深海からの来訪者
海から続いている洞窟を発見したこのはだったが、一人で中に入る気は起きず、諦めて元いた海岸側まで戻ってきていた。
時間があれば後で皆を連れてくるのもいいだろう、探検はその時すればいい。
そう考えながら、海を潜って泳いでいく。
(う~んっ、やっぱり海の中って綺麗~!)
目の前を横切っていく魚の群れ。
神秘的な海底の模様。
時折姿を変える海に差し込んだ陽光。
全てがこのはには珍しく、そして興味をそそられずにはいられない。
(しっかり目に焼き付けとこ~っ)
そんな彼女が注意散漫になるのは仕方のないことで。
背後に黒く巨大な影が迫っていることなど、知りもしないことなのだった……
蛭賀くんは別荘にトイレに行ってしまったので、僕は砂浜に腰掛けて一人海を眺めていた。
時々通り過ぎる風が火照った身体に気持ちよく、僕は自然と目を細める。
そこに、ぽすぽすと砂を踏む二つの足音が近付いて来た。
「優介~、ここにおったのか」
「無事だった? 変なことされてない?」
エリーゼと紗織のようだ。
心配かけちゃったのは申し訳ないな。
「へーきへーき。あのぐらいならやっつけられるよ」
「見かけはひ弱そうなのに、意外とやるのだな……やはり血の力かの」
血、多分吸血姫の血のことを言っているんだろう。
僕はかつて死にかけたとき、吸血姫の血から精製された薬を飲んだ。
そのせいでエリーゼの血を飲んだら覚醒してしまうようになっちゃったのだけど。
でも、単純に今は女の子だから蛭賀くんも手加減しているだけなんじゃないかな。
「ただ僕が強いだけだよ。えっへん!」
ちょっと調子に乗って力こぶなんて作ってみたりする。
「出来てないよ、ゆう兄」
即否定されました、悲しい。
*other view -このは-
しばらく泳いでいくと、ようやく元の海岸が見えてきた。
すぐ近くに浮かんでいるのは、この旅行に招待してくれたゲルダさんとユリアちゃんだろう。
二人そろってぷかぷかと浮き輪でのんきに海水浴を楽しんでいるようだ。
私は二人に声をかけて手を振った。
「ゲルダさーん、ユリアちゃーんっ!」
私の声に気づいた二人が、私に手を振り返してくれる。
私は二人の元まで泳いでいった。
「このはさん、随分と大冒険だったようですね~」
「はぐれたら探すの面倒なんだから、あんまり遠くに行かないようにね」
「あはは……結構厳しいですね」
私は苦笑してしまった。
もう高校生だというのに、親に怒られる子供みたいだと思ってしまったからだ。
まあ心配してくれるというだけでもありがたい、のかな?
ふと二人の手元を見やると、何かを持っているようだった。
「あれ、二人ともラムネ飲んでる。いいな~、私も飲みたいかも」
「下僕に持って来させようか? あれ、あの男はどこに……」
下僕? ど、どっちのことを言ってるんだろう。
太一だったら別に構わないけど、優介だったらちょっと嫌かも。
なんか、所有されちゃったみたいで、というか一人の人間として。
「私のを半分あげましょうか?」
ゲルダさんが私に飲みかけのボトルを差し出す。
「え、いいんですか? ありがとうございますっ」
「ふふ、どうぞ。半分しかありませんが」
「いえいえ、嬉しいですっ。頂きますっ」
私はラムネのボトルを受け取って、それに口を付けようとした、その時。
「……間接キスですわね……」
「ぶふっ!」
ゲルダさんが本当に聞こえるか聞こえないかぐらいの声音で言ったのだ。
思わず私は口に付ける前に吹き出してしまった。
「あ、あの! やっぱり嫌でしたかっ!?」
そう確認を取ろうとゲルダさんの顔を見てみると、仄かに頬が赤らんでいるように見えた。
しかもどことなく目が艶っぽいというか、なんか怪しい雰囲気を纏っている。
「いえ……嫌なわけありませんわ。あ、飲み終わったら私にボトルを返してくださいね」
え、それってなんか私が口に付けたボトルに色々する気なんじゃ……
そんなことを思わせるような彼女の態度に、私は少し青ざめていた。
「あ、はは……はい……頂きます……」
そう言ってラムネをあおろうとした瞬間に、思わぬ方向から謎の力で引っ張られ、
「ひゃっ……?」
「このはさんっ!?」
「な、何よこいつっ!」
気付いたら私の世界は、天地が逆転していた。
*
「きゃぁぁぁぁぁぁっ!!」
突如海から聞こえてきた悲鳴に、僕たちは一斉に立ち上がった。
何事かと声のした方向を探すと、何かよく分からない巨大な影が海から伸びている。
太陽が半分だけ海に沈んでいるような、そんな丸い形をしている。
ここからだとかなり大きな物体なのではないだろうか。
「あれ、何……!?」
紗織が怯えながらその物体を指差す。
すると突然、その物体の周りの海の中から何本もの柱が現れ、うねうねと動き出した。
「……あれって、まさか……」
「オクトパスとか、クラーケン的なアレではないか……?」
「僕もそう思う」
そんな海に来たらお約束なモンスターがなんでここに現れるんだよっ!
