第六十四話 子捨て親捨て④
「子捨て親捨て」完結です。
前回よりちょっと長いかも。
「あ。雨守先生。」
驚いたことに、平然とした様子で立ち上がると溝端君から先生に声をかけてきた。
「この花、もしかして、君の知り合いか?」
何も知らないかのように尋ねた雨守先生に、溝端君は足元の花束を見つめたまま呟いた。
「僕の、母さんです。」
車道を行き交う車の音に、その声はかき消されそうだった。
「ここでコンビニから出ようとしていた車に轢かれたそうです。
……アクセルとブレーキ踏み間違えたそうですけど、
その人、酒気帯びだったって。
まったく、バカな話ですよね。」
溝端君の乾いた声に、私は自分の耳を疑ってしまった。バカって……運転していた人のこと……よね? まさか……。
「母が死んで、実はほっとしてるんですよ、僕。」
普段穏やかな笑顔の溝端君は、見たこともない冷めた表情のまま続けた。驚きのあまり、私は自分の体が凍りついてしまったように動けなくなっていた。
先生は静かに溝端君に問いかける。
「どうしてお母さんだって、わかったんだ?」
「母の携帯に、僕の名前と養護施設の番号が入っていたから。
それで警察から知らされたんです。
今日まで後始末で、ずっと振り回されてました。」
「君は、お母さんと度々会っていたのか?」
「会ってたっていうか……時々、下校中、待ってたんですよ。
僕にタバコ代をせびるために。」
だんだん、溝端君の口元が歪んでいった。
「そのために新聞配達してたんじゃないのに。
でも、あんな母でも僕がいないとダメなんじゃないかって。
僕がほったらかしたら、
きっとどこかで誰かに迷惑かけてるんじゃないかって。」
ギクッとした。先生も一瞬、言葉を継げなくなった。だからか、溝端君は一人、静かに話をつづけた。
「僕は小さかったんで覚えてないけど、父は、母と僕をよく殴ってたって。
でも父を悪く言いながら母だって、ろくなもんじゃなかった。
いつも愚痴ばかりで、仕事も続かなくて。」
「それで君は施設に……。
今は本当に、ほっとしてるのか?」
先生の問いに、溝端君は初めて、まるで怒ったような顔を見せた。
「だって、虫がいいじゃないですか?!
僕が働くようになったら一緒に住もうだなんて。
先生からスケッチブック頂いた日も待ち伏せてて。
就職祝いにもらったのか? だなんてっ。」
叫ぶようにそう言うと、溝端君は顔を背けて呟いた。
「卑しいって言うか。
情けないったら、なかった。」
そして今度は花束を睨みつけながら、奥歯を噛みしめたまま声を絞り出した。
「そんなに一緒に暮らしたいなら、自分もきちんと働けよって言いました。
それで口喧嘩になって、それが最後になりました。
そしたら次の日、このザマです。」
コンビニの陰に立つお母さんは、ただ、ずっとうつむいたままだった。溝端君は感情も込めずに続ける。
「昨日、母が住んでたっていうアパートで、遺品を整理したんです。
恥ずかしいくらい散らかっていたけど、凄く簡単に片付いたんです。
ほんとに何もない人だった。」
そして疲れきった目を、溝端君は車道に向けた。
「なのに、僕が四つか五つの時に描いた母の似顔絵が、箪笥から出てきたんです。
……ずるいですよね。」
車のヘッドライトに照らされた顔を、先生に見られないように溝端君はまた顔をそむけた。ずずっ と小さく鼻をすすりながら。
しばらくして、またいつものような笑顔を無理に作って、溝端君は顔を上げた。
「雨守先生。
僕は、あんな母を忘れようと思います。
父なんか、とうに覚えていないし、それと同じようにきれいさっぱり。
でも……それって、いけないことですか?」
先生は重い口を開いた。
「そうは思わないよ。
だが、そう言いながら、君は決して忘れないんだろうな。」
「見透かしたように、言わないでください。」
