吹雪花
舎六部。
好意ある読者においては是非とも「シャーロック部」とルビを振って欲しいが、別に重要な事柄ではないので強制はしない。
その名前から推察される通り、主な活動内容は放課後の教室でだらだらと無為なる時間を過ごすことである。たまに探偵業も兼ねて依頼を受けたりもしているが、その頻度は一ヶ月に一度ほど。もちろんかの名探偵、シャーロック・ホームズにあやかった名前なのに、逆に呪われているのかと思うくらい依頼が来ないのだから不思議だ。探偵業はもはや副業と化している。
しかも舞い込んでくる依頼の中でさらに真面目な依頼ともなると、待てど暮らせど滅多にお目にかかれる機会がない。今回の依頼人は真面目そうな雰囲気をしているので、面白半分ということはないだろうが。
一つ机を挟んで、部長の正面の椅子に依頼人。助手であるわたしはいつものように部長の隣に控える。久しぶりの依頼であるからか、部長はいつになく上機嫌だ。
「…………」
改めて依頼人を観察してみる。失礼のない程度に。
短く刈り込まれた清潔な印象の髪。その下にあるのは優男風の柔らかい顔立ちで、若干の弱々しさは感じさせられるもの、笑顔が似合いそうだった。うちの部長とは対照的にきっちり着込まれた制服からも、礼儀正しさと人柄の良さが見て取れる。街を歩けば好感を持たれこそすれ避けられはしないだろう。
一方、街の人から避けられかねないうちの部長は、無駄に目を輝かせて机の上に身を乗り出した。
「それで、どんな用件です? 事件? 事故? 浮気? 調査? なんでも請け負いますよ、俺たちー」
「後半二つ、おかしくありません? なんで浮気調査を二分割したんです?」
そもそもが高校生の請け負うような依頼ではない。
一瞬で部長では埒があかないことが判明したので、代わりにわたしが依頼人へ質問をする。「えと、わたしは一年の蓮山亜理紗です。こちらは部長の――」
「須川 在貴です。二年四組十三番、血液型はAB。好きな食べ物は、」
「部長は黙っててください。……それで、お名前は?」
一喝すると、部長は下を向いてしゅんとうなだれた。別に可愛くない。それをやって可愛いと思われるのは小学生までだ。
依頼人は少し面食らった様子だったが、わたしが「どうぞ」と手で促すと、気を取り直したように居住まいを正す。
「い、伊賀です。伊賀正。正方形の正と書いて、ただしと読みます。一年です。血液型はO。好きな食べ物はマンゴープリンで――」
「……ごめんなさい、そこまで言わなくても大丈夫です」
「あ、俺もマンゴープリン大好きなんですよ。特に雨印製のマンゴープリンはもう最高、」
「部長は黙っててください。……伊賀君、ですね。それでご用件は」
「あ、たぶん、調査のうちに入るかと思います」
「浮気の?」
馬鹿なことを口にしている部長の頸部に手刀をたたき込むと、そのまま椅子から転げ落ちて悶絶した。部長シャラップ。
そんな部長の立ち振る舞いが気になっているのか、伊賀君は態度にやや警戒を残している様子だった。まぁ……教室に入ってきたタイミングもタイミングだったので、しょうがないけれども。ともかくわたしは「詳しい内容は」と訊いておく。
ようやく本題に入れてほっとしたのだろう。それでも、話を始める前に顔面へ若干の緊張を滲ませてから、意を決したように伊賀君は口を開いた。
「……『吹雪花』っていうのが何のことか、調べて欲しいんです」
「『吹雪花』?」
聞き慣れない単語だった。
「はい。ぼくの彼女がもう少しで誕生日なんですけど、そのときに前々から見てみたいって言ってたそれをプレゼントしたいと思ってて。……でも、何なのか分からないことには買うこともできなくて困ってるんです。内緒で用意して驚かせたいんで、彼女に直接訊くわけにもいかないですし」
「あぁ、なるほど。誕生日プレゼントか」
床に転がりながら相槌を打ったのは部長だ。
「つまり、その『吹雪花』の正体を突き止めて、君に報告すればいいってことか」
「はい、そうです」
「でも、もしもその花が稀少な種類、あるいは日本国内では入手困難なものだった場合はどうすればいいんだ? 突き止めるには突き止めるが、それだと君の意にそぐわないだろう」
伊賀くんは少し考える素振りを見せ、やがて顔を上げる。
