Iboza riparia
「『和名にした』ってどういうことなんでしょうね、部長」
「文字通りの意味だろ」
スーパーを出たわたしたちは、ホームセンターに向かっていた。その道中である。
「吹雪花の学名は『Iboza riparia』という。これじゃ発音も覚束ないし、伊賀くんに伝えてもピンとこないと思ったんだろうな彼女さんは」
「どこのサイトの受け売りですか?」
「植物図鑑」
「まぁ、そうでしょうね」
部長は携帯を閉じて、わたしの先を歩き続ける。
それにしても、部長が何を考えているのか分からない。
何故、ホームセンターなのだろう。分からないが、きっとそれなりの必要性があってのことだろう。部長は基本面倒くさがり屋なので、例外はあれど、無駄に体力を使うような真似はしないはずだ。セクハラ発言をブチ込んでくるクズではあるが、要領はいい。要領のいいクズなのだ。質が悪い。
「ところで部長」
歩きながら、わたしは部長に訊ねてみる。
「もしかして、『吹雪花』の正体、部長にはもう分かってるんじゃないですか?」
「あん? どうしてだ?」
「だって」
正体も分かっていないのに、花とは一見関わりのないホームセンターなどに向かいはしないだろう。先程からちらつかせている余裕な態度も気に掛かる。
わたしがその考えを口にすると、部長はやる気のなさそうな瞳で(もともと死んだ魚のようではあるが)何もない空中を見つめる。昨日はあんなに張り切って依頼を受けていたのに、ずいぶんな落差だ。
「……まー、大体は分かってるけどさー」
「どうしたんです?」
「悔しいじゃん」
「は?」
わたしは自分の耳を疑った。――悔しい? 何が?
「だって伊賀くん、あんなに可愛い彼女がいるんだぜ? 俺にだってまだいないっていうのによー。リア充この野郎。なんでお前らの恋路を手助けしてやんなくちゃならないんだよ……って気にもなるだろ」
「完璧に僻みじゃないですか!」
「僻みじゃないもん! ちょっと羨ましくて嫉妬してるだけだもん!」
「それを僻みって言うんです!」
部長……自分の感情が最優先事項か。利己的にもほどがあるだろう……。
いや、まぁ、依頼はこなすけどね? と後付けで言う部長だが、別にイメージが回復するわけではない。一度受けた以上、依頼をこなすのは探偵として当たり前だ。
まぁ、いつものことか。わたしは気を取り直す。
「で、ホームセンターに何を買いに行くんです?」
「ん。あぁ――」
部長はしばし考え込むような表情になる。掌を上に向けて出すと、指を折ってなにやら数え始めた。
「トレーシングペーパーと――」
人差し指を折る。
「着色料と――」
中指を折る。
「……アルコール?」
薬指ではなくて、小指を折る。
そこまで指を折ったところで、掌が夢に出てきそうな不思議な形になった。その形状を維持するのだけで大変そうだが、本人は気にしていないらしい。わたしも試してみるが、全然できない。
「無駄に器用ですね……ってか、買うものに統一性がないんですけど。それにアルコールはまずいでしょう。自分に彼女がいないからって、家でやけ酒でもする気ですか? お母さん、許しませんからね」
「誰がお母さんだ誰が! それにやけ酒じゃねーよ!」
悔しいけどな、と部長は寂しそうに呟いてから、続ける。
「……あともう一つ、『ペグ』ってやつも買わなきゃいけないんだったか」
「パグ? ワンちゃん買ってどうするんですか。あっ……! まさか、自分がもてない日頃の鬱憤を、か弱い小動物に向けて晴らそうと……!?」
「『ペグ』だっつーの! そろそろ泣くぞ!?」
本当にそろそろ泣いてしまいそうなので、部長をいじめるのはそこで止めにする。
というよりも、『ペグ』? わたしは首を捻った。……工具か何かかな?
……いや、ちょっと待て。
「部長」
「なんだねワトソンくん」
「亜里紗です。……トレーシングペーパーに着色料って、まさかそれで花吹雪の代用にしようとか考えてませんよね?」
いや、無理だろ、と部長は続ける。
「一般的に花吹雪ってのは、満開の桜が散る様子を表す言葉だ。今の季節的に、桜の花びらを使うのは難しいだろ」
「まぁ、そうですけど。でも、依頼に対してあんまりじゃありません?」
「この物語はコメディです。実際の人物――」
「言わせませんよ?」