第95話 『 戦後処理という名の…(3/6) 』
「すみませんでした!」
この世界に来て学んだのは、何を於いても先手必勝。
謝罪にしたって、最初に謝って頭を下げまくればきっと許して貰える…気がする。
「申し訳ありません、私どもの指導が至らず…」
「すみませんでした…」
サバラス神殿内、神々の間と呼ばれる大聖堂。
遥か上の天井には、パラス教の神々の星座を現した宝石が散りばめられていた。
主神パラスの頭部はこの世界にとっての北極星であり、光り輝く主星が座している。
できればこの神殿も観光目的で訪問してゆっくり見物したかった。
しかし現実は非情である。
法皇猊下と枢機卿方々を前にして、僕とシロはアヤ姉と一緒に頭を下げていた。
聖都パラパレス攻略から翌々日、カルーフ商会から手配された宿に滞在していた。
戦後処理が残っているので、それが終わるまで待っていて欲しいという。
部屋で大人しくして2日目の今日、アヤ姉が姿を現した。
挨拶もろくにせず、そのままサバラス神殿へ強引に引きずってこられた…という訳だった。
「う…うむ…」
法皇達の表情が引きつっているのが分かる。
つい先日、何百基という大型機動兵器に包囲され、決戦兵種からは殺気を浴びせられていた。
原因の僕達を見れば、嫌でも思い出させるのだろう。
「この者達が猊下には無礼を働いてしまい、本当に申し訳有りません!
後で厳しく指導しておきますので、どうがパラスの神々の御慈悲を…!」
「ごめんなさい!」
アヤ姉は一生懸命謝ってるんだけど、法皇猊下はドン引きしていた。
僕とシロは一歩間違えば聖都パラパレスを…いや、パラス神聖法国を滅ぼしていた。
その僕とシロが、普通の女の子のアヤ姉には頭が上がらないのだから…。
「前庭の残骸、一体何なのよ!
あの8体の女神像がどれだけ貴重か、ひと目見れば想像くらいつくでしょ!
それをバラバラにしちゃって!」
「いや、あれは仕方ないんだよ。使徒の人達を救うためには…」
「え…使徒の方々が…どういうことよ?」
僕はイスターさんから教わったことをアヤ姉にそのまま伝えた。
使徒の人達は前庭に設置してあった女神像を経由して大地の力を得ていた。
また女神像は使徒達と一心同体であり、破壊されれば生命を失い消滅する。
彼女達は700年も聖都パラパレスに縛られてきた。
だから自由にしようと…そのためには必要な破壊行為だった。
「何言ってるのよ、あの方々は今も元気じゃない」
「だからそれはね、シロが魔法の術式を書き換えたからだよ。
昔の神聖法国の知識を解読して、使徒の人達が生命を失わないように…」
「じゃあ、どうして破壊する必要が有ったのよ」
僕もシロも時間が止まった。
「アンタ達の言葉が本当なら、書き換えただけで他に何の問題が有るのよ?
それにシロは他の術式も全て解読できたんじゃない?」
「あ…あぁ、そ、そうだな…他のも…全て解析済みだった…」
「じゃあ、他の内容も全て上書きすれば良かっただけじゃないの?
使徒の方々が女神像から解放されるように術式を変更すれば、それで全て解決よね。
それ以上、どこに破壊の必要が…?」
アヤ姉の氷点下より冷たい視線を受けて背筋に冷たいモノが流れた。
「ほら…どこに破壊する必要が有ったのか言ってみなさいよ…!」
大型機動兵器100基にも勝るアヤ姉の威圧に、僕もシロも思わず一歩後ろに退いた。
「シ…シロが悪いんだよ!
女神像を破壊しろって最初に言い出したのはシロだから!」
「な…!そりゃ無ぇだろ!?
ノリノリでガーストに破壊させたのはアキヒトじゃねぇか!」
「僕はね、本当は破壊するかどうか迷ってたんだよ!
それをシロが大丈夫だ、俺を信じろ!なんて言うから!」
「デマカセ言うんじゃねぇ!誰がそんなこと言った!?
俺は安心しろって言っただけだろうが!」
「大体ね、シロは考えが足りなさ過ぎるんだよ!
あの程度の魔法の術式、解析から上書きまで5秒も有れば余裕とか威張っておいて!
