第9話 『 魔法講義 』
僕が召喚されて2ヶ月が経つ頃。
右肩のシロは、普通に会話できるまでになっていた。
「なぁ、アキヒト。俺は一体、何なんだろうな…」
「うん…精霊では無いと思うけど…」
ある程度の本を読み漁った後から、それが口癖になっていた。
「召喚される前に何か覚えていることは?」
「いや…何も無いんだ…」
練兵場からの帰り道、街中でシロとの会話。
道端には緑の草花が目立ち、この地にも春が訪れていた。
既にシロは図書館の何百冊という書籍を読破していた。
最初は純粋に知的好奇心を満たすためだった。
しかし途中から、自身の正体解明に目的が変わった。
シロは自分が何者か気になっていた。
召喚される前の記憶すらない。
気付けば、僕の右肩に居座っていたと。
ただ、薄っすらと覚えているのは暗く冷たい場所。
何の光も刺さない空間に1人だけ。
家族も友達も無い…自分は孤独な存在だと話してくれた。
「よし、今日は別の稽古をしてみるか」
ある日、練兵場でイスターさんと剣の練習をしている時だった。
「剣術ばかりじゃ飽きてくるだろ?
たまには別の練習もしてみないとな」
「というと、何するんです?」
剣術練習に飽きたのはイスターさん自身の気がするが、黙っておいた。
「…よし、魔法やってみるか」
「え…!?」
「なに、俺もあまり得意じゃ無いんだが初歩くらいはな」
すると近くに置いてあったカバンから一冊の本を取り出した。
ページをめくっていき、その指が止まった。
「えーっとだな…。
魔法を使う前に、その起源や原理から学んでいくか」
即席魔法講師、イスターさんの説明が始まった。
単純に言えば、魔法とは何らかのエネルギーを何らかの現象に変換すること。
最も一般的なのは、自身の魔法力の行使。
神族、魔族、人間、亜人、誰もが生命力と同様に魔法力を持っている。
当然だが、属性や個人で容量差は大きく分かれる。
人間も先天的に魔法容量の大きい場合があるが、神族や魔族には及ばない。
だが初歩的な魔法なら容量を多く必要とせず、大抵の人間が使える。
「一番の基本は火を出すことだな。
それなら詠唱も短めで、少し練習すれば誰でもできる。
まぁ、普通の人間なら焚き木に火をつける程度だが…。
神族、魔族の上級者なら火の柱を出して軍隊を燃やしたりもできるな」
熱方向を逆にして、凍らせたりもできる。
しかし、それも魔法力次第で規模が全く異なってくると。
「他の用途は…そうだな。
風を吹かせたり、灯を出したり、怪我や病気の治療をしたり…。
高度になれば、空を飛んだり、召喚したり…だ」
「司教様達は人間ですが、召喚してましたよ?」
「足元に魔法陣が有ったろ。
あれで魔法力を大量に確保していたんだ」
人間は個人の絶対容量が少ない。
だから大規模な魔法陣を作り、自然界から魔法力を調達する。
「だから理論的には、人間にだって強力な魔法を使える。
だが、その準備は絶対に必要なんだよ。
お前を召喚した儀式だって、何ヶ月も前から用意していたしな」
「そ、そうだったんですか!?」
「それだけ大量の魔法力が必要なんだよ」
当然、500年前の戦いでも魔法は使用されていた。
しかし使用するのは神族や魔族のみであり、人間は不可能である。
仮に戦争で有要な魔法を繰り出すなら、魔法陣が必要だ。
しかし現実問題として、戦場で複雑な魔法陣を作る余裕など無い。
「空を飛べるって便利そうですね」
「アレ、キツイんだよ」
「難しいんですか?」
「いや、詠唱的にそれほど難しくは無いんだが…。
飛んでる間は常に魔法力を消費するんだ。
神族、魔族でも容量的に余裕のある奴しか使わないな」
イスターさんも使えるらしいが、そんな人は多くないらしい。
専用の装備さえ有れば長時間の滞空も可能らしいが。
空中戦ができればかなり有利だけど、デメリットも小さくないという。
「…ま、こんな所だ。
他にも魔法力の使い方次第で、色んな現象が起こせる。
しかし最初は基本的な所から行ってみるか」
説明を終えると、イスターさんはお手本を見せてくれた。
「炎の精霊よ…大地の理に従い…加護をもたらせ…!」
するとイスターさんの掌から、人の背丈程の火柱が昇った。
「す、凄い…!」
「お前もやってみろ。
まずは詠唱を暗記してだな…後は気合だ」
「気合ですか?」
「そう、問題はやる気と熱意だ!」
「そ、そうですか…僕も頑張ってみます!」
「これができると、いろいろ便利なんだ。
絶対にマスターしとけ」
「はい、料理に使えそうですからね。
屋外で焚き火もできたり…」
「何言ってんだ、オマエ。
これやると店の女の子に受けるんだよ」
入れたはずの気合が一瞬で消え去った。
「ポイントはな、どれだけ可愛らしい形にできるかだ。
簡単な◯だったり△でもそれなりに受ける。
だが俺は無茶苦茶苦労して、練習して、頑張って、花模様を再現した!
