第一話「連合国軍最高軍事評議会」
全ての始まりは23年前に遡る。
魔王を絶対君主として仰ぐトルクスタリア魔導帝国。
強大な軍事力と穀倉地帯であるウルト平原、魔導機の原材料である魔鉄が豊富に産出されるジュール大山を領土として支配し、世界で最も先進的な魔導技術を有する帝国は当時、レヴァ=リフィルタニア大陸きっての超大国だった。
そんな繁栄を極めた国家において、一つの政変が起こった。
それは第127代魔王の崩御。
十数年に及ぶ周辺国家との領土紛争を解決する会談を行う為に向かった都市で彼は宿泊施設を爆破され、亡くなったのだ。
後を引き継ぎ新たに魔導帝国の王、第128代魔王となったのは先代魔王の三男であるヴェルリヴァスという名を持つ青年。
第一位継承者であった長男は父である魔王と共に和平会談に向かっていた為に巻き込まれて死亡し、第二位継承者であった次男は父と兄が同時に死亡したという事実に発狂してしまい、結果として三男であるヴェルリバスが新たな魔王となったのだ。
新たな魔王となった彼の行動は素早かった。
戴冠直後とは思えない程の素早さでもって帝国軍を掌握した彼は領土紛争関係にあった周辺国家へ向けて宣戦布告を行い、これを全て打ち破ったのだ。
その侵略の速さは他国が介入する隙が一切ない程の高速であり、その後においても周辺国家から先代魔王と優秀な第一継承者の暗殺する事により、帝国を継承争いによって内乱状態にする計画書が見つかった事から他国は介入の糸口を見つけられず、帝国による周辺国家の事実上の併合を認めてしまうという有り様だった。
これで新魔王の人気は帝国内で極まったと言っていい。
さらに先代魔王の復讐という名の元に行われた周辺国家からの破滅的な富の略奪は、魔導帝国の大多数の庶民の生活を目に見える程に豊かにした。
民に復讐の蜜と勝利の快楽を教えこんだ若き魔王はこれ以降、帝国に今までの穏健な路線を捨てさせ、軍拡と侵略を繰り返させるようになる。
結果としてそれから15年の間に魔導帝国の領土は若き魔王が戴冠した時に比べて4倍もの広さを持つようになった。
しかし、そこでの帝国の有様は民が思っていた夢溢れる物ではなく、地獄その物といっていい。
占領地においての魔王が指示した苛烈な統治は、占領地の民の憎悪を煽る物であり、帝国領土では被占領民によるテロや反乱が頻発。
そして憎悪が憎悪を呼び、また統治が一段と苛烈になり避けられぬ死を前にした被占領民がまたテロを行うという悪循環に陥っていたのだ。
結果として流れた血の量は帝国の民も合わせて世界人口の2割に達しようとしていた。
ここに至って帝国の民達はようやく気がついたのだ。
勝利と略奪によって得られる富や栄誉より、自らの命の方が大事である事を。
――しかし、それは遅すぎた。
血の酔いから覚めた彼らが見たのは魔王へ領土拡大の停止を進言した帝国軍将校が帝都中心の広場で反逆者として見るも無残な姿となって処刑されている姿だったのだから。
かくして帝国はたった一人の男によって破滅への道を歩み始める事となった。
世界人口の二割の魂を喰らい強大化した彼と膨れ上がった帝国軍を止められる存在はなく、誰もが一人の男の気分一つでその命を無残に刈り取られるという恐怖の日々を送る事となったのだ。
帝国内部では、常に自分が帝国に対し忠実であると示す為に秘密警察へ密告が相次ぎ、占領地の民は男の気まぐれにより互いに殺しあわされ、幾つかの種族がその血を絶やしてしまった。
そんな世界の片隅でとある一つの小国が滅亡の危機に瀕していた。
その国の名はアストリア神権国。
世界を創ったとされる創世の女神エウリューシアを崇めるエウリューシア教を国教として定めていた宗教国家。
大陸中央から遠く離れたド辺境というべき立地と目立った生産品が無いという事から今までどこの国からも侵攻を受ける事がなかったのだが、破滅的ともいえる帝国の拡張政策に巻き込まれ、軍事力が乏しかったこの国はまたたく間に首都目前まで帝国軍の侵攻を許してしまったのだ。