なんでアヤ姉でも1秒で気付くことが分からないんだよ!」
「そもそもガーストと知覚融合して勝手に動かしたのはアキヒトじゃねぇか!
それさえ無けりゃ法皇とは話し合いで解決して、女神像だって壊さずに済んだろうが!
少し強くなったからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ!」
「やめなさい!」
大聖堂で開始された僕とシロの口喧嘩は、アヤ姉によって一瞬で制止された。
「法皇様…度々、身内の者共が御見苦しい醜態を晒してしまい申し訳ありません」
「う…うむ…」
「その上、お願い申し上げるのは本当に畏れ多いのですが…。
我等に各地のパラス教会で祈りを捧げるお許しを頂けないでしょうか?」
「それは構わぬが…」
「有難うございます…法皇様の御慈悲には本当に感謝致します…」
サバラス神殿を後にすると、例の如く謝罪の旅が始まった。
最初に訪れたのは聖都パラパレス守備を任されている法国軍令省。
その大きな建造物に入った途端、やっぱりというかフロア中から悲鳴が上がった。
「またこのパターンなんだ…」
守衛の人達に混じって法国騎士までが続々と集まり、あっという間に囲まれた。
「な、何用であるか?」
「軍令省長官様に御面会をお願いしたいのですが…。
約束も何も無くてすみません」
「し…しばし待たれよ…!」
僕達に向けられる視線が警戒心で満ちていて痛い。
全ての人々が恐ろしい魔物でも見るような怯えた目をしていた。
やっぱり前と同じ展開だった。
1階ロビーで囲まれてアヤ姉と立ち尽くしていると、奥から一団が姿を現す。
「私が当省を総括する責任者だが…」
周囲は騎士達に囲まれて、本人の姿が隙間からしか見えなかった。
辛うじて威厳を保っているけど、僕達を見て怯えているのは明らかだった。
あんな大規模な兵団で攻め込んで、この聖都を一時は包囲してたのだから当然だけど。
「すみません…!
ご迷惑をおかけして本当に申し訳ありませんでした!」
言うべきことも魔導王朝と時と同じだった。
「申し訳ありません、私どもの指導が至らず…」
「すみませんでした…」
同行してくれたアヤ姉と一緒に平謝り。
兵団が法国軍を無力化するために多くの武具を破壊して破壊して破壊しまくった。
その費用、決して少なくないし、怪我人も出てしまっている。
頭を下げて下げて下げまくって…呆然とする軍令省長官へ早々に挨拶して退出した。
それから僕達はボーエン王国に帰還するまで巡礼の旅を続けた。
「法皇猊下の御慈悲により、祈りを捧げるお許しを頂けまして…」
「おう、それは…パラスの神々は全ての人々の味方です。
貴方達にも祝福が在りますよう…」
「勿体無いお言葉…。
法皇猊下と同様、パラスの神々にも感謝致します…」
各地の主要都市を回って、僕達3人は大教会で祈りを捧げた。
「こうすれば、パラス教の信徒達も敵に回さずに済むでしょ…?」
アヤ姉がこっそり教えてくれた。
神聖法国のみならず、大陸平原同盟にも南方諸国にもパラス教が浸透している。
魔導王朝以外は全て教圏と考えて良いらしい。
事情が有ったとはいえ、神聖法国に攻め込んで聖都パラパレスを包囲した。
多くの信徒達も決して良い感情を持たなかったであろう。
だが、こうして各地でパラスの神々に祈りを捧げることで治めることができる。
多くの信徒が今の僕達の姿を見れば、悪い気もしないであろう。
地区の司教様も法皇猊下の御赦しが出たのなら、参拝を拒む訳にはいかなかった。
神聖法国の侵攻経路上の城塞都市から新回廊を通って大陸平原同盟領内へ。
各国の大教会を回って参拝して、回っては参拝して…。
3月も終わり際、ようやく僕達はボーエン王国の城塞都市に帰還した。
1月25日の出立から2ヵ月が経過していた。
久しぶりに見る我が家は懐かしく、こうして無事に生還できてホッとしていた。
窓から光が溢れており、中ではレスリーさん達が僕達の帰還を待っている。
「…どうしたの?」
自宅に入ろうとした瞬間、僕は立ち止まってしまった。
「アヤ姉…今回の僕ってさ、何も悪いことしてないよね?」
「何を言ってるのよ、悪いことしたから今まで謝っていたんじゃないの」
「いや、そうじゃなくてさ!