どこか悲しそうな笑顔でそう言うと、ペコリと頭を下げて溝端君は去っていった。
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『何も言うことはないんですかっ?!』
思わず飛び掛かった私は、お母さんの両肩をつかみ、揺さぶりながら叫んでいた。
その瞬間、お母さんは突然目の前に現れた(と思い込んだに違いない)私にびっくりしたように、血だらけの手で私の腕を払いのけながら後退りした。
『なんなのよ、あんたっ! え、えらそうに!!』
「別に偉くはないよ。
ただの女子高生の幽霊と、高校の非常勤講師だ。
あんた、溝端君の母親だろう?」
口調は穏やかなまま、雨守先生はゆっくりと歩いてきた。
「なあ、あんた。
まさか死んだ時も『当たり屋』をやろうとしてたんじゃ、ないだろうね?」
一瞬、目を大きく見開いたお母さんは、私達から目を逸らした。
『違うっ。
り、履歴書を買いに来て、それで。』
握っていた両手の拳がぶるぶると震えている。そしてタイヤの痕がついた、潰れた上半身を乗り出しながら叫んだ。
『それは本当なの! 嘘じゃない!!
働けば一緒に暮らすって、あの子がそう言ってくれたから!!』
「ああ。嘘じゃないってことにしとこう。だが
『そのお金だって前の日に間先生を騙して手に入れたお金でしょう?!』
先生の言葉を遮るように私は叫んでしまっていた。するとお母さんも私を睨みつける。
『それのどこが悪いの?!
生きてくためじゃない?!
みんなズルして生きてるじゃないのっ!!』
『みんながみんなズルなんてしていないわッ?!』
『あの子を取られたけど、そのほうがあの子だって食ってこられたじゃない?!』
あまりにも勝手な言い分に、我慢ならなくなっていた。
『本気で言ってるの?
取られたですって?
それはあなたが溝端君を育てようって努力もしなかったからでしょうッ?!』
『子ども産んだこともないガキはすっこんでなさいよ!』
『なによッ!!』
再びつかみかかろうとした寸前、先生の背中が私の目の前にあった。先生の抑揚のない声が、お母さんに向けられた。
「そうムキになるな。
どうせもう死んでるんだし。
どうあがいたって一緒に暮らせるわけもないんだし。」
『一緒には……いられないの?』
力なく問い返す声が、震えていた。きっと先生が睨み返しているんだ。そして先生の声が冷たく、強く、響いた。
「逆に聞くが、幽霊のあんたが一緒にいたら溝端君の寿命はどんどん縮むが?
それでもいいのかッ!!」
愕然としたのは、お母さんだけじゃなかった。
え? 先生? それって……私といたら、先生……。
「溝端君は、あんたのことを忘れやしないよ。
どれだけ嫌でもな。
あんたもそれで満足しろ。」
先生はすっと右手を上げ、西の方角を指さした。
溝端君のお母さんは、放心したように先生が指さした方角へとよろよろと歩いていき、やがて、すーっとその姿は消えていった。
『先生? あの……。』
「地獄に行ったかどうかなんてわからないがな。
依存心が強かった女だ。
強く言われないと、
死んだら自分がどうしたらいいのかもわからなかったんだろう。」
『そうじゃなくて、先生?!』
「ん? なんだ?」
なんでもないような顔をする先生の顔が、揺れて見えてる。
私、震えてる。
怖くて、怖くて、震えてるんだ。
『幽霊と一緒にいたら、寿命が縮むって! それ、私といたら先生の……。』
「あ……ああ、あれな。
……嘘も方便というやつだ。」
『嘘?』
「言ったろ?
強く言われれば、そうなびく。
そういう人だったからだ。
心配するな。」
先生は口元だけ静かに笑うと、私に背中を向けて軽トラへと歩いて行く。
心配するなって……違う……嘘だ。
先生?!
本当のこと、言って!!