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焚き火にかけていた薬缶からコップに湯をつぐと、老人はよっこいしょっと立ち上がり、馬車の方へ歩いて行った。
「湯が沸いたよ、婆さんや」
馬車の中から、弱々しいしわがれた声。
「もういいよ、爺さん。私を置いて行っておくれ」
「何をいうんじゃ、いまさら。死なばもろともじゃわい」
・・・危険は・・・なさそうだな。
俺はわざとがさがさ音をたてて、近づいて行った。
おい!気づけよ!耳が遠いのか、爺さん!
・・・ほんとに、遠いらしい。
「くおん!」
軽く鳴いてみた。
爺さんはビクンと跳びあがって、ゆっくりこっちを向く。
「ほう。狼かと驚いたら、きれいな犬っころじゃ。
どうしたえ?迷子か?」
しわだらけの手を出すので近づいて行って臭いをかぐと、ゆっくりと頭を撫でて言う。
「悪いが、食い物はないぞ。爺と婆二人だけじゃ。
戦で焼け出されてのう。村を捨て、逃げて来たんじゃが、婆さんの具合が悪くての。
皆に置いて行かれてしもうたんじゃよ。
馬車を引いてくれた老いぼれ馬も、持っていかれてしもうてな」
ふうん。
捨て子じゃなくて、捨て年寄りか。
でも、助かった。
俺はひきかえして、「おうましゃん」と姫さんを連れて戻った。
長い事締め直せなかった「おうましゃん」の腹帯が緩んで、鞍がひっくり返っちまったんだよ。
爺さんのびっくりしたことったら。
「こりゃ驚いた!馬じゃ。しかも軍馬じゃないか。
きれいな嬢ちゃんも一緒とは。
婆さん、これ、婆さん、大変じゃ」
古い馬車の後ろから、小さな婆さんが顔をのぞかせた。
「あんれ、まあ」
姫さんを焚き火のそばに座らせ、爺さんは震えてるが慣れた手つきで、「おうましゃん」の手綱を茂みにかけ、ひっくり返った鞍を降ろしてやる。
そしてどこからか取り出したロープの切れ端をくるくると結んで頭絡をつくり、軍装の銜と轡を外して取り替えてやった。
馬を扱いなれてる人に会えて、良かったよー。
自由になった「おうましゃん」は、ぶるぶると胴震いして、嬉しそうにあたりの草を食べ始めた。
鞍袋から、軍の携行食の堅パンと干し肉を見つけ出した爺さんも、嬉しそうに声を上げた。
「こりゃ凄い!三日ぶりに野草スープ以外のものを口にできるわい」
馬の鞍って、ベルト一本で背中に乗せてあるんです。
胴をキュッと締め上げられてるんで、馬は苦しいです。
それが緩むと、重い鞍は右か左にぐるんと回って、乗り手は落っこちることに。
銜が口の中に入っていると、うまくご飯が食べられません。
馬から降りたら、外して無口頭絡と言うものに変え、口を楽にしてやります。