プロローグ「破滅の魔王」
そこでの光景はまるで神話の世界が本からそのまま飛び出してきているかのようだった。
天から街一つ程の大きさを持つ巨大な石が落ちてきたかと思えば、それを全て焼きつくしてしまう程の巨大な炎が燃え上がる。
燃え上がる炎の中からは無数の青白い稲妻が飛び交い、その次の瞬間には空間を、いや世界を震わせる程の振動が光の中から出てくる。
人智を超えた現象が支配するその空間。
そんな空間の中心には2つの影があった。
一つは男の影だ。
幾つもの宝石を散りばめた豪華な服を身に纏い、身の丈程まである大剣を構える男。
彫像かと思わず疑ってしまう程に美しい美貌に邪悪な笑みを貼り付け、眼前を、彼と対峙する存在を見ている。
「はははっ、もっと俺を楽しませろよ、勇者!!」
男が剣を振るうと同時に彼の周囲には優に100は超すであろう数の黒い魔法陣が現れ、黒い稲妻が目にも止まらぬ速度で彼の前へと駆けていく。
それを止めたのは白い魔法陣だ。
空を覆い尽くす程の巨大な白い魔法陣は男が放った稲妻を全て受け止めると、白い粒子を撒き散らしながらひび割れ、粉々に砕け地へと落ちていく。
そんな白い粒子によって光り輝く空間から男目掛けて一つの影が飛び出してきた。
「滅びろ魔王!!」
出てきたのは一人の少女だ。
白いローブを身に纏い、背からは三対の純白の翼をはためかせ、頭上に光輪を浮かばせる彼女。
そんな「天使」を思わせる姿をした少女は装飾が施された細身の白亜の剣を構えて、先ほど男が出した稲妻以上の速度で持って、眼前の存在へと突撃する。
「「!!!!」」
その瞬間、世界は爆ぜた。
二人の持つ剣が重なりあった瞬間に、強烈な光と音、そして大地を震わせる程の振動が生まれたのだ。
それは一回だけではない。
空を飛び回る白と黒の光、男と少女の影がぶつかる度に幾度なく生まれる。
「勇者っ!」
「魔王っ!」
宙を飛び回り、大地をえぐりとる程の威力を持った攻撃をし続け合う二人の力は拮抗しており、その姿は傍から見ればまるで舞を踊っているようにも見えた。
男が剣を振るえば、示し合したかのように少女も剣を振るい、二人が生み出す白と黒の魔法陣は完璧とも言える配置でもって絡み合い、この世の物とは思えない程に美しい物となっている。
恋い焦がれる男女の睦事にも見える二人の戦いは徐々にだが佳境へと近づいていった。
「ふっ」
「くっ!!」
拮抗していた白と黒の光のぶつかりあい。
しかし、それはゆっくりと黒が白へとぶつかる割合の方が多くなっていく。
空を占める無数の魔法陣の数もまた白が塗りつぶされ、黒の領域が広がっていく。
崩れてしまった天秤の均衡はもう元へは戻らない。
そしてその時は訪れる。
「っ!」
もはや、それは必然と言うべきなのだろう。
戦いが始まってから変わらない、全ての者を見下す嘲笑の笑みを浮かべたままの魔王と、剣を打ち合わせる度に苦い表情が増していた少女。
そんな少女の手から剣が弾き飛ばされてしまった事は。
男の大剣によって天へと飛ばされた白亜の剣は彼女の手から離れると同時に輝きを失い、地へと落ちていく。
落ちていく剣を僅かだが、呆然と眺めてしまう少女。
そんな絶好の機会を少女の眼前に立つ男が見逃す筈がなかった。
「終わりだ、勇者!!」
そう叫んだ男は漆黒の大剣を振るう。
「くっ!四精霊よ!!」
自らの肉体を貫かんとばかりに迫り来る大剣を前に少女は瞬時に意識を取り戻し、両手を上げ言葉を張り上げた。
それと同時に彼女の周囲には4つの輝く光が現れる。
現れた赤、緑、青、茶の光は彼女の前へと行き、4つの色が混ざり合った魔法陣を広げた。
「「――!!」」
少女の肉体まで後、数センチの所まで迫っていた大剣は魔法陣によって完全に止められ、火花を散らす。
「――!」
それを見た少女は聞こえない程の高速で言葉を紡ぐと、その手に白の魔法陣を出す。
そこからは無数の白い粒子が噴き上がり、もう片方の彼女の手に集まっていく。
粒子の塊は徐々にだが剣のような形を取り、その姿を男が跳ね飛ばした白亜の剣のようた形になっていく。
しかし、まったくの同一ではない。
剣は放つ輝きはかつての比ではないのだ。
白だけではなく、赤、緑、青、茶といった色が剣を中心に発せられ、溢れだす神気が周囲の空間を震わせる。
「なるほど、それが貴様の奥の手という事か」
