後編
「まさひで! 正秀はおるか!」
慌ただしく人々が動く城内で野太い声が響く。
「殿! 私はここに」
殿の前に甲冑を纏った若者がひざまずいた。歳は十代後半といった所だろう。まだ、あどけなさが抜けていない顔を殿の方へ向けた。
「正秀、小蔦を頼む」
「殿!!」
若者、正秀は下唇を噛み締め首を垂れた。
「奴らは第六天魔王を名乗る者の配下。女、子供も見逃さぬ」
「・・・・」
「小蔦はまだ十一歳じゃ。殺されるのは忍びない」
「殿!」
「正秀、小蔦と共に落ち延びてくれ」
正秀は傍らで、事態を把握して涙を浮かべる少女を見た。
「父上、私も皆と共に」
「ならぬ! おまえだけでも生き延びるのじゃ」
殿は小蔦を抱きしめた後、泣きじゃくる少女の首に飾り物をかけ、若武者に預けた。
「正秀、お主は若いが、馬上での刀裁きは我が軍一。小蔦を頼むぞ!」
若武者は泣きむせる少女を馬上に乗せ、燃え上がる城を後ろに山道を駆け上がって行く。
馬上で揺られる少女の胸元で、かけられた十字架が炎を反射して輝きを魅せた。
霧が立ち込める山の中、岩場が浅い洞窟のようになった場所で、凛は目を覚ました。
外の霧が頭の中にもあるかのように記憶がハッキリとしない。先程みた夢も影響しているのか、自分が凛なのか、馬上で泣く少女なのか曖昧な感覚だ。
「ここは何処?」
不安からか、独り言が声になる。しかし返答する声は無い。外を見ると陽は沈んだ後のようだ。
洞窟が浅いせいか、真っ暗ではない。微かに月明かり、星明りが差し込んでくる。
目が馴れてきたのか、さきほどより内部が見えるようになってきた。
凛が寝ていた所に、かなり風化しているが着物のような布が見える。
凛が布に触ると、硬い物が包まれている感触があった。
ゆっくりと布をほどき、硬い物を取り出し、月明かりに晒してみる。
「これは十字架・・・」
昔、里の者はみんな密かに所有していた。水戸家に引き取られた時に、爺に預けたのを思い出した。でも、凛達が持っていた十字架とは少し違うようにも思われた。
ザッ!
何かが動いた。いや、急に現れたと表現すべきだろう。気がつくと、凛の前に首無しの馬が立っている。
そして、馬に跨る首無しの武者!
凛は慌てて洞窟の奥に入り込んだ。しかし、武者は入って来ることなく、入口で立ちすくんだまま動こうとしない。
不思議と恐怖感は無い。 何故だろう? 凛は暫く首無し武者を見つめた。
「この感覚?」 そう、助達と同じ感覚。 一緒にいると安心する思い。 護られているという思い。
「あなたは私を護っているの?」
洞窟を出て、武者の背後に立った。 返答は無い。
武者はただ、麓の方に馬首を向け、たたずんでいる。
武者が動いた! 無い首がこちらを向いた時、声が頭の中に響いた。
「姫はここで待たれよ! 必ず帰り申す」
首の無い馬が嘶きを響かせ、山を降りて行った。麓の方に、数体の篝火が動いているのが見える。
少女は遠ざかる肥爪の音を聞きながら、十字架を握りしめた。
「何! 先導隊が動いたとな!」
金沢城。光圀が綱紀の前で声を荒げた。
「申し訳ありませぬ。前田家の活躍が無いと焦った家臣が兵を出したようで」
今回の死兵騒動で、金沢藩も活躍はしたが、一番の活躍をみせたのは角之進だ。それを良しと思わぬ家臣が手柄を上げようと先走ったらしい。確かに死兵の群れはもういない。今がチャンスと動いたのだろう。
「あいつら、首無しの動きを見てなかったのか」
助が刀を握り、立ち上がった。
凛が攫われた時、助は直ぐに動きたかった。しかし、光圀と角に説得された。
闇雲に動いても凛は救い出せない。首無しの居場所も分からなければ、目的も分からない。
何故、凛を攫ったのか。命を奪うのが目的なら、その場で果たせただろう。なら命の危険性は薄いと判断した。そしたら何故凛を攫う理由があるのか、それを今、検討していたのだ。
大聖寺藩の籠城騒ぎも、死兵の壊滅で解決したと弥晴から式が届いた。
金沢藩と大聖寺藩の合同で隊を作り、大勢で山を占拠したほうが良いのではないかという方向に向かったいた。
「俺も行こう」
角が大きなな身体を起こした。
