ピンチのち晴れ
「くっ……なんなのよこいつっ! タコの分際で調子こいてぇ!」
「……思ったより力が強いですわ。吸血できれば楽勝なのですけれど」
「あぁあ~っ! もうっ! このっ、このっ!!」
暴れもがくユリアとは対照的に、ゲルダは一人冷静だった。
三人は今それぞれ別の触手に捕獲されており、距離も開いている。
ゲルダはちらりと自分たちよりも高い位置に引っくり返されているこのはを見つめた。
「ふにゃぁぁ~~……」
このはは目を回しながら気を失っている。
(彼女の血を吸えさえすれば……)
そう思ったところで、今の状態では不可能だった。
そんな時、島側からこちらに向かって海を駆けてくる何かが目に入った。
「……? ユリア、あれは……!」
「へ、なに? あ、エリーゼと、さっきの女の子っ!」
「助けに来てくれたんですわっ、多分」
ユリアとゲルダの二人は目を輝かせながら救助を待つ。
しかし彼女たちはすぐに自分の眼を疑ってしまう羽目になる。
エリーゼが前のめりにこけたのだ。しかも、とんでもないスピードのまま。
まるでスライディングしているかのように海の上を滑り、そのまま浮かんでいる。
「……はいっ!?」
「あの子……こんなときにもやらかしちゃうのですね……」
そしてエリーゼが抱えていた女の子が、タコに向かって弾丸のように放り投げられた。
二人はそれをただ見つめることしか出来ない。
「あぁぁぁぁぁぁぁぉおおぁぁぁぁあっ~~~~!!」
可愛らしい顔に似合わない豪快な雄叫びを上げて、少女はタコに激突した。
その衝撃が三人を掴んでいる触手にまで響いてくる。
ビリビリと身体を揺らす振動に耐えながら、二人は少女の姿を探した。
「――――くうっ……! はっ、あの子はどこに!?」
「い、いたわ姉さま! って、張り付いてる!」
少女は巨大タコの身体にめり込んでいた。
ぴくぴくと身体が痙攣している。
二人はしばらく様子を見ていたが、少女が動く様子はなかった。
「「……気絶してる……」」
二人そろってその事実に意気消沈し、がっくりとうなだれた。
頼りにしていた助け舟は泥舟だったのだ。残念すぎて声も出なかった。
タコも自分に激突してきた少女を見逃すはずがなく、すぐに少女に向かって新たな触手が伸ばされる。
そして呆気なく少女を捕らえると、報復のつもりなのか、タコは意識のない少女をそのまま海中へと引きずりこんだ。
ぶくぶくと少女が沈んでいった海面に泡が漏れてくる。
「まずいですわ、このままでは死んでしまうっ」
「あーもう! どうすればいいのよーーっ!!」
二人ははらはらとしながら事態を眺めるしかなかった。
沈んでいく。
意識の彼方へと沈んでいく。
この感覚はどこかで味わったことがある気がする。
深い深い澱みのような、それでいて陽光の透ける美しい浅瀬のような。
様々な思念が海のように交差する、不思議な場所。
僕は再び、その"海"に溺れていた。
とてもとても冷たいのに、身体は何故かぽかぽかと温かい。
誰かが、僕を包んでくれているようだった。
その時、海の上から、声が聞こえた、気がした。
「……また死にかけてるの? ふふ、君って本当にドジなんだね……」
誰だ。分からない。海の上からでは、フィルターがかかったように声が分からない。
だけど僕には返事をすることも出来ない。
身体を動かそうと、口を動かそうとするけど、上手くいかない。
海に、縛られている。
不意に、目の前の水が波を打った。
その不規則な形が、次第にまとまっていき、僕の目の前に現れた。
人型だ。
その姿を確認したときに、僕の意識は急激な濁流に流されるように、一気に沈んでいった。
もう意識を保っていられない、でも。
「……ちょっとだけ、君の身体を借りるから。安心して、みんな助けるよ、ぼくが……」
最後に見たあの子の顔は……女の子になった、僕自身だった――――
優介、いや、優奈は海中で目を覚ました。
身体に巻きついた触手に今もなお海底深くまで引きずられている。
そろそろ酸素が厳しくなってきたところだ。
優奈は触手を手で離そうとしたが、中々の力強さで抵抗している。
(……ふむふむ。さいこー出力でいっちゃった方がいいかもね)
そう考えた優奈は、即座に手に意識を集中しだした。
すると途端に、海中深くで暗かった辺りに光が生まれ始めた。
光は粒子となり優奈の手に収束していく。
そしてあっという間に、優奈の手には光の粒子で出来たナイフが握られていた。
(えいっ!)