男は眼前で詠唱を続ける少女の姿を見ながらつぶやく。
今もなお、噴き上がる粒子、少女の神気によって強化され続ける剣は男の本能を強烈に刺激している。
――これを受ければ自分は無事ではいられない、と。
いや、それどころか原型を留められるかどうかも怪しい所だ。
絶体絶命となった状況下での奥の手として創りだされている、彼女が持つ力の殆どを込められた剣は当たれば彼に間違いなく致命傷をもたらす事になるだろう。
しかし、そんな自らを滅しかねない剣を見ながら男は邪悪な笑みを浮かべる。
「では、こちらも奥の手といこう」
そう呟いた男は懐から何かを取り出した。
「なっ!?それはっ!!」
男が取り出した物に少女は目を見開く。
それは黒い珠だ。
光を全て吸収し、外へと出す事がない、見ているだけで心がかき乱される漆黒の珠。
しかし、その表面にはある物が時折浮き出てきている。
苦悶に満ちた様々な人の顔が。
「魔王、お前っ!!」
「はははっ、実に良い顔だな、勇者!!」
手に持った珠を勝ち誇ったように掲げ、男は嗤い続ける。
「あぁ、そうだ。
折角の機会だ。
貴様の大事なお友達とやらと最後の会話をするといい」
そういうと男は少女に向けて珠を突き出す。
それと同時に珠の表面には一人の少女の顔が浮き出てくる。
両目を失い、血の涙を流し続ける一人の少女の顔が。
「……り、リオ」
現れたその顔に少女は唇を震わせながら、その名をつぶやく。
リオ・カーネルセン。
かつて少女が心を許した友であり、彼女の心を救ってくれた存在。
しかし、それが原因となり目の前の男により全ての四肢をもぎ取られ、両目をえぐり取られ殺されてしまった少女なのだ。
「……お…る、た…す…け…。
いた……い、く……らい。
こわ……いよ……とり……いや…だよ………か………る」
珠から浮き出た痛々しい少女の口からは助けを求める事が漏れ出る。
「……リオ……僕はっ!!」
「残念、時間切れだ」
少女が何か言おうとした瞬間に男は突き出していた珠を戻し、自らの口の上に乗せる。
「……る、たすっ!!」
それが悲劇の少女が出した最後の声だった。
その顔は男の振り落とした鋭い歯によって無残に引き裂かれる。
二度目の親友の喪失を目の当たりにした少女の前で男はニマニマとした笑みを浮かべながら、何度も歯を振り落とし、珠を粉々に割り、磨り潰していく。
それと同時に彼の口の中からは千を、いや万を超えるであろう悲鳴が空間に響き渡った。
男が持っていた黒い珠。
これは男が特殊な邪法によって殺めた人々の魂を集めた物なのだ。
今、その中に封じ込められていた魂が男によって粉々にすり潰されている。
その魂が歩んできた様々な生の全てを、男は自らの歯でもって無造作にすり潰す。
ゴリゴリとグチャグチャと、かつて男によって悲劇でもって人生の幕を強制的に閉じられた人々の魂が最悪の苦痛の中、散り散りにされていく。
――そして男の力となるのだ。
「はははっ、素晴らしい。
やはりこの瞬間は何度も味わっても素晴らしいっ!!」
男、いや魔王は全身から力を溢れ出させながら歓喜の声を上げる。
そして魔王は眼前の魔法陣に突き刺さり続けている大剣を握り締めると言った。
「さぁ、絶望しろ勇者」
その次の瞬間だった。
「そ、そんな、嘘っ!?」
少女は驚愕の声を上げる。
彼女の前で今まで魔王の大剣を受け止め続けていた魔法陣が一瞬で砕け散る。
それと同時に男の周囲の展開されていた魔法陣から放たれた稲妻により4つの色の光、四精霊達も消え去った。
「ッ!!??あぐっ、がはっ!!」
最後の盾を失った少女は迫り来る魔王の大剣から逃れる事は出来ず、その身の中心を大剣によって貫かれる。
苦痛を顔に歪ませ、口からは溢れ出る血を吐き出す少女を魔王は邪悪な笑みで見つめると、少女の白銀の髪を掴み無理やり顔を上げさせ、問いかける。
「なぁ、聞かせてくれよ、勇者。
大切な、大切な友達を無残に苦しめられ、殺されて。
その仇に無様に負けた気分ってどんな気分なんだ?
さぁ、答えろよ、なぁ」
「そんなの答えるかっ!?があ゛あ゛あ゛ぁぁぁぁ!!!!」
少女はこの世の物とは思えない悲鳴を上げる。
悲鳴を上げる彼女の体を包むのは黒い稲妻だ。
そんな少女を氷を思わせる冷たい表情で見つめながら男は言葉を続ける
「何、生意気な口を聞いているんだ?
