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2:同棲

 吹きすさぶ隙間風の中、寒さに身を震わせ、女は手を震わせていた。

 狭い四畳半の畳の上に並べられた野口英世の紙幣が、風に揺れている。

「一枚、二枚、三枚」

 その数はゆっくりと増えていく。女の手の震えは、一概に寒さだけとは言い切れない。

「五枚、六枚、七枚」

 一枚一枚のかすかな重さが、長財布から失われていく。

「八枚、九枚……うわああ」

 喉の奥から、悲鳴に似た声が掠れて漏れる。

 こんなことありえない。あり得てたまるものか。

 されどこれも現実。受け入れなければならない、だが――。

「お札が一枚、足りない……」

 ピコン、とその財政に見合わぬ音が部屋の中に響いた。電気すら止められてしまった部屋の中で、画面が煌々と明るく光った。

『半径五キロ以内に”あしあと”を残した方が居ます』

 腰ほどまで伸びた髪を掻き揚げ、額の辺りで二つに分ける。短く息を吐いて、彼女はゆっくりと立ち上がった。

「働くかー」

 すらりと伸びた手足は細くしなやかで、モデルさながらの長身は一つのコンプレックスでもあった。

 しかしそのシルエットを歪にするのは、薄いシャツとジーンズを膨らませる肉々しい存在が目立つ。

「ま、相手次第だけど……」

 ふん、と鼻を鳴らす。唯一持ち合わせているミンクのコートとひざ下のブーツを見につけ、彼女は軋む音を立てる玄関を開けた。

「ケツの毛までムシリとってやろうかね」

 その言葉は意気揚々と楽しげに弾んでいた。


     ◆     ◇     ◆     ◇


「うわぁ~ん、ユサえもぉん!」

 睡眠から意識を引き上げるのは、外から聞こえる絶叫じみた呼び声と、やかましいくらいの呼び鈴の大反響だった。

 遊佐が飛び起きたのは怒りより驚愕よりも、近隣住人への迷惑がかかってしまう、と言う心配が勝ったが為だった。

 ここは十二階建てのマンションの六階、角部屋。駅から徒歩十五分で、1LDKの学生にしては充分な部屋だ。自分以外に家族が居ないからこそ、近所づきあいは自分が特に注意しなければならない。

 寝室から玄関まで一秒を切るかの勢いで迫り、神速でチェーンを外して解錠すると、玄関を開けてそのまま蹴り飛ばす。

「ぐえっ」

 ゴン! といつぞやのような鈍い音の先に、涙目の金髪の姿を発見した。

「ふざけんな死ね殺すぞ騒音野郎!」

「ふえぇ、ここにも鬼が居たぁ」

「はぁ?」

 ピコン、と部屋の奥でスマホが音を鳴らした。頭の中で例のポップアップを連想する。

「お前今半径何キロにしてんの!?」

 額を抑えながら、鷹上は遊佐を押し飛ばして部屋の中へ押し入ってくる。そのまま後ろ手で玄関を閉じ、チェーンまでしっかりとかける。

「あ? 五○○メートルだけど」

「狭えよバッカお前マジでなんなの? 危機管理能力死んでるの?」

「お前がなんだよ」

 遊佐は呆れたように呟きながら、ボサボサの頭を掻いて背を向ける。眠気が誘うあくびに身を委ねようとした瞬間、背後にしたドアは殴りつけられたような衝撃音を響かせる。

 息が止まり、心臓すら拍動を諦めかけた。緊張とストレスで、胃が悲鳴を上げる。

「うわもう来たよ……」

「な、なに、誰? なにが?」

 遊佐は狼狽しながら、玄関から距離をとる。

 その背に、鷹上は小さくなって隠れ込んだ。

「お、鬼さんだよぉ~、夕べから逃げてたんだよぉ」

「詳しく!」

 上下スウェット姿の遊佐に対して、鷹上は黒のレザージャケットにジーンズ、動く度に揺れるウェレットチェーンを付けた格好だ。早朝五時の服装でないのは、言葉に真実味を持たせていた。

「夕べね、三時くらいにね、歩いてたらね、突然襲ってきたの。女の人だからさ、しかもスタイルいいし、エロいし。油断してたらね、マジ殺しに来たの。金出せって、気持よくイカせてやるからって。でもこの場合のイクって完全に往生しちゃう感じじゃないですかぁ」

