紗織のターン!
海岸で待っていたラウラさんはこちらを見つけるなり、ドヤ顔でこう言ってきた。
「私の包丁のおかげだな」
「すいません、途中でなくしちゃいました」
「……なん……だと……!?」
ごめんなさい、一秒も活躍しませんでした。
気付いたらタコは真っ二つに裂けてたし、正直要らなかったなとも思う。
そんなこんなで、大事件だったような気がしなくもない昼の遊泳は終わった。
三人は折角の楽しい旅行だったのにちょっと可哀想だ。
まさかタコに触手固めされるなんて予想もしていなかっただろう。
まあ僕も海で女の子になってしまうなんてハプニングがあったし、この旅行、意外とはらはらさせられる……
そういえば、いつごろ元に戻るんだろう?
血を舐めたときは、ほんの数時間で元に戻ってたけど。
さっきの微妙に記憶が曖昧になっていた時の、普通ではない僕が言っていたことも重なって、より一層ちゃんと元に戻れるのか不安になってくる。
(……またね、か……)
僕が一人考えにふけっていると、ラウラさんがポンと手を合わせて昼食の提案をした。
「皆疲れているだろうし、一旦別荘に戻ってお昼にしようじゃないか?」
……うん。考えても分からないままだし、だったら考えなくてもいいか。
丁度お腹もかなり減ってるし、昼食にしよう。
「さんせー」
「なのだー」
紗織とエリーゼのゆるい連携プレーを経て、僕たちは別荘へと帰還した。
*
そういえば、着替えはどうしよう。
今はお昼食べるだけだからTシャツでも羽織ってればいいけど、よく考えたら蛭賀くんと同じ部屋なんだよね、僕……
というか、"僕"がいない理由、どうでっち上げよう……
「そういやさー、優介はどこいったんだろ? まだ海に出てるのか?」
案の定蛭賀くんが尋ねてきた。
そりゃそうだ。さっきあんな事件が起きたんだから、心配になるよね。
ここは――――
「あ、優介くんお腹痛いから部屋で休んでるって言ってたよ」
即興の嘘。確認されたらすぐにばれてしまうけど、今はこれで乗り切ってみせる!
「なにマジかならすぐにお見舞いにいかねばよし行こう」
「ちょ、ちょっと待って! 放っといてって言ってたから、行かない方がいいかも……だよ?」
急に走り出そうとした蛭賀くんの首根っこを掴んで何とか抑えた。
「……ん、そっか、そうだよな……俺ってば無神経だったぜ。好きな奴に弱ってるところを見られるなんて恥ずかしいからな、ってあれ? これってもしかしてツンデレって奴か!? そうなのか優介っ!」
勝手に勘違いして変なベクトルへ暴走しだしている。そろそろ付き合いきれん。
「ゆうすけ大丈夫かな~。折角の海なのに」
このはも純粋に心配してくれている。この二人に嘘をつくのは悪いと思うけど、事情が事情だけに仕方がない。だって、僕が優介だと言ったって信じてくれるわけないからだ。
今は完全に女の子になってしまっているし、何より学校での友人である彼らには、ごく普通な存在でいて欲しいと願うのだ。だからこそ、僕も普通の人間であるように振舞わねばならない。
吸血姫のいざこざに片足をつっ込んでしまった僕は、もう戻れないかもしれないけれど。
……それでも。
*
「どうだい、私のお手製マヨだく焼きそばは? 絶品だろう、美食だろう。おかわりもたくさん用意している、どんどん食べてくれ」
「……………………」
なんだろう、これ。
白い、白すぎるよ。焼きそばって、もっとこう、黒々としてなかったっけ。
それよりも、どうして僕は右手にスプーンを握ってるんだろう。
焼きそばに使うのは、箸だよね。
なんで、啜ってるんだろう。こんなの絶対可笑しいよ!