勝利できる可能性はなく、支配されれば地獄すら生温い扱いを受ける事になるという状況はアストリア神権国に最後の賭けを行わせる覚悟をさせた。
それは彼らの先祖から受け継いできた禁術、創世の女神再臨の儀式の実行。
高位魔導師一族だった神権国王族の殆どの命と引き換えに得られた膨大な魔力を元に行われたその儀式は成功したかのように見えた。
創世の女神エウリューシアの「肉体」は救いを求める民達の元に再臨したのだから。
歓喜と救われたという思いにむせび泣く神権国の民達だったが、すぐさまに絶望を知る事になった。
現れた女神は何もしないのだ。
帝国軍によって攻めこまれ首都が地獄へと変わっていく姿を目の当たりにして女神は何もしない。
虚ろな瞳のまま虚空を見つめ続けるのみ。
そして彼らは知る事となる、彼らの王達が命を賭けて行った儀式が半分しか成功しなかった事を。
創世の女神エウリューシアの肉体には「魂」が宿っていなかったのだ。
誰もが諦め、自らの命を絶っていく、そんな中一人だけ諦めなかった少女が居た。
その名はセレスティア・アストレア。
神権国の王族の中で一番魔法の扱いが上手かった事から儀式の執行者として選ばれ、自らの家族の命を捧げて儀式を行った彼女。
彼女は諦めなかったのだ。
そして彼女はある魔法を発動させた。
再臨の儀式に使われる事が無かった残存魔力を必死にかき集め、発動させたその魔法。
その魔法の名は『召喚』。
彼女は創世の女神に肉体を操る事が出来る「魂」を召喚する魔法を発動させたのだ。
かくして勇者エウリューシアは誕生する事となる。
――ただ、その時は誰も知らなかった。
召喚者たる少女も想像すらしていなかった。
創世の女神エウリューシアの肉体を操れる魂を持つ人物、それは彼女が住まう世界ではなく別の世界にいたなんて事は。
さらにその唯一の人物が極めて平和な国で争いなんて知らない平凡な学生生活を送っていた人物だったなんて事は。
第一話「連合国軍最高軍事評議会」
聖都ユラシャーロム=エウシア。
元々はユラシャーロムという名で、レヴァ=リフィルタニア大陸南方に広がる街道の集結点であった事から周辺各国の利害調整の結果として自由都市となっており、繁栄を謳歌していた都市であったが魔道帝国の侵略によってその歴史に終止符を打たれた。
そして新たな支配者としてやってきた帝国がユラシャーロムに押し付けた諸制度はユラシャーロムの民を怒り狂わせるのに十分だった。
帝国臣民を筆頭とした階級制度に、重税、生きては帰れない賦役、極め付けは周辺各国が出資を行い友好の名の元に設立されたユラシャーロム大学の解体。
帝国軍の圧倒的な軍事力と残酷さでもって押さえつけられてきた反感だが、ユラシャーロムの象徴でもあった大学の解体はユラシャーロムの民に帝国軍の恐怖を忘れされるほどの憤怒の感情を与えてしまった。
結果として起きた出来事は最早、必然といっていいだろう。
大学解体に反対する学生達と強行する帝国軍との抗争は瞬く間に都市全てを呑み込む反乱と化したのだ。
無論、それを帝国軍が予期していなかった筈がなく市民達が自由を取り戻せたのは僅か二日の間だけだった。
反乱の報告を受けたと同時に帝国軍南方方面軍第一軍が出立し、瞬く間にユラシャーロムを再度陥落させたのだから。
反乱を鎮圧した帝国軍がユラシャーロムに突きつけたのは都市人口を半減させるという報復だった。
市民に二人組を作らせ、片方のどちらかがもう片方を殺せば、殺した者の反乱の罪を免除するという極めて悪辣な政策でもって、都市人口を半減させようとしたのだ。
鎮圧された市民に抵抗ができる筈もなく、凄惨な殺し合いが始まるという瞬間。
