3:遭遇
「とゆーわけで、お世話になります」
一度家賃を払いに行って、キャリーバッグ一つ分だけの荷物を持って戻ってきたミスミは、玄関前でそう頭を下げてみせた。
「バイトでも良いので働くのが約束ですからね」
「ああ、大丈夫。もう近くのコンビニが決まってるから、来月からだけどね」
「それなら、二、三ヶ月くらいですかね」
「それはそう、君次第」
「まあ、中へ」
にやり、と笑って指差すミスミへ、道を開けて中へ促す。彼女は改めてお辞儀をしてみせてから「お邪魔します」と言った。
時刻は正午を少し回った頃。ひとまず布団一式をリビングに移動した為、ミスミの部屋はこれまでの遊佐の寝室になっている。それを説明して荷物を置くと、遊佐はリビングで、彼女にお茶を出してソファに腰掛けた。
ミスミはその隣に座る。二人がけではあるが、少し小さめのデザインの為、二人座れば腕は触れ足は触れの密着状態になってしまう。
否応なしに緊張しドギマギを隠せない純情少年は、無意識に張り詰めたような胸元やすらりと伸びる指先、しなやかな脚線美の誘惑に負けて揺れる視線を、垂れ流されるニュース番組に固定させる。
「おじさんが言ってたんだけど、まだ能力わかんないんだって?」
「ええ、まあ……」
コーヒーカップに注がれているのは、緑茶だ。湯気から香る渋い風味に部屋が満たされていく。
「確か弱の操作、だよね。あたしは知っての通り中の操作。能力は触れたものをイメージ通りに動かす『間接的念動力』」
だから、と彼女は言いながらカップを手に取る。途端に、その中に注がれている湯だつ緑茶は、渦を巻くように動き出した。そうして徐々に柱を作り出し、水がカップの中からそそり立った。
「触れているものに間接的に接触していれば、それも操作が出来るのよ。かなり便利よ、これ」
彼女はカップを置いて、今度はソファの肘置きを掴む。途端に、テレビがぷつん、と暗転した。電源が切れたのだ。
「接触が続いている限り、操作が可能ってわけ」
また、テレビがついた。
彼女は得意気に鼻を鳴らして、嬉しそうな顔で遊佐を見る。
彼はただ唖然として、それらを見ていた。
本当に、自分にこんな力があるのか――と思う。操作、というジャンルにおいてさらに細分化したものが個人の能力として与えられているようだが、しかし。
「能力自体は、念じるだけで使えるのよ。そして使えることが当然と思えるようになってくれば、さらに能力は強くなる。幅も広がる。経験を積めば、もっと大きな力が使えるようになる。あたしも最初の頃は、壁に触れてスイッチを押すのが精々だったけど」
「念じる……」
「まずはいわゆるサイコキネシスかどうか。触れずにものを動かすことね。いくら傾向が弱でも、確かに力はあるはずだから」
彼女は遊佐の腕を掴み、テーブルに触れさせる。そうして告げた。
「テレビのチャンネルを回してみて」
「は、はい」
遊佐はイメージした。勝手にテレビが画面を移し変わる姿を想像した。思いのままに何かが動く……その強いイメージ。自分がしている。自分しかできない。この力の根源は、何よりも意思や確信的な心が関係しているのだと。
「……何も起こらないね」
「で、ですね」
ニュースキャスターの声は変わらず、テーブルの上のカップやリモコンは微動だにしない。
「操作、と言っても動かすタイプじゃないのかな……なら、そうだねぇ」
彼女は腕を組んで背もたれに身体を預ける。足を組んで、今朝と同じようにつま先を揺らした。
「遠隔操作……改ざん……、いや、アレかな」
ミスミはポケットからライターを取り出し、渡す。遊佐は受け取った使い捨てライターを眺めて、改めて隣の女を見た。
「これは?」
「増減させる力かもしれないね。改ざんはよくわからないし、わかりそうなことからやってみよう。火、付けてみて」
「は、はい」