貴様は負けたんだよ、勇者。
敗者は敗者らしく、勝者である俺の玩具になれよ」
「誰がっ!?ひぐっ、あ゛あ゛ぁぁぁぁぁ!!!!」
再び少女の体は黒い稲妻に包み込まれる。
彼女を貫く剣が放たれる稲妻は彼女の白い皮膚を焼き、血液を沸騰させ、骨を砕いていく。
「はははっ、中々良い悲鳴を上げるじゃないか。
貴様は剣を振るうより、今のように楽器をやっていた方がいいな」
「あがぁっ!!!ひぎゃあああああああ!!」
魔王の高笑いと共に空には少女の悲鳴が響き渡る。
幾度も、幾度も、幾度も、少女は稲妻に包まれては悲鳴を上げ続けた。
「…………」
「つまらん、もう壊れたのか」
数十、いや数百という演奏という名の拷問によって雷撃を浴び続けた少女は雷撃を受けても声を上げる事すらできなくなっていた。
稲妻は彼女の黄金の眼球を焼き尽くし、背より生える純白の翼を黒色の炭へと炭化させ、新雪を思わせる純白の肌は小削ぎ落とされ、ぼろぼろになった骨に僅かな肉がついているのみとなっている。
最早、生きている事が奇跡という状態の様の少女を嬉々として苦しめ続けていた魔王だったが、何も反応が返せない状態となると、その興味は急速に落ちていく。
「殺して贄とするか。
こいつの仲間前で喰らえば面白い事になるだろうしな。
きっと素晴らしい絶望の表情をみせるのに違いない、ふふふっ」
邪悪な笑みを浮かべる魔王。
そこには自分が敗北するなんて不安はない。
文字通り彼は最強なのだ。
世界人口の六割を喰らい、自らの力とした彼に敵う人物は誰も存在しない。
唯一、対抗できると期待された創世の女神の肉体を持ちその力を振るう少女、勇者を打ち破った今、彼を滅しうる事は不可能。
だから、この世界はもう全てが彼の玩具だ、全ては彼の気の赴くままに遊ばれ、踏みにじられ、そして壊される。
そんな光景を思い浮かべた魔王は邪悪な陶酔に浸る。
――――故に気づけなかった。
「……絶望を知るのはお前だ、魔王」
勇者の真の奥の手を。
「勇者、貴様、まだしゃべれっ!?
な、なんだこれはっ!!」
勇者の声と自らの腕を掴まれた感触に陶酔から意識を戻された魔王は初めてその顔に驚愕の表情を浮かべた。
ボロボロとなった勇者の手が掴む自らの腕。
それが燃えているのだ。
「くっ、これは何だ!!」
白い炎がゆっくりと、しかし確実に彼の腕から彼の全身へと移っていく。
その炎が魔王に痛みを与える事はない。
しかし、彼が何をしてもその炎は消える事がなく、ただひたすらに彼を燃やし続ける。
そして――滅し始めたのだ。
「な、なんだ、これは!?
なぜ、回復しない!!!」
少女が掴んだ手の指先からゆっくりと魔王の肉体は消失し始めていた。
しかも、本来ならば腕ごと切り落としたしてもすぐさまに復活させる事ができる魔王の再生能力が炎によって消滅させられた場所には効かないのだ。
「創世の炎、この身体の本来の持ち主が最後に使った魔法だよ」
全身が白い炎に包まれた魔王を見つめながら、少女は呟く。
「なんだ、それは!?
これはっ!?俺の力が!!!」
今まで彼が得てきた力、喰らってきた魂が急速に消えていく感触に魔王は焦りの表情を隠す事が出来ない。
「創世の炎は肉体から魂を開放させる。
創世の女神が彼女の愛した人と共に死を迎える為に創りだした愛の魔法。
終わりだよ、魔王。
お前が喰らった魂は全てこの魔法によって開放される、無論お前もその肉体から開放され、死ぬ」
魔王を燃やす白い炎から飛び出てくる無数の光、魂が天へと昇っていくのを感じながら少女は言った。
「リオ……ごめん。僕は君を守る事が出来なかった。
怖い思いをさせてごめん、痛い思いをさせてごめん、辛い思いをさせてごめん。
どうか、次の生では幸せになって」
そう寂しげに呟く少女。
そんな幻想的な光景の中、一人の男の罵声が響き渡る。
「認められるかぁっ!!!これが俺の死だとっ!!
