第10話 『 過去へ 』
それから僕達は、図書館の魔導書コーナーへ入り浸っていた。
「次はその古いのを頼むぜ」
「うん!」
近くの脚立を使って、高い位置の書棚へ。
「…次だ」
「もうかい!?」
シロは本当に、一度目を通せば十分らしい。
ページも一瞬目を通すだけで完全に内容を理解してるらしかった。
「アキヒト!こんな所で何やってるのよ!」
気が付くと、脚立の足元にはアヤ姉がいた。
「これって、勉強と何か関係が有るの?
それにこの辺の本って、かなり高度みたいだから読んでも…」
「悪い、アキヒトには付き合って貰ってるんだ」
代わりにシロが応えた。
「俺だけじゃ、ページもめくれないからな」
「ダメよ、あまり勉強の邪魔しちゃ…」
今ではシロもアヤ姉と普通に話ができていた。
最初は驚いていたが、順応性の高さはアヤ姉らしい。
「さぁ、ドナが待ってるから…」
「うん、分かったよ」
脚立から降りて、勉強部屋代わりの閲覧室へ向かった。
「成果はあった?」
「バッチリだ。今、覚えたのを使ってみるぜ」
すると外気の届かない図書館内なのに、僕達の回りだけ突風が吹いた。
「キャア!」
突然、下から吹き上がった風で、アヤ姉のスカートが捲れ上がった。
「な?」
「"な" じゃないわよ!何やってんのよ、アンタ達は!」
僕とシロは仲良くアヤ姉から張り手を貰った。
「なんで僕まで…」
「飼い主だから同罪よ!今度やったら全力でひっぱたくから!」
十分に全力の張り手だった気がするけど、まだ甘かったらしい。
閲覧室に着いても、アヤ姉の機嫌は治ってなかった。
「たかだか、下着を見られたくらいで…ぐぁ!」
余計なことを喋って、二度目の張り手。
吹き飛んだシロは、閲覧室の壁で跳ね返っていた。
「…騒ぐなら外でやってくれない?」
そんな僕達に向けられる、ドナ先生からの非難に満ちた視線。
「ごめんなさい、もう静かに勉強するから。
シロがね、覚えたばかり魔法を使ってたんだよ」
「覚えたばかり…」
次はドナ先生から興味に満ちた視線が、シロへ移った。
「どんな魔法を覚えたの?」
「とりあえず8属性1336種類」
「そ…その中で一番高度なのは?」
「天候を変えたりできるぜ。
他にも隕石を降らせたり、遠隔地と空間を繋げたり、別の世界と行き来したり…」
「くだらない冗談は止めて。
どれも伝説級の術式じゃないの…嘘ならもう少し上手くつきなさい」
「じゃあ、試しにやってみるか?」
「詠唱だけで何か月もかかるような実験、付き合ってられないわ」
「大丈夫だ、すぐに終わる」
その瞬間、ドナ先生の直ぐ目の前の空間が裂けた。
「え…えぇ!?」
振り向けば、アヤ姉も同じく目の前に裂けた空間。
「こっちにドナの顔が…そっちにも!?」
ドナ先生の目の前の裂けた空間の向こうにアヤ姉の顔。
アヤ姉の前の裂け目からはドナ先生の顔。
シロは2人の目の前の空間を魔法で繋げた。
「――ど、どこにこんな術式の本が?」
「俺のオリジナルだ」
「う、嘘よ!
空間魔法は、この世界の理すら変える術式なのよ!?