今回は、しっかりレスリーさんにも平原同盟にも許可を貰って戦ったんだよ!
神聖法国と戦っている最中、女の子とは知り合うどころか話をする機会も無かったよ!」
「そ…そうだけど…それがどうしたのよ?」
「これまでと同じパターンで、頭を抱えてるレスリーさんが待っている気がするんだよ…。
今回の僕、何も失望させるような真似はしてないと思うけど…」
「そうねぇ…何も無いとは思うけど…」
少なくともアヤ姉には思い当るところは無いらしい。
「アキヒトの考えすぎじゃねぇか?」
「考えるんだよ、シロ!
今回のパラス神聖法国攻略で何処か見落としてる点は無かったか!
5分後に激怒したアヤ姉から張り手される展開は絶対に避けたいんだよ!」
「何も無いと思うがな…あるとすれば女神像破壊くらいか?
しかし、その件に関しても今更アヤが怒ることでもないし…」
「そ、そうだよね…。
はは…僕の考えすぎだったみたいだね…」
気を取り直して、元気よく我が家への帰還。
「ただいま戻りました!」
大きな声で扉を開いて中に入ると、居間のテーブルには2人の影…。
…なのだが少し様子がおかしかった。
レスリーさんはテーブルに両肘を立てて寄りかかり、重々しい表情で腰掛けていた。
ドナ先生は無表情で行儀よく椅子に腰掛けていた…怖いくらい無表情で。
「アキヒト…そこに座りなさい、シロもよ」
抑揚の無い…空恐ろしささえ感じるドナ先生の声。
「なぜなの!?」
僕はパラスの神様を恨まずにはいられなかった。
今回は何も問題を…いや、問題だらけだけどレスリーさんを失望させるようなことは。
「いつまで突っ立ってるの!さっさと座りなさい!」
ドナ先生、やっぱり無茶苦茶怒っていた。
僕は怯えながら、レスリーさんと向かい合う席に腰を下ろした。
シロも震えながら僕の右肩に。
「え?え?え?」
アヤ姉も覚えが無くて戸惑っていた。
攻略の件はレスリーさんも平原同盟も了承していた。
女の子の噂も無く、マジメに僕がパラス神聖法国に攻め込んでいたのを知っている。
今度こそは普通にお祝いをするつもりだったのに。
なのに2人の様子が明らかにおかしい。
普通にお祝いされると思っていたのに…今の僕には全く身に覚えが無い。
僕の傍にはアヤ姉が立ち…しばらく無言の時が流れた後、レスリーさんが口を開いた。
「…自信を無くしたよ。」
その口調は疲れ切っていた。
「今後、君の後見を続けられる自信が無い…。
アキヒト君は、私の代わりの後見人を見つけた方が…。」
「す…すみません、レスリーさん。
今回は本当に何の問題が有ったのか、僕には見当も付かないのですが…」
表情を見れば冗談でも何でも無いのが僕にも分かる。
「…君宛てだが、私の住所へこれが届いたよ」
レスリーさんがテーブルの上に出したのは4つの分厚い封筒。
「なんですか、これは?」
「5日前にね…話を聞いたよ…」
僕の兵団が聖都パラパレスを攻略し、8人の使徒達を見事に倒した。
神聖法国は全ての切り札を無くし、大陸制覇の野望は潰えた。
報を受けたレスリーさんはとても喜んでいたらしい。
勝利したことも有るけど、今回も犠牲者は一人も出なかったのだから。
しかも僕が平原同盟に在住する法国の人達の保護を頼んでいだことも知らされていた。
屋敷を取り戻すより、その配慮をとても嬉しく思ってくれていた。
だからレスリーさんも僕の帰還を祝福する気でいてくれた。
誰も不幸にならず、大陸の平和を守ってくれた僕を褒めてくれるつもりでいた。
しかし5日前、マーク同盟の第45代盟主マーダさんが突然訪ねてきた。
『盟主御自らの訪問を受けるとは光栄であります。
このような貧相な屋敷で申し訳有りません…』
『構わん、私の生家に比べればな…』
年代としてはレスリーさんと同じ男性である。
両者とも大陸には知れ渡っているが、覇気と野心では遥かにマーダさんの方が上だった。
『本日は如何なる御用で?』
『見当はついておろう、子爵が後見を引き受けているアキヒトだ。
来月からマーク同盟の大学付属中等部へ転入させる。
その件を伝えに来たのだ』
『え…それは初耳ですが』
『これまで法国攻略で忙しかったからな、子爵にも連絡が遅れたのであろう。
本人も政治の世界に進むと乗り気だ』
…え?
