どうやら酷い目にあっているらしい。
「え……先輩が?」
部署の違う昔の上司にちょっとと呼ばれて聞かされた話は、にわかには信じがたいものだった。
「ああ、どうやらいじめにあっているらしい……」
「でも課長、先輩がいじめってどうしてですか? あんなに仕事は出来るのに!!」
声が大きくなったまゆに落ち着くように伝え、課長は続けた。
「それが原因だ。
この春、アイツは社内でもマズイと噂の支店に配属になっただろう」
「ええ、内部の立て直しを期待されての異動だって凄い評判になってましたよね。本人は左遷だよーって笑ってましたけど」
課長はやっぱりかあの変わり者めと毒づくと、まゆに苦笑を向けた。
「そのスタンスであの能力だぞ。しかも推進系はほとんどやらないくせに、自身の最低限ものだけはいつの間にか終わらせる。周りが嫉妬に狂ってもおかしくない」
「そんな……」
「それでだ。藤堂君に頼みたいのは、アイツの様子を探ってくれないか? 困っているなら何とか力になりたい。女同士のほうがアイツも恐らく喋りやすいだろう。アイツは気にしないかも知れないが」
「分かりました。でも、内線って訳にはいきませんのね。メールかなぁ……。先輩、電子機器キライって話すタイプだから少し時間がかかるかもしれません」
かまわないから頼むと言われて、まゆは頷いた。席に戻ってさっそくメールを開く。アプリ経由は月イチくらいしか開かないから「急ぎはショートメールでよろ!」と言われていた為に、短文で近状報告を送った。
夕方、通常の業務が一段落ついた頃を狙ってまゆの前にある内線電話が鳴った。表示される心当たりのない番号に、首をかしげなからまゆは受話器を上げた。
「はい。◯◯支店、藤堂です」
「あ、まゆちゃん? おひさー」
「先輩!?」
「はいな。突然メール来て驚いたよ。何かあった? 大丈夫?」
受話器の向こうから、相変わらず元気な声がする。その声を聞き涙ぐみそうになりながら、まゆは受話器を強く握った。
「先輩こそ、何だか大変な目に合ってるって噂を聞いて!
大丈夫なんですか? 今、席ですか。話せるんですか?」
「へーき、平気。今は営業組は会議でね。店内にわたしくらいしかおらんのよ」
「先輩は出なくていいんですか?」
「ん? わたしゃ電話番。ついでにパートさん達が上がった後の引き継ぎ、まぁ、残務処理をしてた」
「それって……」
支店全体の会議に参加させられず、一人仕事を続けていると言う先輩の現状を聞き信じられない思いで言葉に詰まる。まゆはそれは確実にいじめだと判断したが、軽い口調で話す相手に何というべきか悩んでしまった。
「あはは。終われば帰れるし、会議組は終われば飲み会強制参加だから。時代じゃないと思うんだけどさぁ。まぁ、私は行きたくないし調度いいよ。ある意味適材適所?」
気にしていないように明るい声で話す先輩に、これ以上耐えきれずに強い口調で話始めた。
「それは駄目でしょう! 先輩、他にも何か押し付けられてませんか? 挨拶は職場のメンバーに返してもらってます? お昼はきちんと仲間に入れられてますか!?」
「どーしたの。一体全体。何を熱くなってるのさ。
基本、昼はひとりかな? 元々忙しくなれば、食べたり食べなかったりだし。正社員のお昼よりも、パートのおばちゃん……御姉様方のお昼が優先でしょ?
来た当初は結構大変だったけど、最近はこーゆーヤツだってバレたから平和かな? 基本最低限以外、誰とも話さずに、目も合わせずに平和に仕事してる。
それで、そもそもなんでメールくれたのさ」
明るく話す先輩の強さにまゆは内心呆れながら、このままで良いはずがないとひとつの提案をすることにした。
「もうすぐ年末ですよね。先輩、今年もお正月はご実家でワンちゃんと過ごすんですよね?」
不思議そうに頷く先輩に畳み掛ける様に、まゆは先を続ける。
「なら、正月休みに会いましょう! 是非、先輩の近状教えて下さい!!」
「へ? まぁ良いけど。なら1日早く実家から帰るかな?