大抵の女は花に弱いんだぞ!?
どんな店の女でも、最初にコレをやれば掴みは完璧だ!」
「気が散るから黙っててください!」
集中、集中、集中…。
今だけイスターさんの言葉は無視しよう。
深呼吸して、落ち着いて、気合を入れて…!
「ほ、炎の精霊よ…大地の理に従い…か…加護をもたらせっ…!」
僕は掌へ力を…!
ち、力を…。
「…出ねぇな」
火柱どころか何も出なかった。
「今、正確に詠唱してなかったろ?
完全に暗記して、次はしっかり一句一句、正確に言うんだ」
「は、はい!」
「良いか、気合も大切だが集中しろ!」
「はい!」
「集中してイメージするんだ!」
「はい!」
「イメージだ!
アヤにプレゼントする花をイメージだ!」
「は、はい……!?
や、止めてください!集中できないじゃないですか!」
「なんでだ!?
俺の場合は、女に花を渡すイメージで成功したぞ!」
その後、途中でイスターさんの邪魔が入りながらも練習は続いた。
最初は上手くいかなかったが、少しづつコツは掴めてきた。
そして練習開始より1時間後。
「…加護をもたらせ!」
ようやく僕の掌の上に火が……ライターよりも小さな火が灯った。
「おかしいな…小さすぎる」
火の大きさに、イスターさんが首を傾げていた。
「元々、神族より人間の方が魔法力は弱い。
だから火の大きさも、アキヒトの方が小さいのは分かっていたが…」
「そんなに小さいですか?」
「弱い人間だって、拳くらいの火は出るからな」
「つまり僕には全く素質が無いと…」
「いや、弱すぎるんだ、不自然なくらいな。
この世界の人間とお前に、そこまで差は無いと思うんだが…」
その日はそれからも何度か練習してみたが、結果は同じだった。
掌の火の大きさが変わることは決して無かった。
数日後、ローテーションでガーベラさんに指導して貰う時が来た。
剣の修練の前に、イスターさんとの魔法のことを聞いてみた。
「火が小さいだと?」
「はい、イスターさんが…神族の人の説明では小さすぎると」
「試しに見せてくれ」
ガーベラさんの目の前で、同じ要領で魔法の詠唱を。
掌の上に灯った火は変わらず小さかった。
「これって僕に素質が無いからでしょうか?」
「いや、その神族の言う通りだ。
確かに小さすぎる…こんなことは有り得ないのだが…」
掌の火と僕を交互に見て、しばらく考え込んでいた。
だが、その視線が突然シロの方へ向けられた。
「なるほど…その精霊か」
「え、どうしたんです?」
「アキヒトから生命力だけでなく、魔法力も注がれているんだ。
普通は神獣から魔法力の供給を受けて、火も劇的に大きくなるんだが…」
僕の場合は、逆に魔法力を吸い取られてしまっていた。
「その精霊が独り立ちすれば、お前の魔法力も元に戻る。
そうすれば、火の大きさも普通になるだろうな…」
ガーベラさんにとって魔法関連は得意分野らしい。
他にもイスターさんの指導では無かった、幾つかのポイントを教えてくれた。
「分かり易く説明すると、注意すべきは力、技、速さの3点だ。
力とは即ち魔法力の大きさ。
魔法力が大きければ大きい程、同じ詠唱でも威力は上がる。
技とは即ち魔法の習熟度。
複雑な術式は複雑な理論を構築して、初めて実現する。
速さは即ち魔法の詠唱速度。
速ければ速い程、短時間で魔法が発動する」
うん、悪いけどイスターさんよりも説明は分かり易い。
「そしてアキヒトの場合は、魔法力不足が根本的な問題だ。
どんな複雑な術式を短時間で詠唱しても、何も発動できないからな」
「では、僕には無理ですか…」
「いや、その精霊が独り立ちすれば問題ない。
お前も人並みに魔法力が溜まるだろう」
「そうですか…けど、僕はそこまで魔法にこだわってませんので」
そこまで固執しなかったが、知らない世界の知識である。
この際、疑問に思ったことを色々聞いてみよう。
「そうだ…例えば魔法書を一冊持っていたとします。
それを読みながら正確に詠唱すれば、誰でも魔法が可能ですか?」
「いや、不可能だ。
丸暗記して暗唱すれば良いわけでもない。
詠唱の行為は、言わば自己暗示。
どうすれば発動するのか?
己の中にある力が、如何にして現象を発動するか?