頑丈な触手の硬さをものともせず、ナイフはあっさりと触手を切り裂いた。
自由の身となった優奈は、背中に再び意識を集中させていく。
引きずりこまれた女の子が無事なことを祈ってゲルダとユリアは海面を見つめていた。
その顔は緊張で包まれ、不安で汗を多くかいている。
すると突然、海底が不思議な光を発しだした。
小さな光だったそれはやがて大きさを増していく。
二人はそれが海面に近づいてきていることに気付いたが、一体何かは分からなかった。
そして、一息に海面が弾けた。
「きゃぁっ! な、なに……!?」
ざばっ、と海を裂いて空に勢いよく飛び出したその人物を見て、二人は心底驚いた。
それは神々しい光で編まれた翼をまとう、死の危機に陥っていたはずの少女だったからだ。
二人は驚きのあまり絶句してしまい、言葉が出ない。
当の少女、優奈はというと、そんなことどこ吹く風で、どこかこの状況を楽しんでいるように二人に微笑みかけた。
「二人とも~、今助けてあげるからね~! おやつはでっかいたこ焼きだよ~!」
あんぐりと口を開けたまま塞がらないユリアの代わりに、ゲルダが訂正する。
「ゆ、優奈さんっ、三人ですわ~! 上、上っ!」
「ん~~?」
ゲルダに上を指差され見ると、気絶しているこのはの姿が目に入る。
(あ~、忘れちゃってた)
思わずてへっと頭を小突き、優奈はゲルダにりょーかい、っと敬礼のまねをした。
その仕草になんとなく違和感を覚えた二人だったが、このときはまだ何が違うのか分からないままだった。
触手を切られたタコは優奈を完全に敵と認識したのか、残っている触手で優奈に攻撃を仕掛けてくる。
叩きつけるように襲い、避けようとした先に触手を忍ばせ、再び捕らえようとしてくる。
「あははっ、そんなんじゃぼくは捕まらないよ~だ!」
それを軽々と避けた優奈は余裕たっぷりに舌をべーっと出した。
その様子を眺めていた二人は、少し不安な気持ちになっていた。
「……優奈さんって、あんなに元気よかったっけ?」
「……私にも分かりませんわ。まだ会ったばかりですし……」
そんな二人の疑問も知らずに空を飛び回っていた優奈は、やはり油断していたのだろう。
急に海中から突き出された触手の一本に気付かず、勢いよくぶつかってしまう。
「やぁっ……!!」
そのせいで空中でのバランスを崩した優奈は、ふらふらと水面に落ちていき、丁度エリーゼが浮かんでいる辺りに落下する。
少し休んで大分体力も回復したのか、エリーゼは優奈が落ちてくるのに気付いて、上手く彼女をキャッチした。
「おっと、大丈夫か。優介よ」
無事キャッチできて、ふぅと額を拭うエリーゼ。
一方の優奈はというとまたもやピンチだったにもかかわらずケロッとしていた。
しかし彼女なりに助けてもらったことに感謝しているのか、優奈は抱かれたままエリーゼにしがみついた。
「きゃぁ~、ありがとうエリーゼちゃんっ! ナイスキャッチだよ~っ!」
「ちゃ、ちゃんだと……? そ、それよりも胸を顔に押し付けるな、息が、息がぁ~!!」
「ん~~? ふむふむ、さては照れてるな~? ほれほれ~っ」
「む、むぐぐぐ……がくり」
窒息しかけのエリーゼの頭をよしよしと撫で、優奈は再び巨大タコを見据える。
ゆっくりとだが、着実に優奈たちへと近づいてきている。
このままではエリーゼも危険になるだろう。
「……は~ぁ。めんどくさいけど、さいしゅー兵器でも使うとしますか」
みんな"僕"の大事なお友達だしね、と優奈は誰にも聞こえない声音でぼそりと呟いた。