何か、本も読まずに…!」
「そうだな、既存の魔導書は参考にした。
基本骨子の理論さえ分かれば、後は応用を重ねるだけだ」
「信じられないわ…。
たった数日考えただけで、ここまで到達するなんて…」
「いや、さっき見かけた本を読んで思いついたんだ。
それで今、試しにやってみたら成功した」
シロを前にして、ドナ先生が言葉を失っていた。
僕は魔法のことをよく知らないけど、おそらくは凄いのだろう。
「…だが、魔法も意味が無かったな」
さしたる興味も示さず、シロは呟いた。
「なぁ、アキヒト…今まで本を読ませてくれて有難うよ。
この図書館は、知識の宝庫かもしれない。
おそらく、この世界では最高の図書館の一つなんだろうよ。
古今東西、あらゆる分野の書物が集まっている。
――だが、どうしても分からない。
これだけ多くの本を読んでも、俺には推測さえできないんだ…」
僕はアヤ姉やドナ先生と顔を見合わせた。
「みんな、教えてくれ……俺は一体、何なんだ?」
シロの問いに、僕達は誰も答えられなかった。
神獣召喚の儀式で、間違って呼び出されたと思われた精霊。
だが、今になってシロを精霊だと思えるはずがない。
精霊に関する文献も少なからず所蔵されていた。
ほのかに灯る姿だけは精霊に酷似している。
但し似ているのは外見だけで、中身は全くの別物だった。
その日以降、シロは本に興味を示さなくなった。
「元気出しなよ…」
「あぁ…」
ドナ先生とアヤ姉から、シロの魔法については使用禁止と言われた。
他言無用であり、決して誰かに知られてはいけない、と。
今は勇者候補の勧誘が白熱しており、衝突すら起きているという。
余計なトラブルを避けるため、シロのことは秘密にするのが一番だった。
「…やっぱりさ、自分が何だか分からないと気になる?」
練兵場からの帰り道、ふとシロに問いかけてみた。
前に比べて口数が少なくなり、元気無いのが僕にも分かる。
「そりゃそうさ」
「別に気にしないけどね…精霊だろうが何だろうが…」
「俺が正体不明だと気味悪くないか?」
「シロはシロだよ。
僕はそれで良いと思ってる」
「有難うよ、アキヒト…しかし、心の中でずっと引っ掛かってるんだ。
何か大切な事を忘れてるんじゃないかって…」
「大切な事って?」
「…分からない。
それさえ無ければ、俺はこのままでも良いと思ってるんだが…。
何なんだろうな、この感じは…」
シロ自身にも説明不可能なもどかしさ。
何とかしてあげたいと思ったけど、僕にはどうにもならなかった。
慰めても気休めにすらならない。
しかし僕としては、今のままでも良いと思った。
神獣みたいな力は無いけど、話し相手になってくれただけで十分だ。
「じゃあさ、今度は本屋にでも行ってみようか?
図書館とは違う本があるらしいよ。
何か手掛かりが見つかるかもしれないからね」
「悪いな、アキヒト…」
こうして知らない世界の、知らない街を探索するのが楽しかった。
決して1人じゃない。
右肩の友達はいつも一緒にいてくれると思っていたのだから。
僕が召喚されて3ヶ月が過ぎようとしていた。
日差しは暖かくなり、道端にも緑の草花が目立ってきた。
春の訪れと共に、街中にも活気が出はじめてきた。
道行く人々の服装は春のソレと代わり、心なしか表情も明るい。
そんな春の日の夕刻。
夕飯を済ませ、お風呂を上がって自室で休んでいた時のこと。
机で本を読んでいると突然、シロが話を始めた。
「アキヒト、聞いてくれ。俺…決めたよ」
「ん…何を?」
「これから催眠療法を試してみる。
この前、読んだ本に書いてあったんだ」
何かの手掛かりになるかもと思い、医学関連の書籍も読み漁っていた。
そこで見つけたのが催眠療法を使った記憶の復活。
原理は理解できたため、シロは自分にも可能であると言った。
「だがな、これには問題が有るんだよ。
昔の記憶ほど、呼び起こすには時間がかかるらしいんだ」
「どのくらい?」