「リマ様はご隠居様とここにいてください」
立ち上がったラルクが、動こうとしている金髪の少女を制した。
リマは不死と吸血鬼を生む以外は、普通の少女と変わらない。同行して、首無し武者にリマまで攫われたら、それこそ埒が明かない状態になってしまう。
「リマさん、我々はここで案を練りましょう」
白髪の老人が、微笑んでリマを見た。
「グギャーーーーーーーー --------!!!!」
暗い山で悲鳴がこだまする。 月夜に照らされた木々が鮮血で染まっていく。
月光をシルエットに首が飛ぶ、腕が飛ぶ、足が飛ぶ。
前田家の先導隊。二十名はいただろう精鋭部隊がなすすべもなく壊滅していく。
草の香と血の匂いが漂う山林に、馬に跨る武者が浮かぶ。
「天草流軌円、天動使倒!」
光の波紋が、暗い山林を照らしながら武者へと向かう。
天動使倒だ。天からの波動を剣に蓄え、相手に飛ばす天草流の秘奥義。助三郎だけが扱える技だ。
首無し武者が刀で光の波紋を切る!
猿人をも真っ二つにする光の波紋が、振り下ろされた刀で四散し光跡を残し闇に消える。
「何だ!!」
助が驚きの声を上げた。彼が天動使倒を習得して初めて破られたからだ。
「抜刀天技!」
しかし助は、技が破られたからと落胆しない。次に居合以上の速さで相手を切る天草流奥義を繰り出す。
首無し武者が助の視界から消えた。
助の後ろで刀を振り下ろす武者と、刀をクロスした両腕で受け止めるラルクの姿があった。
ラルクが両手首にはめた鉄の腕輪で刀を止めたのだ。もしラルクがいなければ、助の首が夜空を舞っていただろう。
受けとめた刀を押されないよう必死で耐えるラルクの目の前に武者がいる。首がないので表情が分からないが、武者も必死の形相をしているように思われた。
武者の背後に大きな影が跳躍してくるのが見えた。 角之進だ!
角は一瞬だけ武者に触れる事ができたが、直ぐに感触がなくなった。
ラルクを押していた力が急激に消える。背後からの攻撃を察知した武者が、瞬時に十メートル以上は離れた場所に移動したのだ。
武者が三人を見つめる。いや、見つめているような感じがする。
山林に明かりがさしてきた。霧が立ち込めだし、先が見えなくなる。
霧の中で嘶きが聞こえたような気がした。
肥爪の音が山上へと消えていき、シラジラと明けだし、惨劇の夜が終わった。
「姫! 麓に松明が見えます。追手かもしれません」
洞窟の奥で座っている少女に武者が声を掛ける。
「正秀・・・」
「大丈夫、姫は必ずこの正秀がお守り申す」
小蔦は正秀にすがり、涙を見せた。
「姫、私が麓まで降りて、敵を蹴散らしてまいります。ご安心を」
「正秀、ここに居てはくれぬのか?」
小蔦は正秀に家臣以上の感情を抱いている。たくましい兄君、いやそれ以上の想いだろう。
少女の想いを知ってか、正秀は小蔦を抱きしめた。
「姫、私は必ず戻ってきます。しばしの御辛抱を」
若武者は馬を操り、麓に降りて行った。しかし若武者が洞窟に戻る事はなかった。
小蔦は正秀の帰りを信じ、そこから動こうとはしなかった。いや出来なかったのだろう。
彼女は北風が入り込む洞窟で、寒さと寂しさの中で永遠の眠りについた。
洞窟の外から雨の音が聞こえる。初夏の日差しが無い洞窟は少し寒い。
凛は寒さで目を覚ました。頬に涙が伝うのを感じる。
泣いている。自分が泣いているのか、小蔦が泣いているのか分からない。
ただ、悲しい、寂しいという思いだけが胸を占める
涙を拭い、様子を伺うために外に出た。
麓を見下ろすように武者が馬に跨り立っている。雨に打たれた刀から流れる血の匂いが鼻をかすめた。
「また、人を切ってきたの?」
武者の背後から声をかけるが応答はない。聞こえているのかも分からない。
「私はあなたの姫じゃないし、あなたの姫はもう・・・」
少女は言葉を飲み込んだ。そして昨夜の夢を思い出す。
恐らく若武者は、麓で敵に殺されたのだろう。しかし姫を護る使命が強すぎて、死んだ後も姫を護るために此処に立ち尽くしているのかもしれない。
凛は最後まで言葉にできず、武者の背中を見続けた。
でも何故、自分を攫ったのか? 分からない!