『それから私には今年8歳になる娘がいる。
行く行くは一緒になって私の跡を継ぎ、マーク同盟の重鎮となろう』
え?え?
『も、申し訳ありません、突然の御言葉で混乱しております。
本人に一度確認を取りたいのですが…』
『なに、子爵の娘のことなら心配するな。
第二夫人として認めてやろう』
その時、ドナ先生から何もかも切り裂くような鋭い視線が僕に向けられた。
「最初はね、私も何かの間違いじゃないのかと思ったんだよ…」
「そ、そうですよ!
そんなの絶対におかしいですから!」
「しかしね…そんな間違いが何度も続くとね…」
翌日、今度はカルーフ商会のグラン会長自らが訪ねてきた。。
『お初にお目にかかる…子爵の名声は私も耳にしている…』
『私など、会長の名声に比べたら大したことは御座いません。
それより、このような貧相な屋敷にお越し頂いて誠に申し訳有りません…』
商会の中では最も経営規模が大きく老舗のカルーフ商会。
その会長職ともなれば、マーク同盟の盟主の地位にも引けを取らない。
『本日は如何なる御用でしょうか』
『アキヒトから聞いてはおらぬのか…?』
『え…何がでしょうか…』
『そうか…困った奴であるな…連絡が遅れておるのか…。
それも仕方あるまい…奴も多忙であるゆえな…』
『申し訳有りません…宜しければ会長からお聞かせ願いますか?』
『うむ、子爵が後見を引き受けているアキヒトだが…。
来月からカルーフ商会本店、会長室での勤務が決まっている…。
その件を親代わりのレスリー子爵へ伝えに来たのだ…』
…え?
『長男には利発な娘がいてな…あと5年後には夫婦になろう…。
カルーフ商会の次々代会長として、この私自らが鍛えてやるつもりだ…。
まだまだ子供で足らぬ所も多いが教え甲斐がある…。
フフ…この私、現役最後の大仕事となろう…』
え?え?
『も、申し訳ありません、突然そのようなことを仰られましても…。
一度、本人の意志を確認してから…』
『そなたの娘のことなら案ずるな…。
カルーフ商会次々代会長の第二夫人として迎えようぞ…』
ドナ先生の視線が鋭さを増した。
「それだけじゃ終わらなくてね…。
ラーセン商会のスティーン会長、リアンツ商会のフルト会長も訪ねてこられたよ。
内容は全て同じ…商会に迎えるための挨拶に来られて…。
アキヒト君は幾つ身体を持ってるんだい?」
「アキヒト…私のことを気にかけてくれて本当に嬉しいわ…」
呆れ果てたレスリーさんの話が終わろうとした時…ドナ先生から特大の殺気が発せられた。
「貴方がどんな仕事に就こうが、どこの誰と結婚しようが一向に構わないけどね…。
なぜ、私が第二夫人で確定しているわけ?」
「え…ぼ、僕はそんな…」
「合計4回よ、4回…?
4回もアキヒトの第二夫人呼ばわりされた私の気持ち…貴方に分かる?」
宗主陛下と素手で戦う方が100倍マシだった。
これまでにない絶体絶命の危機…だが、救い主は思わぬ所に存在した。
「それ、4人とも嘘ついてるぜ」
ダチ公のシロが証言してくれた。
「俺はいつもアキヒトと一緒にいたから分かるぞ。
マーク同盟の中等部に行くとか商会勤めするとか、そんなこと一度も決めてねぇよ。
アイツ等全員、アキヒトを取り込みたくて強引に話を進めようとしてるだけだ」
「そ、そうなんです!シロの言う通りです!