「文献の最高記録では8代前の前世だったらしい。
約1000年前の記憶を呼び出すのに、1時間必要ということだ。
だが、俺ならもっと効率良くできると思う。
おそらく100倍近くの速さで昔の記憶を遡れる筈だ」
「そう…シロがやりたいのなら止めないけど…。
それで、僕に何か手伝えることがある?」
「それなんだが…」
そこでシロは一旦、言葉を止めた。
「もしも…もしも俺が戻って来れなかったら、見捨てても構わない。
この療法はな、失敗すると永久に意識が戻らないんだ」
「そ、それって…」
「何となくだが、俺の記憶は遠く遡らないといけない気がするんだ。
だから、どうしても時間が必要になる。
そして今の俺には、どの程度の時間になるかも予測できない…。
何日か、何ヶ月か、何年か――。
だから、今のうちに言っておきたいんだ。
もしもアキヒトが待ちきれなくなったら…。
俺のことをこれ以上、面倒見きれなくなったら…。
その時は契約を解消して、俺を見捨ててしまって構わない」
今のシロは僕と契約を交わし、その経路から生命力を得て生き永らえている。
仮に契約が解消されれば、生命活動に必要な力を得られない。
程なくしてシロは生命を落としてしまうだろう。
「この催眠療法だって俺の我儘だ。
これで帰ってこれなくても…そのまま死んでしまっても悔いは無い。
どうしても俺は自分の正体を知りたいからな。
だがな…これ以上、お前には迷惑をかけたくないんだ。
今までも十分世話になった。
最初に召喚された時、見捨てられて当然だった俺をお前は助けてくれた。
今、こうして生きていられるのはお前のお陰だ。
そのお前が待つのに疲れたら、契約を切ってくれて構わない。
いや…寧ろ、切って欲しいんだ」
シロが右肩から机の上に降りた。
「その時は俺のことなんか忘れてくれ。
そして改めて、新しく別の神獣と契約を結べばいい。
俺は足手まといでしか無かったが、神獣ならきっと力になってくれる。
そうすればお前だって…」
「…嫌だ」
しかし、僕が言うべきことは決まっていた。
「おい、アキヒト…!」
「いくらシロの頼みでも、それだけは絶対に聞けない」
「何を言ってるのか、分かってるのか?
この催眠療法はな、遠い記憶に遡るほど事故も起きやすいんだ。
下手したら、俺は永久に意識が戻らないかもしれない。
一生、俺の身体に生命力を吸われ続けることになるんだぞ?」
「それでも僕は待ってるよ」
「アキヒト…」
「僕は先輩達とは違って、頭も良くないし運動神経も良くない。
こんな何も無い自分だけどね、友達だけは大切にしたいんだ。
友達を見捨てるような真似だけは絶対にしたくない」
「友達…俺がか?」
「少なくとも僕はそう思ってるよ。
だからさ、シロは何の心配も無く昔の記憶を探しに行ってよ。
後の面倒は見ていてあげるから、任せといて」
「悪い…お前には世話になりっぱなしだな」
「けどさ、できれば早めに帰ってきてね。
話し相手が居ないと寂しいから…」
「…分かったよ、アキヒト。
俺は約束する…必ず戻ってくる!
だからそれまで間、俺の身体を頼んだぜ!」
「うん、待ってるよ!」
その日の夜、シロは過去へと旅立った。
お喋りだった光の精霊に似た何かから、言葉は発せられなくなった。
しかし今でも、僕の右肩にはシロが光り輝いている。
「あれ…?今日のシロ、元気無いの?」
「うん、今は遠くに行ってる」
「そこにいるじゃないの」
「そういうことじゃなくてね…」
無言のシロにアヤ姉だけじゃなく、ドナ先生もティアさんも不思議がっていた。
そして事情を説明すると、誰もが寂しく悲しげな顔をしてくれた。
だが、僕だけは信じている。
いつか再びシロが戻ってくることを。
※注記
この世界において1000年前の記憶の逆行催眠には約1時間を要する。
過去を遡れば遡るほど長い時間を要しリスクは高い。
そしてシロの逆行催眠速度は常人の約98倍と明記しておく。