凛は姫が眠りについたであろう場所を見た。
布切れはあるが、遺体がない。
少女は死兵騒ぎを思い出す。襲ってくる死兵の中に子供のような亡骸もあった。
ネクロマンサーの術で、姫の亡骸がここから動いたのかもしれない。
雨が激しくなってきた。武者は雨を気にせずに立ち尽くす。
武者の肩に何か紙片のよな物がついているのに気付いた。紙が雫と一緒に地面に流れ落ちる。
ニャ~~~
紙が黒猫に変わった。弥晴の式だ。
角が一瞬だけ触れた時に、弥晴の呪符を付けたのだ。
猫が凛の前までやってきた。少女は猫を抱き上げ洞窟の奥に入っていく。
「弥晴さんね」
少女は猫を抱きしめ、頬ずりをする。
温かい!
式神だが、弥晴の式は普通の猫と何ら変わらない。
猫の温かさだけではない。皆が自分を心配する思いが伝わってくる。
「弥晴さん」
凛は猫の耳元で小さく呟いた。
「私の言葉を文にして、爺達に伝えて」
少女はしばし猫に話をした後、洞窟から出て猫を放した。
黒猫は雨を気にすることなく麓へと走って行く。
凛は懐にある印籠を確認し、麓に目をやる。
猫が消えた方角を見る少女の碧い瞳には、強い決意が込められていた。
「凛の居所がわかったのか!」
助が光圀と角がいる部屋に走り込んで来た。続いてリマとラルクもやってくる。
「弥晴の式が凛からの文を運んできました」
皆の前に長文の文が置かれる。光圀はすでに目を通しているようだ。
「お爺様、凛ちゃんは無事なのですね」
「はい、怪我もないようです」
安堵の空気が部屋を包む。しかし、まだ救出したわけではない。緊張の糸は緩めない。
「どうやって救出するかですね」
武者の力と速さを思い出しながらラルクが呟く。
「はい、凛からの手紙にお願い事が記していました」
「凛から?」
助が不穏な声を上げる。囚われの凛が何を我らに願うのか。助けるのは当たり前だ、それ以外の事を凛は望んでいるのだろうか。
「凛は印籠を使う気です。いや、もう使っているかもしれません」
鬼の形相で立ち上がり、部屋を出て行こうとした助を角が制した。
とりあえず皆で助を落ち着かせ、話合いに戻る。
「印籠というと、またマグダラノマリアの奇跡を起こすという事ですか」
リマが丹波での事案を思い出した。無敵の吸血鬼に対して行った奇跡。ヨーロッパでは既に失われていたマグダラノマリアの福音。そして東の果ての地で初めて目にした聖剣の輝き。
数百年生きてきたリマにとっても衝撃的な出来事だった。
「はい、リマさんがいう奇跡でしか、凛は救えませんし、武者も倒せないでしょう」
光圀は、今回はこのメンバーで山に登る事を提案した。少数で動く事で、武者に気付かれないようにして、凛の所に行くのが第一前提のようだ。
「凛の所についたら、リマさんは凛の快方を。角さんとラルクさんは武者の相手を。そして助さんは凛の指示で動いて下さい」
光圀は綱紀に配下を動かさないように念を押した。印籠が使えるのは年に数回。いや、一度かも知れない。凛の体調が戻らなければ使えないのだ。配下の者の暴走でこの機を逃す事は出来ない。
光圀一行は松明を灯さず、雨上がりの暗い山を、弥晴の式に導かれ登り始めた。
