花屋
「吹雪花? まぁ、そういう花もあるにはありますけど、ウチには置いてないですねぇ……」
「そうですか。それはどうも、お手数をおかけしました」
花屋さんに入って開口一番、部長は「吹雪花」についての質問をこの上ない笑顔で美人の女性店員さんにぶつけると、期待通りとも期待外れともつかない微笑みでわたしの方へ向き直った。
「……だそうだ」
「だそうだ、じゃないですよ」
予想を裏切らない手順で聞き込みに来た割には、ロクに役立たない部長。調査の段階で役に立たないのはいつものことなので気にはしないが、このままでは埒があかないので、部長に代わってわたしが店員さんの前に出る。
「ちなみに、それはどういう花なんですか? 贈答用、ってことで話を伺っているんですけど」
店員さんはしばし考えると、軽く首を捻った。つられてわたしも首を捻る。部長に関しては首を捻ろうとして体全体が横に曲がった。新手の挨拶ともとれる不気味な挙動だ。
そんな部長の様子にドキッとしたのか、店員さんは警戒するような視線を部長に投げかけながら、わたしの投げた質問に答える。
「ぞ、贈答用には向かないと思いますよ。もともと知名度のあまり高くない、アフリカ原産の花ですし。いえ、花と言うより草ですね。どちらかと言えば、観賞用に栽培するものでしょう」
さすが詳しい。わたしは感心する。
しかし、いくら本職とは言え、原産まで知っているものだろうか? まぁ別に取り立てて考えるべき事柄ではないのだけど。
わたしは部長を振り返ると、無表情で報告した。
「……だそうです」
「だそうです、じゃねーよ」
それから店員さんに向き直ると、わたしは素直に「お詳しいんですね」と賛辞の言葉を向ける。すると、店員さんは可愛らしい微笑みを浮かべながら言い訳のように両手を体の前で振った。さぞかし異性にもてそうな素振りだった。
「この前、同じような質問をされたお客様がいましたから、個人的に調べて知っているだけですよ。本当なら、ここまで知識は持っていないです」
「同じような質問?」
「はい。なんでも、彼女さんにプレゼントされたいとのことで」
わたしははっとする。
まさか、伊賀くんか?
「……その人は、ちなみに――」
わたしは思いつく限り、伊賀くんの容姿や人柄を挙げてみせる。すると店員さんは「あぁ、確かそんな方でした! 学生さんにしては礼儀正しかったので、印象に残っています」と答えてみせる。
間違いない、伊賀くんだ。やはり、こんな怪しげな部活に頼る前に、自分でも調べていたということか。まぁ、当然と言えば当然だろう。
「その方とお知り合いなんですか? もしかして、同じ学校とか? あ、もしかして、その方の彼女さんだったりします? でしたら、彼には申し訳ないことをしましたね。内緒にしておきたい様子でしたから。……それにしても、高校生の内から彼女さんに花を贈ろうだなんて、いい趣味をお持ちで。将来、きっともてると思いますよ――」
「あ、いえ、」
興味を持ったのか、店員さんはぐいぐいとわたしに迫ってくる。
マシンガントークかくあれかし、という勢いだ。……正直なところ、若干引いた。
「もてると言えば、ぼくも結構もてるんですけどね」
無駄にキリッとした表情で口にした部長の台詞はガン無視された。
「――でもやっぱり贈答用なら、こっちの薔薇とかどうでしょう? って彼にはお勧めしたんですけどね。どうしても、彼女さんが欲しがってる『吹雪花』をプレゼントしたかったらしくて。思われてますねぇ、いいですねぇ。……でもわたしが一通りの知識で花の説明をしたら、首を傾げて頭を下げて帰られちゃいましたよ。何か勘違いされていたんでしょうか? でも愛に勝る贈り物はないですから――」
「あ、もう大丈夫です! お手数をおかけしました!」
耐えかねたわたしが感謝の言葉を述べ、別れを告げようとしているその横で、部長はその浮浪者然とした外見に似つかわしくない、礼儀正しい会釈をしているところだった。
そしてわたしたちは、ビルの中に入っているスーパーの中に更に入っている花屋から出た。ややこしい。
スーパーの通路を歩きながら、わたしは呟く。
「疲れましたね……」
「そうか? 俺は癒やされたぞ」
そりゃあ部長はそうだろう。
浮浪者でもありながら、色魔なのだこの部長は。相手が美人の店員さんだったものだから、さぞかしテンションも上がっていたことだろう。
しかも部長は何を思ったのか、それほど高校生の財布には優しくない薔薇を数本帰り際に購入すると、格好つけようと口にくわえてみせていた。だが、棘が唇に刺さったのか、店を出るとすぐに手元へ戻す。唇が若干出血していた。
「結局、花屋ですか」
奇行には気付かない振りをしながら、わたしは部長に言う。
「考え得る可能性はどんどん潰していかないとな」
その考え方に納得はできる。しかし、最初から花屋を訪れるくらいなら、伊賀くんにそう言えばよかったものを。なんで自分で訪れる? しかもわたしを巻き込んで。
だけどまぁ、予想外ではあった。花屋に来ても「吹雪花」の正体がつかめないとは思わなかったし、伊賀くんがすでに来ていたとも思わなかった。伊賀くんが「首を傾げていた」のなら、店員さんの言っていた花は「吹雪花」ではないということなのだろう。しかし、それにしては部長は驚いておらず、最初から分かってましたよ、とも言いたげな余裕綽々とした態度だった。何故に?