——市民の中に紛れていた少女が、勇者エウリューシアが集まっていた帝国軍南方方面軍第一軍の首脳を皆殺しにしたのだ。
首脳が一斉に殺害された事に混乱状態に陥った帝国軍を尻目に勇者は集まった市民を鼓舞し、再度の反乱を誘発させる。
再び発生した反乱を帝国軍は止める事が出来なかった。
市街地という軍が戦うのに最も向かない場所に加え、市民の監視という任務によって戦力の集中が出来なかった彼らは指揮者を失い混乱する状況の中、突如として現れた少数ながらも一騎当千の戦力を誇る勇者が率いる抵抗軍によって一人、また一人とその数を減らされていったのだ。
市民が逃げ出せないようにと街外へと通じる門を全て閉じていた事によって完全にに閉じ込められる形となった帝国軍はやがて幾十にも分断され、怒れる市民達によってその全てが骸へと変わっていく事になった。
かくしてユラシャーロムは帝国軍の支配から独立を勝ち取り、勇者率いる抵抗軍へと参加する事になる。
加えて大陸南方の要衝でもあるユラシャーロムの陥落は南方方面軍の弱体化を招き、勇者が率いる抵抗軍が反魔道帝国国家共同体連合(通称、連合)へと発展するきっかけともなった。
そして現在、自由都市という国際政治上の空白点である事から連合国評議会が置かれ、事実上の盟主である創世の女神エウリューシアの娘であるとされる勇者エウリューシアが拠を置いた事からいつしか聖都と呼ばれるようになり、その名をユラシャーロム=エウシアと変えたこの都市。
その都市の中央、数々の行政機関が集まる行政区画の中心、連合国軍総司令部と名前を付けられた屋敷の一室にて十数人の男女が円卓を囲むように座り、眼前に置かれた書類を読んでいた。
「…………」
書類を読む面々の顔は総じて暗い。
それでも彼らは置かれている書類に書かれている情報を余さず見ていく。
それが彼らの義務であるが故に。
ペラペラといった紙を捲る音のみが響き、窓がないこの部屋の唯一の光源である青色の魔力光が不気味に揺れる中、円卓に座っていた一人が紙を置くと顔を上げる。
それにつられるように他の面々も紙を置き、顔を上げた。
視線が集まるのは最初に紙を置いた人物、その人物は全員の視線を受けた事を確認するとゆっくりと口を開き、言葉を発した。
「……では、これより緊急理事会を開催します」
そう告げたのは年若い人間の女性だった。
腰ほどまである長い輝く金髪を揺らし、翡翠色の瞳に強い意志の光を灯した彼女。
黒のジャケットとロングスカートを纏い、右胸に連合国旗である三対の羽と剣を模ったブローチを付けた彼女の名はセレスティア・アストリア。
創世の女神再臨の儀式の果てに魔王によって国民全員が皆殺しにされ亡国となったアストリア神権国の最後の一人であり、今は聖都暫定統治機構の議長と連合国軍副最高司令官、そして連合国最高軍事評議会理事長といった役職を兼任している連合の最高幹部の一人である。
「トルクスタリア魔導帝国第128代魔王ヴェルリヴァスが引き起こしたと予想される現象。
アーティファクト級呪具の多重暴走によって起きた土壌及び海洋汚染と魔物大量発生についてですが、それについての連合国最高軍事評議会としての今後の方針を決定したいと思います」
セレスティアがそう言うと、円卓を囲んでいた男の一人がすっと手を挙げ言った。
「アストリアの嬢ちゃん。
第5軍をベルクリア・トルクスラインの方に動かしたい。
旧帝国領、特にウルト地方から流入してくる魔物の質が高すぎる。
現状の第1軍、2軍、13軍の3軍体制じゃ近い内に崩壊しちまう。
あそこが崩壊するのは不味い」
言ったのは女性であるセレスティアより一回り小さな姿に、顔の下半分が埋まるほどの髭を生やした男だ。
彼は連合に参加するドワーフ氏族連合の将軍であり、名はナーズスヴィーズルという。
そんな彼に合わせるかのように彼の隣に座っていた女性もまた手を挙げて言った。
「アストリア理事長。