「ラ~ウラ~、何度自重せよと言ったら分かるのだ~……胃もたれさせる気かうぷっ……!」
あ、エリーゼが戻しそうになるのを懸命に堪えてる。可愛いのに残念、凄い絵面だ。
例えるなら、口の中に食べ物を詰め込みすぎて逆流しそうになってるリス、って感じ。
「もう駄目、焼きそば本体が見えないよ~……」
紗織も早くにギブアップした。恐るべしマヨ……
まあ紗織の料理も言えた物ではないけど、ここは推して黙っておこう。
「変ですわ……私海でもないのに、溺れてしまいそう……」
「お姉ちゃん頑張って! ここは陸よ、陸!」
倒れそうになっているゲルダさんをユリアが必死に応援している。
何だか滅多に見れなさそうな光景だな、やっぱり姉妹だから仲はいいのかな。
「お、俺……完食、したぜ……心を込めて作られた料理は残すなって、母ちゃんが言って、た……」
ひ、蛭賀くーん! 歴戦の戦士のような貫禄で椅子に沈み込んでいる。
全身真っ白く染まって静かに微笑を浮かべているその姿は、某有名ボクサーの最後の姿にそっくりだった。
蛭賀くん、君の健闘は忘れない。君の胃は、宇宙一だ。
そんな阿鼻叫喚(?)の地獄絵図の中、予想外のダークホースが現れた。
「おっかわり~!」
このはである。おかわりを催促するかのように差し出された皿は、見事に空っぽになっていた。
ま、まさか。あの油分たっぷり地獄を乗り切ったのか、どうなってるの、その胃?
全員の妙な視線も意に介さず、このははにこっと笑って言った。
「わたし、意外とマヨラーみたい」
意外とってレベルじゃないだろ……という暗黙のツッコミが入る。
「そうかそうか! いや、マヨの美味しさを理解できる者がいて嬉しいよ。私一人が異常なのかと思っていたんだ」
このはの皿を受け取り、追加の焼きそばを入れながらラウラさんは嬉々として話している。
十分異常です、はい。
というかマヨなしの焼きそばをください、でないと油で全身テカテカになってしまいそうです。
*
食事を終えた僕らはそれぞれ自由時間として散り散りになった。
ラウラさんは後片付けをしながら休憩、エリーゼとゲルダさんとユリアの三人は話があるとか何とかで同じく別荘に残った。
このはと蛭賀くんは海で泳ぎの競争を始めている。
少し考え事をしたかった僕は、浜辺で一人仰向けに寝そべって空を眺めていた。
熱せられた砂の熱さを背中に感じながら、涼しい風に身体をひんやりと冷まされる。
「ねむ……」
なんか、色々あって疲れた……
ちょっと休もうかな。ここは凄く居心地がいいし、それに小波が意識を攫うように囁いている。
ゆっくりとまぶたを閉じると、いつの間にか僕は眠りに落ちていた。
―――――――――――どれくらいの時間が経っただろうか。
何かが身体にのしかかっているような感覚がして、僕は目を覚ました。
……重い。身体が拘束されているように動けない。金縛りだろうか。
「あれ……って、え?」
僕の目の前でポンポンと砂を手で固めている人影が見えた。
妹の紗織だった。寝ている間に来ていたのか。
「紗織、何してるの」
「あ、起きた? 今ね、ゆう兄を砂に埋めてるの」
「ふーん……ってなぜにっ!?」
至極当たり前のように言われてお兄ちゃん一瞬スルーしそうでした。
紗織はなおも着実に僕の周りの砂を固めている。
これではすぐに抜け出せそうにはない。
「な、なんで埋めるのさっ! 殺す気かーーっ」
「何言ってるの? あたしはゆう兄に砂風呂を体験させてあげようと思って……」
「へ? 砂風呂?」
「うん、砂風呂」
何を企んでいるのかと思いきや、純粋な優しさからきた行動だったようだ。
不意打ちみたいなのはどうかと思うけど。
「どう、温かい? どんな感じ?」
紗織が楽しそうに聞いてくる。本当は自分が入ってみたいんじゃないだろうか。
「うーん、身動き一つ出来ないのはなんか不安だけど……落ち着く、かな」
「そっか~、じゃあさじゃあさ、後であたしにもやって~!」
やっぱり、やってみたかったようだ。脱出できたらリクエストに答えるとしよう。
「うん、いいよ。僕もう出たいから、ちょっと手伝って」
「…………え~」
どうしてそんな不満そうな顔で「え~」なんて言うのだろう。
僕なんか変なこと言ったっけ?
