音も無くティアの回りを十数の黒い影が取り囲んでいた。
頭部から足の爪先まで漆黒に統一された装束。
中でも小柄な1人が僅かに顎を上げて周囲に指示を下すと、全員が刃を抜いた。
月光に照らされて白刃が鈍く煌めき……ティアの方へ向けられた。
次回 第117話 『 交易都市の夜(後編) 』