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今宵、真紅の口づけを  作者: 悠凪
終章.共にありたい
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 夜が明ける前、エルネスティは眠れずに椅子に座っていた。明かりのない自分の部屋の中で、身動き一つしない少年が栗色の瞳で見つめる先には、エレオノーラがいる。ベッドの中で静かな寝息をたてている少女は、先ほど意識を失ったままだった。寒い町の中で倒れたエレオノーラを抱きかかえて、エルネスティは家に戻ってきた。そのままベッドにエレオノーラを寝かせると、自分はそばに椅子を持ってきて、付き添っている。

 月明かりしか入ってこない部屋の中で見るエレオノーラは顔色が悪く、長い睫毛が影を落として儚げで、一瞬でも視線を外せばそこから消えてしまいそうな程淡く見える。

 俺は、どうすれば良い?

 人間の命を奪ってしまった少女は、もうエルネスティの知っている少女ではないのだろうか。誰かの命を奪ってしまった少女に対して何も思わないわけでもない。どうしてと思った半面やはりとも思うし、それでもどうにかしたいと言う諦めの悪さも残っている。人間が生きていくために必要とする食べ物を、吸血族は人間に代わっただけなのだと、簡単な構図は理解していても、殺してしまったことに対する嫌悪感も衝撃も、人間であるエルネスティはもちろん、自分のしてしまったことに耐え切れずに意識を手放したエレオノーラも感じた。

 このまま一緒にいられたら。

 このまま何も考えずに少女と一緒にいられたら、どれほど幸せなのだろう。人間だとか吸血族だとか関係なく、エレオノーラもエルネスティも、ただそれだけの存在になることが出来たなら。

 望むことは、それだけなのに。心の奥底から望むものは、本当にそれだけ。二人でなんの憂いもない所で、互いしかいない場所で、互いのことだけを考えられる世界があったなら。

「何考えてんだ……馬鹿馬鹿しい」

 自分のあまりにも浅はかな考えに、少年は渇いた笑いを零すしかできなかった。小さく肩を揺らしながら笑ってしまうと、どうにもならない現実が重くその揺れる肩に圧し掛かってきて、目頭が熱くなる。涙腺が一気に緩んでしまいそうで、少年はその栗色の瞳をギュッと閉じた。括っていない髪の毛が俯いたときにさらりと零れ落ちる。

 エレオノーラに出会って数ヶ月でここまで自分が感情を乱されるなんて思いもしなかった。最初に会ったときには魔族というだけで嫌悪感を露にしていたのに、今では離れたくないほどに愛しくて大切な存在になってしまっている。でも後悔なんてものはしていない。迷うこともこうして泣いてしまうこともあったけど、それでもこの気持ちを持たせてくれた少女に感謝こそするが、それ以外の気持ちなどエルネスティは感じることもない。

 顔を上げて、また少女の寝顔を見つめると、それだけでエルネスティは癒される。長い睫毛もふっくらとした唇も、白くてきめ細かい肌も日に当たれば輝く金色の髪の毛も、何もかもが愛しくて仕方がない。枕元にさらりと零れているエレオノーラの髪の毛を、大きな手ですくいあげてみる。上質な絹糸のようにサラサラと零れ落ちて行くその髪の毛に、少年が顔を寄せてキスを落とした。たったこれだけのことで、心が震え上がるくらいに喜びを感じてしまう。温かくて幸せな気持ちを与えてくれる。眠っているエレオノーラの頬に手を添えて、感情を顔に出すのが苦手な少年は穏やかに微笑んだ。エレオノーラの大好きなふんわりとしたあの笑顔を浮かべながら、何度も柔らかい肌を楽しむように、手で撫でる。

 共にありたい。

 そう、心が求めてしまう。それがどれだけ危険なことでも、少年の気持ちは何も変わらない。少女が望むなら自分の血を与えることも、抵抗もなくきっと笑って差し出すだろう少年は、一層穏やかに微笑んだ。ベッドに頬杖をつきながら、間近に見るエレオノーラの顔は幼さも感じさせるくらいに純粋な寝顔。いつもエルネスティに笑いかけてきてくれた、あの純粋な色を持つ少女なのだと安心感をもたらしてくれる。やはりこれが本当のエレオノーラなのだと、少年は思う。