僕はまだ進路なんて決めてないですし、決めたら真っ先にレスリーさんに連絡します!」
それまで険しかったレスリーさんの表情が一気に緩んだ。
「そ…そうかね…そうだよね。
あれだけ名の通った方々が突然、次々と押し掛けてこられて…私も少し動揺していたよ…」
「そうですよ!
僕がレスリーさんを差し置いて勝手に進路を決めるわけ無いじゃないですか!
どんな道に進むとしても、その前に絶対に相談しますよ!」
「だとしたら困った方々だ…。
分かった、私からアキヒト君の意志を伝えておくよ。
まだ本人は進路を決めかねているから、皆様の御意向には添えないとね」
戦後処理は3回目にして無事に成功しようとしていた。
後見人のレスリーさんの誤解も消え、僕達の戦いは大団円で終わろうとしている。
「そう…事情は分かったけど…」
「どうしたんだい、ドナ?」
「お父様…なぜ私がアキヒトの第二夫人という認識で広まってるの?」
「それは…その…何だろうね…」
僕には予想がついていた。
後見人を引き受けているレスリーさんがそれだけ重視されているのであろう。
事実、僕はとてもお世話になっており、どんなに苦しい時でも味方で居てくれている。
それは誰もが知っており、だからこそレスリーさんを…その娘も無視できなかった。
「それで…他には何も無かったですか?」
「何がだね?」
「はい、ですからレスリーさんが失望されるような事案は…」
「ははは、何も無いよ。それよりアキヒト君を疑って済まなかったね」
安堵の余り、肩の力が一気に抜けるのを感じた。
だが、僕はここで油断しない…不安要素は全て取り除いておかないと。
後でバレて大事になるよりは、今のうちに打ち明けて火を消しておこう。
「ですが、僕…今回の神聖法国攻略で一つ大きな失敗をしたんです」
「犠牲者は一人も出なかったと聞いているが…。
それに新回廊の開通は多くの人々の生活が救われたと聞いているよ?」
「実は…サバラス神殿の前庭の女神像を全て破壊してしまいまして…」
「なんですって!」
なぜかレスリーさんよりもドナ先生が大きく反応していた。
「どの女神像を壊したのよ!?」
「えぇっと…8体とも全部…」
「い…今は修理中なの?」
「全部、粉々になって…バラバラになって…跡形も…」
「このバカ!」
怒りに狂うドナ先生を見て、レスリーさんからの説明が付け足された。
「ドナは…ディオーナという名前はね、空の女神ディオーヌ様から頂いたんだよ。
あの前庭にもその像が立っていたんだが…。」
「は、はい…」
「私が亡き妻に結婚を申し込んだのが…その女神像の前だったんだ」
誰か時間を巻き戻して下さい。
さっきの第二夫人とは比べ物にならないくらいの更に上の怒り。
ドナ先生が目元に涙さえ浮かべているのを見て、僕も泣きそうになっていた。
「駆け出しの頃…聖都パラパレスへ講演に行った時、神殿前を一緒に散歩してね…。
だから思い出深くて…産まれた時に名前をディオーナに…」
「ゴメンなさい!」
もう、心から全力で謝るしかなかった。
「本当の、本当にゴメンなさい!」
「悪い…済まなかった…俺からも本気で謝らせてもらう…」
シロと一緒になってドナ先生に頭を下げる以外、僕達に選択肢なんて無かった。
「悪いな、レスリー…そんな思い出の場所を破壊してしまって…」
「いや、君達には君達なりの事情が有ったのだろう?
今回の戦いで多くの人達が救われたんだ、それくらいは仕方ないよ…」
「駄目だ、それでは俺の気が済まねぇ…!
よし、俺が後で復元してやるよ!」
再び希望の光が見えた。
「シロ、そんなことできるの?」
「あの8体の女神像を解析したろ?