「あなたの痛み、・・・ 苦しみを私に分けてください」
「手に打たれた杭、足に打たれた杭、・・全ての痛み苦しみを私も背負います・・・」
洞窟の奥から詠唱が流れる。教会の中で神父が唱えるような感じではない。一節切れる度に苦しさと痛さが伝わる、どこか寂し気な詠唱。
「あなたの苦しみは私の苦しみ。 ・・・ あなたの喜びは私の喜び。・・・・あなたの願いは私の願い」
詠唱を唱える少女の手足に変化が現れる。傷口が開いたように血が溢れ、地面に流れ落ちる。
「あなたは皆の救世主。・・・ そして私の救世主。・・・・ 愛しの・・・イエス」
少女は暗い洞窟の中でも分かる青い顔で、印籠を取り出した。
手が震えている。過去何度かこの詠唱を唱えてきたが、今回は特に消耗が激しい。
無理もない、攫われてから食事をとっておらず、眠りは夢のせいで睡眠をとれているとは言えない。
一瞬、少女の意識が飛んだ。
蝋燭に照らされた部屋。「これも小蔦の夢?・・・」少女は自問する。
「天草流の奥義は相手を倒すためじゃないのよ」
女性の腕の中で抱かれる自分。今よりもずっと幼い。 「これは私の夢・・・」
少女は女性の顔を見る。だが鮮明に顔が浮かばない。
「天草流の奥義は人を救う為にあるのよ」
女性が少女の額に優しくキスをする。少女は嬉しさからくる照れ隠しか、女性に胸に顔をうずめた。
「皆を救える祝詞をあなただけに伝えるわ ・・・・・・・・・・・・・・」
女性の声が耳に響き、少女は我に返った。
少女は印籠の蓋を開け手をかざし、手のひらから流れる血液を落とす。
静かに印籠を置き、再び遠ざかる意識を感じながら眠りの淵についた。
置かれた印籠から、淡い光を放つ水が溢れ、横たわる少女を優しく照らした。
光圀一行は朧な明かりを先頭に山を登る。松明をたけない状態なので、猫の式がほのかな光を放つ。提灯のような明かりではなく、幻想的な灯りだ。森の水辺で出会う、蛍の灯りに似ているかも知れない。
雨は上がったが、まだ厚い雲が月と星を隠し、足下はほとんど見えない。
「リマ様大丈夫ですか?」
ラルクが雨でぬかるんだ足下を登るリマを気遣う。
「ありがとう、大丈夫よ。私より凛ちゃんが心配だわ」
リマは丹波での、奇跡を起こした後の凛を想いだす。衰弱しきり、半月は寝たきりだった少女の姿を。
金髪の少女は、息をきらしながら、一歩一歩山の土を踏みしめる。
体力的にもリマは普通の少女と変わらない。でも凛を大切に思う心が彼女の足を動かすのだろう。
前方を行く朧な明かりが動きを止めた。暗闇の中で光る目が凛の居所を教える。
洞窟の前に馬に跨る武者のシルエットが見える。麓の方を見て、動く気配はない。
光圀達は武者が立つ横の茂みに姿を隠す。
「先程の作戦で行きますか、 ご隠居」
深い茂みが生い茂る中で、角が匍匐前進でやって来た。
「はい、角さんとラルクさんに危険が及びますが、お願いできますか」
暗闇の中、角とラルクが頷き、消していた気配を現す。武者までの距離はおよそ百メートル位だろうか。
まず、角が巨体を立ち上げ、武者を誘った。武者は瞬時に距離をつめて角の目の前に立ち、刀を振り落とした。