「今、ゆう兄全然動けないんでしょ?」
「うん」
「これっぽっちも逃げられないんでしょ?」
「……うん?」
何だか雲行きが怪しくなってまいりました。心なしか紗織の目が怪しく輝いた気がする。
砂から顔だけ出ている僕に、紗織がゆっくりと近付いてくる。
「それって、あたしの自由に出来るってことだよね。ずっと妹のターン! ってことだよね」
「違います」
「即答!? ……ふ、ふふふ。ゆう兄は一筋縄でいかないって分かってるよ。だから……」
紗織が横から顔を近づけてきて……
「んっ……」
僕の頬に、軽く口付けをした。
ほんの僅かな間の中に、とてつもなく大きく深い感情がこもっているような、そんなキスだった。
僕はもう何がなんやらで、頭が混乱し顔は風邪を引いたかのように火照ってしまう。
「さ、紗織……?」
「――――えへへ、やっちゃった。けど、今はこれが精一杯……」
紗織はそう言って、真っ赤になっている顔を手で隠しながらはにかんだ。
どこまでも無邪気に、どこまでも天真爛漫な、いつもの妹の姿のように。
「あ、あたしっ、ちょっと泳いでくるねっ……! 後でね、ゆう兄っ!」
紗織は全速力で走り去って行った。否、逃げ去って行った。
後に残された僕は、そこでやっと自分の状態を思い出した。
「あ! 誰か、砂から出して~!」
最後まで間抜けな僕だった。
*
紗織に砂に埋められて十分ほどが経っただろうか。
僕はいまだに砂の中に埋まっていた。
いやね、脱出できなかったとかそういうわけではないんですよ。
折角妹が砂風呂に入れさせちゃろ~ってやってくれたわけでして。
決して力及ばず抜け出せなかったなんて勘違いしないでね。いや、ほんと。
「慣れると、案外いいものだな~」
温かくて安心するし、狭いところって落ち着くし(猫か)。
デトックス効果も期待でき……る……?
突然に、今の女の子状態になったときと同じ痛みが胸に走った。
激痛、とまではいかないものの身体の芯から来る痛みのようで、全身が強張る。
「う……ぅぅうぁ……!」
ただでさえ暑いのに、それと相まって汗が大量に出てくる。
これは……この痛みは、もしかしたら。
少し経って息も大分落ち着いてきた頃に、僕は再び身体の変化に気付いた。
「――――戻った。男に」
いきなり吸血姫化して、いきなり男に戻った、という印象だ。
少々唐突な気もするがともかく、これで何とか平穏ないつもの僕に戻れた。
と同時に、男に戻って力が回復したのか、砂からあっという間に脱出することが出来た。
あまりに呆気なく感じたため、さっきまでの四苦八苦がなんだったんだろうと思えてしまう。
僕、女の子の身体だとそんなに非力なのかな……
まあ、いっか。さて、前半戦はラウラさんの策略とタコの急襲で潰されてしまったようなものだが、日はまだまだ高い。早速蛭賀くんたちと合流して遊ぼうかな。
そう思った矢先に、紗織がこちらに駆け寄ってくるのが見えた。
気恥ずかしさは落ち着いたようだ。そういえば今度は紗織を砂風呂に入れる番だったっけ。
走りながらこちらに手を振って紗織は叫んだ。
「ゆう兄~~! ……って、戻ってる!? みずぎ、水着~~っ!!」
最初、妹が何を言っているのか分からなかった。
いや、分かりたくなかった、という方が正しい。
そうだね、僕さっきまで女の子だったんで、水着も……そうだね。
そういうわけで、全力で岩場に逃げ隠れて紗織が僕の元々はいてた水着を取ってきてくれるまで、僕は蛭賀くんとこのはに見つからないか不安で心臓が破裂しそうなのだった。