遊佐はできるだけ腕を伸ばして、点火装置に親指をかける。ぼうっと燃えろ、と強く祈りながら、ヤスリ状の点火装置を回す。火花が散り、点火され――ぼう、と音を立てて火柱が立った。
「うわ!」
人の顔ほどの長さに至る強烈な炎が、ライターから噴出する。遊佐は驚いて即座に手を離して、ゆっくりと何も燃えていないのを確認しながらライターをテーブルに置く。
ミスミは得意げな顔をする。笑みを浮かべたまま、次の指示を口にした。
「カップのお茶を増やしてみて。今度は、少しだけ」
「りょ、了解」
息を吐いて極めて静かに頷く。カップを手に取り、念じる。すると、今度は緑茶がふちまでせり上がってきた。零れないように一口含み、またテーブルに戻す。
熱いお茶が喉元を過ぎて、彼は言った。
「飲み放題ですね」
「すごいお得だね」
「……こ、これだけですか」
「ま、あ……使いようによっては、ね? ほら、名前考えようよ。能力が『増幅』だから、そのうち削減もできるようになるだろうし」
「そこ重要なんですか?」
「うん、まあこれは少しね。イメージを固定することになるから、成長の道筋を決めるし、そうなれば成長も早いよ? そうなると、他の可能性とか力があったら気づかないままで終わっちゃうかもしれないけど」
それでも最低限、何らかの条件で火や液体を『増幅』させることは出来るようだ、ということは判明した。なんとも言えない能力だったが、判明しただけでも儲けものだと遊佐は思う。
少なくとも、戦闘状況に陥った場合これで作戦を立てることが出来る。もっとも、個人でその状況に踏み込んでしまう最悪の場合はなるべく避けなければならないのだが。
「取り敢えず君は、それを日常的に扱うように。あたしが出来ることはアドバイスしかないから、わかんないことがあったら何でも訊いてね。何かある?」
「ああ……と、話は変わるんですが」
「うん?」
「食事、買い出し、洗濯、掃除はどうしましょう」
「食事は当番にしようか。時間は君に合わせるよ。買い出しも、当番の人が。洗濯、掃除は食事当番じゃ無い人がやる……って感じで、どうかな」
「了解です。洗濯ですが、デリケートなものはご自分で洗濯しますか?」
「あー、下着とか? チビくんが気にしなければ、あたしも気にしないけど……」
「気にします。お願いします」
遊佐がそう言うと、彼女はにやにやと彼を見た。
話は終わった、とばかりに遊佐は席を立つ。
「色々と試してみます。何かあれば伝えるので、自由に過ごしててください」
「あー、チビくん」
「はい?」
ようようと立ち上がる彼女は、気がつけば床に額をこすりつけていた。
ぎょっとして、思わず立ち尽くす遊佐に、彼女は懇願した。
「お小遣ください!」
◆ ◇ ◆ ◇
「どこかに出かけるの?」
昼食を済ませてから玄関に向かうと、ミスミはその後をついてきた。
「買い出しついでにブラブラと行こうかと」
「一人で出かけるのは危ないよ。あたしも行くからね」
「ええ、なら助かります。すみません、色々と」
「気にしないで、プライスレスだよ。相互作用?」
「扶助じゃないでしょうか」
「そう、互助」
「じゃ、行きましょうか」
「そだね」
靴を履き、あるいはブーツを履いて外に出る。
財布は持った、スマホも持った、鍵も持った。手で触って確認してから、部屋の鍵をしめる。
「夕飯は何にするの?」
「一応、ロールキャベツにしようかと」
「ろ、ロールキャベツ作れるの?」
「料理は嫌いじゃないので、色々と試してたんですよ。まあ――」
ピコン、と音がなる。少しだけ眉をひそめ、ミスミはスマホを確認した。
『半径五キロ以内に、”あしあと”を残した方がいます』
「だ、誰……ですか」
彼女はゆっくりと画面から目を離して、遊佐を見る。困ったような顔で、言った。
「タルって人、知ってる?」
眉間にシワを寄せ、遊佐は首を振った。
「傾向『中』の『燃焼』。ポイントが……三八だって」
「ば、化物じゃないスか!」