間一髪、角は横に逃げ刀をかわす。ラルクが跳躍して、武者の背後から蹴りを入れる。
武者が瞬時に反転して、ラルクの蹴りを腕の防具で受け止めた。
武者は小刀に手をかけ抜いた。馬上での二刀流だ。動きの速い角とラルクに対して闘い方を変えてきた。
大男と銀髪の男。そして騎馬武者の動きが止まる。お互いの隙を伺う膠着状態に入ったのだ。
洞窟から武者までの距離が先程より開いた。これが光圀の作戦だ。角とラルクを囮にして凛のいる洞窟に入り込む。武者の動きに常人では対処できない。角とラルクがいるからこそできる作戦だろう。
助とリマ、そして光圀が洞窟に入る。武者はこちらに気付いていないようだ。
「凛! 大丈夫か!」
助がいち早く、横たわる少女を抱き上げた。少女は薄っすらと目を開け、可愛らしい笑顔皆にを見せる。
「来てくれたのね、・・・みんな」
青年が血だらけの少女の手を握りしめた。
「す け、・・・時が無いわ、印籠の水を刀にかけて、空に放って」
「空に放つ? 武者にではなくか?」
少女は弱々しいが、しっかりと頷いた。
「助さん、凛の言う通りにするのじゃ」
青年は光圀の言葉に頷いた後、凛をリマに託し、印籠を拾い立ち上がった。
助は印籠から溢れる水を刀にかける。
「天からの水が杯を満たす時、我は奇跡の力を得るだろう」
青年は詠唱を唱え、ゆっくりと洞窟の出口に向かった。
膠着状態の中、角之進は助三郎が洞窟から出てくるのを視界の角で捉えた。
瞬時、角が動く。首の無い馬の前、武者の正面に立った。
武者が大刀を角に向かって振り下ろす。
ラルクが跳躍して、クロスした腕で大刀を受け止めた。
武者の小刀が薙ぎ払うように、ラルクの脇腹を襲う。
ラルクが切られたかと見えた瞬間、角が数発の正拳を馬の首に叩き込んだ。
馬がよろけ、馬上の武者がバランスを崩す。
ラルクは小刀をかわし、武者の背後に降り立った。
「すけーーー! 放って!」
衰弱しきった少女とは思えない程の声で凛が叫んだ。
「奇跡の力は神の力!! 魅せよ!! ラファエル!!!」
助が雲厚き空に、剣を放った。
剣から放たれた、光と音の波動が厚い雲に届き、薄く亀裂が浮かぶ。
雲の亀裂が大きくなり、陽の光だろうか、オーロラのような帯が地上に伸び、武者を照らした。
武者は動きを止め、像のように立ち尽くす。
「私を武者の所に連れて行って」
凛の言葉に、リマは馬の前で構える角を呼んだ。
角が離れても、武者は動かない。殺気のような物も感じられない。天からの光がただ武者を照らし続ける。
大男に抱かれた少女が武者の前に並んだ。
少女は首が無い武者を恐れる風もなく、僅かに残った首の所に十字架をかける。
「あなたの地上での役目は終わったの」
凛はかけてあげた十字架にキスをして、目を静かにつぶった。
「~~~♬~♪~♬~~~~~~~♬~~♪~♪♪~~~♬~~」
歌が流れる。少女の歌が山に響くように流れる。天に届くように流れる。
聴いた事がないメロディー、聞いた事がない言葉。でも、どこか懐かしく思える歌。
耳元で、凛の歌に集中していた角の手に生温かい感触が伝わる。
大男は自分の手を見た。血だ!