その時の形状データもしっかり記憶してあるからな、再現は可能だ」
「ほ、本当に!?同じ女神像が造れるの!?」
「任せろ、お前達人間の視覚閾値以下の精度でなら余裕だ。
風化や経年の劣化まで完璧に再現してやるよ。
同じ材質の大理石の調達だけが厄介だが…何とかなるだろ」
二度目の危機も何とか脱しようとしていた。
「そう…なら許してあげるわ…。
その代わり、絶対に同じのを復元して元の場所に戻しておくのよ?」
「あぁ、約束するぜ!」
ドナ先生も機嫌を直してくれたようだ。
まだ帰ってきてから10分も経ってないけど、神聖法国攻略時以上に疲れた気がする。
「しかし、すみません。
ドナ先生が、そんなに女神像を大切に思っていたとは知らなくて…」
「最近、お父様が教えてくれたのよ。私のコレを見てね」
ドナ先生の襟元には、僕がクリスマスにプレゼントしたブローチが着いていた。
「少し不思議だと思って聞いたのよ。
なぜ、私の名前を空の女神ディオーヌ様から頂いたのかって。
お父様とお母様なら、叡智の女神メティス様の方を選ぶと思ったのに」
名前を付けたのは亡きカレン・アグワイヤ女史だった。
産まれたばかりのドナ先生を抱き上げながら、カレンさんはこう言ったという。
『私と貴方の娘なら頭が良くて当然よ。
それより、空のように広い心の持ち主に育って欲しいわ…』
だからディオーナという名前に決まった。
レスリーさんが再婚されないのは、亡き奥さんが素晴らしかったからだと僕は思う。
とても頭が良くて、優しい人では無かったのかと…故人であるのが残念だった。
「改めて礼を言うわ、アキヒト。
このブローチをプレゼントしてくれたから、お父様達の大切な思い出話が聞けたのよ…?」
今更だけど、バイトしてお金を貯めてまでプレゼントした甲斐が有った。
ドナ先生はとても喜んでいた。
これだけ嬉しそうな顔をされると僕まで嬉しくなってくる。
本当の本当に…パラス神聖法国攻略戦は綺麗に終わろうとしていた。
「お椀にしなくて正解だったな」
シロの一言で大きな幸せに小さな亀裂が入った。
「シ、シロ!その話は二度としないって約束だろ!」
「あ…」
それまでブローチを大切に愛でていたドナ先生が…僕達を不思議な目で見ていた。
「お椀…何よソレ?」
「な、何でも無いです!」
「何でも無いなら、どうしてそこまで慌ててるのよ?」
「そ、それは…」
「良いから全部話しなさいよ。
今の私は機嫌が良いの…何を言っても怒らないから…」
ドナ先生が今までに見たこともないくらい慈愛に満ちた笑みを浮かべていた。
だが、そんな言葉を真に受ける僕では無い。
それでもこのまま黙っている訳にもいかないので…大切な箇所だけ伏せて話を始めた。
「そのプレゼントなんですけどね…。
シロがお椀が良いんじゃないかって言い出したんですよ」
「お椀…なぜ私がお椀なの?」
「レスリーさんとお揃いで2つプレゼントしようかと思っていたんです。
けど、アヤ姉が髪飾りでティアさんが手袋で、ドナ先生がお椀というのは…。
何ていうか、女の子らしくないと思ってブローチに変えたんですよ」
「そう…そういう訳だったの」
「そ、そうなんですよ!」
「なら、なぜ直ぐに話してくれなかったの?」
このドナ先生は…頭の回転が早くて本当に鋭い。
「今の話を聞く限り、私を不快にさせる要素は何も無いわよね?
なぜ、直ぐに答えなかったのよ」
「そ…それは…」
返答に困っていると、台所からティアさんが料理を持ってきてくれた。
「お話中にすみません、そろそろお食事にしませんか?
今日はアキヒトさんの生還を祝って御馳走にしたんです…」
「はい!僕もお腹が空いて我慢できなかったんです!
はぁ…とっても美味しそうですね!」
ドナ先生は納得行かない顔だったが、僕は強引に話題を食事の方向へ変えようとした。
最高のタイミングで現れたティアさんには感謝しか無い。
トレイをテーブルの上に置いて、ティアさんが一つ一つ料理を並び始めた。
「…まさか」
「ど、どうしたんですか、ドナ先生!早く食べないと冷めてしまいますよ!」
「まさかと思うけど、アキヒト…」
何かを凝視するドナ先生の声が震えていた。
「ん…?」
その視線を目で追うと…前に屈んで重たげに揺れるティアさんの胸の膨らみが見えた。
ドナ先生は自分の胸とを交互に視線を移して見比べて…。
顔を上げると般若の形相に変わっていた。
「お椀を2つ…私の胸に詰め」
「レスリーさん!やっぱり僕、政治の道も良いと思うんです!