「や、ヤバ、どうしよ……」
「このあしあとの設定って、最長で何キロなんでしたっけ」
「五キロ……だから、最悪もうこっちも気づかれてるかも」
取り敢えず、と遊佐はスマホから二人に連絡をする。SnSとは別のチャット式のメールアプリで、一気に二人に助けを呼ぶ。
「ひとまず動きましょう。時間を稼いで、鷹上との合流を最優先に」
「そうね……といっても、相手の居る方向がわかんないから慎重に行動しないと」
二人はそそくさとエレベーターに乗り込む。密室で少しだけ安堵しながら、彼女はタルに関する詳細を口にした。
慎重は低く小柄な体格、とある。少女であり、年齢は十六。
プロフィールに写真は無いが、自己紹介文はどこにでもいるような少女らしい口調でのものだそうだ。
「にしても、燃焼か……普通に考えれば、発火とか、そこら辺ですよね」
エレベーターがロビーに到着する。
警戒しながら外に出る。途端に、吹きすさぶ寒風が全身をなぶった。肌が凍りつきそうな冷気に、思わず身を震わせる。
マンションの前の通りに人気は少なく、街路樹は葉を失って寒々しい。
二車線道路に車通りは無いに等しく、平日ゆえの活気の無さは日常通りといった所だった。
「駅前に行けば人は居ますよね」
「紛れればやり過ごすことも出来る……けど、人を巻き込む可能性も大きくなる」
「学校の方は今の時期だから人は居ませんね」
「タカくんとの合流を考えると、少し微妙な所だね」
参ったな、と遊佐は思う。どちらに転んでもメリットデメリットはついてまわる。ここで立ち止まる時間すら惜しい、のだが――。
『半径五○○メートル以内に”あしあと”を残した方が居ます』
スマホを確認した途端に、そのポップアップが表示された。
「なっ、はや……」
呟く間に、駅の方向――右側から、エンジンの駆動音が響く。タイヤが地面を鳴らす地響きにも似た音が、凄まじい勢いで迫ってきていた。
「チビくん!」
ミスミは慌てて遊佐の手を引くと、すぐさまマンションの中に身を飛び込ませた。
手動ドアだったことが功を奏した、と彼女は思う。疾風のような速度でマンション前を横切った二輪の影は、彼女らがその中に飛び込んで五秒ほど後のことだったからだ。
「な、なんつー……正確無比、ですね。ポイントがあれば、相手の場所も教えてくれるんでしょうか」
「い、良いから! 対抗策、考えなきゃ……」
「ミスミさん、落ち着きましょう。俺の命は俺が責任を取ります。ミスミさんは今の戦いに集中して、俺の保護じゃなくて、逃げるか戦うか、それらを共にする事を考えましょう」
「え……ああ。そうね、君が、そう言うなら」
「ありがとうございます」
かといって、ゆっくり出来るわけでもない。
もしタルがこの先で鷹上と接触してしまえば、今度はそちらに対象が移ってしまうだろう。相手が未知である限り、参戦して最低限の助力となりたいところだが……。
「さっきの、ビッグスクーターですよね」
「え? いや、見てなかったけど……だったら、なんなの?」
「いや、カッコイイなって」
「……君は肝が据わってるのか、緊張感が無いのかわからないねっ」
彼女は呆れたような顔で少年を見る。落ち着き払った指示に感心したが、それもどこか他人ごとだったからかもしれない。
「そうですか? そもそもこういった戦い自体に、現実感がなさすぎて」
「いいから、行こう」
「あ、はい」
彼は自分の命は自分で責任をとるといった。守る必要がない、とまでは言わないが、少なくとも危機管理やある程度の行動はとれる自信があるのだろう。
ともかく様子を見て、少年主体で作戦を立てなければならないし……まだ、遊佐充弘という男がわからない。戦闘も自分が先行して、動かなければ。
二人はゆっくりと辺りを確認しながら外にでる。出た瞬間に、動きを止めた。
歩道にビッグスクーターを停めた少女の姿が、五メートルもない距離で彼らを待ち構えていた。