「凛! 大丈夫か!」
凛の脇腹から血が溢れてきていた。
「だい・じょう・・ぶ。 それ・よりも、印籠・・を私のお腹に・」
異変に気付いた助が、すかさず少女の元に駆け寄り、言葉通り脇腹からの血を印籠に流した。
再び、印籠が水で満たされる。
「・・助、もう・いちど・・空に・はな・・って」
青年は無言で印籠から出る水を刀にかけた。
刀身が光る。天動使倒の時とは違う光を放ちながら金色に輝く。
「奇跡の力は神の力、魅せよ!!! ミカエル!!!!」
黄金の光が天に放たれた。光は波紋を広げ、雲の亀裂に吸い込まれる。
静寂が訪れた。真さに無音! 動物の鳴き声も、虫の羽音もしない。そして風の音も。
もし時が止まれば、このような状態になるのかもしれない。
雲の亀裂が拡がり、光の輪となった。
光の輪から何者かが二体降りて来る。背中に二枚の羽を生やし、白く長いローブのような物を纏い、輪を描きながら、ゆっくりと武者の元に向かう。
「リマ様、あれは?」
ラルクがリマの横に並び、空に指をさす。
「・・・・エンジェルス」
リマは涙を浮かべ、声を震わせた。
エンジェルスが武者の上でゆっくりと旋回をして、凛を見た後、微笑みを浮かべた。
武者が馬と一緒に、エンジェルスに囲まれながら浮き上がる。エンジェルスも上昇して行く。
「今度は天上であの娘を護ってあげて」
凛は天を見上げ、手を振る。
天高く見える光の輪の中に十二枚の羽を携えた影が見えた。遥か遠くだが、影は着物を着た少女を抱いているのがわかる。
武者が光の輪に消えていく。影に抱かれた少女が影から離れ、武者にすがるように抱きついた。
雲の中から馬の嘶きが聞こえた。着物の少女と抱き合う武者のシルエットに兜が映る。
光の輪は徐々に縮まり、厚い雲に戻った。
静寂が開け、音が蘇る。
時が動きはじめたかのように風が吹き始め、草木を揺らす。
「凛は大丈夫か?」
助が大男を見上げる。
「ああー 大丈夫だ。満足な顔で眠っている」
角がかがみながら、少女を助に渡す。青年は少女を抱きしめ、愛おし気に頬を撫でた。
「終わったのですね」
リマとラルクが凛の元にやってきた。
「ああ、多分終わった」
凛からの視線を外す事なく助が答える。
「天草流奥義は天使を召喚できるのですね」
助が唇を噛んだ。悔しいのだ、また凛に苦しい思いをさせての終結。そして自分の不甲斐なさに。
助が凛を抱いたまま歩き出した。リマの問には答えていない。いや、答えられない。
天草流奥義の天動使倒は使えるが、それ以上の術を知らない。
天草流奥義はこの小さな女の子にのみ伝えられている。
何故! 何故! 何故!
こんな小さな女に子に天草流を背をわせたたのだ!
自分は少女に対して何が出来るのだ!
自分は何処まで少女を護れるのだ!
「ラルク、すまないが印籠を爺に渡してくれ。俺は凛を抱いているので返せない」
嘘だ、別に今印籠を光圀に渡す事はない。ただ暫くは、白髪の老人と目を合わせたくないのだ。
今、光圀の前に出れば、水戸家を出て行くと言ってしまうだろう。それは凛の意に沿わない事を知っている。だから青年は少女を抱いたまま、老人に背を向け麓に歩を進める。
青年と老人の距離を開けるのを臨むかのように、強い風が青年の背中を押した。
「キリシタン大名?」
金沢城の一室。リマが裸の凛を手ぬぐいで拭いている。
武者の事案が終わってから十日が過ぎた。凛も回復傾向に向かっているが、まだ入浴できる状態ではない為、リマが身体を拭いているのだ。
「そう、お爺様の話では、戦国時代にチラホラといたみたいなの」
「そうなんだ」
「その一人が小蔦姫の父で、信長公と戦をしていたんだって」
リマは凛の手の平、足の甲、そして脇腹を確認するようにやさしく撫でる。
「くすぐったいよ、リマちゃん」
「ごめん、ごめん。でも聖痕は綺麗に消えているわ」
