第一部 第一章 幼犬時代 1 さしえつき
各章にタイトルを付けました
表紙絵をつけました2017/12/13
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満ち足りた暖かい場所。
潮騒のような柔らかな音。
頼もしい、ゆっくりした脈動。
呼吸する必要もなく、ただ存在し、揺蕩って、夢を見ている。
胎生の生き物の、体内にいるのだ。
ん?
温気に包まれ、夢見心地の中で、獣はいぶかしむ。
春の日につららが溶けて地面に染み込んでいくように、ぽたり、ぽたりと、ひとかけらずつ、記憶がひらめいて消えていく。
ああ、この小さな身体では、受け入れきれぬ量だからな。
まあ、どうしても必要な記憶でもない。失ってもかまわんさ。
残したいのは、幾度かの見事な戦闘と勝利の思い出くらいで・・・。
ああ、そういえば、最後のあれは凄かった。
あの銀の雄の味。流れ込んだ膨大な魔力。
(おい・・・おまえ、そこにいるのか?)
銀の核を探そうとしたが、完全に融合してしまったのか、気配もない。
まあ、いいか。
では、この体にすべてを預けて、休むとしよう。
その前に脆弱な新しい体を点検してみる。
なぬ?
感覚が五種類だけだと?
おまけにこの感度の悪さは何だ。
それはないだろう、と、頭の中を少しいじってみた。
いくつか回路を開き、感度を上げておく。
それだけで、残された魔力が底をつく。
腹の管で母体と繋がっているのだが、流れ込んでくる魔力があまりにも少ない。
あの人族たちはけっこうな魔力持ちであったが・・・。
これでは魔力の蓄積どころか、記憶の維持さえ覚束なくなるぞ。
生まれたら早急に、魔力の溜まりを見つけねば・・・
そう、この事を覚えておかねば・・・
・・・・・・・・・
潮騒の、流れが変わったようだ。
脈動が早くなっている。
身体を包む膜状のものが、何度も収縮を繰り返す。
母体から切り離される時が来たようだ。
押し寄せる流れ。激しい収縮。下方へ押しやられる。
収縮、痙攣。収縮、痙攣。そして、収縮!
狭い場所から激しく押し出された。
さあ、新しい世界だ!