その力の道筋、流れ、仕組みを理解しなくてはならない。
それを完全にイメージした上で初めて実現する。
火の魔法は理論が一番単純だ。
だからこそ誰もが最初に学び、全ての基本となるのだな」
「高度な魔法は仕組みが複雑だから、イメージも難しい…。
だから使いこなすのも難しいのですか?」
「そういうことだ。
言葉を並べただけで魔法が使えるなら、誰も苦労はしない」
魔導王朝の南部では、隣接する獣人の国と武力衝突が生じる。
とはいえ決して規模は大きくないが、大勢の魔族の騎士達が派遣される。
そこで実際に剣と魔法を駆使し、獣人達の鎮圧と駆除にあたる。
「獣人兵など我が魔導王朝騎士とは比較にならぬ。
つまり訓練代わりだが、だからと言って油断もできん。
それで想像すれば分かるのだが…常人には実戦で魔法を使う余裕など無いのだ。
例えば考えてみてくれ。
剣を振り回して戦いながら、呪文の詠唱ができると思うか?
目前の敵と戦いながら、魔法力の流れを正確且つ完全に掌握できるか?」
答えるまでも無かった。
「経験を積んでも、なかなか難しい。
単に詠唱するだけでは無いぞ?
先も説明した通り、魔法力の流れを意識しなければな。
全力で剣を打ち合いながら、そんなことができる者など…。
私を含めて、ほんの僅かだ。
それで、こういった技量の持ち主達が『魔法剣士』と呼ばれる」
「剣と魔法、両方使えるからですか」
「ただし、魔法剣士が使える魔法など、高が知れている。
熟練者でさえ、精々中級。
高度術式に関しては、後方支援担当の魔導士達の仕事だ」
近接戦域から離れた場所で長い詠唱、時には魔法陣を構築する。
「魔導士達は近接戦が絶望的に不得手だ。
だが彼等の有無で、戦況は全く異なってくる。
その戦力を活かせるかどうかは、指揮官の力量次第だがな。
魔法剣士も強力だが、決定打に欠ける…」
「ガーベラさんも魔法剣士なんですね」
「フフ…でなければ、今回の教導騎士団に編入されんよ」
ガーベラさんだけでなく、傍の騎士達も相当な手練れの感じがした。
何人かは間違いなく魔法剣士なのだろう。
「だが…今は腕を磨いても、獣人兵相手しか奮う機会は無さそうだ。
神族との戦いなど、現実的に考えられんからな」
「この前、話してくれたバランスですね?」
「ふむ、それも有るのだが…」
ガーベラさんは少し口ごもってしまったが、話を続けた。
「我ら魔導王朝の最高意思は宗主様である。
つまりあの方が動かねば、神族との決戦など起こりはせぬ。
だが、今の宗主様は…まぁ、これは誰もが知っていることなのだがな。
ここ400年程、絵を描いておられるのだ…」
政務は全て、8大公達に任せっきりだという。
現在、魔導王朝を実質的に運営しているのは、あの御方達である。
今は王宮の奥深くに篭って、描画に御執心だと…。
「神族どもが領土まで攻め込んでくる事態にでもなれば話は別だ。
しかし…アキヒトには前にも話したな。
そのような事態、今の情勢では有り得んよ。
仮に宗主様が万が一、気紛れで開戦を主張なされたとしてもだ。
流石に8大公の方々がお諫めになるだろう…」
「しばらくは平和みたいですね」
「そうだな、だからと言って気は抜けんが…」
平時であっても、武人として己の鍛錬は欠かさないのだろう。
「…話が逸れてしまったな。
アキヒトが魔法を学ぶとしたら、その精霊の件が済んでからだ。
今のお前では、どんな詠唱をしても意味が無いからな」
「すみません、折角教えてもらえるのに…」
「いや、お前らしいよ。
そんな所は私も嫌いじゃない…。
その精霊、しっかり面倒を見てやってくれ」
ガーベラさんも職務以外では、普通に良い人だった。
そして鍛錬を終えて、自宅への帰り道。
人通りの少ない路地で、突然シロが話を始めた。
「なぁ、アキヒト。少し疲れるが良いか?」
「何が?」
「俺も魔法…試してみたいんだ。
だが、お前から貰った魔法力を使うことになるからな…」
「し、死なない程度なら構わないけど…できそう?」
「理論は完璧だ」
「いいよ、じゃあ――」
僕の言葉が終わる前に、シロの前に握りこぶし大の火が生じた。
「…凄い!シロ、凄いよ!」
「へへ、まぁな」
「僕なんか何十回も声がかれるくらい詠唱して、やっとだったのに!」
一回で魔法に成功したシロに驚いていた。
そして自分の飲み込みの悪さに、少し自己嫌悪に陥りかけていたのだが…。
…あれ?
そう、その時…僕は一つおかしなことに気付いた。
「シロ…いつ、詠唱したの?」