「うん、いつもそうだから大丈夫よ」
特にリマは脇腹に目がいく。最後に天使を召喚する聖痕が現れた箇所。
キリストの生死を確認するために、ロンギヌスが刺した槍の跡。今は跡形も無く消えている。
「リマちゃんは大丈夫?」
「何が?」
「デュラハンの事」
凛はリマがデュラハンを救いにここに来たと考えている。いや、同じヨーロッパの仲間に会いに来たのではとも思っている。しかしデュラハンと思えた武者は戦国時代の霊だった。リマが落胆しているしているのではないかと心配したのだ。
「んー 落胆はしてないわ」
「本当?」
「んー ・・・でも西洋のデュラハンも、今回の武者のような過去の霊なのではないかと思うの」
「・・・・」
「西洋のデュラハンも、皆から怖がられてはいるけど、何かを護っているのではないかという気がするの」
凛の背中を拭きながら、さっぱりした表情で答えるリマ、本心のようだ。
凛の寝室から少し離れた縁側で白髪の老人が、庭を眺めながら、聞こえてきた少女達の会話を耳に入れる。
その横には銀髪の男が座し、同じように庭を眺める。
二人の後ろを青年が通り過ぎる。助三郎だ。
天使の召喚以降、光圀と助三郎は会話をしていない。助が光圀を避けている感じだ。
助三郎の心中での葛藤が治まらないのだろう。
凛の人を助けたという気持を大事にしたいのと、水戸家に仕え、凛を危険な目にあわてしまう事。
これからも水戸家に仕えていると、凛がどれだけ危険な目に合うかわからない。凛は人々を救うため、自分の命をも削るだろう。その時自分はどうすれば良いのか。 葛藤が治まらない。
「助さん! 少し私と話をしませんか?」
助の内心を見透かしてか、光圀が声を掛けた。
しかし、助は光圀に一礼してから、凛の寝室に向かった。
天使の召喚後の時より気持ちは落ち着いているが、まだ光圀と面と向かって話す気になれない。
青年はモヤモヤした気持ちのまま障子戸の前に立った。
「凛! 具合はどうだ?」
助が部屋に入った時、裸で少女が立っていた。
凛が足を拭いてもらおうと立ち上がった時に、助が入ってきてしまったのだ。
「キャーーーー」
凛がしゃがんで身体を隠す。リマが助の前に立ちはだかる。
「助さん! 行き成り入ってはだめでしょう!」
「助のすけべーーーーー!!!!」
慌てて部屋を出る助三郎。後ろから、手拭いと桶が飛んできた。
「ハハハハハ! だから、少し話をしようと言ったでしょう」
縁側で老人と銀髪の男が笑っている、
「爺! てめえー 凛が裸なのを知ってやがったなー!」
老人の横で銀髪の男が涙を流しながら爆笑している。
「ラルク! お前までーーー!!!」
唇を噛み締め悔しがる助三郎。やがて笑顔になり笑いに変わる。
「何だか楽しそうですなー」
助の背後に角之進の巨体が現れた。
金沢の城に男達の笑声が響く。
男達の笑う声は、金沢の地に平和が訪れた事を告げるようにこだました。
聖ピエトロ聖堂、教皇庁。
「東の地で天門が開いたのか!」
「記述では、三百年以来か!」
「何故我が地で開かぬ!」
胸に十字架を掲げた者達が、各々の意見を述べる。
「お静かに。 天門を開ける聖人が現れたのです」
他の者よりも若い男が場を仕切るように立ち上がった。
「しかし、それが東洋人では」
嫌悪感を露わに、年配の男が口を開く。
「物は考えようです。聖人には門を開くことだけしていただければ良いのです」
「開くだけ?」
「そう、開くだけです。後は我々が。・・・・」
若い男は張り付けたような笑顔を皆に向けた。
拙い文章ですが、読んでくれた方々有難うございます。
また時間をとって、凛と助三郎の物語を書きたいと思います。その内に零からの繋がり、天草の里での出来事も書きたいです。
アクセス数が上がると本当に嬉しいです。読んでくれた方々、本当にありがとうございました。