 ドンドンドン! とドアが力強く叩かれる。それと同時に、呼び鈴が相手の激高を表すような勢いで連打されていた。

 もはや近所迷惑どころの話ではない。これは警察沙汰だ。

「何これゲーム始まってんの?」

「お前もログイン継続してるから同じだよ」

「んん?」

「だってお前のスマホ鳴ってたじゃん」

「は、はは……」

 渇いた笑いが出た。それ以外のなにも、口から出ることはなかった。

 昨日の今日でこんな血の気の多い敵を相手にすることになるなんて。自分の能力すら、未だよくわからないというのに。

 そもそも――だ。勝手に能力を与えて、戦わせておいて、プレイヤーの能力の分類までは公開するのに詳細までを説明しないというのはどういうことか、と思う。

 何を目的としてこのようなことをしているのか。明らかにこういった戦闘行為は運営側が管理しているのだから、偶然ではないとして、では何かの実験か、あるいはこれすらも娯楽として配信しているのか――。

「現実逃避すんな! 逃げんぞ!」

 首根っこを掴まれるのと、音が止み、鍵が開く音に変わるのはほぼ同時だった。

 玄関ドアが勢い良く開け放たれる。が、チェーンが勢い良く伸びて開扉を拒む。しかしそれまでと違う大きな音は、二人は反射的に動きを止めざるを得なかった。

「金金金金金金金金出せよォ……金だよ金ェ、千円でいいんだよォ、シンじゃうぞコラァ……」

 女とは思えぬ低い『金』の連呼。その脅し言葉に、二人の神経は凄まじい勢いで削られていく。

「な、なんで千円……」

 思わず発した疑問に、意外にも女は答えてくれた。

「払えないんだよ、食べられないんだよ、金だよ金、金さえアレばなんでも出来るだろ? なあおいチビくんたちよ、こんな良い部屋に住んでんだから諭吉くらい出せんだろ? 取り敢えず部屋に入れろよ。まあ」

 彼女はゆっくりと玄関を閉める。その直後に、チェーンはゆっくりと浮いて、外れた。

 そしてまた、ドアがゆっくりと開く。

 今度は女が、全身を覗かせた。

「ふふふ、チビが、一人暮らしなんぞしてんじゃねえぞ?」

 上ずるような声は、妙に色っぽく響く。

 遊佐は必死に現状から逃れることを考える。玄関が破壊されなかったのは良いが、部屋を荒らされるのは勘弁して貰いたい。どうやって外へ誘うか。どうやれば相手はそれに応じるか。女は、どうあってもいち早く金を奪うつもりだろうし、いっその事金を渡すべきだろうか。

 その一方で、鷹上は既に諦めていた。

 性格には、白目を向いて床に倒れ伏していた。

「こいつを渡すんで勘弁してもらっていいですか」

「要らないから。一万出せやコラ。一ポイント譲渡してもいい」

「ちょ、ちょっと待っててくださいね」

 言いながら屈みこんで、鷹上の尻ポケットから財布を抜く。開いてみると、そこに紙幣の影はなかった。

 小銭を漁るが、辛うじて五百円あるかどうかの所持金だ。

 一度目を閉じて、見なかったことにする。そのまま寝室へ向かい、自分の財布を手にする。使い込まれた折りたたみ財布の中は、数えるまでもなく二千円しかない。

「……二千円じゃダメですか」

 玄関口まで戻ると、そこに姿はない。薄暗いリビングではテレビが賑やかに朝のニュースを垂れ流している。いつのまにかエアコンまでついており、彼女はキッチンで冷蔵庫を漁っていた。