……もしかして、おめでたい感じの報告かしら? のし袋持ってくべき??」
「思えば君も、もう中堅だもんねぇ」とにやりと笑った声で尋ねる先輩の能天気さに、ため息を漏らす。まゆはまた年末近くなったらメールすると話して受話器を置いた。
数日後。人目をさけて、昔の上司である課長を呼び出した。
「おう、すまない。どうだった」
心配しそうに尋ねる課長に向かって力なく首を振る。
「話を聞いた範囲では、確実にいじめだと思います。でも、本人全く気にしていない所か、気がついてさえいないんですよ!? そんなのあり得るんですか」
「具体的にはどんな風なんだ?」
「全体の会議に参加させて貰えずに、パートの残務処理と電話番を命じられているそうです。他にも、お昼は基本ひとりきり。職場の中では、最低限以外、会話は愚か目も合わせて貰えないらしいです」
「な!」
まさかそこまであからさまに、いじめに合っているとは予測していなかったのか、課長は先を続けることなく頭を抱える。しばらくして絞り出した声は、低いものだった。
「それをアイツは気にしていないのか?」
「ええ。ある意味適材適所って笑ってました」
「馬鹿か!?」
「あんまりにもあんまりなので、正月休みに会うことにしました。ちょっと詳しく聞いてみます。聞いたところで私に何ができるか分かりませんが」
「……聞いた内容を教えてくれ。俺は何も出来ないが、人事部には同期もいる。もう少し上の役職にも知り合いはいる。折を見て相談してみよう」
不味すぎると小さく呟いた課長は、まゆの携帯番号が昔と変わっていない事を確認し帰っていった。昔同じ部署だった頃に、緊急連絡用に交換した番号がこんなところで役にたつとは、二人とも思っていなかった。
それから約1ヶ月、年末の超繁忙を乗り越えたまゆは、最終日の夕方を向かえていた。後は掃除と正月飾りの準備をしようと席に戻りながら考えていた時だ。
出先から戻ったまゆの目に、異様な雰囲気となっている職場が飛び込んでくる。
課長の前に並ぶ直属の上司である主任と、半年程度お世話をした今年の新人さん。新人さんは泣いて、主任は課長に向かって深く頭を下げていた。
「何事ですか?」
入り口近くにいた営業職の男性に声をかける。中学生の娘がいるというその人は、部内でも情報通と言われている相手だった。
「あー、新人ちゃんが電話の取り次ぎでやらかしたらしい。取引先の、◯◯社長がお怒りでな。難しい人だから、主任の謝罪だけではどうにもならなくて、課長に報告してる所だ」
「あー……」
何とも言えない顔になってまゆは呻いた。あの社長は難しく厳しいから要注意と、先輩に口を酸っぱくして言われていた事を思い出す。
「しかも、御年始に配る予定の商品を注文して頂いていたんだが、それも伝わってなくてな。もう手配できないし、どうするべきか……」
こそこそと話していたが、机を叩く音で遮られた。怒り狂った課長が、机に叩きつけた腕を支えに二人の方に身を乗り出していた。
「一体、どう責任を取る気だ!!」
責め立てる課長の声に更に主任は深く頭を下げる。新人さんも泣きながら「すみません、すみません」と謝り続けていた。
「先方が欲しい商品って」
「ほら、年末恒例のカレンダーとお菓子のセットだよ。あの数量限定のやつ。今年は特にカレンダーが人気で手に入らない」
「……あれですか。あ、もしかしたら。先輩の秘密のファイル!」
頭を過った、万一の時には私が助けを求める一覧だからね。他のメンバーに見せちゃイヤよ。と厳命されたファイルを個人のキャビネットから取り出した。
いきなり動き出したまゆに、周囲の視線が集中する。
「えーっと、年末セットは総務と工場……。誰か、誰かいないかな」
バタバタと音を発ててページを捲っていたまゆの指がある一頁で止まった。そのまま、内線に手を伸ばす。
「……あ、総務部ですか? 渡邉さんを。はい。
渡邉さんですか。はじめまして。どうしても困ったら、貴女に相談してみるようにとアドバイスを受けて……。はい。私は藤堂と言います」
まゆは緊張に声を震わせたまま、一縷の望みをかけて続ける。年末セットがどうしても欲しいと話た途端に、相手は大きくため息をついた。あれは人気商品で手に入らないと断る相手に、まゆもため息をつく。息を飲んでまゆの交渉に聞き耳をたてていた職場のメンバー達も下を向く。
「そうですか……。無理言ってすみませんでした」
そう言って切ろうとした所で「ちょっとまって」と相手から待ったがかかった。
「ねぇ、私の事を誰から聞いたの?」
「あの、昔仕事を教えてもらった先輩で……」
変わり者と名高いその相手の名前を出す。受話器の向こうで、奇声を発する声がした。
「もしかして、貴女が"ウチのカワイイ後輩ちゃん"? 何年も前に、ユリっぺからこの地域にいなくなるから、どうしようもなくなったら助けてあげてって頼まれてたコ!?」
「……ユリっぺ」
受話器から漏れでた音を聞き取った営業職が笑っている。お局様をアダ名で呼ぶ相手がいたことに驚いているらしい。
「あー……もう! そうならそうと、言いなさいよね!