第6軍もベルクリア・トルクスラインの方に回して下さって結構です。
私、いえエルフ共同体はナーズスヴィーズル理事と同様の意見を持っています。
ベルクリア・トルクスラインこそが我々、人類の最終防衛ラインとなる事は間違いありません」
強い口調でもっていいきったのは亜麻色の髪に飛び出た長い耳を持つ妙齢の女性だ。
エルフ共同体の筆頭書記官であり、連合国軍最高軍事評議会の一員でもある彼女の名はエフィルディス・ラ・シュリ・ミスタリア。
そんな彼女とドワーフの将軍が主張しているのは、魔導帝国本土の中央を流れるベルクリア川とその支流であるトルクス川、ドーリア川に構築された防衛ラインへの戦力増加だ。
魔王が死に際に発動させた呪具は帝国本土も含めて世界の大地と海の一部をありとあらゆる生物と敵対する存在、魔物を生み出す呪われた物へと変えてしまった。
そうして生み出された魔物はより多くの人が生ける場所、大陸南部に広がる連合国の国土目指し、軍団となり南進を今も続けている。
それを押しとどめているのが魔導帝国帝都トルクスタリアに配備されていた魔導兵器を転用して河川沿いに作られた要塞群、通称ベルクリア・トルクスラインと呼ばれている物だ。
現在、そのラインは勇者エウリューシア直轄軍である第一軍、第二軍、そして帝国からの亡命者達によって構成された第13軍によって維持されているが二人の言う通り、魔物の質の高さと範囲の広さから極めて不利な状況にある。
「それは願ってもない提案ですが……宜しいのですか?
ナーズスヴィーズル理事、ミスタリア理事」
セレスティアは二人を見つめながら問いかける。
その視線に二人は同時に頷く。
「あぁ、本国の連中の一部は煩い事を言っているが、ヤルク地方の守備はもう無理だ。
大コルタニア橋が落とされた時点でどの道、放棄しなくちゃいけないのは分かりきっていたしな」
「こちらも同様です。
先日の族長会議においてクルス神樹の放棄と守護森の移動が決定されました。
共同体はベルクリア・トルクスラインに守護森を移設させる準備が出来ています」
「……分かりました。
両国の協力、感謝致します」
そう言ったセレスティアは安堵の息を漏らす。
反魔導帝国国家共同体連合は巨大化した帝国に対抗する為に各国軍を統合させた強力な軍、人類統合軍を作る事を目的とした物だが、その実態は寄り合い所帯から少し発展した物に過ぎなかった。
そもそも連合構成国の喋る言語自体がバラバラであり、文化や能力の違いもある事から、統合軍という構想自体が土台無理な話なのだ。
それでも協力せねば破滅的な拡張政策を続ける帝国を打ち破れないという事もあり、各国から人員を派遣し、連合を統一した戦略の元に動かす為に行われた会議が現在の連合国軍最高軍事評議会となった。
故に勇者率いる抵抗軍が元となった第一軍、第二軍、第三軍を除いた連合国軍は各国から派遣された理事達の意向を強く受ける事となる。
セレスティアもベルクリア・トルクスラインの重要性と現在の危機的状況は分かっていたが、他の軍が魔物大量発生によって危機的状況となった各国の本土を守っているという状況から救援要請が出せないといった状況だったのだ。
その中でドワーフとエルフ達は本土失陥を許容し、連合を守護する最後の一線であるベルクリア・トルクスラインの防衛を行うという決意は数ヶ月後に迫っていたラインの崩壊という世界の破滅を防いだのは間違いない。
「…………」
しかし、懸念の一つを解消した評議会の理事達の顔は明るくはならない。
彼らを悩ませている懸念はベルクリア・トルクスラインの崩壊だけではないのだから。
再び沈黙を支配した会議室でセレスティアは眼前に置かれたままの資料を見る。
そこに最初に書かれている情報。
——食料不足という問題に対する回答は誰も持っていないのだ。
魔導帝国が占領地に対して行った政策の中で最も悪名高い物として知られているのが土地破壊。
