第六十六話 すれちがい②
『ぅおっほん!』
いきなり浴室の外から聞こえた咳払いに、渡瀬さんと二人、びくっとしちゃった。
「その声、まさか幻宗さんッ?!」
ばちゃんッ!
慌ててその身を湯船に顎まで沈める渡瀬さん。
すると、折りたたむタイプのすりガラスのようなドア越しに、後ろ向きの背中を45度右に倒した幻宗さんの姿が。(大きくて頭までは見えないです。)
『なにやら呼ばれた気がしてのう。』
ふえええッ!
「ちょ、すぐ出ますから……その、あの!
居間で待ってていただけますッ?」
渡瀬さんとは反対に、まったく動じた様子もない幻宗さんは低く響く声で答えた。
『あいわかった。』
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『なるほど。雨守がのう。』
パジャマに着替えた渡瀬さんと並んで、ローテーブルを挟んで幻宗さんと向かい合う。
腕組みをし、胡坐をかいてるようでも幻宗さんの大きな体に、十畳あまりのダイニングキッチンがとても狭く感じられる。
「縁ちゃんもいるところで、そんな無神経なこと言うなんて。
ちょっと軽率じゃありませんか?」
『うむ。あやつらしく、ない。』
むっとして口をとがらせる渡瀬さんに、幻宗さんは目を閉じたまま頷いた。私は一番心配していることを尋ねた。
『あの、幻宗さん?
ホントのところはどうなんですか?
幽霊と一緒にいたら、人の寿命って……。』
『縮む。』
ぱっと開いた目をまっすぐ私に向けると、表情も変えずに即答された! ガーンと殴られたように、頭の中が、真っ白になってしまった……。
『だから儂は初めてあやつに会うた時、言ったであろう?』
呆然としていたら、ぎょろっとした目で顔を覗きこまれ、はっとした。
そうだ……初対面で幻宗さんを怖がった私を、先生が前に立ってかばってくれた時、幻宗さん「お主、自ら背負うておるのか」って。
……そういう意味だったんだわ。
それなら本当に、もう先生のそばにはいられないッ!
どこに行ったらいいかわからないまま立ち上がった私を、幻宗さんは低い声で呼び止めた。
『聞け、後代。
儂はあの時お主に肝を潰されたが、それは今も同じじゃ。』
『え?』
『やはり気づいておらなんだか。
お主の霊力は、この半年余、驚くほど強まっておる。』
あっ と気がついたように、渡瀬さんは何度も頷きながら。
「そういえば縁ちゃん、話聞いたり会う度に色んなことしてたわよね?
物を動かせるようになってたり、
石を砕いたり自由自在に体バラバラにしたり。」
『どうやら出逢った霊どもの能力を、己のものにしていたようじゃのう。』
言われてみれば。
あの人にできるのなら私にも。
そんなふうに感じていた。
『でもそれって、幽霊は願うことなら実現できるって雨守先生が。』
『だが実現できたのは、お主が素直であったからこそじゃ。
すぐにそれを可能にする幽霊なぞ、それほど多くはない。』
『それは……先生の霊力を私が吸い取っていたからなんじゃ?』
『それはそのとおりじゃ。』
『だったら、やっぱり私がいたらッ。』
『だから落ち着いて聞けと言うに。』
幻宗さんの目力に押されて、私はまた座り込む。でもまだ不安なまま幻宗さんを見上げた。
『常人なれば、お主の霊力に負けてとうに死んでおるわ。
が、あやつは違うであろう?
されど、あやつが生きてきたのは……生き延びてこられたのは、
それだけが理由ではない。』
『え?』
私がいたら、先生の寿命が縮んでいくことに変わりはないんじゃないの?
全然不安がぬぐえない私を幻宗さんは見つめる。
『後代よ。
お主が雨守の霊力を吸い続けながら、あやつが死にもせぬ理由はただ一つじゃ。
わからぬか?』
『それは……。』
なんだろう? そんなこと、考えてもみなかった。
すると、なぜか幻宗さんは鼻で小さく笑った。
『それはのう、後代。
お主が雨守を守りたいと、常にそう願っておるからじゃ。
それはすでに絶対的な守護霊、そのものではあるまいか?』
『私が、先生の守護霊に?!』
確かに、そうなりたい。そうありたいって願っていたけど!
すると、幻宗さんはとても穏やかな、優しい目で微笑んだ。
『うむ。
であるならば、お主に守られているあやつが、
お主がために寿命が縮むなど、ありえんわ。』
「ほら! やっぱり大丈夫なんじゃない。」
『良かった!』
渡瀬さんも笑ってくれた。嬉しくて嬉しくて、泣きそうになっちゃった。
私の早合点だったんだ。でも、だったら、なんで先生はあんな嘘を私についたの?
『だが渡瀬殿が感じたように、あやつにしては不用意な言葉。
……のう、後代よ?』
幻宗さんの目は、また私を射抜くかのように鋭かった。
『なんですか?』
『先日、儂と会うてから後、あやつにおかしな様子はなかったか?』
『え?
そんな……強いて言えば、ちょっと忘れっぽいことがあったくらいしか……。』
「どんなこと?」
眉を寄せて渡瀬さんは私の顔を覗き込んだ。
『ちゃんと確認したのに、歯磨き粉を買い忘れたこととか?』
あれ? でもそういえば、他にもそんな小さなうっかりは最近いくつかあったっけ。
「そんなこと、別にたいしたことじゃ
『いや。』
言いかけた渡瀬さんの言葉を遮り、幻宗さんの声が響いた。
『あやつ、何かに気を取られておるのやも知れぬ。
後代には口せぬ、何かが……。』
え?
確かに最近……一人で黙り込むことも、多くなっていたかも知れないけど。
気のせいかなって思ってた。
すると、渡瀬さんが笑って見せた。
「じゃ、私がそれとなく雨守クンに聞いてみようか?
縁ちゃんが急にいなくなって心配してるかもしれないし。」
『む?
渡瀬殿、そう言えば渡瀬殿が着替えておる間、
「すまほ」なるものがなにやら瞬いておったぞ?』
「え~? 早く言ってくださいよお。」
幻宗さんに笑いながら、渡瀬さんはスマートフォンを手にする。そして ぱっ とその顔がさらに明るくなった。
「あ。雨守クンからだ! 留守電だわ。」
すぐに再生する渡瀬さん。
なんだか嬉しいような、でも黙っていなくなっちゃってバツが悪いような。複雑な気持ちですよ~ぉ。
「ふんふんふん。
ふふッ。
縁ちゃんいなくなって慌てたような声してる。」
心配させちゃった。困ったな。私の気持ちも知ってるくせに、渡瀬さんはにやにやしてる。
「ん? なに? まあ。
縁ちゃんこっちにいるようなら、しばらく預かっててって……。」
『どうしたんですか?』
「そこまで言って切れちゃった。なによ、もう!
かけ直すわね。」
そう言ってすぐにコールバックする。
「もしもし?
ちょっと雨守クン?
あなた縁ちゃんに……って、あの、どちら様?」
え?
先生じゃ……ない?
電話の向こうで誰かがしゃべってる声を、渡瀬さんは瞬きも忘れて呆然と聞いている。
そして、電話を切ると私をみつめ、呟くように言った。
「雨守クンが……消えちゃった。」