「……それは、ないと思います。彼女と以前に話をした時に、『そこまで見かけないけれど、珍しいものじゃない』って言ってましたから。あと、『高くはないはず』とも」
「暗に『欲しい』って言ってるようなもんだな……」
部長は苦笑いを漏らしながらそう呟く。確かにそこまで言われているのならば、要求とほとんど同義語になってしまうだろう。心の中で部長に同意する。
しかしようやく部活動モードに入り始めた部長の隣で、わたしの頭に一つの疑問が浮かぶ。
……『吹雪花』? 花と名のつくものならば、こんな得体の知れない活動しているかどうかも怪しいわたしたちに相談しに来るよりは、花屋にでも訊いた方が早いのではないだろうか。専門職ならば、まず知っているだろうし。つまり、
「それはとりあえず……むぐっ!?」
思ったことを口に出そうとした瞬間、部長の大きな手がわたしの口元を覆った。
むー!? 何をする! 手を引きはがそうとじたばた抵抗してみるが、がっちりホールドされていて剥がれないし、依頼人の目の前であまり騒がしくするわけにもいかないので、不本意ながら沈黙する。
部長はしれっと続ける。
「了解したぜ伊賀君。とりあえず連絡先を教えてもらってもいいか? 進捗を報告したり、後からまた訊きたいことが出てきたりしたときに必要だから。メアドだけで十分だ」
「あ、はい。それは準備してきてあります」
伊賀君は制服のポケットから一枚の紙を取り出すと、部長にそれを差し出した。見ると、流麗な筆致で名前、電話番号とメールアドレスが書かれている。準備のいいことだ。感心する。
受け取ると、部長はやけに自信に満ちた様子で「どん」と自分の胸を叩いた。
「俺たちに任せな。その依頼の品の正体、近いうちに突き止めてみせるぜ」
おお、なんと心強い言葉。それが部長の口から発せられたものでさえなければ、こんなに疑わしく聞こえることもなかっただろうに。
しかし、その言葉に安堵してしまったらしき伊賀君は「お願いします」と一礼して席を立つと、もう一度一礼して教室から去って行ってしまった。純朴な人柄らしい。その礼儀正しさ、準備の良さ、人柄、ちょっとした違和感すら覚えるほどに依頼人としてパーフェクト。世の中がこんな依頼人ばかりだったならば、わたしたちの探偵業もスムーズに遂行できるに違いない。わたしは心の中で素直な賛辞を送る。
っていうか、おいコラ。
「――いつまで乙女の口元を覆ってるんですか!」
「ぐほぁっ!?」
今の今までわたしの口に蓋をしていた手を払いのけると、部長の顔面に肘鉄を喰らわせる。うまいこと鼻に直撃したようだ。
部長は鼻を押さえつつ文句を言う。
「だってさー……お前、『とりあえず花屋にでも行って訊けよ、馬鹿野郎』とか言いそうだったからさ、つい」
鼻血を懸念してかティッシュを丸めて詰めようと試みながら、部長は聞き捨てのならない台詞を吐く。
「確かに似たようなことは言おうとしましたが、わたしはそこまで口悪くないです!」
「いやいや、そういう問題じゃないんだよ。口が良かろうが悪かろうが、そんなこと言って依頼がパーになったらどうするつもりだったんだ」
「依頼人の問題が解決するんだから、いいじゃないですか」
すると部長は「いいわけないだろ!」と興奮した様子で反論する。その拍子にせっかく鼻に詰め終わったティッシュが吹き飛び、わたしは「ひっ」と思わず飛び退いた。
「俺は謎解きがしたいんだよ! そのためには依頼が必要なんだ、依頼人の都合なんざ知るか! 俺が満足できればそれでいい!」
「利己的ですね。……まぁいいです」
うら若き乙女の口元を何の躊躇もなく覆うような、デリカシー成分皆無な部長ではあるが、助手としては、真面目に依頼をこなすつもりならば特に問題はない。
そもそもデリカシーどころかマナーもないだろうけれど、ここでそれを言っても詮無き話だ。この年になって性格を矯正するのはいよいよ難しいだろうし、その辺りを改善すれば部長の存在そのものが消えてしまいかねない。部長の半分は非常識でできています。
「さて」
椅子から立ち上がったわたしは、気合いを入れるためにも一つ大きな背伸びをしてみせる。「おーおー、気合い充分だな」と部長も頭を掻きながら立ち上がった。
……いや、一番気合いを入れるべきはあなたですけど。
ともあれ、舎六部の探偵業、久し振りのスタートだった。