 適当な食材をシンク台に置いて、ガスの元栓を開け――料理が始まる。

「自由すぎるだろ」

 遊佐は嘆息混じりにそう呟く。彼はとりあえず一息つくことにして、初めに洗顔と着替えをしようと考えた。


 ついでにシャワーを済ませると、リビングからはカレーの香りが漂ってきていた。

 テレビを挟んであるソファに腰をおろした彼女は、足を組んでカレーを食べている。膝ほどの高さのローテーブルには、カレーが盛ってある皿が二つ並んでいた。

 鷹上は未だぶっ倒れていて、リビングに戻った遊佐はただ呆然としていた。

「何してんの? 料理出来ないと思った?」

 彼女はコートを脱いだラフな格好だった。素足のまま、爪先は適当なリズムで揺れている。

「いや、まあ何でも出来そうな方だとは思いましたが……」

 ひとまずテーブルにありったけの二千円を置いて、三指で頭を下げる。

「これで勘弁してください!」

「ん? ああ、いいよ別に。ご飯も貰ってるしね。てか一人暮らしの割にはちゃんと料理するんだねー、お姉さん結構感心したよ」

 凛然とした切れ長の目に、通った鼻筋。潤う唇は油のせいか、それでも形は整い色っぽく見える。

 彼女はあっという間に皿を空にすると、立ち上がる。

「シャワー借りていい? ウチ水道以外全部止まっててさー、もう大分お風呂とか入ってないんだよね」

「あ、ええ……別に大丈夫ですけど」

「んじゃ借りるねー」

 彼女はそそくさとバスルームへ姿を消す。

 遊佐はわけもわからぬまま、先程まで彼女が座っていたソファに座り込む。

 上肢を折り曲げるようにして、頭を抱える。現状を理解しきれない自分が情けないのか、またこの現状が不可解すぎるのかわからない。

 とりあえず朝食代わりにカレーを食べようと思う。多分、まだ頭が覚めていないのだ。

 皿を取り、少ないご飯と一緒にカレーを一口。含んだ途端に、鼻から抜ける強いにんにくの香り。濃い味付けに、舌を焼くような辛味。豪快なカレーだ、と思いながらも、自分が作るカレーよりもずっと美味いのを感じていた。

「無駄に旨い……なんなんだ、あの人は」

 カレーをテーブルに置いて食べながら、スマホをイジる。

 プロフィールには『ミスミさん』 とあった。

 身長は一七二センチ。体重は六三キロ。体格は中肉中背。

 異能傾向は『中』の『操作』。獲得ポイントは『三』。

 今日は二月五日で平日のまっただ中だ。その早朝にこの余裕を振りまく彼女は、まさか無職なのか。

 そうこう考えている間に、ミスミはシャワーからあがったようだった。時間にして、十分も経っていない。

 彼女はキャミソールにジーンズというさらにラフな格好で、長い髪を拭きながらテーブルの横に腰掛ける。あぐらをかいて、呆けたような力のない目つきでテレビを眺めている。

「ふい~。久々に人間的な生活が出来たよ」

 そうしてから、彼女はそう大きく息を吐いた。後ろにのけぞり、ゆっくりと仰向けに倒れる。

「やっぱり空腹ってヤバイね、人格変わるね」

「変わるってレベルじゃないでしょ」

「はは、まあ口が悪いのは育ちの問題だからねえ……ともかく、ごちそーさんでした! 君が良い子で良かったよ」

「もうマジで怖いんスけど……ちなみに、何に金が必要なんです?」

「ああ、家賃がね。さすがに今回凌いでも次が無いだろうし、荷物も無いから払い次第引き払う約束なのよ。それが延びに延びて明日が期限。もう次が無いからって何回も言われててね」

「何に金使うんスか、そんなになるまで」

「まあ……コレとか、コレとか、コレとか……?」

 ハンドルを回す仕草、人差し指と中指の二指で何かを吸う仕草、何かを飲む仕草、それらを一通りしてみて、彼女は照れたように笑った。

「お幾つなんです?」

「えっと、二三になったばかりだね」

「うわあ」

 ダメ人間だ、と漏れそうな言葉を飲み込んだ。

「ちなみに先月お仕事をクビになりまして。それまでは商社の受付やってたんだけどね、しつこく誘ってくる取引先のビジネスマンにマジギレしちゃって」

「それはお疲れ様でした」

 遊佐は軽く頭を下げる。彼女も「いえいえ」と笑いながら手を振って答えた。

「ちなみに君は一人暮らしみたいだけど、お金はどこから出てるの? 仕送り?」

「高一の頃からほとんど毎日バイト入れてて、今は貯金で。まあ足りなそうだったら、今は暇なんでたまに日雇いとかで増やしてますけど」

「へえ……いやあ、偉いんだねえ。ホントにマジで、感心しちゃったよ」

「あ、ありがとうございます」

 また、遊佐が頭を下げる。

 顔を上げた先で、彼女の奥で倒れていた鷹上が身体を起こしている姿を見た。

 よくわからないといった顔つきで辺りを見渡した後、ミスミを見て、全ての記憶を取り戻す。彼は一瞬にして身体を硬直させ、危険の意識からか即座に遊佐のもとへ駆け寄ってくる。