マーダさんの中等部編入の件、真剣に考えても良いでしょうか!?」
「え…しかし、君はまだ…」
「いえ、以前から興味が有ったんですよ!
政治の世界も面白そうだなって!レスリーさんはどう思われます!?
それともマーク同盟の大学よりボーエン王国の方が政治の勉強に向いてますかね!?」
この場を乗り切るにはこれしか無かった。
ドナ先生の怒りを買うくらいなら、今直ぐ人生の進路を決めた方が遥かにマシだった。
「これって、マーク同盟の学校の資料ですか!?
うわぁ!とても興味深いので、見せてもらいますね!」
レスリーさんから出された封筒の一つを開けると、僕は一心不乱で資料に目を通した。
「アキヒト…アンタ…」
「へ、へぇ…!マーク同盟の中等部って、こんなに専門的なことまで…!
僕、なんだか来月からでも行ってみたくなってきました!」
仮に今、マーダさんが現れたら速攻で飛びついたであろう。
いや、グラン会長でもスティーン会長でもフルト会長でも構わない。
溺れる者は藁をも掴むというが、まさに今の僕は藁を選んでいる余裕も無かった。
「さ、早速、今からでも話を聞きに行って良いですかね!?
もう遅いかもしれませんけど、僕、じっとしてられなぐぁっ…!」
とても分厚い百科事典が全力投球され…顔面に衝突して僕は後ろに思い切り吹き飛んだ。
「分かったわ…!
アンタが普段、私のことをどう考えているのか!」
顔面の痛みに悶える僕の耳に、ドナ先生の怒りに満ちた声が届いた。
「シロ…」
「ひぃ!」
突然声を掛けられ、数百基の大型機動兵器を自在に操るシロが情けない悲鳴を上げていた。
「アンタ、お酒没収ね」
「え…」
「実はマーク同盟や3商会からお酒の樽や瓶が一杯届いてたのよ…。
今日は祝勝会だから後で開けようと思っていたけど…」
「ま、待ってくれよ!
それは俺の唯一の楽しみなんだ!それだけが楽しみで帰ってきたんだ!」
「うるさいわね!
少しは反省しなさい!」
敗残兵団のパラス神聖法国攻略戦は失敗した。
大陸制覇の野望を挫き、新回廊を開通させ、8人の使徒達を自由にできたけれども。
強力なガースト級大型機動兵器を自在に操れるようになったけれども。
兵団長の僕には勝利の実感が何も無かった。
「ねぇ、シロ…」
「うるせぇな!今は放っておいてくれよ!
楽しみにしてた酒が…魔導王朝の美酒が、南方諸国の地酒が…!」
「実はね…一本だけ安いお酒を買い置きしてあるんだよ」
「な、なんだと?」
「40ソラの安いお酒なんだけどね…。
いつか、シロにあげようと思ってさ…。
だから後でさ…上の部屋でさ…こっそり二人で飲まない?」
「お前…まだ飲めないって言ってただろうが…」
「僕だって飲みたい時は有るよ…」
「そうか…そうだよな…」
「飲もうか…」
「飲もうぜ…」
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敗残兵団戦史
大陸歴997年1月25日開戦
場所 カール大公国頭部パスタル平原
パラス神聖法国領内(アコン山脈から東部一帯)
最終投入戦力
ラーフォ級小型機動要塞 1基
フォレス級小型揚陸艇 22基
ガースト級大型機動兵器 12基
アパルト級大型機動兵器 218基
ドロー級大型機動兵器 120基
ガリー級中型機動兵器 約2000基
インガム級中型機動兵器 約5000基
各クダニ級小型機動兵器 約31万基
(兵団長直属護衛のヴァルマー級1基とガースト級1基は含まず)
兵団損失
無し
備考(後に捕捉)
アコン山脈旧回廊"法国の盾"完全無力化
アコン山脈新回廊開通
以後、パラス神聖法国は政治、経済、軍事の大幅な方針転換を余儀なくされる。
同時に大陸の経済情勢は一変し、全世界規模の好景気が到来する。
大陸歴996年3月22日終戦
第3戦 " パラス神聖法国攻略 " 状況…未だ終了ならず
次回 第96話 『 イスター坊やの願いは叶う 』