この俺が、この世の誰よりも強くて、優秀で、偉い俺が死ぬなんて認めるかぁっ!!」
残った力で持って大剣に貫かれたままの少女目掛けて殺意を込めた全力の魔法を放つ。
「無駄だよ」
しかし、それは彼女に届く事はない。
少女の周囲にはいつの間にか彼の力によってこの世界から一時的に消滅させられていた四精霊の光があり、魔法陣を張って少女への攻撃を防いでいる。
その姿に憎悪を滾らせる魔王に少女は身体を向けると彼に向けて喋りかけた。
「そしてそれがお前の敗因だ」
「敗因だと!?」
「お前は自分を誰よりも強く、優秀で、偉いと思っている。
だから、周りの存在全てを見下しているのだ。
いや、周りの存在全ては自分の玩具としてしか見ていない」
「それの何が悪い!!
俺にはそれをするだけの力がある!!」
身体の半分を消滅させられた魔王はそう言って吠える。
「それがお前が僕に負けた原因なんだよ。
お前を今焼いている創世の炎は発動に大量の神力が必要で、さらに顕現するまでに非常に時間がかかる魔法だ。
もし僕を見下さなければ、自分と同等の敵であるという認識があれば、今頃僕は今お前から吐出されている中の一部になっていた」
そう勇者が言った瞬間、魔王はその端麗な貌を憎悪と屈辱に歪ませる。
彼は気づいてしまったのだ。
少女の行動の全てが演技だった事に。
追い詰められた彼女が作った剣、それは魔王の攻撃によって維持できなくって消え去ったのではなく全て創世の炎と呼ばれる魔法の発動に使われた事。
彼の剣に貫かれ、反抗した態度を取って拷問にかけられ続けたのは、顕現する為の時間を稼ぐ為。
反応しなくなったのは全ての準備が終わったからだ。
全てに気が付き、屈辱と憎悪に声すら出なくなった魔王に少女は追い打ちをかけるように言葉を続ける
「言葉が出ないという事はようやく気がついたみたいだね。
それともう一つ。
知っていたよ、お前がリオの魂を、いや世界の人々の一割の魂をまだ喰らわずにいた事を。
奥の手として、僕達を絶望させようと喰らわずに隠し持っていた事を。
魔王、お前は自分を優秀だと言ったけど、お前より優秀な人は世界には沢山いるんだ。
その人達は今までの行動からお前の心を分析して、お前が僕との戦いでしてきた事、全てを言い当てている。
その人たち曰く、非常に読み易いそうだよ、お前の性格は」
そう最後の止めを刺した少女。
そのまま彼女は魔王から意識を外し、消えていく魂へと意識を向ける。
ボロボロの手を合わせ、彼女は祈った。
――全ての魂に安寧が訪れるように。
その間にも魔王の身体は消滅していき、身体は完全に消え去り、頭だけとなる。
その頭すらももうじきにこの世から消え去るだろう。
「…………ふふ…………ふふふふっ…………はははははっ」
憎悪と屈辱に震え、罵詈雑言を祈る少女に向けて、自身を消滅させる世界に対して吐き出し続けていた筈の魔王は下を向き、唐突に嗤い出す。
「……そうだ、全ては俺の玩具だ。そう、俺の玩具なんだ。
だったら、俺が滅びるなら世界も滅びて当然だよなぁ」
そうつぶやき、顔を上げた彼の瞳は狂気に満ちていた。
「魔王、お前何を」
「さぁ、滅びろ世界!!
俺と共に!!」
そう魔王が叫んだ瞬間だった。
「っ!!」
少女の身体は空から落ちていく。
少女の身体を貫き、空へと磔にしていた大剣に込められていた力が消えた事が原因だ。
「あははは、はははははははははははは」
少女の耳には狂った魔王の高笑いが遠くなっていく。
創世の炎に発動にほぼ全ての力を費やした彼女には最早空を飛ぶなんていう力は残っていない。
ただ真っ黒な世界で彼女は魔王の高笑いを聞きながら地へと落ちていく。
そして彼女は衝撃と共にその意識を失った。
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聖都暫定統治機構議長セレスティア・アストレア殿
現在の世界情勢に対する分析
魔王対策研究機関世界情勢分析部
世界に住む生物の六割五分を殺害を行った第128代魔王ヴェルリヴァスはアストリア神権国が行った、創世の女神の再臨の儀式によって生まれた勇者エウリューシアによって消滅した。
しかし、魔王が消滅間際に行った魔法により、かつて魔王が世界を統治していた時に極秘裏に世界中に埋め込まれていたアーティファクト級呪具が一斉に発動。
全世界に散らばっていた計397の呪具の効果により、我々が住まう大地は極めて甚大な被害を受けた。
特に有数の穀倉地帯であったウルト平原の被害は甚大であり、大地にかかった呪いの解呪の目処がまったく立っていない。
魔王の暴政による人口の急激な減少と呪具によって起こった複数の都市の消滅による統治能力の低下、加えて穀倉地帯の消失、呪具の影響による物流の寸断。
これらの影響を考慮した結果として、今後三年の内に現在大陸に住む全ての種族は絶滅すると考えられる。
以上