これは魔王が死に際に発動させた物と同様の物で、占領地の農業地に向けて魔導技術による呪いをかける事で一切の恵みを生み出さない土地とさせるものだ。
故に占領地の民は魔導帝国から配給される食料を頼るしかなくなり、帝国に屈服せざるえない要因にもなった極めて悪名高い政策。
連合が魔導帝国を追い詰めていった際に焦土戦術としても行われたそれは各地の耕地をボロボロにしていった。
それでも連合が進撃を続けられたのは、魔導技術によって保存されていた各地の備蓄食料があったからだ。
加えて、魔導帝国を打ち倒せば魔導技術によって数百年に渡って土壌改良された極めて生産効率が高い穀倉地帯、ウルト平原が手に入る。
残虐な魔王であってもさすがに自国本土は焦土にしないだろう。
今となってはそれがどれだけ甘い予測であったか身をもって連合国首脳達は思い知らされたが、当時はそういった認識の元に進撃をしたのだ。
結果としてその認識が覆され、最大の穀倉地帯であるウルト平原はその全てを失い、際限なく魔物を生み出す魔の大地へと変わり果ててしまった。
一年。
これが彼らに与えられた時間だった。
現在ある備蓄をどれだけ上手く使ったとしても1年持たせるのがやっと。
全ての食料が消えた後、起こる事も彼らには分かりきっている。
生存を掛けた凄惨な戦争の末の全種族の滅亡だ。
被害を免れた僅かな耕地面積を巡って連合国各国による戦争が起こり、そしてそれは魔物を押しとどめる防衛ラインの崩壊を引き起こし、世界は滅亡へとひた走るだろう。
既にそれに近い光景は彼らは帝国統治下で見ていただけに、その予測は間違いなく現実になるのだという確信がある。
重く昏い雰囲気が会議室を支配する中、一人の理事がつぶやく。
「……やはり、ヴェルリヴァス計画を実行するべきだろうな」
小さかったが部屋に響いたその声に全理事が彼へと視線を向ける。
そしていの一番に男、ドワーフ氏族連合の将軍、ナーズスヴィーズルは声を荒げた。
「ファン、貴様っ!!
何を今、言ったのか分かっているのか!!」
「わかっている。
分かって言ったのだ、ナーズスヴィーズルよ。
もはや、あれしか手が無いのは明白だろう」
席から立ち、自らを睨むナーズスヴィーズルを見ながら狐を思わせる耳に尻尾を生やした初老の男、大天皇国宰相ファン・ティエン=シーは答える。
「……我らには義務がある。
我らを信じた者達が流した血を、命を無意味な物にする訳にはいかん。
次代へと繋ぐ必要があるのだ、彼らの思いを、彼らの決意を」
ファンが言った言葉は他のナーズスヴィーズルのように声を荒げようとした者達の動きを止める。
それを見たファンは何も言わずにただ場を見ていたセレスティアに視線を向けると言った。
「アストリア理事長。
次回の理事会にヴェルリヴァス計画の実行に関する決議を取る事を提案する」
告げられた言葉にセレスティアはぎゅっと自らの手を握りしめた。
ファンが言った忌まわしき魔王の名を冠した計画。
その計画はその名の通り、勇者によって消滅させられた魔王が考えた計画をそのまま利用した物なのだから。
ヴェルリヴァス計画。
それは人類総家畜化計画と言い換えてもいい物だ。
種が保全できる最低人数以外を全て殺害し、生殖行為全てを管理し、ただ魔王を楽しませるだけの家畜に人類を落とす計画。
しかし、悪夢の具現とも云うべき計画は現状の人類を救う計画にもなりうる。
今、世界が直面している大問題、食料問題は耕地可能面積に対して人類人口が多すぎるのが問題なのだ。
魔王が建てた悪夢の計画を実行すれば、その問題は間違いなく解消される。
加えて、魔王が自身の強化手段として使用していた魂回収機構。
これを使えば殺害した人の数に応じてエネルギーが得られる為、ベルクルス・トルクスライン等で使われている戦略級魔導兵器を稼働させ続ける事が出来る。