「普通の奴なら、俺たちに依頼する前にそれくらいは調べるだろ。怪しげな部の手を借りたいと思うのは少数派だ」
「怪しいと自覚はしてるんですね」
「一般愚民から見ればそう映るのも仕方がない」
妙に尊大なことを言ってのける部長。自分は浮浪者然とした趣をしているのにずいぶんなことだ。
しかし、それならば――
「伊賀くんの調べてる『吹雪花』って何なんでしょうね」
「花吹雪とかじゃねーの?」
「安易に過ぎます。それじゃあミステリになりません」
「この物語はコメディです。この依頼は実際の人物・団体・結社とは関係ありません」
「後半二つは一緒じゃないんですか?」
小説の但し書きのような台詞を言ってのける部長。確かにこれが小説なら、ミステリかどうかは怪しいけれど。
「ここはライフラインを活用してみようか」
「え?」
不意にそんなことを言い出した部長は、ベストのポケットから携帯電話を取り出した。そして、おもむろにメールを打ち始めた。ライフラインはメールじゃなくて電話だったと思うが、もういちいち突っ込みはしない。
「伊賀くんにですか」
「無論だ」
そして、部長が伊賀くんへ向けた文面は――
・彼女は、確かに「吹雪花」と言っていたのか?
・彼女は、他に「吹雪花」について言及してはいなかったか?
・彼女は、天然系の萌えキャラか?
・もしもそうなら、彼女の顔写真を送って下さい。
…………。
「部長」
「ん? なんだねワトソンくん」
「『後半二つ』に何か恨みでもあるんですか? 真面目にやって下さい。あと、亜里紗です」
「何を言っているんだ。俺はいつでも真面目だぜ」
部長は戯言をほざきながら、「えいっ」と無駄に可愛らしく気合いを入れてボタンを押す。
……送信しやがった。いくら人のよさそうな伊賀くんでも、これは怒るだろうなぁ……。
わたしはこれみよがしに溜息をついた。
「わたし、知りませんよ。依頼人怒らせても」
「問題ない。俺は人を見る目だけはあるんだ。伊賀くんならば怒るはずがない」
「部長は伊賀くんの何を知ってるんですか?」
「一流の探偵ともなれば、人の内面まで見抜くものなんだよ。亜里紗」
「ワ、ワトソンです……じゃなかった。急に人を本名で呼ばないでください。ってか、どさくさに紛れて呼び捨てにしないでください」
ちょっとした不意打ちのせいで、自分がワトソンであると認めそうになった。不覚である。これは部長が悪い。
「ん? 何赤くなってんの?」
「部長が依頼人に変なメール送るから、恥ずかしくなったんですよ!」
と、部長の携帯から「ユーガッタメール!」という着信音が響く。
「お、返信来た」
「早すぎません!?」
こっちがメールを送信してからものの一分も経ってない! あの質問に答える文章考えるだけでも数分はかかるんじゃないの?
「えっと、どれどれ……」
わたしたちは部長の携帯を覗き込んだ。
・確かに「吹雪花」と言っていました。
・特に気になることは言っていませんでしたが、一度「和名にした」とか言ってた記憶はあります。
・天然系の萌えキャラです。女神です。
・添付しておきました。
…………。
伊賀くん……。
「ぐっ……彼女、可愛いじゃねぇか……。好みだ畜生……」
メールに添付された画像を見てなにやら悔しそうな表情を浮かべる部長の頸部に、わたしは渾身のハイキックをお見舞いする。手応えありだ。
部長は首を押さえてその場に蹲った。
「ぐおぉ……お前、俺の首に恨みでもあんの……?」
「部長に恨みがあるんです」
わたしというものがありながら他の女の子になびくとは何事だ! と考えたわけではもちろんなく、単にふざけ倒している部長にイラッとしただけである。久しぶりの依頼なのに、真面目にこなす気はないのかこの色魔!
すると、部長は首を押さえながら立ち上がる。
「……亜里紗くん、忠告だ」
「は、はい?」
いきなりそれまでのふざけた雰囲気が消え、部長の表情にシリアスなものが漂い始める。いつもは死んでいる目の奥に鋭い光が宿っていた。一体何事かと、わたしはおっかなびっくり部長の言葉を待つ。
そして、わたしの目を真正面から見据えながら、部長は言った。
「……その身長でのハイキックは、貞操観念的によろしくない結果を招くぞ。それにしても白かよ。ここは水縞とかの方がウケが――あばっ!?」
――右の正拳上段突き。
部長は仰向けに吹き飛ぶと、そのまま大の字になってのびた。