それで、何個欲しいの!!」
多分そうだと答えると受話器の向こうから、叱責が飛んで来た。視線で営業に助けを求めると「20コ」と走り書きされたメモが回された。
「……20!? そんなに? 何が起きてるのよ!!」
「すみません、無理ならそんな……」
「驚いただけよ。そんなにすぐに諦めるんじゃないわよ!
それともそれくらいで諦めて良いことなの?」
懐かしい先輩と重なる口調で叱責させれ、まゆの背筋は自然と伸びた。
「駄目です。諦められません。
お願いします! 何とかなりませんか?」
すがり付くような新人ちゃんの視線を感じながら改めて受話器の向こうに深々と頭を下げた。
「うっし。なら、局連合に緊急連絡入れてみる。少し待ってなさい」
その勢いのまま、受話器を叩き切られる。
「まゆちゃん、君、噂のお局様連合に連絡つけられたのか?」
まゆを睨み付ける課長の視線を遮る様に近づいてきた情報通の営業職が、信じられないと問いかけてきた。
「それ何ですか?」
「就職氷河期時代に就職を勝ち取り、まだ会社で生き残っている女性社員の集団だ。未婚既婚を問わない女性社員の相互扶助組織らしい。きちんとした組織ではなく、女性同士のサークル的なものだから誰も実態は知らない。
だが社内の人間が敵に回したらエライ目に会うってもっぱらの噂だ」
「何なんですか、その恐怖の組織」
横にいた若い営業職の四宮が恐ろしそうに肩を抱いた。その後ろから、別の女性営業も怖そうに身をすくめる。
「ウワサ聞いたことあります。逆らったらいけない。目をつけられたら駄目なヤツって話ですよね」
何故にその恐怖の集団にお願い事を出来るのかと聞かれている最中、パソコンにメールの着信が入った。それと同時に、まゆの目の前の内線電話が鳴る。
「あ、藤堂さん? メール見た? まだ見てない。ならすぐ開けて。20個手配できた。ただし各店舗の予備や私物になる予定品だからあっちにこっちに分かれてる。取りに行く人手はそっちで手配してよね」
「あ、ありがとうございます!! でも予備って。完全予約の数量限定じゃ」
「そんなの、最初から少し数が多く注文する心配性もいるのよ。そこを中心に当たったの。
助けるのは今回限りだからね。何かあったかは知らないけれど、次は自力で何とかすんのよ」
じゃと言われて、礼を言う隙間もなく電話を切られた。まゆはメールを印刷して、課長の前に立った。出すぎた事をしているのは分かっていた。だが、うちの可愛い新人さんを見捨てることは出来なかった。
「課長、指示も仰がず申し訳ありません。知り合いのツテで、何とか20個手配できそうです。ただ色々な場所に取りに行かなくてはならなくて」
見せてみろと言われて、プリントアウトしたメールを差し出した。それを一瞥した課長は営業に声をかける。
待ってましたとばかりに、コートと鍵を持った三人は飛び出して行った。
――――先輩。ありがとうございます。また助けられました。
感謝を伝える新人さんに慰めの言葉をかけつつ、まゆの心は遠い空の下、今日も元気に働いているであろう先輩に向かって感謝を捧げていた。