僕は内心毒づいて、すぐにそんな悠長なこと言ってられないことに気付く。
悲鳴が聞こえたってことは、誰か捕まったってことだ。
早く助けないと、お約束展開が待ち受けてるかもしれない。
「二人とも、ここでじっとしてて! 僕が助けに行って来るからっ!」
「ゆう兄っ、無茶だよっ! どうやってあんなの!」
……確かに、何か武器でもあればいいんだけど。
そう思っていると、いつの間にか僕たちの後ろにいたラウラさんが声をかけてきた。
「少女よ、素手では無理だ。……これを持って行くといい」
ラウラさんはそう言って包丁を手渡してくれた。
これなら刺したり切ったり色々出来るだろう。
「私は生憎泳げない。君に任せるしかないんだ」
あ、やっぱり泳げないんだ。まあ、今はどうでもいいか。
「我があやつの手前まで連れて行くっ! 妹君よ、ちょっと首を貸してくれっ」
「え? あ、うん」
エリーゼは紗織に近づいたかと思うと、首元に口を近付けて、かぷっと甘噛みした。
「はぅっ……!?」
紗織が驚いた顔をするが、エリーゼは気にせずにほんの少し血を吸った。
離した口から細く血が垂れている。
エリーゼによると、吸血姫は血を吸うことによって超人的な能力を得ることが出来るらしい。
「ゆ、ゆう兄~、ファイト~……」
紗織はへろへろと顔を赤くしてその場に蹲ってしまった。
「うむ、元気百倍だっ! 行くぞ優介よっ、掴まれっ!」
「へ? どこにって……てあぁっ!?」
叫ぶエリーゼに抱きかかえられ、いわゆるお姫様抱っこ状態にされた。
女の子にお姫様抱っこされる……複雑な気持ちだ。
「飛ばすから、落ちぬようになっ」
「う、うんっ」
そう言うが早く、エリーゼは全速力で謎の怪物の元まで走り出した。
人間離れしたそのスピードに、思わず僕は驚いて叫んでしまう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああっ!!」
今、海の上を走ってるよっ! 飛び魚もびっくりの所業だよっ!
エリーゼは海の上をまるで地面のように沈むことなく駆けて行く。
いや、実際には沈む前にすぐ足を動かしているんだろう、でも普通の人間じゃそんなことは出来ない。
しかも僕を抱きかかえた状態でだ。
かなりの力が必要なはずなのに、エリーゼは何てことないようにそれをやってのけている。
謎の怪物の輪郭が大分見えてきた。
アレは……巨大なタコだ。何本もの触手が海から伸び、空を闊歩している。
その触手の先に、なにかが捕らえられているのが見えた。
「このはだ……! あ、ユリアとゲルダさんまでっ!」
一本一本の触手に、身体を巻かれて身動きが取れないようだ。
どうやら最悪の状況らしい。
三人とも何とか抜け出そうとしているが、思ったより触手の力が強いようだ。
何とかしないとと焦っていると、不意に上からエリーゼが声を漏らした。
「……疲れたのだぁ……」
えっ! と驚いた顔で見上げると、息も絶え絶え死にそうな顔をしていた。
ゼェハァと肩で息をしている、やっぱり僕を抱えて全力疾走はきつかったのか。
「エリーゼ、もうすぐだし降ろしてくれていいよっ! これ以上近づいたらエリーゼまで危険だしっ」
「……はぁはぁ……そ、そうかの……では……」
エリーゼがそう言おうとした時、僕は身体が軽くなったような感覚を味わった。
重力から開放されたような、そんな浮揚感。
「え……?」
エリーゼが自分の下に見える。
前に倒れて浮いているエリーゼを見て、僕はやっと今の自分の状態に気付いた。
「あ、僕放り投げられたんだ。空に」
……って、ええええええっ!!
血を吸ったことで強くなっていたエリーゼに放り投げられ、僕は弾丸の如き速さで空を斜めに飛んでいた。
目の前には、どんどん近づいている巨大タコの弾力ボディが……
そうして、僕は猛スピードでタコに激突した。