「な、なんでくつろいでんの!?」

「いやあ、この度はご迷惑をお掛け致しまして……」

 鷹上の言葉に、二人は顔を見合わせる。ミスミはゆっくりとした動作で三指を付き、それを視界の端に収めながら、遊佐は簡単な説明をした。

 その後でも、鷹上の表情は冴えない。

 彼は声を潜め、遊佐の耳元で囁いた。

「ハニートラップなんじゃねえのか? ほれアレ見ろよ、あり得ねえだろ。雑誌とかテレビに出てるモデルよりも美人だし、スタイルもいいし、わざとらしいくらいの油断してる感じだし」

「だとしても、俺に為す術はないんだが」

「まあ、そうだけどさ……」

「もしミスミが信用出来るなら、信頼できる仲間になってもらえるかもしれないしな。お前がビビるくらいだから、頼もしいだろ」

「……なんか、お前ポジティブだな」

「まあ――」

 唐突な呼び鈴が、遊佐の言葉を止めた。

 反射的に訪問者が隣人なのではないか、と背筋を凍らせる。隣人はラグビー部の大学生で、あまり温厚で無いのを記憶している。

 立ち上がると、彼が玄関に向かうより早くドアが開いた。

「おーい、ミッチー……取り敢えず、メシ食わせてくれ……ん?」

 早速靴を脱いで部屋に上がり込んできたアメスは、よれよれのスーツ姿のまま、部屋の中を見て呆然と立ち尽くした。

「……なんだよ、朝までお盛んだったってわけ?」

「いや違うから。まあ、いろいろあってさ……」

 遊佐は疲れた顔で、鷹上が訪問した時の事から掻い摘んで説明した。

 アメスは面倒な事に巻き込まれた、というような顔で頬を掻いた。

「つまりなんだ、同盟か?」

 テーブルに乗った最後のカレーを掻っ攫い食べながら、人心地ついたのか、思いついたのか、アメスはそう口を開いた。

 その頃になると鷹上はぼーっとテレビを眺めながらうとうとと船を漕いでおり、遊佐も緊張が解けて少し睡魔に誘われていた。

「なに、同盟って」

 だから反応したのは、アメスに対して幾らかの緊張をもつミスミだった。

「最近なあ、初心者狩りってヤツの動きが活発なんだよ。まだ個人しか見ていないが、組織である可能性も否めない。だからおれらはそれに対抗するために集まってる。おれが危なかったら手伝ってもらうし、逆にあんたが危険ならおれらが駆け付ける。利害、損得勘定はそれだけだ」

「へえ、この子らも?」

「ああ。昨日知り合ったばかりだが」

「なんか楽しそうだね。いいよ、力貸したげる。あたしは三角みすみ 遥華はるか、よろしく」

 ミスミが手を差し出す。アメスはそれに答えながら、ゆっくりとした様子で名乗った。

「おれは矢原やはら 征一郎せいいちろう、どこにでもいる平凡な会社員二六歳だ。あいつは……」

 そうして、遊佐、鷹上を説明する。彼女は「ふんふん」と頷きながら二人を眺めた。彼らはすっかり夢の世界に旅立っているようで、彼女らの会話は耳に届いていないようだった。

「ひとまず同盟はこれで良いとして……あんた、どうするつもりだ? 家無いんだろう?」

「あー、まあ、なんとかやろうかと」

「ならミッチーの所に居てやってくれないか。こいつはまだ昨日このゲームに参入したばかりで、能力すら自覚していない。鷹上とは違って倫理観のしっかりとしたヤツだから、安心だと思うんだが……」

「あたしは別にいいけどね、ウブな所が可愛くて楽しいし。結構冷静だし。まあ本人に確認してみて、なんだけど……」

 彼女は大きくあくびをする。何日ぶりかの食事と、何週間ぶりかのまともな入浴を済ませたお陰ですっかり眠くなってしまっていた。

 アメス、もといヤハラは苦笑するように彼女を見て、「じゃあ」と軽く手を上げた。

「少し早いが、おれは仕事に行く。鍵、かけておいてくれ。何かあれば連絡をくれ、すぐに向かう。おれからのお願いはこれだけだ」

「ああ……ん、了解。よろしくお願いします」

「おう」

 彼はそそくさと靴を履くと、すぐさま部屋を後にした。

 ミスミは気だるげな動きで施錠を済ませてから、リビングを見渡す。ソファは占領されているし、床はフローリングだから身体が痛そうだ。エアコンのお陰で寒くはないが……。

「お布団借りまーす」

 確認というよりは宣言となる小さな声で、彼女は遊佐の寝室へ向かう。

 柔らかく暖かそうなベッドに倒れこむのと、意識が睡魔に飲み込まれるのはほぼ同時だった。

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