魔物の大量発生は続いたとしても5年、現状の残っている人類のほとんどを最低限まで減らせば10年は魔物の侵攻を止めるエネルギーは得られる事は既に出されているのだ。
故にこの計画は滅亡の危機に瀕する人類への救済として機能する。
「…………」
分かっている。
セレスティアも理性ではファンが言っているこの計画だけが現状において人類を救う唯一の計画だと言う事は分かっているのだ。
だが、感情は納得ができない。
計画を実行すれば現状生き残っている人類の九割は殺害される事になるのだ。
それはかつての魔王が行った以上の所業となるだろう。
「理事長」
黙ったままだったセレスティアの姿にファンは声を再びかける。
「……わかりました」
セレスティアはそう言うと、顔を上げた。
その瞳には覚悟が込められている。
次の緊急理事会でヴェルリヴァス計画の実行の是非についての決議を取るという選択を下せば、間違いなく連合各国は荒れるだろう。
10人に1人しか生きられないという政策を実行に移すかもしれないのだ。
実行の是非自体も問題であるし、その実行したとしても誰を生き残らせるかといった事でも問題は山積みなのだ。
最悪、幾つかの国は連合から離脱する可能性さえある。
それでも彼女は選択を下さなければならない。
それが彼女が今、着いている連合国軍最高軍事評議会理事長の役割であるが故に。
——母国を滅ぼされ、ただ勇者と共に人類の為だけに動いてきた彼女だからこそ預けられた役職なのだから。
「ファン・ティエン=シー理事からの提案、ヴェルリヴァス計画実行の是非について次回の緊急理事会にっ!?」
それは決意を込め、彼女が言葉を放っていた最中だった。
勢い良く扉が開かれる音が会議室に響いたのだ。
セレスティアは言葉を止め、扉の方を見る。
同様に他の理事達も扉の方を見る。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」
そこには荒く息を吐く青年が居た。
「貴方は……いえ、それより衛兵!!
現在は緊急理事会中です!!
なぜ、部外者を入れたのですかっ!!」
荒く息を吐く青年の傍で困ったような表情を浮かべながら立っている会議室を守る二人の衛兵に向けてセレスティアは怒鳴る。
勇者共にいくつもの戦場を乗り越えてきたセレスティアの本気の剣幕に衛兵達は言葉を発する事が出来ずに固まってしまった。
そんな中、荒い息を吐き続けていた青年は視線を理事達の方に向けて、ずっと彼が握り締めていた物を彼らに見せる。
「はぁ、はぁ、お、お待ち下さい、アストレア様、これを……」
「それはっ!」
青年が差し出した物に、セレスティアは、最高軍事評議会理事達全員が息を呑んだ。
彼が持っていた物、それは——羽。
真っ白な光輝く一枚の羽を彼は持っていたのだ。
輝く羽からは常に白い粒子が溢れ出しており、魔術師であるセレスティアにはそれが神気だとわかってしまう。
神気、伝承において伝えられるそれは超高密度の純粋魔力であり、現代の魔術師達には出す事が出来ない神話の世界の物だとされてきた。
しかし、現代において神気を扱える人物が一人だけいるのだ。
その人物こそ神の肉体を持った存在であり、寄り合い所帯だった連合を率いて魔導帝国を打ち倒すという偉業を成し遂げた人物。
その名は——エウリューシア。
人類と共に歩み、常に彼らの先頭に立って戦った事から勇者と称される、連合の盟主。
魔王との最終決戦を行った結果として全身に酷い傷を負い、生きてはいるものの意識が戻っていなかった彼女。
その彼女の使者である事を示す神気を放つ羽を持った青年は荒く息を吐きながらも理事達に告げたのだ。
「はぁ、はぁ、え、エウリューシア様が……はぁ、目覚められました……。
そして……皆さま、最高軍事評議会理事会の皆さまの事を呼んでおられます」