 少年の手の感触が少女を現実に引き戻したのか、エレオノーラの睫毛がふるふると震え、ゆっくりと持ち上がる。月明かりの中にぼんやりとした真紅の瞳が空を彷徨い、そして栗色の瞳と結びつく。

「……おはよ」

 エルネスティはいつもと変わりない様子で声をかけた。出来るだけエレオノーラの心をかき乱さないように。

「……エルネスティ?」

 弱い声で少女は少年を呼び、そしてぎこちない様子で微笑んだ。青白い顔に浮かぶ、笑顔と言うにはあまりにもぎこちないものではあるが、それでも愛する少年に向けた微笑にはふんだんに感情を持っていた。

「ごめんな」

 エルネスティは小さな声で呟くように謝罪の言葉を口にした。飽きることなくエレオノーラの頬に触れている手が、わずかに震えている。

「何が?」

「……頼りにならなくて」

「そんなことないよ?」

 泣き出してしまいそうな少年の顔を見たエレオノーラは、温かくて大きな手にほっと息を吐いて、穏やかな声で返す。

「エルネスティが私を嫌わないでくれるだけで、すごく嬉しいから」

「でも、守ってやれなかった」

「それを言うなら、私こそごめんなさい。ひどいこといって、おまけに、人を、命を奪ってしまって……」

 あんなに魅力的で甘いと思った香りも、今は感じない。満たされてしまえば、いったんは落ち着くものなのだと初めて知った少女は、自分のあまりにも大きな変化に戸惑いながら言った。その大きな真紅の瞳から涙が零れ、ぼんやりとした月明かりしか入ってこない部屋の中でも、エレオノーラが泣いていることはエルネスティにも見える。泣き濡れる瞼を何度も拭ってやりながら、少年は静かに言葉を唇に乗せる。

「どうしたい?」

「……え?」

「おまえは、俺とどうしたい?」

 単純すぎる質問にエレオノーラは言葉を捜す。なんていったら良いのか。純粋に想い合う気持ちは分かち合っている。この先どうしたいかなんて、語るより明確なことを少年は聞いている。

 ならば、自分の望みを言ってみようか。きっと少年を苦しめることになるであろうその気持ち、自分の考えを、エレオノーラはゆっくりと、静かに、時に微笑みながら言葉にした。

 エルネスティは黙って、しかし驚きを隠せないまま少女を見つめた。何を言い出したのかわからないと言ったように、エレオノーラの真紅の瞳を見つめる。揺らぐ栗色の瞳を見つめ返す少女の瞳は澄み渡り、とても綺麗な赤に見えた。大きなことは望まず、ただひとつのことを切々と願い語る少女の言葉は重く、そしてまっすぐに少年に突き刺さる。

 深く少年を愛する少女の願いは唯一つ。

 共にありたい。

 少年の望むことと1ミリのずれもない鮮やか過ぎる感情を見せられて、エルネスティも微笑んだ。エレオノーラが見たくてたまらなかったあの笑顔で。

「分かった。約束する」

 少年らしい大きな手で、エレオノーラの手を握るエルネスティが、優しい声音で返事をした。

「ありがとう」

「ん。じゃあ、俺からも一個」

「何?」

 まだ涙の残る瞳をきょとんとさせたエレオノーラに、少年は言う。

「俺から離れるな。何があっても、どんなときも、何かあれば俺のところに来い。絶対に」

 少年から零れた言葉もまた重く少女の心に突き刺さる。しばらく黙り込んだエレオノーラが、やがて小さく息を吐いて、それから頷いた。

「分かった。約束する」

「ん」

 しっかり自分を見つめてそういった少女の頬に、エルネスティは頷き返した後、柔らかな口づけを落とした。温かくて愛情の篭るそれを受け止めたエレオノーラが、また涙を零した。

 

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